AWC はぐれる街(2)  YASU


        
#679/3137 空中分解2
★タイトル (UTJ     )  90/10/14  14:39  (166)
はぐれる街(2)  YASU
★内容
 今日もKのいる病院へ行っていたので約束の時間より遅くなってしまったんです、と
言う。
 週に一回は顔を見せないとすぐKから電話が掛かってくる。何故自分がKの世話をす
る羽目になったのか、自分でもよく分からない。今度こそ断ろうと思って受話器を取る
のだけど、Kには病者の勘というような、そこだけ敏感にはたらく心の一部があるらし
くて、私が次の電話こそと思うときはなかなか掛かってこない。どうしたのだろう、と
こちらの気持ちがちょっと緩んだ折りを衝いて、君に捨てられたらぼくは生きていけな
いんだ、と思いつめたような電話が来る。生きていけない、というのが満更大袈裟に言
っているふうでもなくて、もし邪険に電話を切ろうものならそのままトイレへ駆け込ん
で、日ごろ看護者の目を盗んで、シーツで作っておいた紐を仕切りの柱にかけてくびれ
て死んでしまいそうな気配がある。Kが死ぬのは一向構わないが、それが自分の応対の
ためではいつまでも気掛かりが残りそうで、それが厭だから結局また病院へ約束をして
しまう。
「きょうのKは割合落ち着いていました。いつも最初の三十分くらいはいいんです。そ
のうち、自分が入院させられたときの話になると、次第に目付きが険しくなってくるん
です。お母さんがいけないんだ、彼女はぼくがいると目障りなもので、ここの医者と結
託してぼくを強制入院させたんだ、それにおやじも加担しているに違いない、父は毎晩
ぼくが寝てから帰ってきて、ぼくの部屋へ入ってくる、そして、ぼくの肛門に指をいれ
るんだ、ぼくの精力を抜き取るためにね、学生時代からぼくはあのおやじにそうされて
きたんだそのようなことを言うときの彼はもう目が尋常じゃないんです。そのうち面会
室の机をこぶしでどんどんたたき始め、そうすると隣の部屋で待機しているらしい白い
服を着た男が二、三人入ってきて、彼を部屋の方へつれていくんです。Kは必死になっ
て抵抗して、私に、お母さんにぼくをここから出すように言ってくれ、と叫びながら、
両脇を抱ええられて去っていきます」
 そんなことを繰り返して随分嫌気がさしているのかと思い、立津は俯き加減の宣子の
顔を窺った。しかし、別に同情を引こうとするふうはなくて、前に置かれたコーヒーに
ミルクを注ぐ動作があまりに落ち着き払っているもので、思わずその少し骨張った長い
指に目がとまった。彼女の方もそれに気付いたらしく、傾けたクリームピッチャーから
つっとミルクが一筋コーヒーの中に流れ込んだだけで、彼女の手はテーブルの下に引っ
込められてしまった。
 それきり宣子は黙り込んでしまった。それまでも無駄な動きをしない体がもっと静ま
り返って、目に見えない繭のようなものが彼女を包み込んでしまったかのようだった。
それは外の世界を拒んでいるのではなく、自分の意のままにならないまま外から隔絶さ
れているようでもあった。顔の筋肉が緊張を失って、鼻筋の通った顔がもつと間延びし
て見えた。皮膚までもが急に生気を失ってうっすら塗った化粧が浮き出ていた。こちら
を窺う力もうせてしまって、ぼんやりと見開いた目が立津の胸のあたりに止まっている
。体の表面にできた薄い透明の膜が、かろうじて彼女の溶け入りそうな体の輪郭を保っ
ているようだった。
 呼び掛けても返事が得られるどころか、声までも届きそうにないので、立津はまた目
を外へ向け、彼女を包み込んだ膜が自然に溶けて消えるのを待つことにした。今度はは
た目にどのような一対の男女と映るのだろう、と考えながら、ふと店内に音楽が流れて
いるのに気がついた。知っている曲なのに、何というのか思い出さない。確かにクラシ
ックだが、ジャズふうにアレンジされている。リズムが微妙にずれる。ずれている分だ
けなにか引き寄せられる気がする。足で拍子を取りながら、ついそのずれをもう少し誇
張したくなる。彼女にとってはこの数分の一秒のテンポのずれなど何の意味も持たない
。それなのに自分の方はそれを今、ひどく気にしはじめている。立津は外を歩いている
人々を見ながら思った。
「私、別にどうこうしてほしいと思っているんじゃないんです」
 ぽつりと宣子は言った。内側からせかされて言ったふうではなく、当然そこへ行くべ
くして行ったような話で、立津の方も、それは分かります、というようにうなづいてい
た。
 男とのかかわりは同じ会社に勤めていたことからで、最初の一年は顔は見知っていた
が、話をしたこともなかったのだという。全部でひとが三十人にもみたない小さな会社
で、男女の数はほぼ同じくらいだったが、女の方はほとんど独身だったのに、男は四、
