#1392/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (HYE ) 89/ 1/28 22:28 (176)
仮タイトル PAPER LOVER (4) NINO
★内容
フューチャー・ビークル本社ビル最上階の窓は暗くなっていた。そして一
人の女性が「「アキコが部屋に倒れている。あの人からの手紙がこなくなっ
て三週が経っていた。坂上信彦はおもむろに手紙を取り出した。暗唱できる
ほど読み返しているのだが、それを読み返さねばならないほど、信彦は新し
い手紙を切望していたのだ。
彼が菖蒲崎圭子というその名から連想するすべてが、そこに記されている
と言ってもいい。若さ、華やかさ、美しさ、上品さ。霞のかかった池のほと
り。現れるあやめ色をした和服姿の一人の女性。整った顔だちのなかにどこ
か暗い影がちらりとのぞく。あくまでそれは想像の産物に過ぎないのだが、
信彦は信じていた。それらの幻想はすでに、彼のなかで現実を遠く越えたも
のとなっていたのだ。
そして信彦はその文章が終わりに近付くと必ず手が震え始めた。その手紙
の最後の方にはこうあった。
……私は今まで愛と言うものを本当に理解してはいませんでした。愛
という文字は書けても、その中身を知らなかったのです。そして私の
中にある感情をお知りになった時、貴方はひどく傷ついてしまうかも
知れません。そうでないとしても、別れはすぐにやってきます。です
から、もうお手紙は……
アキコが再び立ち上がるまでの間、信彦は自分の書いた返事になにか彼女
を傷つけるようなことがなかったかと、思いをめぐらせた。そしてアキコが
起き上がる様子を見せると、彼は夜間代行の野島から受け取っていた報告書
に目を通し始めた。今朝言った野島の一言を思い出したからだった。読み進
むうち、信彦は圭子のことなど考えてはいられなくなった。非常事態が持ち
上がっているのだ。へたをすれば社の存続に関わる程の。
「アキコ、下がってなさい」
信彦はいつもより自分の声が高くなっているのに気付く。
「書類の整理が「「」
信彦は主人に歯向かうような特種のアンディーを使っている苛立ちを感じ
た。
「後回しだ」
アキコは部屋を出る。信彦は報告書の内容に腹がたっていた。野島の秘書
アンドロイドの裏切りだ。経営戦略その他の情報を流したらしい。そして情
報を手に入れた男が強請(ゆすり)を掛けてきたのだ。野島だけを責めるこ
とは出来ない、奴は良くやっている。たとえそれが自分であっても、アンディ
が裏切るとは考えもしないだろう。野島は出来る限り信彦に気付かれないよ
うに処理するつもりだったらしいが、奴は詰めが甘い。信彦はファイルに朝
の内に目を通さなかったことを後悔した。
秘書であるアンディーは抑えてある。ゆすりを掛けた男も捉えた。後は残
る一人をどう処理するかだ。おそらく情報を握っているのは、そいつの方だ
ろう。とすると、捕まえている暇はない。すぐに処理してしまわねば、取り
戻せるものも取り戻せなくなる。その方法を考えると同時に、信彦は自宅に
ある拷問の道具を頭に描き、最適で残忍な方法を探した。
部屋の壁が開き、信彦はそこを睨みつけたが、入って来たのは野島だけだっ
た。野島は信彦が手にしているファイルを見ると言った。
「申し訳ありません」
「済んだことはもういい。それより、連関記憶者であるアキコはこの事実を
知っていると思うか」
「私には分りかねます」
それがこの重大事を自分一人で処理しようとしてきた奴が言う言葉か、と
信彦は思う。
「お前の意見を聞いているんだ」
「私は記憶の転写に際してそんな情報まで含まれるとは思いません。もしそ
こまでアキコが知っているのでしたら、事は大きくならない内に始末出来た
はずです」
「それから、この前の侵入者はこの人物なのか」
「はい。捉えた方の男です」
「じゃあ、どうしてその時に私に知らせなかった。あの後、片は付いたと言っ
たはずだぞ」
「すみません」
野島は顔を紅潮させて言った。
「まあ、いい。私が処分の方法を考えた。この二人を一度に処理してやる。
それから万一うまくいかなかった場合に備え、警察に手を回しておけ。お前
の許容金額の倍までは使っていいからな」
「はい。分りました」
「お前の業務は、当分アキコにやらせる。さっさと出ていけ」
野島が出ていき、替りに入ってくるアキコとすれ違う。野島の目が一瞬、
憎しみと敵意に満ちたものに変る。アキコはその目を見て取り、不安な表情
をつくる。
「今日から当分の間、私に付きそう必要はない。夜間はお前が野島の替りだ」
「なにかあったのですか」
「詮索せんでいい」
信彦は部屋を出てヘリのパイロットとして第一種のアンディーを一体、呼
び寄せると捉えた男と野島の秘書アンドロイドの処理に出かけた。
カオリが仕事へいった後、私は直樹に会いたい気分だった。そして一週間
のあいだに忘れかけていた習慣を再びもとへと戻し、冴木のバーに行った。
だが、直樹はいなかった。グラスを重ね、私一人のために用意してある灰皿
にはタバコが溜まっていった。そのうち、いくら待ってもこない直樹に怒り
さえ湧いてきていた。
若いバーテンダーは何も知らないと言い、私は冴木を呼べと言った。冴木
は直樹と同じで丸い眼鏡を掛けている。血のつながりはないのだが、直樹と
そっくりの顔だった。たった一つ、直樹と違うのは口髭を生やしている事く
らいだった。
「いや、直樹はここんとこ来てないんだよ」
ぼそぼそとした口調で冴木は言う。
「どれくらい」
おそらくあの晩別れた時からだろう、と私は返事を予想していた。
「一週間だね。きっかりかどうかは責任もてないけど」
私がカオリとどうなっていくか、直樹は知っていたのかもしれない。けれ
ど、私は直樹のような関係には断じてなっていない。私がアンドロイドを抱
けるものか。抱いたとしても、その意味は妻のいる直樹とはまったく別のも
のだ。
先日直樹と飲んだ夜とは逆に、カオリに狂わされ、酒に頼っているのは私
の方であった。
例によっての二日酔いで、重い頭を抱えながら自分の相談所に帰ってくる
と、ドアが半開きになっていた。恐る恐る中を覗くが、誰もいない。盗まれ
るようなものは何もないのだから、その点では安心なのだが、こうなると盗
みではなく別の理由で忍び込んだに違いない。いっそう不安は募るが、仕事
上、警察を呼ぶことはできなかった。
事務室に入ると、私は音を立てないように用心して引き出しを探る。用心
の為に隠していた銃を取り出すのだ。引き出しは全てきちんと閉じたままで、
荒された様子はない。
体を低くするようにして、私は奥の作業室へ向う。唸るような低い声が聞
え、作業室に入るのを一瞬ためらう。
私はドアを蹴破り、不格好に両手で銃を構える。デスクの上は紙切れやそ
の他電子機械類がめちゃめちゃにされていた。
「誰だ!」
うずくまる人影、右手には銃を握っている。その首筋からはケーブルが出
ていて、マルチ・ノートに繋がっている。
「直樹!?」
その後姿は直樹に違いなかった。だが、床に散っている血に気が付き、私
はそれ以上近寄る事が出来なかった。
「どうしたんだ、直樹」
『……俺を殺してくれ』
振り返った奴の口は動きもしない。声は繋がったマルチ・ノートから聞え
て来る。
『はやく俺を殺せ』
直樹がそう言いながら、ゆらりと立ち上がる。不気味に変貌した奴の顔。
目を押さえる左手は血で染っている。私は人が違ったようにその姿に目を奪
われていた。アドレナリンが哮り狂っているのに、こころは不思議に落ち着
いていた。
『俺を殺せ。そうしなけりゃ、俺はお前を殺すぞ!』
直樹の右手は震え、腕が上がるのを必死に堪えていた。
『お前の機器を使えば、俺に埋め込まれた機械の命令を変えられると思った
んだ。だが、駄目だった。お前を殺す以外の事を考えようとすると、目の奥
が突然痛くなって……俺の手は自分の目をくりぬいていた』
「誰だ、誰なんだ、お前にそんな事をしたのは……」
『フューチャー・ビークル』
直樹の右腕が次第に上がっていく。片目を押さえていた手を離し、私を狙
う右手を押さえる。左目の窪みからポロリとつぶれた眼球が落ちる。その窪
みは肉が裂け、骨が見えている。
「カオリはどうなったんだ」
『処分されるだろう。それより、早く俺をその銃で「「』
右の指が痙攣し、銃声が響く。私を撃つ代わりに、直樹は自分の右足を打
ち抜いたのだ。
『自分自身を殺すことも構わないような状態なんだ。……はやく俺を楽にし
てくれ』
判断が一瞬でも遅れたら命取りだ。迷っている場合ではないはずだ。しか
し……
そして私は、さっきから見開いたままのまぶたを閉じ、そして、ゆっくり
と目を開けた。そして、銃口を奴の頭に向け引き金を引き絞った。
飛び散り広がる血や肉の破片、それら全てが視覚/聴覚/触覚で感じられ
たように思えた。崩れ落ちる直樹の姿は悪趣味な人形に思え、ノートから出
た最後の言葉は無気質に部屋に響いた。
私はその壊れた人形を抱きよせて、何か言ってやることもできなかった。
ただ、私はその繋がれたマルチ・ノートを拾い上げ、そこに記された直樹の
言葉を読んだだけだった。『俺にはまだ爆弾がある。ここを早く離れろ、藤
原。死ぬんじゃないぞ』その後には、まだ続きを要求しているようなカーソ
ルが点滅していた。
何処かにこの悪夢の出口を探すように、私は部屋を飛び出して階段を走り
下りた。それは爆発の恐怖と言うより、自分のしてしまったことに対する恐
怖だった。廊下を駆け抜けてくる、後悔と恐怖が混然となった衝撃に私は飲
み込まれそうだった。
ビルの入口を抜けた時、目の前にカオリがいた。
「カオリ!?」
そう口にしたものの、その女はどこか違う。すべてがカオリに良く似た模
造品のように思えた。フューチャー・ビークルのモーター・サイクルに跨がっ
た女は言った。
「はやく後に乗って。狙われてるわ」
「お前は……カオリじゃない」
「そう、カオリじゃないわ。でも、あなたの味方よ」
「俺はお前が誰だと聞いて「「」
「伏せて!」
低空をヘリが舞い、アスファルトに弾丸が二列に走る。
「乗りなさい!」
私は言われるままにバイクに乗った。正面には音も立てずに白黒に塗りわ
けられた警察のヘリコプターが空に止まっている。いきなり彼女は、振り落
ちてしまうほどバイクを傾けてターンする。加速しながら左に傾けたバイク
から直樹の最後の炎が見えた。