AWC 「ドナー」 3    香織


        
#499/3137 空中分解2
★タイトル (TCC     )  90/ 7/ 5   1:39  (133)
「ドナー」 3    香織
★内容


              3

 沈み込んでいる友紀を予想して病室のドアを開けた貴和子は、ベットの上の友
紀の穏やかな表情を目の前にして面食らった。
「友紀ちゃん、あの、お父さんから聞いたわ、お母さんのこと……」
 こんな時にどんな慰めの言葉を言ったらいいものか、貴和子はここへ来る途中
にいろいろ考えてきた。しかし、思いがけない友紀の平静さに出会ってうろたえ
たせいか、そんな台詞もすっかり頭の中から消え去っていた。
「そうなの。お母さん、殺されていたんだって」
 そう言った友紀の顔は、悲しそうな表情には違いなかったが、松井尚子が行方
不明だったここ一週間の、あの不安に押しつぶされそうな、いらだった険しさは
消えていた。
「あの、お父さんは?」
 姿の見えない牧田の事が気になって、貴和子は聞いた。
「売店まで新聞を買いにいったの。たぶんいまごろはロビーで新聞を読んでるん
じゃないかな。ここだと煙草が吸えないから」
「じゃあ、私はちょっと牧田さんに事情を伺ってくるわ。犬飼君、ここで友紀ち
ゃんのお相手をしててね」
 まだドアのところにつっ立っていた犬飼は、「了解」と大きな声で答えた。彼
には、時と場所をわきまえない元気さがあって、それが長所でもあり短所でもあ
るようだ。
 ロビーに行ってみると、牧田はくわえ煙草で、立ち昇る煙に顔をしかめながら、
新聞を広げていた。そのうち近づいてくる貴和子に気付いたのか、新聞をたたん
で煙草を揉み消した。
「いま友紀ちゃんに会ってきたんですけど、予想してたよりもとても元気そうな
ので、ほっとするやら拍子抜けするやら……」
 貴和子は、牧田と向き合った長椅子に腰をおろした。椅子の表面の皮革の冷た
い感触が、貴和子の膝の裏に心地よかった。
「友紀に聞いてみたわけではないので、これは私の想像なんですが、たぶん友紀
は安心したんだと思います。自分が母親に裏切られたのではなかったと知って」
 苦笑いしながら、牧田は言った。
「どういうことですか」
「尚子が行方不明になったとき、友紀は考えたと思うんです。自分に腎臓をくれ
るのが急にいやになって逃げ出したんではないかと。つまり、自分は母親に見捨
てられたんじゃないかと。実際、尚子の行方がわからなくなってからの友紀の状
態はひどかった。だから、そうではなかったと知って心が安らいだんじゃないで
しょうか」
「母親が死んだというのに、それで心が安らいだというんですか」
「それとこれとは別なんです。もちろん、母親の死は悲しんでいるでしょう。で
も子供というのは、ひどくエゴイストなものですからね」
 貴和子は複雑な思いで牧田を見やった。十歳の少女の心の中の複雑な葛藤、そ
してそれを冷静に分析してみせる父親、子供を産んだことのない貴和子には、計
り知れない世界だった。
「それで、松井さんの方はやっぱり間違いなかったんでしょうか」
「ええ、死体の表情というのは生前とずいぶん変わるものだなと実感しましたが、
尚子であることは間違いありませんでした。それに首が捨てられていた近くに、
ハンドバックが捨ててあったんですが、その中に尚子名義のクレジット・カード
が入っていたんです」
「松井さんの身内の方に連絡は……」
「それが尚子には身内らしい身内はいないんですよ。私と離婚してから松井光夫
という人と再婚したんですが、その人も一年ほど前に交通事故で亡くなったらし
いんです。だから遺体も、その亡くなったご主人の身内の方へ引き取ってもらう
ことになるんだろうと思うんですけど……どうもその人たちも迷惑そうな態度ら
しいです。バラバラ死体だというので、遺体の確認にも後込みしたんだそうです。
マンションの管理人に何かあったら私に連絡くださいと言ってあったので、警察
も私に遺体の確認をしてくれと連絡してきたんですね」
「それにしても、誰があんな惨い殺し方をしたんでしょうか。何かよほど恨みを
かうような事情があったとしか……」
 貴和子がそう言いながら視線を上げると、二人の男がこちらに向かって歩いて
くるのが目に入った。一人は四十半ばくらいの太り気味の男、もう一人は黒ぶち
眼鏡をかけた若い男だった。
「牧田さん、お話中のところをちょっと失礼します」
 太り気味の男の方が、警察手帳を慣れた手つきで二人の目の前に突き出した。
「私は池辺、こっちは田中と申します」
 池辺と名乗った男が、牧田と向かい合った貴和子の隣に、無遠慮に腰をおろし
