AWC 長崎見物と将棋大会 (1)    [竹木 貝石]


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#323/566 ●短編
★タイトル (GSC     )  07/11/04  00:04  (211)
長崎見物と将棋大会 (1)    [竹木 貝石]
★内容                                         07/11/04 00:35 修正 第2版
(下記の文章は、記憶を頼りに書いたので、間違いが多いかも知れません。)

   10月26日(金)

 一ヶ月以上も前に、将棋大会参加の手続き、およびホテルの予約を
済ませ、飛行機と列車の切符も買って置いたので、昨日は荷物をまとめて
出かけられるよう準備を整えた。
 それでも今朝は時間ぎりぎりに家を出て、妻と二人で新守山発6時
32分の電車に乗り込み、勝川駅前で6時45分のバスに乗り換えて、
名古屋空港(小牧空港)には早めに到着、8時30分初の飛行機までには
1時間半の余裕があった。
 乱気流のため飛行機が揺れて、イタリア旅行の時と同じくらい激しく
動揺したが、私は案外上下振動に強いらしく、また「飛行機が落ちるのは
当たり前の現象」と半ば諦めているので、多少の揺れには驚かない。
 長崎空港着9時55分。名古屋地方は大雨らしいが、長崎は薄曇りの
天気で、観光には好都合だ。

 長崎をテーマにした流行歌にはヒット曲が多く、歌で知られたそれらの
場所を散策できる喜びは大きいが、東京や大阪の名高い場所が歌ほどには
情緒のないことを思えば、期待はずれになるのも覚悟せねばなるまい。
 そう考えつつ長崎の駅前に出て、まず感じたのは空気がひんやりと
風が爽やかなことだ。日本のデンマークと呼ばれる安城市(故郷の田舎)
でさえも、排気ガスやペンキや残飯の入り交じった悪臭が鼻を突き、
工事の轟音や埃が充満しているから、大都市の駅周辺で新鮮な空気など
あり得ない。しかるに、長崎は九州の西の端、海が近いゆえ空気が浄化
されるのだろうか? それに、沖縄の海辺と同じく、潮の香り(というのは
錯覚で、本当は汚水の臭いなのだが)が全然無いのも嬉しい。さらに今回
偶然か、工事の機械音がうるさかったのは一カ所だけで、街全体の雰囲気と
共に、道行く人々の話し声ものどかで応対が親切、心休まる旅行ができた。
 以下に述べる名所の数々は、正に「異国情緒たっぷり」で、印象に残る
事物ばかりだった。

 荷物をコインロッカーに納め、12〜4時の観光バス『よかとこコース』
に乗って、途中6箇所で下車した。

  1. 長崎原爆記念館:
 ひん曲がった鉄骨、コンクリートの瓦礫、熱線でビーズのように丸く
なったガラスの破片、壁に写った物干し竿の影、教師が履いていた
ぼろぼろの作業ズボン……、人の身体部分こそ直接には展示してないが、
どんなに悲惨かつ残酷であったかが実感される。
 点字の説明パネルも何カ所かにあり、グンニャリと圧縮されたサイダー
瓶の感触は恐ろしい。

  2. 平和祈念公園:
 爆心地に近いこの広場に、鳩の羽をイメージした噴水や、世界各国から
寄贈されたモニュメントが多数あり、平和の像の前で記念写真を撮った。

  3. 孔子廟:
 大理石で作られた72賢人(孔子の弟子達)の像が立ち並び、手触りは
ざらざらだが、屋外で風雨にさらされている割に、埃が付着していないのは
不思議だ。
 博物館には中国風の美術品が多数展示されていて、2年に一度ずつ、
中国から品物を運んできて入れ替えるそうだ。

  4. 浦上天主堂:
 教会の立派な木のベンチに腰掛けて、スピーカーから流れるキリスト教
迫害の物語を聴いた。

  5. 出島:
 歴史好きの私にとって、ここは興味深い場所だ。さほど広くない一区画
に、40もの建物があって、今も当時の名残を留めている。塀に囲まれた
内側と外側(出島と一般庶民)との往来は禁じられていたが、鎖国時代に
おいて海外に開かれた唯一の窓であった。
 出島の中央道路を奥まで歩いて見物し、入り口近くまで戻って、商館長
(カピタン)の家に入った。一階の部屋は洋風だが、二階には畳敷きの
和室が幾つもある。
 ボランティアガイドのおじさんが「何処から来たの?」と訊いたので、
「名古屋から」と答えたら、「今日は淑徳学園と金城学園から見学に来た」
と言っていた。

  6. グラバー園:
 トーマス・グラバーはイギリス人で、わが国に鉄道を広めた功績は大きい。
「日本の鉄道発祥の地」という看板があり、「ここから松平邸まで、レール
を400メートル敷いて、実際に機関車を走らせ、見物人を驚かせた」
と書いてある。
 階段を幾つも上がった高台に、グラバー邸および広々とした庭園があり、
滝壷までこしらえてある。あいにくの曇天だが、晴れていれば素晴らしい
眺めだろう。

  7. 食事:
 長崎市内観光を終えて、ホテル『セントヒル長崎』に着いた。
 夕食の卓袱料理は、なるほど、日本・韓国・中国の調理法を取り混ぜた
食事で、特に美味しかったのは、吸物、角煮饅頭、皿うどん、デザート…。
 食べ物といえば、今朝長崎駅の売店で、小ぶりの豚饅を六つ買い(1個
60円)、ベンチに座って食べたが、ほかほかの蒸かしたてで大層美味
だった。
 昼食は、妻がこしらえた握り飯を、やはり駅のベンチに腰掛けて食べた。
 グラバー園の店で、カステラの切り出し(幅の広い長方形が3枚入り
400円)を買ったが、甘党の私でも、なかなか食べる暇がない。



