#594/3137 空中分解2
★タイトル (AZA ) 90/ 9/ 6 9:56 (200)
無角館殺人事件 (5) 永山
★内容
「猫? 猫ってあの黒猫のことかい?」
「うん、見当たらないだろ。どうしたんだろう」
地天馬はやけに難しい顔をしている。
「ドアの隙間から出たんじゃないの」
「どうかな。第一発見者にちゃんと聞いてみないと分からないが、君から聞い
た限り、ドアは閉まっていたんじゃなかったかな」
「そうだね」
そうする内に、野間比呂見がやって来た。
「これは……。酷いですね」
現場を見るなり、血には慣れているはずの外科医が、口を押さえてうずくま
ってしまった。
「どうしました? ちょっと強烈でしたか」
「いや、血はいくらでも見慣れてはいます。ただ、元来、私はこういうのには
強くないので。それで、どうすればいいのですか?」
「少しは法医学的なことをやっていただけるのではと思いましたから」
「ああ。分かりました。専門外ですし、ここには何の用具もありませんので、
正確なことは言えませんが、それでよろしければ」
「もちろん。大助りですよ。頼みます」
地天馬にこう言われると、比呂見は口を押さえたまま正一郎の遺体を見て回
った。そして再度、これは断言できませんが、と前置きして、
「死後八ないしは十時間経っていると思われます。死因が頭部への凶弾なのは
明白ですが、問題は腕の切断ですね。多分、出血量からみて、正一郎さんの死
後、切断されたものだと思いますが、自信ありません。これ以上は何とも……」
「どうもありがとう。皆さんには僕から話しますので」
そう地天馬が言った瞬間、藤堂が来た。朝食の準備が整ったようだ。
食事は昨日と同じ席でとった。一人死者が出ているのだが、その人物は昨日
の夕食時、この場にいなかったから、表面上は変わりなく見える。
全員が食べ終わったと見るや、地天馬はいきなり立ち上がってしゃべり始め
た。当然ながら、手話も交えて、である。
「皆さん。落ち着いて聞いてください。特に気の弱い方、胃をひっくり返さな
いよう、注意してください。この館の主、陣内正一郎氏が今朝、自室で死んで
いるのが発見されました」
一斉に驚きの声が上がる。それにしても、私は地天馬がこんな直接的に言う
とは思わなかった。
「静かに願います。第一発見者は、家政婦の森本さんということです。朝食を
運んで正一郎氏の部屋に行ったところ、返事がなく、ドアが開いていたので中
を見ると、死んでいるのが分かった。拳銃でこめかみを撃ち抜かれたのが死因
らしいのですが、凶器は見つかっていません。さらに不可解にも、犯人は死者
の右腕を切り取っています。右腕も見つかっていません。なお、野間比呂見さ
んに調べてもらったところ、腕は死後切断された可能性が高く、また死亡推定
時刻は昨夜午後十時から日付の変わる午前0時にかけてとの事です」
「だ、誰がやったんですか?」
太田黒がせき込んで聞いてくる。地天馬は首を横に降った。
「まだ分かりません。それよりも、警察への連絡ですが、できますか?」
「いえ、電話はありませんし、船等、本土と行き来するような乗り物も、ここ
にはありません」
藤堂が素早く答えた。
「それでは、正一郎氏が死んだ今、この館の主は誰になりますかね」
地天馬は全員を見回すようにして、大声で言った。みんなの目は才野有一か
中島美々、もしくは陣内善次郎に焦点を合わせているようだ。
「俺は関係ない。ここには客として来ているんだ」
善次郎が言った。今朝は深緑の服をうまく着こなしている。
「僕はまだ子供ですから」
小さな声で、有一が言った。養ってもらっている、という意味だろうか。
@やはり、妥当なところで中島か。会社の主ならともかく、この館の主となれ
ば、それこそ妥当であろう。
「一応、私がそうなると思いますが、それが何か」
「あなたはこの事件を、どう処理するつもりです? 警察には連絡できない」
「……できれば、地天馬さん、あなたに事件解決を依頼したいですわ」
何か警戒するような言い方であったが、中島が答えた。
「でも、僕は死んだ正一郎氏に、館で何が起こっても口を出すな、という意味
