#1377/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (AMJ ) 89/ 1/22 9: 6 (157)
お題>女子高生とカレ−ライス(前編) NEPTUNE
★内容
副題:「薄野物語」(前編)
PART−1
突然の死だった。
医者は心筋梗塞だと告げた。
城北高校一年 八木沼理恵は、母恭子を失った。
二月の札幌の冬の寒さが、いけなかったらしい。
父の誠三は、遺体にすがり号泣したが、理恵は涙が不思議とでなかった。
母の存在が余りに大き過ぎて、「死」という冷厳な事実を未だ受け入れるこ
とが出来ずにいたせいもある。
通夜。
「理恵、もう寝た方がいい」
「もう少し、母と一緒に居たいの」
「そうか・・・」
誠三は、それ以上は何も言わずに部屋から出ていった。
理恵は、ゆっくりと立ち上がった。
「お母さん・・・」
お棺を開ける。
母の顔を見ているうちに、ふと幼い頃の記憶が蘇る。
理恵は、恭子とお風呂に入っていた。
「これ、な−に」
太股の蛇の刺青。
「これ?」
母は寂しそうに笑った。
「あなたが大きくなったら教えてあげる」
それっきり母は、一度もその事に触れることはなかった。
お棺の母の顔は、静かだった。
恭子の太股を探す。
「あった・・・」
不思議な感動が理恵の中に広がった。
理恵の知らなかった過去が蛇の刺青に凝縮しているような気がした。
母としてではなく、恭子として。
記帳の中で、父の誠三と、理恵が知らない名前は二人いた。
一人は、恭子の趣味である生け花の関係の女友達だった。
もう一人は、薄野のバ−<のすたるじっく>でピアノを弾いている男、名前
を狭山良介といった。
PART−2
薄野が黄昏に染まる頃、狭山良介は場末のピアノバ−<のすたるじっく>に
やって来る。
<のすたるじっく>とは、聞こえはいいが、本当に小さなバ−である。
とまり木に10人も座ればそれでおしまいというバ−である。
5年前からこの店で、良介はピアノを弾いている。
汚くて、給料が安くて、人使いが荒いと、悪い条件が三拍子揃った店だった
が、良介は一言も文句を言わなかった。
マスタ−が冗談混じりにこういったことがある。
「良ちゃん、こんな店よりもっといい店があるよ。良かったら紹介してやる
よ。どう?」
「いけませんか、ここに居ては」
真面目に良介が答える。
「いや〜、僕はいてほしいんだ。評判いいしね。でもあんまり給料出せない
しさあ」
「もうしばらく置いてやってくれませんか?」
ふと、意地の悪い考えが頭に浮かび聞いてみる。
「こんな店のどこがいいの?」
良介は、伏し目がちに、
「札幌に居たいんです。まだ・・・」
というので、マスタ−もそれ以上聞くのをやめた。
何か、事情がありそうだった。
そこまで言われては、マスタ−としても何も言うことはない。
特にこういう商売では、過去を聞かない、明かさないというのが仁義だ。
それに、マスタ−が良介に居てほしいというというのは、あながち嘘ではな
い。
良介は客の間では評判が良かった。
どこが上手いという訳ではないが、良介のピアノには味があった。
先日も、
「あの、ロマンスグレ−のピアニストにこれをあげて」
見ただけで水商売とわかる派手な衣装と濃い化粧の女性が金のネックレスを
マスタ−に差し出した。
「昔のパパ(パトロン)に似てたの」
聞きもしないのに、その女性ははにかみながら言った。
マスタ−がそれを良介に手渡すと、
「そうですか・・・」
それだけだった。
本当にそっけなかった。
良介は女性に向かって軽く会釈すると、また静かにピアノを弾きだすのだっ
た。
こうして、場末の小さなバ−<のすたるじっく>は、良介の人気で細々とで
はあるが、営業していくことができた。
PART.3
良介がピアノを弾いている。
理恵がとまり木に座っている。
静かな曲ばかりだ。
ジャズのスタンダ−ド、<想い出のサンフランシスコ>とか<酒とバラの日
々>とか。
あとは、サティ。
「ねえ、君。若いねえ。高校生?」
マスタ−が理恵にきいた。
理恵は良介を指差した。
「あの人に、大事な話があるんです」
「また、良介?大事な話?良介の奴、こんなに若い子迄手えつけやがって」
「手なんかつけられてません!」
「そうだよね、そんなことあるわけないか」
マスタ−は急に機嫌が良くなった。
「もう一杯、クリ−ムソ−ダ飲む?」
「マスタ−、いくら口説いても無理だよ」
客の一人が呆れていった。
「口説いちゃいないよ、注文きいただけじゃない」
くくっと、理恵が笑った。
「じゃあ、今日はこれで」
良介が客に会釈し、立ち上がった。
あわてて、理恵は支払おうとする。
「ああ、金はいいよ。いいの、いいの。今度からね」
「やっぱり、口説いてんじゃないの?」
マスタ−が客の頭をこづいた。
「あの−」
良介の後ろから、理恵は声をかける。
良介は答えずに、どんどん歩いていく。
理恵はしようがなくついていった。
廃墟のような、誰も使っていないビルがあった。
(こんなところに、住んでいるのかしら?)
良介は、ビルに入っていった。
「どうしよう」
やはり、理恵は高校生である。
一人で入っていくのには気が引けた。
「やっぱり、帰ろう」
理恵が帰りかけたとき、
突然、ピアノの音が漏れてきた。
サティのような、静かな曲ではない。
激しい曲だった。
およそ<のすたるじっく>での物静かな良介を想像することは出来ない。
「でも、ちょっとだけ覗いていこうかな」
広い部屋。
淡い室内光。
中央の古びたスタンウェイのピアノ。
鍵盤を叩いている情熱的な良介。
ソファ。
「ああ・・」
理恵は息を呑んだ。
一時間ほども弾いていただろうか?
良介は、放心したように鍵盤につっぷした。
そして、泣きはじめた。
「帰ってくれ、頼む」
理恵がいた事を知っていたのだ。
「ごめんなさい、盗み見するつもりじゃなかったんです」
慌てて、理恵は言った。
「いや、帰らないでくれ。悪かった。そこに座ってくれ」
感情が落ち着いたようだ。
理恵は後ろのソファに座った。
「君の名前は?」
「理恵といいます」
「理恵さんか。いい名前だ。この間お会いしたね」
「この間は、通夜にきて頂きまして・・・」
理恵は頭を下げた。
「何が聞きたいんだね」
「母とあなたの関係のこと。母の太股にあった刺青の事」
「どうして、そんな事を知りたい。もう終わったことだ・・・」
「終わってません!私にとっては。お願いですどうしても知りたいんです。
母の過去を」
みるみる理恵の眼に涙が潤んでくる。
「母が好きでした。だから、まだ死んだことが信じられない」
「私も、君のお母さんが好きだった」
良介は静かに話しはじめた。