AWC 「ドナー」 5    香織


        
#501/3137 空中分解2
★タイトル (TCC     )  90/ 7/ 5   1:50  (114)
「ドナー」 5    香織
★内容


              5

 貴和子はそこが病院の廊下でなかったら、走りだしたいような気持ちだった。
それほど気が急いていた。
 真犯人を見つけ出してやる。牧田さんが疑われるなんて我慢できない。心の中
のそんな思いが、貴和子を急き立てているのだ。
「ちょっと、ちょっと待ってくださいよ」
 犬飼はやっと貴和子に追いつくと、
「もう、なんでも独断専行なんだから。病室へ帰って来るなり、『犬飼君、行く
よ』とたった一言。んで、ぼくが振り返ったら、もういない。少しはね、ぼくに
も経過を説明してくださいよ。友紀ちゃんにインタビューしなくてもいいんです
か?」
 と、ぼやき始めた。
「今の友紀ちゃんからいったいどんなコメントをとろうっていうの?」
 貴和子は強い調子で言ったが、すぐに反省した。犬飼にあたりちらすのは筋違
いだ。
「ごめんなさい。君にあたることはなかったわね」
 貴和子は素直に謝った。確かに犬飼の言う通り、この殺人事件についての記事
を、レディス・ライフが扱うならば、被害者と友紀との関係から入るのが一番だ
った。
 なぜなら、『本誌記事が取り持った母娘の再会、そして移植手術』という、い
かにも読者受けのする記事が、つい最近載ったばかりだからだ。その美談の母親
が、バラバラにされて殺されたのだから、レディス・ライフならではの記事が書
けるに違いない。
 車に乗り込んだ貴和子は、運転席の犬飼に尚子のマンションの場所を告げた。
「まずは被害者の身辺調査よ。バラバラにされるほど恨まれるような何かが、あ
の人の周辺にきっとみつかるわ」
「了解」
 犬飼はいつものように答えて、車を出した。
「ぼく、この事件でどうも不思議なことがあるんですけど……」
 走り出してからしばらくして、犬飼が言った。
「どんなこと?」
「犯人は死体を切り刻むなんて手間のかかることをしたのに、それをなぜ無造作
に捨てたんでしょうか。なぜ穴を掘って埋めるくらいのことをしなかったんでし
ょう。そうすればもう少しは発見が遅れて、犯人にとっては有利だったんじゃな
いかと思うんですが」
「それもそうね」
「それに頭部の近くに、わざわざ被害者の身元を示すクレジット・カードの入っ
たバッグを捨ててある。まるで早く事件が表沙汰になるように、犯人が望んでい
たとしか思えないでしょう」
「つまりそれは、犯人が……」
 貴和子は何か気の利いた推理を披露しようしたのだが、どうにも思い付かなか
った。
「それでですね、ぼくはこんなふうに推理したんですが……」
 ハンドルを握りながら、犬飼が得意気に言った。
「誰か他の人間に対するメッセージなんですよ」
「メッセージ?」
「そうです。たとえばですよ、数人、二人か三人かあるいはそれ以上かはわかり
ませんが、とにかく複数の人間に犯人が恨みを抱いているんです。そのうちの一
人が殺される。残った人間は恨まれる心当たりがあるものだから、びびっちゃう
わけですよ。つまり犯人は『今度はおまえの番だぞ。覚悟しろよ』って誰かに警
告しているんですね」
「かくして、連続殺人事件の幕は切って落とされたって? 犬飼君、推理小説の
読み過ぎじゃないの」
「そうですか? 完璧な推理だと思うんだけどなあ。まあ、第二、第三の事件が
起これば、ぼくの推理も裏付けられますけどね」
「そんなこと言うもんじゃないわ」
 貴和子は犬飼の顔を横目でにらみながら言った。
 尚子のマンションに着くと、貴和子たちはまず両隣の住人から聞込みを始めた。
