AWC 「遠い春」(4)           浮雲


        
#730/3137 空中分解2
★タイトル (AVJ     )  90/12/31  12:42  (191)
「遠い春」(4)           浮雲
★内容

 二、三日前に降り続いた雨で水かさが増していたところに、思いがけない雪解
けが加わり、あっと言う間に川という川が氾濫した。
  まず来内川が決壊した。その日の昼過ぎには早瀬川、猿ケ石川がつづいた。濁
流は人家を押し流し、橋を落し、集積所に積んであった木材を呑込んだ。
 早瀬、上組ではその流出した木材によって家屋が破壊され多数の死傷者を出し
た。
 その日の昼、お光の家に吉が飛び込んできた。
「次っこ兄!」
 吉は汗びっしょりであった。一足違いで太市は来内川の様子が危ないというの
で見に出たばかりであったし、呼ばれた市次は早朝から野良に出たままであった。
「いねのが」
 吉はもう一度奥に向かって叫んだ。ただならぬ様子であった。納屋で片付けも
のをしていたお光がその声を聞いた。
「吉ちゃ」
 土間の暗がりの中で肩を上下させている吉に、お光が声をかけた。
 突然背後から声をかけられ吉は驚いたように振り向いた。その眼がすべてを物
語っていた。
「お直が川に流された」
 あの落雷に打たれて大怪我をし、やっと治ったばかりの妹が早瀬川の濁流に呑
まれたいうのである。お光は声も出なかった。
「誰もいねはんで」
 お光はただうなずくばかりであった。
 業を煮やしたのか、吉はあっという間もなく飛び出していた。お光は追いかけ
ようとしたが足がすくんで思うようにならなかった。
「はあ、どうしたべが。そんな恐い面っこして」
 市次であった。これまた一足違いであった。お光から吉の妹が川に流されたこ
とを聞くと、市次は顔色を変えて飛んで行った。お光も後を追った。
 すぐに何人か大人たちが集まったが、吉の妹の姿は容易には見つからなかった。
猿ケ石川の方に流されたのであろう。
 そうこうしているうちに、いたるところ濁流があふれ、お直の捜索どころでは
なくなってしまった。猿ケ石川の流れが逆流してきたのである。みんなが立ち去
った後も、吉はたった一人で濁流の中を駈けずり回っていた。
 お光は太市らに手を引かれてようようにして家に戻ったが、途中、馬や牛が何
頭も流されていくのを眼にした。
 吉はどうしたろうか。直っこは無事であろうか。お光は小さな胸を痛めた。
「妹っこは、はあ。下の方で誰かに救われたべさ」
 市次がお光に言い聞かせるようにぼそっとつぶやいた。
 夜になっても川の水量は少しも減らなかった。早瀬川だろうか、ゴオゴオと渦
卷く音がお光の家まで聞こえた。
「何もかも藩のせいだ」
 市次がうめくように言った。
「うむ。たしかに急な増水だったが堤の工事をちゃんとやっといれば、はあ、こ
んなひどいことにならなかった筈だ」
 太市がそう言うのも当然であった。
 数年前、大雨で早瀬川がいたるところで決壊し大きな被害を出したことがあっ
た。そのあと遠野藩ではすぐに護岸工事にかかりもう少しで完成というところま
でこぎつけながら、昨年の春からのお家騒動のあおりで工事は止まったままにな
っていたのだった。そのほったらかしにされていた所がまず決壊した。そこから
吉の家まではわずかな距離しかなかった。
「こりゃあ、はあ、たいした被害が出たがも」
 太市と市次は休む暇もなく土間に入り込んだ泥水を汲み出し続けた。真夏の様
な蒸し暑さが一晩中続いた。
 夜が明け、昼過ぎになってやっと雪解けによる川の氾濫は治まった。
 結局、吉の妹の消息はつかめなかった。やはり猿ケ石川に流されてしまったの
にちがいなかった。加えて母親が腰を痛め、佐々木から預かっている南部駒のう
ち2頭ばかり失ってしまったことなどを市次に知らせて帰っていった吉の後ろ姿
に、お光は語りかける言葉をついに見つけることが出来なかった。

