#732/3137 空中分解2
★タイトル (AVJ ) 90/12/31 12:49 (181)
「遠い春」(6) 浮雲
★内容
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同じ頃、城下でも騒ぎが始まっていた。村々で打ち鳴らす半鐘の音は、朝方の
城下を揺るがした。寝巻姿のまま外に飛び出した人々は、遅霜が降りたことを知
った。
おろおろするばかりの城下の人々とは対象的に、遠野藩の動きは奇妙なほど素
早かった。城下の人々が気が付いてみると、大木戸(城下への出入口)にはどこ
も武装した役人たちが配置されており、その物々しさにもう一度驚かなければな
らなかった。
昼前には、上郷、下郷、附馬牛等の各代官所は、藩の武士・足軽などの武装集
団でごった返していた。
どの大木戸も通行は自由であったが、役人たちは一様に緊張した面もちで言動
も何かしら粗暴であった。
ところが、どうしたわけか夕刻になると、大木戸に配置されていた藩の役人た
たちはいっせいに引き上げてしまった。人々は武士たちの行動を理解しかねた。
らちもない噂話だけが残されただけであった。
それらの動きに合わせ、領内のすべての名主・村方役人たちに対して、各代官
所からお触れが届けられた。翌日の昼までに、もよりの代官所に出頭すべしとい
うのである。
おかしなことに、肝心の遅霜に対しては各部落ごと、隣組ごとにめいめい対策
を怠るなという漠然とした指示が書き添えられてあったにすぎなかった。
太市らが地主である佐々木の家に着いたのと、その代官所からのお触れが届い
たのと一緒であった。
「めいめい対策をたてろとは、どういうことだ」
さすがの佐々木も顔色を失った。
「藩はなにも面倒みねえってことだじゃ」
市次だ。そうだ、という声がいっせいに上がった。
佐々木は、市次をにらみつけておいて、
「なんにしても、この空模様ではあすの朝も危ねえ。そこでだ」
昼のうちに苗の上にむしろをかぶせるか、夜中にワラを燃やすかするしか、い
まのところ手はないだろう、と言うのである。太市らにもそれ以上の考えは思い
つかなかった。
結局、むしろには数に限りがある、ワラを燃やすしかないということに決まっ
た。
「それしかねえ」
帰り道、太市は怒りとも諦めともつかない言葉を自分自身に向けた。
「なんぼかいいべさ」
市次が顔を歪めた。吉には、ワラを燃やすことがもっともよい方法なのかどう
か少しも判断がつかなかった。ただ、太市らの表情から否定的な反応を読み取る
ことが出来た。
その夜、遠野の空は一晩中赤々と燃え続けた。
あくる日、代官所に出頭した村方役人たちは、まず警備の厳重なことに驚き、
次に代官の口から出た言葉に眼を剥いた。
新税の徴収
早瀬川護岸工事への苦役
の二つがが言い渡されたのであった。てっきり遅霜に対する藩の対策・救済の方
針について聞かされるものとばかり信じていた彼らが耳を疑ったのも当然であっ
た。まったく予想外のことであったが、誰一人として口を開く者はいなかった。
代官所には相変わらず武装した藩の侍たちが溢れており、その存在が名主や村
方役人たちに無言の圧迫を加えていたことも見逃せなかった。
どうしてこの時期に。無理もない疑問であった。自分達の帰りを待っている百
姓たちが何を期待しているかを思うと、追い出されるように代官所を出た村方役
人たちの足取りはいっそう重いものになった。
新税は、南部藩から指示されたものだと説明されたが、そればかりではない様
であった。「牛馬税」という名目で農耕具に対してかけられるものとされたが、
それは遠野藩以外の領地ではすでに徴収されており、福泉寺に幽閉されている南
部弥六の温情的政策によって導入が退けられた過去を持つものであった。
