AWC 「遠い春」(5)           浮雲


        
#731/3137 空中分解2
★タイトル (AVJ     )  90/12/31  12:45  (192)
「遠い春」(5)           浮雲
★内容

「おめえら、強訴でもする気か」
 村方役人は声を荒げた。
 何か仲介の労をとってくれるものとばかり思っていた二人の期待は、見事に裏
切られた。逆に、佐々木に逆らうものではない、とたしなめられる始末であった。
 何かおかしい。太市は顔を曇らせた。五兵衛も同じことを考えていたものらし
く、急ぎ寄り合いを持つべえ、と太市に同意を求めてきた。異存はなかった。
 いつもの様に大慈寺の番太小屋に近在の百姓らが集まった。いずれも二十歳前
後の若者らであった。中に一人だけ三十をいくつも越した者がいた。東館の五兵
衛である。
「俺が聞いた話っこでは、はあ、南部駒が死んだのには藩の方から見舞いの金が
出るらしいはんで」
「なに」
 青笹の庄一の話に誰もが驚きの声を上げた。
「したくせに、吉のところさ弁償しろなどとよくまあ言えたものだじゃ」
 長次は今にも佐々木の家に飛んでいきそうな勢いであった。つられて市次が膝
を立てた。太市が眼で制した。
「その話っこが本当だとしたら、はあ、また別な口のききかたもあるべ」
「市次、この話っこはしばらく吉には伏せておけ」
 太市は、佐々木の家の使用人をにらみつけていた吉の様子を思いだしていた。
結局、事情も変わってきたことだし、五兵衛と太市がもう一度村方役人のところ
に相談にいくことに決まった。それにしても、村方役人のあの様子では何か佐々
木の家から強く言い含められているか、代官所の筋から達しでもあったのかも知
れない。あの時、村方役人は知らない仲でもないのに五兵衛に向かって「よその
部落のものが口出しするもんでねえ」とすごんた。やはり尋常でないことが進行
していのに違いない。
 しかし、それならそれで本当のところが見えてくるだろうからそれも良かろう
と太市は思った。
 吉の件に続いて太市は、遅霜の心配があるので今年は苗床つくりをいつもの年
より少し遅らせてはどうかと相談をもちかけた。実は俺もそれを考えていたとこ
ろだ、と白岩の秀助が応じた。いや俺もだ、という声が続いた。
「全部が全部そうする訳にもいかねべ」
 村方役人や地主の手前もあるから七、八割は出来るだけぎりぎりまで時期を遅
らせて籾を蒔き、あとの残りは種籾漬けを待ってみてはどうか、と五兵衛が言い
出しそれに決まった。また、それぞれ部落の百姓たちにも同じように時期を見合
せるよう勧めてみることにした。
「代官所では、遅霜の心配などねえどでも思ってだべが」
 土淵の弥吉の疑問はもっともであった。
 それから数日、例年なら苗床作りが始まろうという頃、村役人のところに代官
所から「お達し」が届いた。
「田植は例年通りに行うこと」
 というものであった。異例の出来事であった。明らかに太市らの動向に対する
牽制であった。
 さらに、それから数日後には代官所の役人が村方役人を同行して田植の準備の
進み具合いを調べ始めたのである。八幡郷ばかりではなかった。それは遠野藩の
領内全域に及び、人々を不安がらせた。五兵衛や太市らの話にうなづき、水漬け
見合わせていた百姓たちも追いかけられるように田植の準備を急いだ。
 それでも太市は、仮病を使うなどして出来るだけ作業を引き延ばした。長次や
吉もそれにならった。一方、五兵衛や庄一、秀助らもなんだかんだと理由をくっ
つけては太市らと動きを一つにしていた。
 その頃から、遠野では見かけたことのない男が五兵衛の家の様子を窺うように
なったのを、誰一人として気がつかなかった。
 同じ頃、遠野の旧くからの材木商菊政が、洪水の後の復興に関して木材を不正
に隠し持ったとして捕らえられ、店が閉鎖されるという事件が起き、町の人々を
あっと言わせた。

