#1784/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (HYE ) 89/ 8/22 11:21 ( 99)
ナンセンス対談 NINO
★内容
『ぱわー・ふぃくしょん・まがじん「「PFM臨時増刊号』 巻頭対談より一部抜粋
ゲスト:現代を代表する、知ったかぶりっこ(古い表現)
ホスト:ある著名な変態マルティスト(意味不明)
なお、ホスト側の発言は「……」として削除しています。
「……」
「そうそう。?さん。私には魂が無いんですよ」
「……」
「私はまるでロボットですよ。コンピュータを初めて家につれてきたとき、VICっ
て言うやつでしたけど、その時私思いましたもの。あっ、こいつの気持ち分かるって。
しゃれて言えば、我が心はICなんですよ」
「……」
「私ね、ロボットなんです。江口寿史じゃないけど、私、マイケルジャクソンみたい
でしょ。もしかすると、日本の教育のせいなんでしょうね。教育のせいにしちゃ怒ら
れるかもしれないけど。お金と合理主義みたいのが身についちゃって。おごりなら飯
食うけど、おごることはない。誘われたら外出るけど、自分からは外にでない。……
外ってお金使うから。外でお金使わないとすると、訳わかんないでしょ。例えば、ぼ
ーっと海見てて、夕日見て、女の人といて、なんか感じろったって、私、ちっとも、
全然、感じない」
「……」
「ははは、別にインポじゃないですよ」
「……」
「その通りだと思いますよ。私みたいのは、物に金を使うしかない。消費脅迫観念。
これって、ありきたりで、皆がよく言ってることですけど。その通りだと思います。
機械親和性対人困難症とも関係あるかも知れません。物とはつながるけど、人間との
瞹昧な、ルースな関係を理解することを初めっから放棄しちゃって、なるべくそれを
避けようとする。簡単な形に持っていこうとする。私みたいに友達を切っちゃう。と
か、ね。人間とは表面だけの付き合いにする。例えば、学校だけ、とか、場所を限定
するのが単純なやり方で、これなんか、皆やることなんじゃないかな」
「……」
「後、考え付くのは、やたらに攻撃性を持っちゃうとか、やたらにうなずいちゃうと
か。それは自分が演技するのが楽だからですよ。自分がないから、適当なのを拾って
きて演技をするんですよ。シナリオ通りに。そんなことしてて、それでも自分を持っ
ていたらすごいですけど」
「……」
「熱くなることですか? 時たまありますね。でも、感情的に熱くなるんじゃなくっ
て……そうだなー。さっき言ったみたいに、コンピュータですね。コンピュータも熱
くなるんですよ。電気走ってるから。あれは、自分で冷やしてないと、どんどん熱く
なっていって何にもわかんなくなる。熱暴走ってやつですね。
私の連れてきた最初のコンピュータってのが、そうでしたね。冷やす仕組みを自分
の中に持ってなくて、こっちが見てないと、勝手に訳わからなくなっちゃう」
「……」
「……そうですね。私も下手すっと犯罪者になってかも知れませんよ。感情がないか
ら、暴走したら、どうにもならなくなっちゃう。魂のある人ほど、ほんとは情熱的じ
ゃないかもしれない、って思ったことありますよ。バランスとろうとしちゃうんじゃ
ないかな。魂ってのは、恒常性を持ってるんじゃないかな」
「……」
「まあ、そういわれちゃうと、そうなんですよね。表面的な情熱の真似ね。そうそう。
本当は魂のある人こそ情熱的だと思ってますよ。
だから、コンピュータ的人間の暴走は、本当の魂のある人の情熱的な、『突っ走る』
って感覚とは全く違うものでしょうね。だから、余計怖い。魂からくる暴走は、後で
『感情』で理解できる。私みたいなロボット人間の暴走は、後で理解出来ない。『感
情』がそこにないですからね。後に何も残らない」
「……」
「うーん。なんか……そう。本質的な暴走なんでしょうね。私みたいのは。ある意味
で、一番人間らしいというか。生物らしいというか。“もの”の持っている本質的な
危険なんでしょう。コンピュータに電気が走ってる、と同じで、人間が生きているか
ら暴走するって事。コンピュータの上で走ってるソフトに関係なく、熱が溜まってく
れば暴走するんですよ。言い換えれば、人格とか、性格とか、魂とかじゃなく、体の
側に近い暴走ですね」
「……」
「その通りですね。はけ口が無いと、ストレスが溜まってしまう。ファンとか、冷却
水がないと回路に熱が溜まるのと同様に。もし何か、はけ口を見つけられるのなら、
そうして熱を逃がしていれば、暴走には致らないでしょう。ただし、幼児殺しに、は
け口を求めちゃったら、それは暴走と等しいでしょうね」
「……」
「暴走するしかない回路が、頭んなかに出来ちゃうような、そういう教育とか社会と
か環境って、歪んでるといわざるを得ない。もっと、魂的な教育とかが必要なんでし
ょうね。知識としての魂、じゃなしに、魂としての知識を教えなきゃなんない。論理
とかって本質的に感情とか、どろどろした人間くさい部分を含んでるんだって。人間
がある限り、論理が絶対ことなんてないですから。いっくら客観的だって、それは嘘
っぱちだって、教えなきゃなんない。それが、出来てない」
「……」
「こちらこそ。どうもありがとうございました。じゃ、さようなら」
しんよーして、書店に買いに行く人がいたら
困るので(いないって)、断わっておきます。
上記に出てくる、
『ぱわー・ふぃくしょん・まがじん(PFM)』
は実在の雑誌ではない、と、思います。確認
したわけではありませんが。もしあっても、
それとは関係ありません。対話も含めて、す
べて、作り事です。