   11
 城下の米問屋遠州屋の離れに遠野の主だった商人たちが集まったのは、大洪水
が治まってから幾日も経っていないある日の夜のことであった。
 後でその晩集まった顔ぶれを聞かされた時、東館の五兵衛は太市に言った。
「おがすい。妙な顔ぶれっこだ。昔からの商人が入ってねえ」
「せば、土佐の息っこのかかった連中ばりでねべが」
 太市は先が見えたように思った。
 たしかに、二人が怪しむのはもっともであった。遠野藩の初代南部弥六と一緒
に遠野に移ってきた、旧家で町民や百姓たちの信望の篤い「阿部」や「菊池」な
どの商人たちがなぜか顔を出していなかったのである。参加者のほとんどはここ
二、三年のうちに盛岡などから移ってきた商人たちであった。
 そして、太市らが知るすべもないもうひとつの事が秘かに運ばれていた。藩の
者が、それも重臣たちが同席していたのであった。
 その日、遠州屋の奉公人たちは一人残らず朝から外出させられた。水害の見舞
いという名目でそれぞれの実家や知人のところに泊まってくるように厳命され、
多すぎるほどの小遣いが渡された。また、家の者も離れに近づくことを禁じられ
ていた。
 材木問屋の栄屋が一足遅れて席に着くと、顔ぶれの全てが揃った。両替商、油
問屋、廻運商(運送業者)、駒セリ業・・・などが慎妙な顔を並べた。
 ひとしきり大洪水の話や近況を報告しあった後、遠州屋がさてという具合いに
膝を改めた。一瞬緊張が席を包んだ。
「集まっていただいたのはほかでもない。先頃の雪解けによる大洪水はもちろん
の事、暮れからの天候不順は何かひとつつながりの出来事に違いない」
 誰もがうなずいた。
「しかし、わしら商人には何がどう関係しているのか少しも分からないのが正直
なところだ」
 遠州屋はひと息入れると、皆の顔を窺った。
「いずれにしろ、何もせず腕をこまねいている訳にはいかない。早め早めに手を
打っておきたい。しかし、当てずっぽうでも笑いの的になるだけだろうから、そ
こは専門の方面に伺いをたてたい」
 話が核心に近づいてきたのであろう。一人残らず膝を前にせり出していた。
「皆の衆も聞き及びのことと思うが、盛岡の方ではいろいろ動きがあるらしい。
そこで、きょうは無理をお願いして藩の方から来ていただいている」
 ほお、というタメ息とも感嘆ともつかない、だが静かな声が一斉に上がり、先
ほどから上座に位置している頭巾姿の武士に視線が集まった。二人いた。
「改めて紹介させてもらいましょうか。よろしいですかな、宮部様」
 呼びかけられた武士はゆっくり顎を引いた。
「すでに御見知りの方も多かろうが、こちらは勘定方大目付の宮部様」
 宮部は、するすると頭巾をほどくと面体を現し、いんぎんに会釈をしたのち、
皆の顔をねめ回すように見やった。遠州屋を除く誰もが思わず平伏した。
「これ、良い良い。そうかしこまる事はない。忍びの席である」
 宮部は片手で顔を上げるよう合図を送りながら、小さく笑った。まんざらでも
ない様子であった。
「そして、こちらがお台所御書方の**様」
 紹介された**は、腰を折って深々と会釈をした。<下っ端役人か>栄屋は腹
の中で舌を打った。
「では、宮部様」
 遠州屋が促した。
「む。皆の心配はもっともである。実は盛岡からのお達しでは、被害は相当以上
の様である。さらに当藩でも多くの被害をだしており急ぎ手当をしなければなら
ぬ」
 宮部は同意を求めるように部屋中を見渡した。
「さらに、今後も不測の事態が続くことが予想される」
 やはり、という声と共に座がざわめいた。
「詳しくはこの者に説明させるが、わが藩としても備えが必要だと思われる。と
りわけ、土佐殿は盛岡の方を心配されておる」
 遠州屋が合点したといわんばかりに大きくうなづくと、つられるように全員が
同じ仕草を繰り返した。
 宮部が顎をついと動かすと、**が乾いた声で切り出した。

