#744/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (YGE ) 88/ 2/ 9 1:19 (143)
■ 彼女が待っている ■
★内容
昨夜の底冷えは異常なほどだった。仕事を終えた俺は彼女の待つアパートへと
一路向かう、5分ほどの短いアイドリングが終わり軽くアクセルを呷るインジェ
クションからワイヤーのリンケージを通り足の指先に16BEETの乾いたサウ
ンドが伝わってくる、自分の手足と化したAE86はいつも俺を暖かく向かえて
くれる、ひたむきな車への愛情が伝わるのだろう。
水温計は約80度を差し油温も130度まで上がる。早く走れと云わんばかり
に挑発する。俺はそんな車に答えるかのようにサベルトの5点式シート・ベルト
を締める、使い込んだグローブは俺の手を優しく包み込む軽くステアリングを握
り左手をそっとギアレバーに差しのべる、決して軽いタッチではないがローに入
れる感触は気持ちがいい、強化されたクラッチを静かにつなぐ、クロスしたミッ
ションは低速の発進にぎこちなさが残る。
いつも通る色あせた道も一つの標的が見つかるとそれは一変して素晴らしい公
道サーキットと化してしまう、100Kmほどのスピードで軽く走る、何千回と
通った道はアスファルトの傷や繋ぎ目まで頭ではなく身体で覚えてしまっている
自然に切るステアリングはそんな荒れた路面をも無意識のうちに回避してしまう。
この道には色々なドラマがあった名勝負もあった、ときには道を愛すばかりか
この道と共に醒めえぬ眠りに就いた者もいた。
意識の中から道路がなくなり体だけで運転をしていた時間が過ぎる、ルームミ
ラーから一条の光が見えた、およそ速度の見当はつく、だが今日の標的はいつも
と違うことはすぐに分かった。耐久をイメージした2燈のブルーハロゲンが強烈
な勢いで近ずく、2台がならぶそれが示し合わせた合図のように一斉にフルスロ
ットルに入る、ヨシムラFULLチューンで武装したGSX−R1100は集合
マフラーから王者の叫びにも似たエクゾーストノートを響かせ強烈な加速をしめ
しAE86を後方に追いやる。いくら TOM’SチューニングのDOHC16
VALVE TURBO 4AGといえどもパワーウエイトレシオ=2Kgを割
ったスーパーバイクにはかなわない。一瞬戸惑いを感じた、「これ程まで置いて
行かれるのか」気を取り直し追撃体制にはいる。
やや短い直線が終わり先行したGSX−Rが赤いテールランプを従え右コーナ
ーに消えて行く、距離にし100m位の差か、「これなら行ける」いつしか心の
中で呟いてしまった。そしてステージは底中速コーナーが続く通称(cliff)
へと突入する、この区間はスピードこそあまり上がらないが あだ名が示す通り
少しのミスも時として命取りになってしまう。シビアなドライビングが要求され
る、ましてバイクでこの区間を気違いじみたスピードで走るものなど誰一人とし
ていない、心に多少の余裕を残しながら1つずつ丁寧にコーナーをクリアーして
行く、軽いブレーキングドリフトを使い最小限に抑えたスリップアングルで回る、
大地にしっかりと支えるレーシングPOTENZAは悲鳴ひとつ上げずグリップ
する。「もうそろそろGSX−Rのテールが見えてもいいはずなのだが」、地元
スペシャルにしては速すぎる。焦りの色がみえてくる。テールがなかなか見えな
い、cliffが終わろうとしている。
ステージ1も終盤に入ろうとしているとき、一瞬自分の目を疑ったGSX−R
との距離は縮むところか逆に開いていた。脳裏に敗北の2文字がかすめる、あた
かも自分の庭のように走り回ったワインディング・ステージで負けるわけにはい
かない、敗北の2文字は有り得ない、焦ればあせるほどコントロールが荒くなる
残すコーナーは3っだ、気を取り直し残りのコーナーを全速で試みる、おおよそ
今までに体験した事のない凶器のスピードである。もう何も考える暇などない、
だが心の奥で俺をこれ程までに熱くさせてくれたGSX−Rに感謝の気持ちが湧
いていた。
最終コーナーが近ずくクリッピングをいつもより奥にとる、親指の腹で優しく
そして力強くブレーキングする、云うまでもなくヒール&トウの絶妙なコントロ
ールで前輪へ荷重を移す、次の瞬間リアのトラクションが抜け一気にテールを振
り出し、自分の操作しえる最大のスピードで旋回する、ドリフトアングルが思い
通りに運ぶこの上ない幸せを感じる。最終コーナーがすぎ直線に出る、脱出速度
で直線の伸びがまったく変わる。「ちくしょう」果敢なアッタクも空しくGSX
−Rとの差は変わってはいなかった。そしてこの先上りになる、ますます車にと
っては不利な条件と変わっていく。