「宇賀神社」の祭礼は遠野が冬に別れを告げ、春を迎える節目に当たる。祭りが
終わると一斉に人馬が動きだす。百姓たちは、種籾漬け、田打ち、田かき、そし
て粟、稗、野菜類の種蒔と続く、忙しい季節を迎える。
 冬から春さきにかけて、不吉なことばかりが続いた。誰もがこれから平穏な日
々が続くことを祈った。その願いが通じたのだろうか、春らしい陽気が続き、日
増しに緑が濃くなっていった。
 その後も、洪水の後始末や商人たちの摘発騒ぎが続き、加えて一日ごとに物の
値段が上がり、城下はいっそう騒然としていった。
 そんな中、八幡郷に住む百姓太市の家では、いつもの通りのお彼岸を迎えてい
た。妹のお光は兄に言われて近所に住む吉の家に゛おはぎ゛を届けるために出か
けた。
 吉の家では、地主の佐々木から預かっていた南部駒を洪水で死なせたため、弁
償を迫られていたが、太市らの働きでなんとか方がついていた。もっとも、母親
を賄いに出せとの要求は引っ込めたものの、吉の日雇いに対する労賃を差し引く
くとは譲らず、やむなく眼をつぶることになったのであった。そんなこんなで心
労が重なったのであろう。お彼岸を前にして、吉の母親は洪水でのけががもとで
寝床に伏してしまったのである。お光が吉の家におはぎを届に行くのにはそんな
訳があったのであった。
 それでもお光が吉の家に入ってみると、年寄り二人が何やらご馳走の支度をし
ているところであった。吉は、洪水で行方知れずになった妹のお直の墓参りに行
って留守であった。お光は自分もおはぎを持ってお直の墓に行ってみようかと思
った。
「お光がおはぎっこ持ってきてけだんだど」
 爺んこが奥の寝床で横になっている吉の母親に声をかけた。
「上がっていけべさ」
 ちょっとの間があって弱々しい声が返ってきた。
「おら、お直の墓さいってみる」
「ほだが。んだれば、これ、持っていってけろ」
 婆っちゃが何やら重箱に包んだものを預けてよこした。
「せば」
 吉の母親の具合いはあまり芳しくないようだ。お光はため息を飲み込むと駈け
出した。
 お直のお墓は裏山にあった。それは、中腹の見晴らしの良いところに石ころを
並べただけのものであった。本当なら大慈寺のようなお寺に葬って上げなければ
ならなかったのだが、いつまでたっても遺体は見つからなかったし、そうでなく
ても洪水の犠牲者があまりにも沢山いたため小作の百姓の子どもなど後回しにさ
れてしまったに違いなかった。
 お光がそこに着いた時、吉はまだ回りの草などをむしっていた。実は、吉はお
光がやって来るのを遠くから認めていた。それなのに、お光がそばに立っても吉
は気づかない様子であった。
「きれいになったね」
「うん」
 つられて吉は口を開いた。お光がすぐ横にいて吉の手元を見つめていた。
 幼い頃から毎日のように顔をつき合わせてきたのに、たった二人きりで、しか
もこんなところで話をするなどということは初めてであった。
 吉が立ち上がると、お光がしゃがみこんで石ころに向かって手を合わせた。ざ
ざあっと風が山肌をかけのぼった。
「これ直っこに。それからこっちは婆っちゃが持っていけって」
 お光がおはぎを゛墓゛に供えている間に、吉は包を開けた。年寄りが作った゛
ごちそう゛がいっぱいに詰まっていた。同じ小作の百姓の家に育った二人だ。ご
ちそうといってもたかが知れていることなど見なくてもわかる。それなのになぜ
か吉はそれをお光に見られたくない気がした。
「一緒に食べよう」
 お光の屈託のない様子に吉は自分を取り戻した。婆っちゃが気をきかして二人
で昼を食べろという積もりで持たせてくれたのに違いないのだ。それなのに何を
つまらないことを考えたのだろう。吉は自分で自分を叱ってみた。
 何に対していらだっているのかは分からなかったが、そんな吉の様子をお光は
敏感に感じとっていた。
 また風が山肌をかけのぼった。
「んではぁ、いただきまあす」
 吉の気持ちがどうであれ、吉とならんで昼を食べられることをお光は素直に喜
んだ。吉はぶすっとした表情を崩さないまま、年寄りの作った料理を口に入れた。
「うめぇ」
 吉は正直に言葉にした。