のことを言われていたのですがね」
「主人が死んだ今となっては、それは無効です。他にお願いする方がいないせ
いもあります。ぜひ、頼みます」
中島は次第に、本当に懇願するような言い方となった。
「野間のお二人さんは、異存はありませんか?」
「私はただの弁護士だし、比呂見だって医者に過ぎない。推理作家でもあるが、
それは探偵とは同意語ではないんでね」
面倒に巻き込まれたくないのか、ぶっきらぼうに言う野間十和也。比呂見の
方は外科医の割にはこんな血の話が嫌いらしく、気分が悪くなったのか、うつ
むいている。
「なるほどね。ということは、僕が主導権をとらせてもらいますよ。それにこ
れは野間さん達だけじゃなくて、皆さんに言うんですが、何かと協力を仰ぐこ
とになると思いますので、お願いします」
テーブルに着いている誰もが、それに家政婦や執事も黙ってうなずいた。う
なずかなかったのは、この場にいなかったコックの吉野だけである。
「ありがとう。早速ですが、森本さん。あなたがドアを開ける前、確かにドア
は閉まっていましたか」
「はい。鍵はかかってませんでしたが、ドア自体はちゃんと」
「実はですね、現場から猫がいなくなっているのです。正一郎氏が大事にされ
ていたらしい黒猫が。それについて何か心当たりは」
地天馬は全員に聞くようにして言った。すると中島が答えた。
「主人は猫専用の出入口を部屋に着けていましたわ。壁の下方に猫が通れるだ
けの穴を開け、扉を付けた物です」
「その扉はどちらからでも開くんですか? つまり部屋の中からも外からも」
「そうなっていました。そうでなくては、猫が困りますでしょう」
中島の言葉には、何を当り前のことを、といった気持ちが感じられた。
「雨風なんかは、そこから入って来ることはないんですね」
「多分、そうでしょう。私は、そんな日にあの部屋に入ったことはありません
のですが」
「どうも。それじゃあ、次は右腕の件ですね。正一郎氏は右腕あるいは右手の
指に、何か貴重品を身に着けていましたか」
「……いいえ。先生は右利きですので腕時計は左でしたし、指輪・腕輪の類も、
右には着けておられませんでした」
太田黒が思い出しながら、慎重に答えた。
「となると、何か貴重品を奪うのをカムフラージュするために腕を切り取った
という訳ではなさそうだな」
野間十和也が口を挟んだ。
「やっぱり、探偵役をやりたいですか、十和也さん?」
皮肉っぽく言った地天馬。それに対して十和也は鼻で笑うようなそぶりをし、
椅子をずらして足を組んでから、またしゃべり始めた。
「あなたのやり方を見ているとね、いらいらしてくるんだ。肝心なことを忘れ
ている」
「何でしょうかね、それは」
「アリバイだよ、アリバイ。ここにいる人間全てのアリバイを調べるのが先決
じゃないか。もう一つ、動機について、もっと突っ込んで聞くものではないか」
「そいつは、これから聞くつもりだったのですよ」
地天馬はにやりと笑った。十和也はどうにでもなれといった風に、渋い顔を
して横を向いてしまった。
「さて、アリバイを皆さんに伺う前に、一つ確認しておくべきことがあります。
生きている正一郎氏を最後に見た人はどなたですか」
「多分、私だと思います」
森本が言った。
「午後十一時過ぎに、お休み前の御用をうかがいに部屋に参りました。正一郎
様はすでに横になっておられ、別に用はないと言われました」
「確かですね、それは」
「はい」
「貴重な証言をどうも。これで死亡推定時刻は一応、昨夜十一時からの一時間
と狭まった訳です。この時間帯にアリバイのある方は?」
「俺は寝ていたな」
善次郎がこう言ったのを口火に、寝ていたとか私もとか、アリバイのないこ
とを言った。
「自分にはあるな」
そう言ったのは、野間十和也だ。地天馬が目で続けるように促す。
「比呂見と一緒に、部屋で話していた。次の推理小説のストーリーを練るため
だ。その後、風呂場で顔を合わせただろ、地天馬さん?」
「そうだったが、あれはアリバイ時間外だった。肝心の時間のアリバイは身内
同士ですか。とりあえずいいでしょう。比呂見さん、確かですね」
「はい、お疑いでしたら、案を書き出したメモを見せましょうか」
