#581/3137 空中分解2
★タイトル (UTJ ) 90/ 9/ 1 22:39 ( 86)
まどう夜(2) YASU
★内容
子供ができないので、アキの妹の子供を養子にしようかと、真剣に考えたこともある
。口には出さないが、アキが子供好きであることは分かっている。だが、養子の話しは
どちらからも積極的に言わないので、進展しない。昔なら家を絶やさないために、兄弟
の子供を養子にすることは珍しくはなかっただろう。だが、今は継がすほどの家もない
。絶えなば絶えね、というような悲愴な気持ちがあるわけでもない。
「美奈も来年は小学校三年でしょう。なんだか、苦労して育てた子供を、ほいほいとも
らうのじゃあ、私のほうにも遠慮ができて、うまくいかないのじゃあないかって思って
しまうの」
妹の三番目の子供の名を言って、アキはそんなことをつぶやく。
「かといって、赤の他人はやっぱりいやなの。どういうことになっても後腐れがないよ
うなものだけど、私にはだめだという気がする」
それなら無理をすることもないさ、とこちらも長年の二人ぐらしの気安さから、そこ
へ落ち着いてしまう。
(2)
「このごろ、団地で花が取られるらしいわ」
アキが夕食のときそう言った。
「へえ、鉢ごと取られるのかい」
「それがね、鉢だけじゃあなく、庭に植えてあるものまで根こそぎ持っていくんだって
」
「どうするのだろう、そんなもの持っていって」
「それは自分の庭に植えるんでしょう」
「盗んだ花を眺めて過ごすというのはどんな気持かねえ」 そうは言ったものの、相手
の悔しさを思いながら、ほくそ笑んで見ているのも案外楽しみなものかもしれないと思
った。
「この近所にもそんなことがあるのかい」
「今のところ、近所では被害はないみたいだけど」
「それでどうなんだろう、自分の鉢がいつのまにか他処の家のベランダに置いてあるの
を見たりすると」
「どうなんだろうといっても、まさか、私の家の花ですから返してください、なんて言
えないでしょう」
「ほんとうに自分の家のものかどうかも分からないしな」「いいえ、毎日丹精こめて作
っているものは、一目見ればすぐ分かります。でも、皆たかが花のことでという気持が
あるでしょう」
「そうなのか。たかが花でもなさそうだけど」
「そりゃ、花作りを趣味にしているものにとっては、たかが花どころじゃあないわよ。
でも、やっぱり花くらいのことで、と思うじゃない」
「五千円出したシンビジウムでもかい」
去年の十二月、アキは鉢からあふれそうに咲きほこったシンビジウムを大事そうに抱
えて帰ってきた。そして、彼にすまなそうに、どうしようか迷ったんだけどとうとう買
ってしまったの、と言った。
花泥棒といえば昔から、花のあまりの美しさにひかれてつい出来心で、という言い訳
が立つし、そう言われればみつけたほうも納得して、二折り三折りは持たせて帰すくら
いの心映えはあった。だが今は、庭の中に入るだけで立派な犯罪行為になる。盗むほう
も欲しくてたまらず取るのではない。盗むことに嗜虐の趣味を持つ。つまらぬものを大
事にしやがって、という気持がどこかにある。たしかにアキの花作りに注ぐ情熱を見て
いると、こちらはだんだん覚めた気になる。だがそんなことをいうと、花作りだけでは
ない。つまらぬことに凝って、凝っている本人は悦に入っているが、はたの者は凝り固
まれば固まれるだけ白けてしまう。白けてしまうだけではなくて、腹立たしい気持ちさ
え引き起こされるから不思議だ。ゲートボールに熱中した老人同士が相手をあやめたな
どというのは、まだしも納得がいく。そのうち花作りが嵩じて刃傷沙汰になることもま
んざらない話しでもあるまい。
夏中咲いていた庭の一角のペチュニアが、だんだんと花をつけなくなって、伸びた茎
がしどけなく倒れている横に、小菊が咲き始めていた。この時期は二年草の種蒔きも終
わってほかにすることもないのか、アキは盛りのとうにすんだペチュニアをいつまでも
そのままにしておいた。
「今年はパンジーの苗作りはやめたの。だって、種から作るよりも苗を買ったほうが、
ずっと簡単でいいものができるんだものね」
近所の同好者にアキが話している。はて、去年は苗を買うなんて馬鹿馬鹿しい、種か
ら作れば安くていくらでも手にはいると言っていたのだが、と思いつつ、松尾はアキが
身をこごめて草取りをしているのを見ている。ハンドスコップを使う手際がずいぶん板
についてきた。松尾の小さいころの農具というのはもっと大きな唐鍬や熊手だったが、
アキはたいていの作業はハンドスコップですませてしまう。あとは柄のついたフォーク
のようなものがあるくらいだ。 アキの仕事を低いブロック塀ごしに見ながら、近所の
主婦が話をしているらしいが、松尾のところからは彼女の姿は見えなかった。
「ねえ、盗みのこと聞いた」
小菊の根元に土を入れながらアキが尋ている。
「ええ、いやあねえ。ほんとうに花を盗むひとがこの団地にいるのかしら」
「あら、団地のひとと決まったわけじゃあないんでしょう」
「でも、もっぱら内の人間だろうっていうことよ。そうでなければきっと誰かがみつけ
ているはずだというのよ」
「それも確かに一理あるわね。夜遅く帰ってくるご主人や、朝早くでかけるひとがたく
さんいるんですものね。もし団地以外のひとだったら、きっと出会うわよね。花を持っ
ていたりすると目立つものね」
「だけど、そうだったら、よけいいやね。花泥棒が近くに住んでいるなんて」「私たち
のグループで被害にあったひとはいないのでしょうね」
「ええ、今のところ被害が出ているのはC地区とD地区だけのようよ」
「ますます変ね。あちらはすぐ裏が切り崩しの崖でしょう。外のひとがはいりにくい場
所よ」
「だから、犯人はこの団地のひとなのよ」
アキの仕事が一段落したらしい。主婦は、今日はお宅、何のお料理、毎日献立を考え
るの、うんざりしちゃうわ、と、話を切り上げるタイミングをはかりながら、時間を少
しまだもてあましているような様子だった。こんなときのアキの対応はしごくあざやか
だった。あら、あなたがそう言ってくれたので、夕食の準備のこと思い出したわ、ごめ
んなさいね。さらりと言って家にはいってしまう。
(つづく)