#1391/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (HYE ) 89/ 1/28 22:10 (197)
仮タイトル PAPER LOVER (3) NINO
★内容
信彦の夜間の代行をする野島が部屋にやってくるまでの数分、アキコは野
島の秘書アンドロイドに記憶を渡す為に、頭の中でその日の業務を整理して
いた。信彦の方はアキコが気がついた時には、既にファイル等の整理を終え
ており、新しく提出された開発プロジェクトの報告に目を通していた。
「そろそろ交代だな。アキコ、整理は終わったか」
「はい、終わりました」
スルリと木目の壁が開き、野島が進み出る。
「それでは、頼むぞ」
逃げるように信彦はその部屋を後にする。アキコは野島に日中の業務や出
来事を掻い摘んで話しながら、彼の秘書へケーブルを介して詳細な記憶を送
る。軽い格子状のめまいがアキコをおそう。そしてその<連関>終了後に、
こめかみに走る激痛。だが、予めリミッターを効かせることはしない。アキ
コにとっては、ちょっとした快感だったからだ。
アキコは<連関>の儀式を終え、信彦が乗り込んでいるヘリに向う。最上
階と屋上を繋ぐだけのエレベータに乗り込む数メートルの廊下で、呼び止め
られた。
「はい、なんでしょう」
だが、そこに立っていたのは見知らぬ男だった。侵入者だ。アキコは動揺
して、警報のスイッチに触れる。ベルが鳴り、照明の色が変る。しかし、男
にはすこしも動揺したようすがない。
「もう、二度と強請(ゆすり)はしないよ。君とはもう、会うこともないだ
ろう」
ビリビリと響く警報の中で、男はそう叫ぶ。
「な、なんのことです」
赤に変った廊下明かりの下で、彼の目はどこかうつろに見えた。
「別れの前に顔を見に来ただけだ」
そう言うと男は走り出し、後を追う警備員と共に姿を消した。アキコはそ
の侵入者の顔を思い出しかけたが、信彦に呼びかけられて完全に呼び起こす
ことができなかった。
「私はなんともありません」
「そうじゃない。これだ」と頭を指差す。
「記憶は、盗まれていません」
「そうか。それならいい。後は野島が始末するだろう」
信彦の気にかけているのはアキコの記憶だけだ。信彦は人間もアンドロイ
ドも扱い方は一緒なのだ。役に立つか、そうでないか。
人間にも気付かないほど微かに表情が暗くなったアキコは、ヘリの操縦席
に座り、信彦とともに社交場という名の眠らない職場へ飛び立った。
冴木の経営するバーのカウンターは馬蹄形をしていて、私はいつものよう
に入口の反対側の席に座り、いつもの逆で直樹を待ちながら飲んでいた。
酒とタバコを交互にのみ、その周期をいくつか繰り返したあと、ようやく
ドアに奴の影を認めた。奴は明るい茶色をしたジャケットを着ていたが、表
情は暗かった。
「先に来てたのか」
直樹はそう言って、横のスツールに滑り込む。
「カオリの頼みを聞くことにした」
私がそう言うと、奴は注文を訊こうとしたバーテンダーを制して、
「やめろと言っておいただろう。今からでも遅くない、やめろ。あまり関わ
るな」
「なぜ。根拠はなんだ」
「言えない。いくら頼んでもな」
沈黙が訪れた。奴は仕草で注文した。私も同様だった。奴の頭のなかでは
記憶増進症にかかった患者のように、繰り返し繰り返し彼女の隠された秘密
が浮かんでくるのに違いない。そして、それを忘れるために飲んでいるのだ
ろう。
杯を重ねていくうち、直樹は言った。
「お前は、アンドロイドが人間ではない理由を知っているか」
「……分らない」
「そ、れ、は、だ」
私より強いはずの奴が、今日は先に酔っていた。
「人を殺すか、殺さないかだ」
「それも絶対的じゃない」
「良く分ってるじゃねぇか。たかがカウンセラー兼エンジニアーのくせによ」
「何が言いたい」
「……俺怖くてよ。怖くてたまんねぇんだ。カオリは、もう人間への一線を
越え始めている」
そう言うと、奴は目を閉じてグラスをあおる。直樹は急に私の襟首を掴む。
「え、どうすんだよ。おめぇは。俺が殺されちまったらよ。何か言えよ」
私は答えることが出来なかった。
アンドロイドの”こころ”が、人間のような危ういバランス保った形にま
で進化できるのかどうか、分らない。が、事実、直樹の言う通り特種アンド
ロイドが職を放棄して何ヶ月かの放浪のあと、人を殺したという事件はいく
つもある。記憶の分離に関しても、感情やこころの問題にしても、アンドロ
イド開発者であった天才、ロジャー・バイベルにしかわからないだろう。バ
イベルもその研究に関しては、なんら記述をしないまま亡くなっている。記
述を残したとしても、闇エンジニアーには到底理解できない謎だろう。
直樹はカウンターにうつ伏せになり、眠りかけている。今日はこのくらい
にして帰ろうと言うと、奴はうなずいて立ち上がる。肩を貸してやり、店を
でると奴の為にタクシーをとめた。
直樹はタクシーに乗る間際に言う。
「おい、俺をアンディーの運転するタクシーに乗せる気か?」
私が行き先を指示してやり、奴は乗り込むと窓を開け、歩き出した私に言
う。
「俺を殺したいのか。おい、てめえ、藤原、ちゃんと始末しねぇようなら、
俺が「「」
車は加速を始め、舗道にいる私は最後まで聞き取れなかった。
もう何日目になるだろうか。直樹はふとそんなことを考えた。彼は街の雑
踏のなかを、家に帰るわけでもなく、勤める病院に向うわけでもなく、ただ
無目的に歩いていた。唯一、彼が求めているのは酒だった。わけもない不安
を吹き払ってくれる酒だった。
雑踏の中を流れるのは、夢見るような目をした人や商品を眺める人たちが、
明るい笑い声をさせ、活気に満ちた表情を見せていた。
直樹はその中を歩く恋人たちを見つけ、問いかけてやりたかった。お前の
恋人は確かに人間か、と。IDカード一枚でそれを人間と認められるのか、
と。
中央通りの果てしない人の流れの中を、だらしなくジャケットを引っ掛け
た格好のまま、直樹は歩いた。天井が高く、全体に丸みを帯びた中央通りは、
いつも彼にクジラの腹の中を思わせた。そして、通りの店から絶え間なく出
入りする様々なアンドロイドは、まるで捕まえるように客を引き込み、消化
していく。その人影から短い髪の女を見つける度に、彼は脅え、それが追っ
てこないと分るまで逃げ回った。
直樹はいつのまにか中央通りを離れ、Dウイングへの通りを歩いていた。
両側の覆う広告と商品ディスプレイから洩れる光に、彼は目を細めて先を見
詰める。だが、常に改修を繰り返すその通路の先は、右に左に折れ曲ってい
て、エスカレーターや階段があるだけだった。
直樹は泥酔していたが、常に背後を歩く何者かがいることに気が付いた。
周囲に人がいる限りは、奴も手出し出来ないはずだ。直樹はそう思ったが、
すこし歩みを早める。角を曲がり、階段を上り下りする度、直樹は速度を上
げていく。
だが、不意に彼の前を塞いだ壁は、フューチャー・ヴィークル社のドアだっ
た。
私とカオリの一週間は、瞬く間に過ぎ去った。それらの一日の半分は作業
台の上で行なわれる、反射解析と詳細な脳位図の作成だった。私は毎日の習
慣の一部を改めていた。直樹と飲むのを止めたのだ。その代りに昼間、カオ
リと出かけることが多くなった。
そして、カオリから”はねっかえり娘”のような口調が消えていった。私
がどうしたのか尋ねると彼女は、あれは演技だったと答えた。丁寧な言葉で
は、私が記憶を消したくなくなるかも知れない。そう思ったからだ、と言っ
た。私は以前の言葉遣いでも、今の言葉遣いでも、どちらでも良かった。
カオリは私のところに来る他のアンドロイドとは違い、仕事を放棄してい
なかった。カオリの勤める病院は、夜だけ行けば良いらしく、私は彼女の支
払能力の点で、心配をする必要がなかった。彼女は最初の会ったときより、
幾分か状態が良くなっていた。逆に言えば、人間にさらに近付いてしまって
いるとも言えた。それに私は危険と感じなくなっていたのだ。街へでたり、