五人を除いては妻帯者だった。その四、五人のうちに彼もいたのだという。三十になる
かならぬの男ばかりが、同じ境遇のせいか、いつも一緒に連れ立って、昼飯を食べに行
ったり、勤めのあとに飲みに行ったりすると聞くと、ほほえましいどころか、なんとな
く気色の悪い光景が目に浮かぶ。家族持ちか、新婚者かそういう人間がひとりでも交じ
っていれば、彼が無意識にみせる家族や妻への気配りが雰囲気を和らげるのだが、結婚
する前に結婚に倦み始めた連中ばかり集まるとすさまじい感じがする。
 ある晩、宣子の家に男から電話があった。彼女の母は、酔って飲み屋から掛けている
らしい男の声に眉をひそめながら、会社の同僚と言われてはむげにも断るわけにもいか
ず、宣子に取りついだ。Kの名前を聞いたとき彼女の方はそれが誰なのか分からず、会
社の者と言われても心覚えがなく、訝りつつ電話口に出た。そのとき泥酔していながら
まだ酔い切らぬ心の一点で、必死に話すKの声が聞こえてきた。周囲はやんやとKを励
ましたり揶揄する悪友等の声がしている。馬鹿らしいのでもう切ると言うと、いや、酔
ってはいるが、これは酔いのうえだけで言っているのではないから切らないでほしい、
と嘆願するように言う。その声のどこかに真剣さを感じて、つい、それじゃあ、今用件
を言ってください、と誘い水を向けてしまった。
「あしたあなたに結婚を申し込みます。きっとします。それでS公園まで来てほしいん
です。三時に会いたいんです」
 ますます馬鹿らしくなって、返事もしないで受話器を置こうと思ったが、独身男性の
中でもとりわけもっさりとして、女性の前ではろくに用向きさえも言えないKが、冗談
にしろ結婚の申し込みをするというのが面白くて、素面になるとどんな話をするのか知
りたいとも思い、また実際にKはやってこないだろうという気もしたので、他のことは
何も言わないで、分かりました、と返事して電話を切った。 翌日は日曜日だった。
 よほど約束をすっぽかそうかと思ったが、酔いがさめて前後不覚のうちに悪友たちに
そそのかされてしたことをKが忘れているにしろ、義理にも約束をしたのだから、行く
だけ行ってみようという気になってでかけたと宣子は言う。
 彼女は今日もそんな気持ちでここへ来たと言った、と立津は思った。
「S公園へ行ったことがありますか」
「いや、ずっと昔行ったけれども、どんなところだったか覚えていません」
「面白い公園なんですよ。公園なのにあそこにいると気持ちが安らがないのね。銀杏と
欅が砂利を敷きつめた広場にぽつりぽつりと植えてあって、その下にベンチがあるんだ
けど、いつ行ってもほとんど人が坐っていないんです。たまに浮浪者ふうの男が新聞紙
を顔の上に広げて寝ころんでいるくらいのもの。そこを通りすぎるとプラタナスの並木
道になっていて、きっと噴水といろいろな花の植わった四角い花壇がいくつもあるぞと
思って歩いていくと、やっぱりそのとおりなんです。あれは人間の頭だけで作り出した
公園だわ」
 公園というものは皆そうでしょう、とつい反駁したくなるような、そしてそうされる
のを彼女のほうも期待しているような話の切りかたをする。実のところ、立津はS公園
のことはだいたい覚えている。全体の配置ははっきりしないが、言われれば細部まで思
い浮かべることができた。たしかに十年くらい前にできた公園で、木や建物が調和がと
れていないという点はある。いやむしろ公園全体が周囲の高層建築の立ち並ぶ風景にな
じんでいない。しかし、ふつうの公園だと思う。
「それでKは来たのですか」
 自分の言葉に異議を唱えさせたいという彼女の誘惑にのるまいとして、立津は訊いた
。
 彼女はまた訝しげに目を細めて彼を見た。
 もう話を切りあげるかな、と思ったが、コーヒーカップを口もとまで運んで、淡い色
の口紅が浮かびあがってみえる唇を丸めるようにして、一口中味をすすってから宣子は
、ええ、と言った。
 Kは会社でみかけるままの姿で、先に来て待っていた。後になって思えば、そのとき
すでにKの目付きは尋常ではなかった。どこかおどおどして、それでいていざとなれば
こちらだって、という開き直った決意の翳もちらつかせながら、さかんに後方のつつじ
の植え込みと、その向こうに続く小径のあたりを振り返って見ていた。初めは自分のこ
とを捜しているのかと思ったが、そうではなさそうだった。それは人待ち顔というより
、脅かされている者の表情だった。宣子とベンチに座ってからも、Kはしきりに周囲を
見回し、見えない視線のありかをつきとめようとしていた。「私まで誰かに見張られて
いるような気になって、そっと肩越しにウバメガシの木立の中をうかがったほどです」
それじゃあ、もう最初からKの雰囲気にひきこまれていたわけだ、と思いながら、立津