cliffが終わり2台の差はほとんど変わらないまま第2ステージへ入る。
通称(an echo)このステージは上りが続く中速以上のコーナーの連続で
ある、それ故ドライビングテクニックは勿論のことそれ以上に絶対的なマシンの
差が現われてくる。
ここで両車の詳しいスペックを紹介しよう。
SUZUKI GSX−R1100R
エンジン DOHC4気筒16VALBE
ヨシムラFULL TUNE 1108tトルネード
通称1200 BONNEBILL
MAX POWER 180ps
MAX TORQUE 12.5Kgm
MAX SPEED 305Km/h
0− 100Km 3.20sec
0− 400m 9.87sec
0−1000m 17.90sec
おおよそ地上で走れる二輪車の中では最速を誇る。
走る、曲がる、止まるどれを取っても1級で、アメリカの熱い風を思
わせるBIKEである。
TYOTA E−AE86 TRUENO
FR RIGHT SPORT の最終MODELである。
エンジンベース 1600tDOHC4気筒16VALBE
トムスFULL TUNE 1789t TWIN TROBO
MAX POWER 360ps
MAX TOROUE 34.5Kgm
MAX SPEED 285Km/h+∞
0− 100Km 4.70sec
0− 400m 11.87sec
0−1000m 20.26sec
グループA仕様など足元にも及ばぬ絶対的動力性能である。
フレームはモノコックから作り直され足廻りはWウイッシュボーンで
武装され、ボディーに至ってはグラスファイバーを使用して極限まで
軽量化されている。羊の皮を被った狼とはまさにこの車に与えられた
言葉のようである。
俺は焦っていた、もうこれ以上の差は許されない取り返しが付かなくなる、と
りあえずこのステージは慎重に付いて行く作戦に変更した。だが走りはどことな
く生彩を欠いていた。
ふと我に帰る「俺はいつからこんな弱気になっのだ」今までこれほど苦渋を飲
んだレースはないが今までの俺じゃない、いつしか敗北を嫌うばかりに守りの走
りになってしまっている。
2台のマシンが猛烈な勢いで暗闇のan echoを駆け抜け行く、決してギ
ャラリーなどいる訳でもないが、自然のうちに道路沿いの木々達が熱い声援を送
る、そして声援が木霊して森じゅうに響きわたり大歓声えとかわる。
登り、自己のコントロールしえる最大限のスピードで一気に駆け上がる。前を
行くGSX−Rはもう自分の眼中には無い、今あるのは精密機械にも似たドライ
ブテクニックと一瞬も気を許さないとぎすまされた神経だけが自分を覆っている。
不利なan echoもいつしかGSX−Rに無言のプレッシャーを掛け始め
る、登りもそろそろ峠付近にさしかかる、奴との差が幾らか詰まりはじめた様な
気がする、奴とて生身の人間だこれほどのハイペース、ハイスピードにもう神経
はいかれ始めているころだ、「もう少しの辛抱だ」自分に言い聞かせる、ここを
過ぎれば下りで、奴にとっては不利なステージになる、この下りで前に出なくて
は先にゴールへはたどり着けない、いよいよ下りに突入する。
130R左コーナー、80R右コーナー、150R左コーナー派手なアクショ
ンは使わずグリップから、ややドリフトぎみのコーナーリングで抜けていく、一
見地味に見えるかも知れないが確実で一番速い、前を行くGSX−Rのテールが
視界に入ってきた、一段とスピードを増す。
やっと奴のテールを捉えた、奴の隙をみてアウトから攻める、さすが下りの4
輪は安定性が良い、だがコーナーの出口で並びかけるが立ち上がりでどうしても
置いて行かれてしまう。こんな繰り返しではどうにもならない、決着を付けるの
はもうあのコーナーしか無い。最終コーナー300Rそして1Kmの直線ゴール
は喫茶クルーの前だ。
最終コーナーが近ずく2台とも200Km以上のスピードで突入する、GSX
−Rはおそらく限界のコーナーリングである、アウトへでる奴に並びかけるそし
て抜きさる。この一瞬をどれほど待ち続けたか、奴をどんどん引き離す、コーナ
ーの出口が見えてきたエンジンに鞭を入れるオーバーレブ手前までブン廻すアク
セルは床につき右足が硬直するGSX−Rが迫ってくる、残りは500m程だ奴
が並びかける少しずつ空気の壁を突き破り加速する、鋭さは無いが徐々にスピー
ドを上げてくるゴール間際だ奴が並ぶ、一気に抜き去る力は無い、頭の中が空っ
ぽになる。この10数分に満たないバトルがこれ程までに永く感じられるとは、
「Thanks」いつしか奴に感謝の念を抱いていた、奴もまた俺と同じ事を考
えているのではないか.....「Thanks」。
彼女が待っている。