   15
 田圃に引く水はいつもに比べすくなかったが、それでも心配されたいざこざも
なく、八幡郷に住む百姓太市のところでも、近所の百姓たちの手助けでなんとか
田植を済ませると、休む間もなく吉の家の田植にかかった。吉の母親は寝たきり
であったし、吉と二人の年寄りだけではどうにもならなかったからである。
 そんな中、お光の張り切りようがみんなの眼を引いた。
「ゆんべは、はあ、もう田植は嫌だって言ったくせして。なじょしたことだべ」
 市次がからかうようにいうと、
「働き者だから誰か嫁っこにもらってけろっていう魂胆だじゃ」
 長次が応じた。すかさずお光の手から泥のつぶてが二人めがけて飛んだ。
 それから数日して、この様子では遅霜の心配もないだろうと、太市はむろに入
れておいた残りの苗も植え、一息ついた。明日は畑の方の手入れにかかろう、そ
んなことを考えながら太市は床についた。市次は、長次のところに酒を飲みに行
ったまま、なかなか帰ってこなかった。
 あくる日の明け方、思わぬ寒さに市次は小便に起きた。
「っ・・」
 市次は声も出なかった。きのうまで柔らかな新芽で覆われていた山野が一面ま
っ白であった。遅霜が降りたのだ。
「しまった」
 ぶつける相手のない怒りに、市次はわれを忘れた。
「わあぁ、ああ」
 叫び声を上げて土間を走り回る市次に驚いて、家族のものが起き出した。
「市次っ、何してる」
「きたあっ」
「したから、何が」
「外っこ見れ」
 言われて太市が土間に降りた。お光も続いた。
「あっ」
 腰を抜かしたのか、太市は戸口のところにへたりこんでしまった。しまった、
一日早かった。太市は戻って来ない時間を呪った。いや、自分があまりにも情け
なかった。あれほど遅霜を警戒しそれなりの用意もしてあったのに、それを言い
出した自分がまっ先に罠にはまってしまうとは。胃がギリギリと痛み、全身にし
びれが走った。
「とにかく、田圃見てこねば」
 市次は興奮もおさまったのか、へたりこんだままの太市に声をかけると、返事
も待たずに飛び出していった。
「あっ、あれは」
 お光は何か聞こえたように思った。
「半鐘だ」
 やっとのことで立ち上がると、太市は外に出た。遠く近く、半鐘が打ち鳴らさ
れている。カンカンカン、シャンシャンシャンとそれは聞く者をせかせるように
絶え間なく鳴り響き、いっそう不安といらだちをかき立てた。
「まちがいない。はあ、俺も行かねば」
「気つけでな」
 いつのまにかお光のそばに母親が立っていた。
 太市は途中、長次と吉の家に寄って声をかけた。吉はそれほどでもなかったが、
長次はすっかり打ちのめされ、真っ青な顔でぶるぶる震えていた。長次も二日ば
かり前に残りの苗を植え終わったばかりであった。その日一日、長次のからだの
震えは止まらなかった。そんな長次の様子に吉も神経をたかぶらせるのだった。
 やっとのことでなだめに応じた長次を連れて、太市らは村方役人のところに向
かった。
 途中、吉の質問に対し太市は、
「む。けさだけの事だればなんとか・・・」
 霜の降りた田畑を見ながら眉の間にしわを寄せた。その顔からはいつもの温和
な表情が消えていた。遅霜に備えていた苗を一日早く植えてしまったことを後悔
しているのに違いない。吉はそう思った。しかし、いつかは植えなければならな
かったのだし、いつ遅霜がくるかなど誰にも分かる筈がないのだから、誰がいっ
たい太市をとがめだて出来ようか。吉はそうも思った。それに一度ぐらい霜が降
りただけで苗がどうこうなる訳ではないのに。そんなのんきな気持ちもあった。
 しばらく行ったところで、その村役人が何人かと連れだって急いでいるのにぶ
つかった。
「太市、はあ、どこさ行くべか」
 村方役人の方から声をかけてきた。
「ほかの肝煎も佐々木の家に寄り合っているって言うから、まずはあ、そっちさ
行くべ。市次もいってるはんで」
 一行は、おし黙ったまま足だけを急がせた。遅霜とはどうやら吉が考えている
ような生易しいものではないことが大人たちの様子からうかがえた。吉は何か経
験したことのない不安が全身に広がるのを覚えた。急に足元がもつれ出した。

                                 つづく
1990.11.03




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