比呂見はすぐにでも自室に行き、メモなる物を取ってくるような仕草だ。
「いやいや、それには及ばない。さて、他にアリバイのある方は?」
「そういう名探偵は、どうなんですかね」
どこまでも挑戦的な十和也。するとこの言葉に反応したのは、才野だった。
「地天馬さんはその時刻、僕や深百合と一緒に話をしていました。僕の部屋で」
そのあまりの真剣な言い方に、十和也も何だか気抜けしたような表情になり、
やがて大げさに肩をすくめた。
「有一君、君のおかげでこの僕にもアリバイが照明された訳だ。感謝する。ア
リバイが証明できるのはとりあえず、野間さん達と僕、才野有一君、浜村さん
驍フ五人ですか。ではアリバイはこの位にし、凶器についてですが……。拳銃を
お持ちの方、と言っても名乗り出る訳はありませんねえ。正一郎氏が拳銃を持
っていたということはありませんか?」
「持っていたかどうかは存じ上げませんが、可能であったとは言えます」
被害者の秘書、太田黒が答えた。
「先生のような身分になりますと、ある程度はお金でカタが着きますし、正直
言って、その筋の者との付き合いもありましたから」
別に言いにくそうでもなく、はっきりと答える太田黒。
「はん。拳銃が迷い出てくる余地はあったんですね」
変な言い回しで応じる地天馬。ともかく、拳銃の経路はそれほど気にしなく
てもいいことになるか。正一郎が入手していた拳銃を犯人が奪い、正一郎を殺
したと考えればいい。何しろ被害者は目が見えなかったのだ。拳銃を奪うのは
それほど困難ではあるまい。
「生命保険に入っていますか、正一郎氏は?」
uはい。色々と併せて億は下らない額でしょうね。これは十和也さんの方が詳
しいでしょう」
と太田黒は言いながら、十和也を見た。
「そうですな。殺されたとすると、相当の金額が奥さんやお子さんの手元に行
くはずだ」
「ま、まさかそれが動機だなんて言うんじゃないでしょうね!」
中島が叫ぶ。ちなみに地天馬は自分の台詞は手話でも表しており、他の人が
しゃべった言葉は、浜村が翻訳している。
「聞いてみただけです。それより十和也さん。遺産について、何か正一郎氏は
言葉を遺していたのですか。現場に遺書はなかったんですが」
「遺してはいるんだが、しかと内容は知らん。ここに持ってきていないしな」
「そうですか。じゃあ、これでとりあえず最後の問い。ここに、腕を切断する
ような刃物はありますか? あるのならその場所は?」
地天馬は、何度目かの見回すしぐさをした。
「物置にのこぎりがあるはずです。それと、コックに聞いてみないと確かなこ
とは言えませんが、肉切り包丁が調理場にあったように思います」
藤堂が考え考えに言う。
「分かりました。すぐに調べたいんですが、いいですか」
「はい、案内しましょう」
藤堂の案内で、地天馬はさっさと物置の方に行こうとする。私は慌ててつい
て行った。
と、突然、地天馬は立ち止まり、こう言った。
「現場を見るのはご自由ですが、正一郎氏の遺体をどこかよそに移してからの
方がいいと思うなあ。善次郎さんにコックの吉野さんでしたっけ。お二人にお
願いできますか?」
振り返ると、なんだかあっけにとられた様子の顔がたくさんあった。
「雨が降り出したな」
藤堂が物置の中を調べている間、窓の外を眺めていた地天馬は、ぽつりとも
らした。彼が昨日言っていた通り、激しい雨となりそうだ。
「ありません。誰かが持ち出したようです」
藤堂は片手で額の汗をぬぐいつつ、もう片方の手で服に付着したほこりを払
驍チている。
「二本あるのこぎりのうち、一本が紛失しています」
「誰かが侵入した形跡は?」
「分かりません。鍵はかけていませんし、足跡が残っている訳でもありません
し」
「つまり、誰でも物置に入ることは可能であったと」
「そうなります」
藤堂の答えに地天馬は少し考える風にしてから、またしゃべり始めた。
「肉切り包丁は、調べなくていいかな。ではとりあえずだ、藤堂さん。あなた
についてお聞きしたい」
「は? 私ですか」
「そう。あなたから見て、正一郎氏を殺す動機のある人物は、島にいるかな?」
捜査開始といったところか。
−以下6−