右隣は新婚夫婦で、少女趣味なエプロン姿の新妻は、二人を部屋へ通してお茶ま
で出してくれた。
「昼間は独りぽっちで寂しいの。誰も話し相手がいなくて。さっきまで刑事さん
も来てらしたのよ。ゆっくりしていってね。へえ、週刊誌の記者さんなの? 楽
しいお仕事なんでしょうね。ええ、何でも聞いて。知ってることは全部お話しす
るわ」
 だが、この新妻からあまり参考になることは聞き出せなかった。なにしろこの
マンションに新居を構えたのが三週間前で、隣の尚子には引越し挨拶に行った時
に会っただけで、ほとんど顔も合わせていないというのだ。
 散々、新婚生活ののろけを聞かされたあと、やっとのことで逃げ出すことがで
きた。
 左隣は一人暮しの未亡人だった。
「また尚子さんのことなの。さっき来た刑事さんに全部お話したわよ。何度も同
じ事話すの面倒だわ」
 いきなり不機嫌そうな顔で言うその未亡人に、貴和子はひたすら「お願いしま
す」を連呼して懇願した。とうとう根負けしたように、未亡人は口を開いた。
「尚子さん、最近男と別れたようだったわ」
 貴和子は緊張した。これは有力な情報だった。尚子には別れたばかりの男がい
たという。
「先月の初めころまでは、同棲していた男がいたのよ。でも働かない男でね。尚
子さん、前から別れたがっていたわ。男の方がなかなか別れてくれないってこぼ
していたけど、どうやら知合いのやくざみたいな人に頼んで手を切ったんですっ
て。でも追い出された後も、未練たらしく訪ねて来てたわ。夜中に酔っぱらって
ドアを叩くのよ。『お願いだから入れてくれ』なんて喚きながらね。それでも入
れてもらえないと、『この売女、また男をくわえ込んでるんだろう』って、大き
な声でね。ほんとに近所迷惑だったわ」
「あの、でも御主人は確か一年前に事故で亡くなったばかりだとお聞きしました
けど……」
「そうなのよ。あの男が隣に住み着くようになったのは、御主人が亡くなって三
カ月後くらいだったわ。ほんとに呆れちゃったわよ。私は主人を亡くしてから今
年で四年目になるけど、新しい男の事なんか一度も考えたことはないっていうの
にね」
 貴和子は彼女を値踏みするように見直した。尚子とは取材のために二度ほど会
っているが、この未亡人とは比べ物にならないほど魅力的だった。この未亡人が
我が身と比べて嫉妬するほど、尚子に男が引き寄せられたというのもうなずける
のだ。
「刑事さんにも話したんだけど、先月の二十三日にも来たのよ。私が買物に出か
けるちょっと前だから、十時頃よ。壁越しに何か大きな声で言い合ってるのが聞
こえてきたの。喧嘩してるっていうのはわかったけど、内容まではちょっと……
ただ、もの凄い音がしてたから、ただの言い合いでないことは確かね。次の日、
尚子さんの顔にあざがあったわ。あれ殴られたのよ」
「その人の名前とか住所、わかりませんか」
「ええと、井上、そう井上昭夫とかいう名前だったわ。住所はわからないけど、
駅前の『ロンリー』っていうバーに入り浸ってるって、尚子さん言ってたわ」
「駅前の『ロンリー』ですね。どうもありがとうございました」
 貴和子はお礼もそこそこに、マンションの廊下を走り出していた。
「高森さん、走ったって駄目ですよ。まだお店やってません。それよりお昼にし
ませんか。ぼくお腹がすいて……」
 犬飼の情けなさそうな声が追ってきた。貴和子はやっと冷静になって、立ち止
まった。
「そういえば、私も朝から何も食べてなかったわ」
「ね、そうでしょう。まずは腹ごしらえ、腹ごしらえ」
 犬飼は急に元気になった。




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