AWC 混沌 (弐) バベッティー


        
#1499/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (PKJ     )  89/ 3/29  13:46  ( 67)
 混沌    (弐)                 バベッティー
★内容
   井沢は落ち着きはらって、派出所の椅子に腰をおろした。取り調べ室
 などという厳粛な雰囲気の部屋ではなく、事務室の様な、仕事机が三つ
 ほど配置された雑然とした場所で、実際に、何人かの制服を着た男たち
 が、忙しそうに立ち働いていた。国道に面した窓からは、家路に向かう
 であろうたくさんの車が、次々と走り過ぎて行くのが見えた。
   「君は見たところ酔ってもいない様だし、何故あんな事をしたのだ」
 眼鏡をかけた、細長い体形の警官が、当惑顔で言った。
   「いや、本当に、すみませんでした。つい頭に血がのぼって・・・・・・。
 悪かったと思ってます。けれども・・・・・・けれども仕方がなかったのです。
 あの人は、私の身代りになったのです。あの人が傷つかなかったら、僕
 が傷ついていた。死んでいたかも、知れないんです」
   「ふざけてるんですか」
   「ふざけてなんかいません。どうぞ、僕を好きなようにしたらいい。
 どんな刑罰でも、僕は受ける。しかし、あなたは、僕を罰する時、同情
 の気持ちでしなければならぬ」また、例の発作である。「犯罪者が罪を
 犯すのは、その人間が弱いからなんだ。病人だからだ。ニーチェいわく、
 《反省は人間の最高の姿である》だ!  いっそ殺して呉れ!  ニーチェ
 の名のもとに、最高の姿のまま、殺して呉れ!」
   警官はぎょっとして、考えた。こいつ、おかしいのかも知れぬ。
   その内、別の警官が部屋に入って来て、細長い眼鏡の男から井沢の話
 を聞き、二人は何度かうなずいて、眼鏡は出て行った。夜勤と交代した
 らしい。
   その後長い時間取り調べが行われ、様々な忠告や警告を受け、井沢が
 釈放されたのは、明け方であった。最後に警官が言った。
   「誰が身元を引き受けてくれる人を呼びなさい」
   井沢はしばらく考えてから、唯一の友人である小野の名を挙げた。小
 野は、井沢の通っていたT大の、井沢と同じ学部に、現在も籍を置いて
 いた。
   こんな早い時間にもかかわらず、小野はすぐにやって来た。ただでさ
 え青白い元気のない顔を、心配そうにしかめて、息をきらしてやって来
 た。
   「何をしたんだ」小野は強い声で言った。
   「別に。ちょっと興奮して、まずかった」ばつが悪そうに、笑ってい
 る。
   二人は派出所の建て物を出て、日の出前の人通りのない道を歩きはじ
 めた。暁のどろどろした赤みが、周囲の家々を包んでいる。
   「もういい加減に、馬鹿な事はよしたらどうだ」
   「僕だってよしたい」
   「君はいつまでもそんな風にしておくつもりなのか」少しためらって、
 「そろそろ身のふり方を考えた方が、よくはないだろうか」
   井沢は一瞬眉間にしわを寄せ、返答の言葉を思案していたが、
   「考える必要はないと思うね。何故なら僕は−−この僕の人生が、あ
 まり気に入っていないから」
   小野は井沢の言葉の意味が解らず、少しの間、黙って歩を進めた。そ
 うして、話題を変えるつもりで、
   「早朝の鈍い明るさというのは、これは何度見てもいやなものだね。
 一日の始まりどころか、何か、世紀末のイメージがある」
   「そうだね。生きる事の、世紀末だ」
   そんな意味じゃない、と言おうとして、小野が井沢の顔を見ると、泣
 いていた。けれども、小野はその涙には気づかなかったふりをして、少
 し怒った様な口調で言った。
   「今日はこのまま家に帰って、もう出かけない方がいい。君は疲れて
 いるんだ」本気で心配しているのである。
   「ありがとう。面倒をかけて、すまなかった」
   小野は何度かふり返りながら、自宅の在るYという住宅地の方へ帰っ
 行った。一人残った井沢は、ほの明るくなってきた横町の道へ曲り、下
 宿屋にたどり着いて、部屋に入った途端、服も着替えず、畳の上で眠っ
 てしまった。

   その日は完全に眠り続け、夜中の十二時を回った頃、井沢は一度目を
 覚ました。小野に何か恥しい事を言った様な気がして、けれども何を言
 ったのか思い出せず、なんともいやな気分だった。彼はその不快感を紛
 らそうと、起き出して、机の上から煙草を取った。そうして、火をつけ
 て、一口吸った。暗い静かな部屋の中に、煙草の燃えるじりじりという
 音だけが響いた。ああ、煙草が燃える時にも音がするのだな、そう思っ
 たら、何かしきりに寂しく、井沢の気持ちは余計に減入った。
   数分後、彼は再び眠りについた。




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