AWC まどう夜(1)  YASU


        
#580/3137 空中分解2
★タイトル (UTJ     )  90/ 9/ 1  22:29  ( 85)
まどう夜(1)  YASU
★内容
 庭先に女達のはしゃぐ声を聞きながら、松尾はある専門雑誌の余り興味のわかない論
文を読んでいた。
「あなた、今年はこのバラ、上手に咲かせたわね。肥料は何を使ったの」
 バラの花などとっくに散ってしまった後なのによく覚えているものだ、と松尾はそち
らの話に気を取られた。
「肥料はいつもの年と同じで、暖かくなってからはローンフラワーを二週間ごとにやっ
たんだけど、私が思うのに、元肥に乾燥鶏糞をたっぷり入れたのがよかったのじゃあな
いかしら。それに今年こそはと、消毒をこまめにやったことかしら」
 妻のアキが屈託なく得意げに説明している。
 特別たいしたことをしたわけじゃないのよ、と言いながら、ほんとうはずいぶん手を
掛けたのよ、と理屈に合わぬことをしゃべっている。主人がね、少しは家族のほうもそ
れくらい世話を焼いてほしいねなんて言うの、と松尾が冷やかし半分に言ったことまで
持ち出して、やっぱり自慢してみたいらしい。
 たしかに気難しいバラらしくて、去年までは咲きそうにみえて、蕾のままぽとり、ぽ
とりと落ちてしまった。ああ、やっぱり難しいのねバラは、とアキはその蕾を拾いあげ
て溜息をついた。それから急に憑かれた者のような目を松尾に向けて、来年はきっと咲
かせてやるわ、と言う。なんだよ、たかが花のことじゃないか、とその目付きにたじろ
いで、彼が言うと、でもさ、意地にでも咲かせたくなるじゃない、どんな花が咲くのか
、とまだ固い蕾を指腹ではさんで、強く押しながら言いつのる。よく覚えていないが、
そのとき家族のことを引き合いにだしたのかもしれない。
「園芸の本に書いてあることって、あてにならないことが多いのよね」
「あら、あなたもそう思う。私もこのごろ気が付いたの」 年が近いせいで、一番気の
合うらしい佐伯順子が、おおげさに相槌をうっている。
「本によって書いてあることがちがうのよね。水は多めにやったほうがいいと書いてあ
るかと思うと、花芽が出たら少なめにすると書いてあったり、どうしたらいいのか分か
らないのよね。雑誌の質問欄に手紙を出してみたら、土壌やその地域の気候によるから
、適確なことは言えないなんていう返事でしょ」
「結局は自分の勘と経験に頼らないとしかたないのよ」
 そうよ、そうよと話の行方はそちらへ行く。
 この団地の花作りの好きな主婦たちが毎月集まって、苗や種を共同購入したり、互い
に持ち寄って交換したりしているのはアキから聞いていた。
 新興住宅地の一画に土地を求めたものの、家を建てるのは当分先のことだと思ってい
た。それが、いまこそ建築の絶好の時期だという住宅会社のセールスマンにあおられて
、アキは急に自分の家を持つ夢に熱中しだした。住宅会社なんていうのはおかしい、建
築会社なんだろう、というと、それがちがうのよ、とセールスマンの名刺を持ってくる
。それに建築会社なんてどことなく土建屋みたいじゃない。 結局、四年前なんとなく
家を建てる羽目になってしまった。 地下鉄と相互乗り入れしている私鉄がゆくゆくは
延びてくるというが、それまでは四、五キロ離れた国電の駅まで毎日自転車で通わない
といけない。さいわい職業上十時ごろまでに出勤すればいいのでラッシュには合わなく
てすむ。 団地の周囲には昔ながらの田畑が続いている。駅前付近は団地をあてこんで
のスーパーや、さまざまの小店舗ができているが、まだ街という体裁はなくて、間口の
狭い弁当屋の隣が昔ながらのガラス引戸の民家だったりする。駅のむこう側は十年以上
前からひらけて、買い物もずっと便利だとアキは言うが、松尾は一度も行ったことがな