た。田中という若い男の方は、だまって牧田の隣に座った。
「昨日は遺体の確認にご足労願いましてありがとうございました。そこで牧田さ
んにも少し事情をお聴きしたいと思いまして、少しお時間を頂きたいのですが、
いや、なにすぐにすみますから」
「ええ、どうぞ」
 牧田がそう答えると、
「いま、ここででもよろしいですか……」
 池辺が貴和子の方へ視線を投げながら尋ねた。
「ああ、この人は今回のことをすべて承知していますから、かまいませんよ」
「そうですか、それでは」
 池辺は一つ大きな咳払いをすると、質問を始めた。
「被害者のマンションの管理人の話では、牧田さんは六月の二十六、二十七、二
十八日と、三日続けてマンションを訪ねておられますね。まずその辺りの事情を
お聴きしたいのですが」
「実は尚子は娘の友紀に腎臓を移植してくれることになっていたのです。その関
係で最近、連絡を取り合っていたようなわけです。その手術の予定日が七月十日
で、最終的な検査のために手術の一週間前には、尚子にも入院してもらう手はず
になっていました」
 そうだ、七月三日、今日がその日だ。貴和子は、友紀がうわ言のように『お母
さんは三日になったらきっときてくれる』とつぶやいていたのを思いだした。
「六月二十五日は友紀の誕生日だったんですが、その日にプレゼントを持ってき
てくれると約束していた尚子が顔を見せないので、友紀はずいぶんしょげていま
した。あまりかわいそうだったので、電話をして尚子を呼び出してやろうと思っ
たのですが、何度かけても応答がないのです。それで翌日、マンションにも出か
けていったのですが留守でした。なにしろ手術を控えていましたので、不安にな
って、二度三度と様子を見に行ったのです」
「松井尚子さんは、いつごろ殺されたんですか」
 貴和子は池辺に尋ねた。
「死体の状況から、死亡したのは六月二十四日の夜という見方をしています。二
十四日の午後七時過ぎに、どこかへ出かける被害者を、アパートの住人が目撃し
ているので、それ以後ということになりますね」
「六月二十四日の夜、牧田さんはどちらにみえましたか?」
 それまで黙って熱心にメモをとっていた田中が、唐突に質問した。
「あのう、それって牧田さんを疑っているように聞こえますけど……」
 牧田の返事を遮るように、貴和子は田中への非難を込めて言った。
「すべての人を疑ってかかるのが、捜査の鉄則ですからね」
 田中が気色ばんでこちらをにらむので、貴和子も負けずに言い返した。
「牧田さんが尚子さんを殺すわけはないじゃないですか。尚子さんは、友紀ちゃ
んに腎臓を移植してくれる大事なドナーなんですよ。その尚子さんを、それも手
術の前に殺すなんてこと、冗談じゃないわ。友紀ちゃんに移植手術を受けさせる
ために、牧田さんがどんなに心を砕いていたか、あなたたちは知らないから、そ
んなことが想像できるんです。こんどのことで、一番落胆しているのは牧田さん
なんですよ」
「まあ、まあ」
 池辺が困ったような表情で、貴和子を制した。
「田中の言い方が気に触ったかもしれませんが、気を悪くしないでください。刑
事と言うものはあらゆる可能性を想定して、捜査に当たらなければならないので
ね。たとえば、被害者が実は移植手術には元々あまり乗り気ではなく、手術の直
前になって嫌だと言いだし、それにカッとなった牧田さんが殺してしまった、そ
んな可能性がまったくゼロだとは言えないでしょう」
「だって、尚子さんは雑誌に載っていた友紀ちゃんの記事を読んで、自分の方か
ら移植をしてあげたいって、名乗り出てきたんですよ。それまで音信不通だった
のに、そのために七年ぶりに牧田さんを訪ねてきたんです。あまり乗り気じゃな
かったという、その仮定からして間違っています」
 貴和子は高ぶった感情を抑えきれなかった。
「貴和子さん、もういいです。刑事さんだってお仕事なんだから、仕方がないで
すよ」
 興奮している貴和子をなだめるように、牧田が静かに言った。牧田は池辺の方
へ向き直り、言葉を続けた。
「六月二十四日の夜というと、友紀の誕生日の前日ですね。確かあの日は土曜日
で仕事は休みでした。午後から友紀の病院へ行きました。病院を出たのが二時半
ころで、その帰りに近くのおもちゃ屋に寄ってぬいぐるみを買いました。友紀へ
のバースディ・プレゼントです。そして家に戻ったのが四時ころだったと思いま
す。それから後はずっと家にいました。いまは一人暮しですから、残念なことに
だれも私のアリバイを証明してくれるものはいませんが……」





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