遊園地で遊んだりしている時のカオリの表情は、いままで付き合った誰より
輝いて見えるのだった。作業を中断して外へでるのは彼女の為というより、
むしろ自分の為だった。
私はその間も、消去して欲しい記憶の事、つまり直樹とカオリの関係につ
いて、私からは何も尋ねることができないでいた。怖かったのだ。その事を
尋ねた時点で、カオリとの関係が終わってしまうのが。
その一週間が終わろうとしている日の午後、カオリは言った。
「もうそろそろ、消して欲しい記憶のことを話さなければならないわね」
私は作業台に横になっているカオリを横目で見ながら、マルチ・ノートの
上の指を動かしていた。指が震えるかもしれないと思うと、その作業を止め
ることができなかった。
「それは、ある男との記憶よ「「」
「田中のことか」
「……そうよ」
私はずっと、カオリの記憶を覗いていたのだ。彼女の記憶のなかでもっと
も重く、暗い色をした思い出、記憶の事を。それを削除して欲しいと言い出
すのは、初めから解っていたことではなかったたのか。私は自分にそう言い
聞かせ、ノートの上で震える指を止めようとした。
「直樹と出会ったのは、ある人の付添いで彼の病院に行った時よ「「」
「わかっている。わかっているから……お願いだ。その話はしないでくれ」
「いえ、聞いて欲しいの。接続端子からではなく、私の口から出た言葉を」
その強い口調に、私は耳をふさぎかけた手を下ろした。
「私は待合室でその人の診察が終わるまでまっていたの。その時、田中が、
直樹が声を掛けてきたのよ。てっきり人間だと思っているのだと思い、私は
面白半分に話を聞いたわ。アンドロイドを酷く差別をしている人間が、どの
くらいで私がアンドロイドと気が付くかってね」
カオリは作業台をおりて、丸椅子に座った。
「馬鹿だったわ。声を掛ける前から、直樹は私がアンドロイドだと知ってい
たのよ。当たり前よね。彼は医師だもの。特種アンドロイドは見慣れてたは
ずよ。
でも直樹は私をアンディーに対してそうするようには、扱わなかった。私
は彼が本当に私を人間と見ていると信じていたの」
「直樹らしいやり方「「」
「黙って」
彼女の耐えきれずに私はタバコを取り出し、火を点けた。
「人が人に対しての愛とか恋とかの感情を知りたかったのよ。初めはからか
いの気持ちだったけど、私は次第に真剣になっていったわ。そして、より深
く知る為に、彼の奥さんにも会ったのよ。奥さんは、私がアンドロイドだな
んて知らなかった。いえ、知っていたのかもしれないけど、それはどうでも
いい事だった。奥さんの前で、私は彼との出来事を、どうやって私を抱いた
かまで、私は事細かに彼女に話したの」
なんてことをするんだ、と私は思った。が、現代の女性がその程度の話し
で動揺するとも思えなかった。おそらくカオリもそういった考えであったの
だろう。
「私はその時、嫉妬という言葉の意味を知ったわ。彼女は直樹を奪われるな
ら、他人を傷つけても構わないのよ。法や社会の秩序など彼女の前では吹き
飛んでしまうの」
それは相当なショックだったに違いない。アンドロイドにとって法や秩序、
慣習などは感情移入と並び、こころの強化される部分だからだ。
「アンドロイドには、それほどまでに何かを愛する情熱はないわ」
「だから君は、そこを変えようと努力した」
私は人間に近くなっているカオリの脳構造を思い描く。
「ええ、そうよ。私は変わっていったわ。そして、私のしたことが、どれだ
け彼の奥さんに苦痛を、侮辱を味あわせたかが分ったのよ。それと同時に、
その醜さも、汚さも分った。そうゆう人を殺すまで思い詰めるような心の危
険な部分は、私のなかの強化された部分と激しくぶつかったわ」
「……私のところに来たということか」
吸わないまま長くなったタバコを揉み消そうとした時、突然カオリのバッ
グからベルの音がした。いつもの呼び出しだった。
「……じゃあ、明日」
「ああ」
私は、彼女の顔を見ないでそう言い、別れた。