   12
 このところの異常気象は五十年前の「天明の大飢饉」の時と似ていること、先
の大洪水の原因となった雪解けにより、春先に水田へ引く水が極端に不足するこ
と、夏は冷害が予想されること、つまり秋にはほとんど収穫が望めないだろう、
というのが**の話の結論であった。
「牧草はいかがでしょうか」
 待ちかねたように質問が飛んだ。宮部が顎を引くのを見て**が続けた。
「おそらく遅霜と夏の低温が予想されることから、そちらもかなりの覚悟が必要
かと」
 **の突き放した言い回しには何かトゲの様なものが含まれていた。
「では、どの位の寒さになるのでしょうか」
「春先の様子は」
「盛岡ではすでに手が打たれたのでしょうか」
 堰を切った様に不安を訴える声が続いた。
「まあ、皆さん落ち着いて。要するに今年は干ばつに襲われる。それに備えた用
意をしなければならない。そういうことです」
 浮き足立った雰囲気を抑えるかのように、遠州屋が割って入った。
「策を講じてさえ置けば、われわれ商人の働きで藩をお助け出来るかも知れない
いや、なんとしてもご恩をお返ししなければならないのです」
 しまいの方は何か呪文を唱えるようですらあった。
「ここに一計を案じてございます」
 遠州屋は宮部に合図を送りながら、筆箱を手元に引き寄せると、半紙を5,6
枚取り出した。それにはすでに黒ぐろと文字や数字が書き込まれてあった。
「さあさあ、こちらへ」
 釣られるように商人たちは頭を並べてそれを覗きこんだ。
 一、生活必需品の節約を図るため、小売価格を適正なものにする。
   対象品目 米、雑穀、油、炭、・・・。
 一、混乱を生まないため販売の権利を制限する。
 一、藩の窮状をお救いするため物品の集荷に努める。
 なんのことはない。藩と領民の名を語った「便乗値上げ」「売り惜しみ」「買
占め」であった。すでに宮部と遠州屋の間で秘かに練られていたに違いない。し
かも、勘定方大目付の宮部が同席しているということは、藩として暗黙の了解を
与えたことにほかならなかった。
「一部不穏な動きが予想される場合は、藩の方で厳しい対処をされることに決っ
ております」
B屋が締めくくりの発言を催促した。
「皆が力を一つに併せてくれることを望む」
 宮部はそれしか言わなかった。武士らしいこうかつさであった。
「それでは、お開きということで」
 商人たちは、集まった時と同じように人目をはばかってそれぞれ別々に遠州屋
を出ると、方々に待たせてあった駕篭に乗り別々の方角へと散っていった。行き
先は一つである。もちろん、宮部たちを接待するためであった。

   13
 三月に入ると、毎日底冷えのする日が続き、桜の花が咲かないまま春は過ぎる
のかと思われた。古老たちは、天明の事を思い出さずにはおれなかった。
 そして、その頃になってもまだ、大洪水で家を流された大部分の人々は堀建小
屋での仮住まいを強いられていた。
 吉の家に、洪水で失った二頭の南部駒の弁償をしろと佐々木の家の使用人がね
じ込んで来たのは、そんなある日のことであった。出来る筈もない相談であった。
 吉の家ではお直の葬式を済ませたばかりであるというのに、重ねての無理難題
であった。佐々木の家にとっては、吉の家の不幸より預けておいた馬の命を失っ
たことの方が大きな問題であったのである。
 伝え聞いた市次と長次が吉の家に駆けつけたものの、使用人の剣幕の前にすべ
もなくたたずむばかりであった。
「なんだい、おめえらが払ってくれるのじゃねえのか。へっ、でしゃばるんじゃ
ねえやい」
 使用人の言いたい放題のばり雑言を、吉らに代わって浴びるのがただ一つの彼
らに出来ることであった。言葉や姿作りから彼が遠野の人間でないことは明かで
あった。それでも市次らの様子に恐れをなしたのか、
「ちっ、ガキと年寄りばかりが相手じゃ話にゃならねえ」
 使用人は尻をまくると土間に淡を吐きかけ出ていった。母親がその後を追うよ
うについて行き、腰を曲げてなんべんもお辞儀を繰り返した。吉はその姿に哀れ
さよりも、むしろ汚らしいものを見せられたような憤りを感じた。俺はもう子供
じゃない、吉は腹の中で繰り返し繰り返し叫んだ。
 あくる日、吉の母親が佐々木の家に呼び出された。吉の日雇いの給金から弁償
の払いとして少しづつ差し引くこと、さらに週に二回母親が佐々木の家に賄いの
手伝いに出ることの二つが言い渡された。あまりに過酷な要求であった。
「そったらばかな」
 太市はそのことを市次から聞くと、東館の五兵衛と連れだって村方役人のとこ
ろに嘆願に走った。                                                つづく
                               1990.09.30




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