い。買い物につきあってほしい、とときどきアキが言っても、彼のほうはあれこれ口実
を作って断り続けている。そうでなくたって、移り住んで四年たった今も土地勘のなさ
に悩まされているのだから、これ以上生活空間を広げたくない。
 もともと四国の山を背にした、海沿いの寒村で生まれ育った彼にとって、関東平野に
は居心地の悪いだだっ広さがあるのだ。これまで何度か引っ越しをしたが、仕事の都合
で住むのは東京近郊ばかりだった。
 土地を求めたとき、どうしても花作りのできる庭を、というアキの強い願望に負けて
、分譲地の中では一番広い土地を選んだ。そのかわり開けた街の側ではとてもそんな広
さの土地は買えないので、不便を覚悟で今の場所にした。今ではこちらにしてよかった
と思っている。静かだし、なによりもアキの買い物につきあわなくてもすむ。せいぜい
三度に一度くらい一緒に行ってやればいい。 花作りといっても、最初は土がだめで、
何を作っても細々とした茎の先に小さな花が咲くだけだった。赤茶けた、土というより
も風化した岩を砕いたような小石ばかりだった。アキはその土を丹念にふるいにかけて
、大きなごろ石は集めて木づちで打ち砕いた。しかし、アキの努力にもかかわらず、雨
が降って強い日差しに煎られると、表層の土はコンクリートを薄く流したように固まっ
てしまった。大きなビニール袋の腐葉土を混ぜてみても、二、三ケ月たつと土はもとの
ようになってしまった。やがてアキもこれではだめだと気付いて、ほかの家と共同で土
を買うことに決めた。小型ダンプカーで運ばれてきた土が庭の片すみにうずたかく盛ら
れたのを見て、ああこんな土が三万円もするなんてねえ、と溜息をついた。田舎育ちの
松尾にも、土にそんな金を費やすというのはばかげたことに思える。もともとこの一帯
は湿田だったらしい。宅地にするために埋め立てた造成地で、少し深く掘れば瓦礫やプ
ラスチックや、アルミのやかんまで出てくる。せっかくの農地を埋めてしまって、また
土がいるといってはわざわざ取り寄せるということがばかげている。
 だが、その後は花作りのほうはうまくいっているようで、アキは園芸の雑誌を買って
きて、つぎは何を植えようかと余念がない。たかだか十五坪位の庭にひっきりなしに種
を蒔いたり苗を植えたりで、少しは花の終わった疲れた葉の風情もいいじゃないか、松
尾は冗談めかしてそんなことを言ってみる。
 そのうち鉢物にも手を出して、ベランダに大小とりどりの鉢が並ぶようになった。居
間の天井からは観葉植物の鉢が垂れ下がる。やれポトスだ、ペペロミアだ、ネフロレピ
スだというので、つまるところ南洋の雑草じゃないか、とからかうと、そりゃあ、そう
かもしれないけど、南洋の植物が我が家の中で育っていると思うと、すばらしいじゃな
い、と満足げに鉢を眺める。どうせなら、やっぱり花の咲くのが見がいがあるな、と言
うと、いいわ、今度洋蘭に挑戦してみようと思っているところだから、と臆するふうも
ない。
 松尾にとってなぜアキがそんなに花作りに熱中するのか分からない。凝り性なところ
はある。あるいは子供がいないせいかもしれない。彼女の花作りを見ていると、子供を
育てるように花を作るのか、花を作るように子供を育てるのか、やはりどちらも似てい
るのでないかという気がする。花にどうしてそんなに熱中できるのか分からない、と言
うと、そのたびにアキは、盛りのときしか花に目を向けない人間に花作りの楽しみは分
かりません、とすましている。何度もそう言われると、存外花作りにもそれなりの楽し
みがあるのかしら、と思えてくる。
                              (つづく)




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