それから数日後、こんどは城下に住む人々に新税(軒別銭)が課せられた。
その頃になって、遅霜の被害は南部藩全域に及び、とくに下閉伊郡では農作物
が壊滅的打撃を受けたことが判ってきた。
新税の徴収は、秋の収穫が望めないことをすでに見込んだ南部藩の指示による
処置であることは疑いの余地はなかったが、誰もが首をひねるほどにす早い動き
と言わなければならなかった。
それにしても、農作物の被害を埋めるに百姓たちに新税をかけ、盛岡の南部藩
を救済するために城下の町民に負担を強いるとは、どういう発想から出てくるの
だろう。
「弥六様ならこんな仕打ちはしねえ」
誰もが福泉寺に幽閉されている南部弥六を想い、一方で南部土佐に対する反発
を募らせていった。しかし、百姓の中には、
「弥六さまだって藩の人に違いない」
と言う者がいた。五兵衛たちである。
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幸いにして、北寄りの附馬牛、土淵で六、七割り程度が被害にあったのを除き
、遠野藩内での被害は比較的軽いもので済んだ。
遅霜が二晩だけで済んだせいもあったが、何よりも百姓たちの必死の策がそれ
を防いだのであった。それに引き換え、遠野藩の南部土佐がしたことといえば、
城下から物資(ワラなども)が運び出されるのを防ぐために、大木戸の警備をい
っそう厳重にしたことであった。
百姓たちにとっては、遅霜による痛手よりも新税の徴収、そして大木戸の事実
上の閉鎖という思わぬ人災の方がより深刻であった。
遅霜の騒ぎが一段落した頃、城下では新たな問題が起こっていた。
薪や炭の値段が、倍につり上がったのである。幸いにして、季節は初夏に向い
、暖房用の炭などが不要になったものの、やはり日常生活に及ぼす影響は小さく
なかった。どの店先でも客とのいざこざが起きたが、まるでそれを待ちかねてい
たように役人が現れ、客は追い散らされるのが常であった。
梅雨に入ると、人々は薪や炭の値上がりがいかに痛いかを思い知らされた。
その年(天保五年)の梅雨は、異常であった。少しも雨が降らず、変わって毎
日晩秋を思わせる肌寒い日が続いた。水不足と低温のため、青田が弱っていくの
は誰の目にも分かった。
そして、ある日のこと百姓たちの頭髪を逆立たせるような出来事が起こった。
その日、お光は朝からの肌寒さが、いつもと違うように感じられて仕方がなかっ
た。
「なにしたべか」
「うむ、おがすいあんべえだな」
普段ならまともに相手をしてくれる筈もない市次が、さすがに顔色を変えた。
何か、空気が異様にうごめいている、そんな感じであった。
この季節、いつもなら南東から吹く風が西から吹いていた。どんよりとした灰
色の空が、少しずつ白っぽくなっていった。
昼近く、空一面がにわかに黄色っぽいものになったのと同時であった。ザ−ッ
と大粒の雨が地面を叩いた。
「あっ」
納屋の外に出て空模様をうかがっていたお光が、悲鳴をあげた。黄砂だった。
続いて砂利に混じって粉のようなものが舞い降りてきた。まもなく、それは強風
を伴いまるで吹雪のように荒れ狂い、数分後には、辺り一面景色が変わっていた。
砂嵐は、数時間続いた。畑作物はすっかり黄砂の下に埋もれてしまった。六角
牛山や石上山の裾野の牧草も例外ではなかった。それは、まるで川の流れの様に
帯状に東北地方を西から東に横切って襲ったのであった。遠野のわずかに北より
の宮守村では一握りの黄砂も降らなかった。
気の早い博労たちは、南部駒を宮守村や花巻の方に、移送させる準備をはじめ
た。雨でも降って積もった黄砂を洗い流してくれれば、なんとか望みもあったが
、梅雨だというのにその雨は一滴も降らなかった。水不足と低温にあえいでいた
稲も、砂嵐にたたきつけられ無惨な姿を見せていた。
その夜、太市は市次と一緒に、長次や吉を誘って東館の五兵衛の家を訪ねた。
浮浪者が住み着き近所の者から苦情が出ている、という理由で取り壊された大慈
寺の番太小屋の代わりに、五兵衛の家が寄り合いの場所になったのだった。いつ
もの顔ぶれが集まる手筈になっていたが、どうしたことかあの喜善の姿が見えな
かった。
彼らが戸口から中に入ったのを、一つの影が見届けていた。
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多分、寝ぐらにいたところを急に襲われ、あるいは歩いているところを有無も
言わせずに力づくで追い立てられてきたのに違いなかった。
「何もあそこまでしなくても」
お光のそばにいた百姓がうめくようにつぶやいた。いつの間にか野次馬で一杯
であった。
哀願と非難の声が彼らの間から絶え間なく続くのを聞いているうちに、お光は
なんともせつない思いにかられ、知らずに涙を浮かべていた。
その時だった。群れの中から、小石が一つ、役人たちに向かって飛んだ。
「ん?」
お光は、眼を疑った。小石を投げた人物に見覚えがあったからであった。たし
かに知合いの筈だが、身なりも違っているし頬被りをしているのでなんとも決め
つけかねた。
そんなお光の疑問は長くは続かなかった。その小石を合図に浮浪者たちの間か
ら喚声と共に役人めがけて石ころが投げられ、棒きれを持った男たちが大木戸に
群がった。
役人たちが後ろに退くと、それを待っていたかのように足軽たちが前に出てき
た。彼らは鉄砲を抱えており、すぐさま射撃の態勢に入った。
「わあっ」
野次馬たちのあいだから、悲鳴とも怒号ともつかぬ叫び声がおこり、散じりに
逃げだした。誰かがお光の腕を引っ張った。お光は訳も分からずに駆けた。
「パンパン」
後ろで、乾いた鉄砲の音が一斉に鳴った。あちらこちらで悲鳴が上がった。お
光の前を走っていた百姓が、からだを捻るようにして声もなく倒れた。
「パンパン」
また、鉄砲の音が鳴り響いた。
「あっ」
お光は足をもつれさせると、どおっと倒れた。右の頬を思いきり地面に叩きつ
けたのを覚えているだけであった。
どのぐらいの時間がたったのであろうか。お光が気が付いてみると、どこかの
百姓の婆ちゃが傷ついた頬の手当をしてくれていた。
「おや、気ついたべが。危なかったなあ、男人も女人も関係ながったんだがら、
まずはあ、助かっただけめっけもんだじゃ」
お光は、からだを起こすと辺りを見回した。そこは、大木戸から見通しの利か
ない台地の蔭であった。すぐ側には鎮守の森が控えている、お光もよく通る道筋
であった。
ケガ人はざっと見ただけでも二、三十人はいるようであった。お光のように、
走っていて足をもつれさせて倒れてケガをした者もいれば誰かに突き飛ばされて
ケガをした者もいたし、何より鉄砲に撃たれてケガをした者が多かった。
「何人も、はあ命っこ取られただじゃ」
婆ちゃが大木戸の方を指さした。いくつもの死体が収容されないままに放置さ
れている、というのだ。
そのうち、事件を聞きつけた人々が集まってきて、大騒ぎになった。知人の無
事を喜ぶ者、流れ弾に当たって命を落とした肉親の姿に泣き叫ぶ者、医者を呼べ
とわめきたてる声などで大混乱となった。逃げ散った浮浪者たちを追って代官所
の役人たちが遠野藩の鉄砲隊と共に山狩りをするらしい、との噂が流れ、いっそ
う混乱に拍車がかかった。
「こごさいでは危ねえ」
あわただしく人が動いた。ケガのひどい者には馬車が用意され、とにかく近く
の寺に避難することになった。
お光は、「もう少し休んでけ」という婆ちゃに礼を重ねると、みんなから離れ
てひとり家に向かった。
傷ついた頬を熱いものがとめどもなく流れ落ちた。お光は、涙がこんなにも熱
いものだということを初めて知った。
−−− 第一部 完 −−−
1990.12.26