は自分もその話に身を乗り出しているのが分かった。
 たまりかねて、宣子のほうから歩きましょうかと誘うと、Kは不審げに彼女の顔をみ
つめ、いや、ここがいい、ここが一番安全だから、と言う。実はこのところ私をいつも
つけ狙っている人間がいる、人間というよりもどうも秘密組織というものらしい、だか
らわざと見晴らしのいい場所をえらんだ、あなただって感じるでしょう、そんな気配を
。さあ、と曖昧に答えても、相手はこちらの反応には無頓着で、なにもかもひとり合点
しているようすだった。
 それで結婚してくれるんでしょうね、と脈絡のない話が突然でてきて、どこかで話の
接穂をつかんでこちら側にたぐりよせないといけない、と思いながらも、焦りつつ流れ
に身をまかせるというのが誰にもありそうで、Kはどんどん先走ってしまう。
 二人は結婚するのだからその証をみせてほしい、とKは大真面目で言う。宣子のほう
はKの口ぶりから、彼を脅かしている世界から二人で逃亡する約束でもさせられるのか
と思っていたら、案に反して、それは公園の裏手に建ち並ぶ安ホテルに行くことだった
ので、急に腹立たしくなってきて、私はあなたと結婚する気はまったくありません、と
つとめて冷静な口調で言うと、さっさと帰ってきてしまった。
「あのときのKの顔が忘れられません」 と宣子は、恨みを晴らした人間のような、ひ
とり悦に入った笑いをみせた。
 その日の晩に、都心から西へのびる私鉄沿線の、高級住宅街のある町の警察署から、
Kのことで彼女に電話がはいつた。身元をあかさぬ異常者らしい男を保護しているが、
あなたのことだけやっとしゃべったので連絡をした、あなたに迎えに来てもらいたいと
男は言っているがいいだろうか、という内容だった。電話の向こうの声は言葉づらとは
違って、当然あなたが迎えに来るべきだと言っていた。自分とその男は同じ会社に勤め
てはいるが、それ以外、なんの関係もない間柄だ、彼の住所はあしたにでも会社に問い
合わせてもらえればすぐ分かるから、家族に連絡をとってしかるべき方策を講じていた
だきたい、としゃべりながら、しだいに自分がKにたいして責任のあるような気がして
きて、それが向こうにも伝わるらしく、まあ、いろいろあるんでしょうが、別に法に触
れる行為をしたわけでもないので、警察としてもこのまま留置しておくわけにもいかな
い、場合によっては身元不明者として病院に送らなければならないもので、と弱味に迫
ってなんとかこちらを動かそうとするので、最後には、本当に私とはなんの関係もない
人なんですから、と言って振り切るように電話を置いた。それからKがどうなったかは
知らないが、翌日から会社のほうへは出てこなくなった。
 自分でKのことを話しだしたくせに、そんな話って信じられて?というように宣子は
改めて立津の顔を見た。彼女の目にはまたとりすがるような脅えが、現れたり消えたり
していた。笑っているようにみえたり、今にも緊張が破れて泣きだすのではないかとみ
えたり、あげくがほんとうは何も信用していないんでしょう、というような憤りをこめ
た目付きで挑むように立津の目を見据えた。戸惑っていながら、自分の戸惑いを自分で
意識していないでこちら側にその戸惑いをおしつけてくるらしいが、こちらの心底は意
外なほど静かで、立津はやはりふんふんと彼女の言い分を聞いていた。
 そんなことがあって二ケ月もたってから、突然Kから電話があったという。
「やっと今日電話を許可されたので、すぐあなたに連絡したんです。どうかぼくを病院
からだすように母に言ってください」
「でも、私、あなたのお母さんを知らないんですもの」
 そう言ってしまってから、自分がKのことにいつのまにか、関わりを持たされている
のに気がついた。
「いや、電話をしてくれさえすれば、母はあなたのことをよく知っています。あの人は
ぼくとぼくに関係のある人間のことは、なにもかも見透かしているのだから」
 そう言れると、まだ一面識もないKの母がほんとうに自分のことを全部知り尽くして
いるような気になった。
「電話番号を言います。五五七の・・・・・、なにをするんだ、やめろ、人権蹂躙だぞ
。」
 電話のむこうでKを制止しようとする複数の人間の声と、無力さを自覚しながら抵抗
しているKの声がしばらく続いて、電話は突然切れてしまった。
 それからもKからとおぼしい電話が二回あったが、こちらが受話器をあげるまえに切
れてしまった。病院の職員の目を掠めてなんとか電話しようとしているKが少し憐れに
も思えた。




前のメッセージ 次のメッセージ 
「空中分解2」一覧 YASUの作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE