AWC 「細胞」               浮雲


        
#488/3137 空中分解2
★タイトル (AVJ     )  90/ 6/30  20: 5  ( 90)
「細胞」               浮雲
★内容

「主文
 被告人は無罪」

S裁判長の声が終わらないうちに、法廷内はどよめき沸き立った。制止を無視し
て傍聴席から数人が飛び出し、被告席へ駆け寄ろうとして警吏らと激しくもみ合
い罵声と怒声が飛び交う騒ぎになった。新聞記者達が廊下へ飛び出して行った。
そんな騒ぎの中、被告席のKとS裁判長だけが互いに顔をまっすぐに向け、静か
に時の過ぎるのを待っていた。
しばらくして、大半の者が警吏たちによって排除されると、法廷は文字どおりの
静寂を取り戻した。
 廊下ではまだ騒ぎが続いている。レポによって判決内容が伝えられたのだろう。
中庭の方から一斉に怒声があがった。宣伝カ−のスピ−カ−が「不当判決粉砕!
」「非国民を許すな」などとがなり始めた。そこには、保守党の大物Fが率いる
「純血国民会議」と野党・社民党急進派の見事な呉越同舟ぶりがあった。彼らが
大人しく解散するとは思えなかった。
 ひと呼吸整えたあと、S裁判長は癖のあるかすれ声で判決文を読み始めた。

Kが、殺人未遂及び財産横領の容疑で起訴されたのは、*年*月のことであった。
事件のあらましは、こうである。
急死した父親の残した財産をめぐって、ひとりっ子のKと異母兄弟にあたるA、
B二人の兄との間に争いが生じた。Kの実母はこの世になく、それが事態を一層
厄介なものにした。対立は日毎にエスカレ−トし、ついにある晩、二人の兄はK
を呼び出すと暴力をふるって脅迫し、相続を放棄するとの書類に署名させようと
計った。二人の暴力は陰惨を極め、ついにこらえ切れなくなったKは逃れようと
二人を突き飛ばしたところ、運悪くAが階段からころげ落ち頭をしたたか打って
しまった。頭蓋骨陥没の重傷を負った。
これをBらが、KがかねてよりAとBを亡きものにしようと企んでいた犯行であ
ると訴え、殺人未遂・遺産横領事件としてKが逮捕されたのであった。
ところが、このどこにでもころがっていそうな事件がマスコミを騒がす社会的事
件にまで発展したのである。それには次のような訳があった。

Kの内臓はすべて医療臓器である。加えて、交通事故とそれによる後遺症のため
全身をセラミック・ボ−ンが走り、右腕の一部にわずかに細胞を残しているにす
ぎなかった。そして、このわずかに残された細胞だけが、頓死した父親から受け
継いだ血肉のすべてであった。
AとBらが、Kには遺産を受け継ぐ資格などない、としたのは実にそれを根拠と
したのである。
「Kは人間ではない。奴は【エセ】だ。」
AとBの攻撃に、保守党の大物Fと社民党急進派グル−プが荷担し、マスコミは
興味本位にそれを煽りたてた。
「奴ら【エセ】に人並に裁判など受けさせることはない。さっさと処分してしま
え」
【エセ】とは、「大和民族の純血性を守れ」とする民族主義者たちが、医療臓器
やセラミック・ボ−ン、電子頭脳を持つ人々を攻撃する時に使う常套語である。
保守党F派の若手連中は「かつてコメ問題で大和民族の魂を外国に売った」こと
を持ち出し、マスコミは、Kの体に残る細胞の重さが何グラムである云々の記事
を掲げる始末であった。日毎に問題は倭小化され、本質から脱線していった。

S裁判長は、このKの傷害事件の訴訟を担当することになった時、少なからぬ困
惑を覚えた。遺産相続に絡む刑事事件から、一転して政治的・社会的な事件へと
性格が変質してしまった、その事に対するシンドさもあったがもう一つもっと己
に関わる悩みを抱えずにはいられなかったからであった。それは、誰にも相談な
ど出来ない問題であった。
それにも関わらず、S裁判長はせい一杯外部の雑音をシャットアウトし、純粋に
刑事事件として扱う方針を曲げずに、訴訟指揮を貫いた。それに反し、検察側の
求刑論告は、保守党F派と民族主義者たちの主張に瓜二つであった。
それは、「人間の尊厳は、」と始まり、「わずかに右腕の一部に細胞を残すに過
ぎないにも拘らず、遺産相続の権利を主張しあまつさえそれが我が物にならない
と知るや、殺人という凶行に及ぶべく周到な準備を計った・・」「被告の行為を
人間としての誤りたる行為と見なせば、それは自動車の部品の一部に細胞を植え
付けこれを称して彼は人間である、というのと同じであり、このような主張は人
間の尊厳を著しく否定し汚すものであって、絶対に認められない。・・・」
したがって、「第一に被告は詐欺行為を働き、遺産横領を企んだのは明白である

第二に被告の行為は人間に対する冒涜であり、虚偽の権利をかざしそれを正当化
するために暴力を用いた、という意味で二重に罪は重い」
よって「死刑に価する」と結論した。
S裁判長はまずあっけに取られ、次にこみ上げる苦笑の始末にこまり、ついには
せりあげる苦汁と不快な思いが全身に広がっていくのを抑える事が出来なかった。
3年ばかり前に手術した後頭部の傷がズキズキ鳴った。

判決の日が近づくにつれ、民族主義者や社民党急進派の攻撃の矛先がS裁判長に
向い始めた。マスコミまでがそれに同調する有様であった。S裁判長の訴訟指揮
は、世論に背を向けた天をも恐れぬ傍若無人なものだ、というのである。
S裁判長の自宅や裁判所に「天ちゅう」「死」といった脅迫文が連日届くように
なった。
「なあに、選挙めあての仕業だ。気にすることはない」
S裁判長は、そう言って周囲の者に笑ってみせた。

閉廷後、Kをたくみに護送車で脱出させたあと、S裁判長は警吏に護られながら
執務室へと急いだ。
外では、相変わらず集会が続けられていた。時間がたつにつれ、参加者の数は膨
れ上がり、保守党のFが急きょ駆けつけるに及んで、集会は最高潮に達していた。
ホ−ルを横切り、階段に足をかけた時、めまいがS裁判長を襲った。やっぱり、
3年前に取り替えた電子頭脳の調子がおかしい。思わずため息をつき、足を止め
た。
その時だった。パン、パンと乾いた音が続いた。S裁判長は、自分の頭脳を貫い
た凶弾が部品に当り、鋭い金属音を立てたのを聞いたような気がした。
                                                                  おわり




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