AWC まどう夜(3)  YASU


        
#582/3137 空中分解2
★タイトル (UTJ     )  90/ 9/ 1  22:47  ( 93)
まどう夜(3)  YASU
★内容
                                (3)
 ある朝、まだ二階のベッドでいる松尾の耳に、聞き馴れない甲高い声が聞こえてきた
。あなた、来てよ、はやく。それが自分を呼ぶアキの声であるのに気付くまでにずいぶ
ん時間がたったように思えた。なんだよ、と言いながらドアを開け、階段のところから
吹き抜けになっている玄関を見ると、アキが三和土に立って、泣き出しそうな顔でこち
らを見上げていた。ほかに言いようがなく、なんだよ、ともう一度声をかけると、
「とうとう、やられたわ」と言う。
「やられたって」
「花泥棒よ。小菊をひとつ残らず摘んでいったわ」
 そんなことか、という気持と、とうとうやられたかという驚きがいっしょになって、
返事が出なかった。パタンパタンとスリッパを鳴らして下りていくと、アキは玄関先に
坐り込んでしまった。
 庭へ出てみると、なるほど白と黄色と淡いピンクがとりどりに混じって咲いていた菊
の花が、小さい固い蕾を残して、きれいに摘み取られている。時間をかけて丹念に手で
摘んだらしくて、茎の切り口は鋭くはないが揃っていた。しかも周囲には葉や花弁の散
乱がなかった。
 いつのまにかアキが松尾の後ろに立っていた。よくまあきれいに摘み取ったものだ、
と言うと、これは恨みのような気持のあるひとだわと、放心の態でぽつりと言う。まさ
か、と否定すると、いえ、そんな感じがします、となおも奇妙に静かな口調で言う。恨
まれるようなことでもしたか、と冗談口で言うと、そんなこと私が分かるはずないでし
ょう、と血相を変えてにらむ。
「鉢はだいじょうぶだったのかい」
「ええ、そちらはだいじょうぶだけど、今日からは毎日家の中に入れることにします」
「そう毎日は盗みに来ないだろう」
「そうは思うけど、取られてからではいやですから」
 やられたから、もう当分はだいじょうぶ、というのは、盗人に遭った側の考えで、ま
もなく二回目の花泥棒に押し入られた。
 夏に葉の切りもどしをやって、秋に花を咲かせることに成功したサルビアが、今度も
またすっかり摘み取られていた。しかも被害に遭ったのは松尾の家だけではなく、一つ
むこうの通りでアキとなかよくしている泉谷の家でも、同じ日に花泥棒にはいられたと
いう。「私、思うんだけど、今度のことはほかの地区の場合とちがうんじゃないのかし
ら」
「ちがうって、何がさ」
「犯人がよ。私、言ったでしょう、恨みのようなものがあるって。だから、ほかの事件
に託つけて一連の事件のようにみせかけているんじゃないかと思うの」「犯人だの、事
件だのっていうほどのことでもないじゃないか」
「こうなれば、どうやっても犯人をつかまえてみせるわ」
「つかまえてどうする。警察へ突き出すか」
「そうねえ、できるならそうしてやりたいけど、花くらいのことじゃね」
「やっぱり花くらいか」
「でも何の恨みなのか聞き出してやるわ」
 どうしても怨念のせいにしたいらしい。
 だがどうやってつかまえる、と訊くと、アキはちょっと困ったような顔をして、さあ
、みんなに相談してみるわと言う。みんなというのは花作りの仲間のことらしかった。
 それから二、三日して、何かいい方策でもみつかったかい、と問うと、なによ、はた
で面白がっているの、とアキはふくれっ面をした。
 さらに一週間くらいして、また花が取られた。もう盗むほどの花もないと思っていた
のに、軒下の狭い土地に植えてあったマリーゴールドが摘み取られた。マリーゴールド
など摘んでいっても、花瓶に差すこともできないだろうに、してみればアキの言うよう
にいやがらせか恨みに発した行為かしら、松尾がそう思ったくらいだから、アキのほう
は、部屋の窓を開けて葉ばかりになったマリーゴールドをみつめる顔が蒼白めていた。
 その日からアキは寝ずの番をして庭を見張ると言い出した。
「心当たりが全然ないわけじゃないの。私たちが苗の交換会をやっていると、胡散臭い
目付きでこちらを見ながらいつもそばを通るひとがいるのよ。どの家のひとかも調べて
あるわ」
 ただそれだけの理由で花泥棒扱いするのは早計じゃないか、と言っても納得しそうに
ない気配だった。どこにでもいるのよ、なかよくしているとそれだけで面白くない気分
になるひとが、と自分の意見を裏付けしようとするように、アキはそんなことを付け加
えた。
 ベランダに面した居間のソファーを窓際へ運んで、アキはほんとうに寝ずの番をする
らしかった。
「見張るといっても、一晩中じゃたいへんだろう」
「盗みに入るのはたぶん朝方だろうと思うの。だから目覚ましをかけておいて、そのこ
ろに起きるようにするわ」
「もう取られる花もないじゃないか」
「盗むのが目的じゃないのだから、きっとまた来るわ」
 たぶん二、三日もすればあきらめるだろう、と思っていたら、予想以上に決意は固い
らしく、まだ暗いうちから居間のほうで目覚ましのベルがかすかに鳴っているのが毎朝
聞こえてきた。
 やっぱり花だけを目当ての盗みだったのだ、と納得しかけたころ、またやられてしま
った。
 こんどは松尾のほうが先にみつけた。
 庭ではなく玄関の門扉のなかにおいてあったプランターのベゴニアがやられた。アキ
が昼間は日当たりのよい庭に出して、夜になると門扉の中に入れていたのだが、そこも
安全ではなかったわけだ。
「そう言えば、四時すぎに玄関のほうで物音がしたのよ。でも新聞か牛乳の配達が来た
んだろうと思っていたわ」
 玄関のドアを開けてプランターを見ているアキの手が力なく上がっていって、後姿か
らは拝んでいるのかと思われる姿勢になった。すばやく振り返るとアキは松尾のわきを
ぬけて奥へ駆け込んでいった。アキは泣いていた。
 居間の隣の畳の部屋で、アキはきちんと正座してうつむいていた。何を言っても拒み
そうな気配だった。居間の椅子に坐って、松尾は所在なく窓から見える空を眺めていた
。秋から初冬へ移りつつある空だった。空の明るさに比して雲の色が黒ずんでいた。し
かも風がないのに雲の流れは早かった。
 突然アキが低い声で呻くように言った。
「なぜ私の家ばかりねらうの。私がなにをしたというの」 次第に声は大きくなり、怒
鳴るような声になった。
 思わず松尾は開けてあるベランダの窓を気にした。そしてそんなことを気にしている
自分を、後ろめたくも思った。 こんなに取り乱しているアキを久しぶりに見た。結婚
して間なしはよく喧嘩もした。どちらかが冷静なとき、相手は徹底して悪態をついた。
アキのほうがよく爆発した。そんなとき彼女は今のように、だんだん高まる感情を押さ
えきれなくなり、最後は怒鳴りちらして取り乱れ、やがて静まった。
                              (つづく)




前のメッセージ 次のメッセージ 
「空中分解2」一覧 YASUの作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE