#1783/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (PKJ ) 89/ 8/22 7:14 ( 79)
GREATリレー小説 バベッティ
★内容
喜三郎は走った。どこまでも走った。誰かが停めてやらなければ、息が絶
えるまで走ったに違いないのである。強く握りしめた右手には、モノリスと
いう不可解なものが、汗にまみれて収まっていた。そうして、三丁ほど走り
抜いた時、突然彼の目の前に、美しい衣をまとった男が立ちふさがった。
「あな。汝は誰ぞ」喜三郎は驚いて叫んだ。
美しい衣をまとった男はにやりと笑い、
「ようこそ、ここは春帆峠の茶屋でござりまする」
見れば、すぐそばに古く小さな店が一軒建っている。
「少し休んで行かれたら、如何でござりましょうなあ」男は言う。
喜三郎はやや安心し、
「私もそう急ぐ旅ではない。よかろう、何か食わせて頂こうか」
それを聞いた男は喜んで、こう言った。
「ありがとうございます。こちらへどうぞ。この様な山奥の店ですので、そ
う大そうなものはお出しできませぬが、どうぞ、ごゆるりと」
喜三郎は男に手をひかれ、玄関ののれんをくぐった。店内はさほど広い造
りではなかったが、居酒屋の様なカウンターが奥まで続いており、内装もき
れいであった。
「さて、あなた以外客人は居りませぬから、どこでもお好きな席へ」男がに
こにこして喜三郎に優しい声をかけてくれる。喜三郎も今はすっかり安心し
て、カウンターの中央辺りにどっかと腰を降ろし、
「こう姉さん、熱いところを一本おくれでないか」
「ねえさん? この店には私しかおりませんでな。酒ならいくらでもござい
ますぞ」男が諭す様に言う。
「ああ、あんただけか。一本、たのむ」
まもなく一杯のコップ酒が目前に出された。 喜三郎はそれを あおる如く
一息に飲み干して、
「もう一杯」と怒鳴った。
「まあまあ。おや、あなた右手に、何を握っていらっしゃるんで」
「ああ、これか。よくわからないのだが、どこかから無意識のうちに持って
きてしまった様だわい。はあっはっは。拙者も馬鹿よのう」そのとき喜三郎
は、頭の中に、酒のほんのりとした酔いとは別の、何か得体の知れない暗示
の如きものを感じていた。
「ちょっと見せてごらんなさい。ははあ、これは珍しい。どうです、酒に沈
めて煮出してみては。ふぐひれ酒というのをご存じですかな。それと似た様
なものです」
喜三郎が答える暇もなく、男はモノリスを水で洗って、火にかけたとっく
りの中に沈めてしまった。
「おお、奇妙な事をする。大丈夫なのかね」喜三郎はけげんな表情をした。
「まあ見てなさい。ほら、いい匂いがしてきました。どれ、そろそろかな」
男は布巾でとっくりの口を摘み、どこからか盃を一つ持ってきて、優雅な
しぐさで注いだ。
「さあ、どうぞ。盃の底にあの石の破片が沈んでいるでしょう。これが風流
なんです」
「うむ。確かに風情が感じられる。しかし、酒まで黒くよどんで、異様な泡
が浮かんでいるではないか。体に影響はないのかね」
「おやあなた、そこがいいのではないですか。こういうのを飲む事こそ、粋
というものです」
「そう言われればそうだ。どれ」喜三郎はゆっくりと盃をあおった。苦かっ
た。 けれども ここで、苦いじゃないか等と 言えば、粋人としての面子が
潰れてしまうという、不可解な想念が脳裏をよぎって、
「いい感じです。こう、はっきりとしたコクがあって、変なくせもない」
「そうでしょう」
「うむ。いや、しかし。いや、しかあぁぁし! ああっ! われは今、モノ
リスを飲んだのだ! 最重要物品である、モノリスを酒に煮出して飲んでし
まったのだ」喜三郎の幻想は一気に破れた。
「畜生、気づいちまったな。こうなればもう、抹殺するしかあるめえ」
男は突然立ち上がって、カウンターの下から一丁の銃を持ち出した。
「この野郎、グー星人であるな。汝に負ける程稚拙なわれではないぞ」そう
叫んで、喜三郎も 椅子から 立ち、腰に下げていた日本刀で、狼狽している
グー星人の咽めがけて一突きを入れた。
「おおっ。やめ給え。やめ給え」グー星人は咽から紫色の血液を吹き出しな
がら、苦しそうに顔を歪めた。
「われも武士のはしくれ、情けはかけぬ」喜三郎は怒鳴りながら二度三度と
激しく斬り込んだ。グー星人の体は真紫に染まり、鈍い音をたててその場に
崩れた。
「これからわれはどうすればいいのか。モノリスは砕けて破片の様になって
しまった。いや、待てよ。破片でも何か役に立つ事があるかも知れぬ。持参
しよう」
喜三郎はとっくりの中から黒い破片を全部取り出し、懐のきんちゃくに収
めて店を出た。喜三郎は再び走り出した。全身全霊の力を込めて走った。そ
うして、走りながらつぶやいた。
「無意味かも知れぬ疾走。もしかしたら甲斐ない努力。これが青春だ。青春
だ。青春だ」
そのころ、峠の茶屋では、傷ついて瀕死のグー星人が、口元の無線機に向
かってこう叫んでいた。
「やられた。このポイントは失敗した。私は死亡する見込み。喜三郎は北へ
向かった模様。何故か彼は武士の真似をしていた。あとはお願いする。繰り
返す、このボイントは失敗・・・・・・」
続く