   10月27日(土)

 昨日十分見られなかった所を、今日は歩いてゆっくり見物することにして、荷物をコ
インロッカーに預け、市電(路面電車)の一日乗車券を買った。

  1. 眼鏡橋:
 長崎駅前から市電に乗り、公会堂前で降りて少し歩くと、中島川の
ほとりに出る。
『ススキ原橋』で、昨日カピタンの部屋にいたおじさんにばったり出会った。
「今から眼鏡橋へ行くところだ」と言い、「ここには14の橋と13の
お寺があるよ」と教えてくれて、看板に記してあるそれらの橋の名前を、
妻がノートに書き写した。川上の方から、阿弥陀橋、高麗橋、桃渓橋、
大井手橋、編笠橋、古町橋、一覧橋、ススキ原橋、東新橋、魚市橋、
眼鏡橋、袋橋、常盤橋、賑橋、思案橋。
 途中三つの橋を渡って観察しながら、川岸を下って眼鏡橋まで来た。
眼鏡橋の名前は、橋の下側(裏側)が二つのアーチ形に弯曲していて、
それが川面に写ると、ちょうど眼鏡のように見えることから名付けられた
ものである。
 橋の上では数人の観光客が写真を撮っていて、先ほどのボランティアの
おじさんが、自分で写した眼鏡橋の写真を1枚くれた。
 段差の大きい自然石の階段を下りて、川の縁を橋の下まで歩いたが、
セメントで固めてあるとはいえ、飛び石の上を歩くのは骨が折れる。
ようやく橋の下にたどり着き、今度はコンクリート壁に掴まりながら、
川の水で靴を濡らさないように、飛び石づたいに橋の下をくぐって反対側
まで行った。短い距離とはいえ、全盲者で私のように好奇心(冒険心)の
旺盛な人間は滅多に居ない。

  2. 興福寺:
 眼鏡橋から約600メートル歩いて、興福寺を見物した。
 山門脇に〈柏葉紫陽花〉という珍しい花が植えてある。
 拝観料を免除してくれたので、その分を賽銭箱に入れて、本殿(本尊)
を参拝し、その隣の建物で、向かって右側に耳の病を司る鬼(耳順風?)、
左側に眼の病を司る鬼(千里光?)が奉ってあるのにも、丁寧に祈った。
 食事を知らせるために叩く木の板が釣り下げてあり、手が届かず触察
できなくて残念だったが、長さ1.5メートル・幅40センチ・厚さ
10センチもあり、揚子江に済む幻の魚〈ケツ魚〉を型どった物という。

  3. 崇福寺:
 興福寺から800メートルほど戻って、崇福寺にも参詣した。
 建物が国宝になっているようだが、ここも拝観料を免除してくれて、
耳順風と千里光の形が若干違っていたり、ケツ魚の板がやや新しかったり
等、多少の相異はあるものの、興福寺との共通点も多い。
 参道脇の建物に巨大なお釜が置いてあり、直径2メートル・高さ1.3
メートルもあって、「施粥に用いる釜」という説明書きがあった。

  4. オランダ坂:
 賑橋から電車に乗り、市民病院前で下りる。
 登り口に「HOLLAND SLOPE」の表示があり、車の通らない
急な坂を登っていくと、道の両側に『活水女学園』の校舎があり、なるほど
これなら、学生たちも行き交う情緒豊かな坂道と言える。
 上まで登ると、反対側は階段になっていて、静まり返った民家の間を
延々と下る感じは、伊香保温泉に似ている。

  5. 中華街:
 階段を下りきって程なく、中華街の門が現れ、メインの道路はさほど
長い距離でなく、横道にも入ってみた。
〈ルルブ〉に載っている『西湖』という店で昼食を食べ、注文した数種類の
料理のうち、酢豚が一番美味しかった。

  6. 如己堂:
 西浜から電車で約30分、終点の赤迫まで乗ってみた。特に珍しい物は
無さそうなので、次の電車で折り返して、大橋で下車。昨日観光バスから
眺めて気になっていた『如己堂』へ行くことにする。
 永井隆博士のために、クリスチャンの仲間達が建ててくれたという二畳
一間の小さな家。永井博士はこの建物を「如己堂」と名付け、晩年は
ここで執筆活動を続けた。
 コンクリートの階段を10段ほど上った所に、そのこぢんまりした木造
の建物はあり、閉め切ったガラス戸の外に小さな縁側、玄関横にトイレ、
家の裏には植木もあって、普段誰かが掃除をしていてくれるらしく、清潔
に保たれている。
 別の階段を下りて、永井隆記念館にも入った。博士の生涯を述べた
ビデオが上映され、シスターとおぼしい女性が3人見学に来ていた。
 受け付けで、永井博士の著書〈この子を残して〉を買った。

  7. 路面電車:
 大橋に戻り、電車で反対側の終点『正覚寺下』まで行ってみた。停留所
の下を小川が流れていて、水音が涼しい。
 そろそろ時間がきたので長崎駅まで戻ったが、今日一日、市電の
乗り心地を堪能することができた。

  8. ツアーに遭遇:
『豪華列車による八日間の旅』というツアーがあり、ちょうどその出発
時刻に遭遇した。ツアーのスタートに合わせて、駅の構内に〈蛇踊り〉
を見せるための準備が整えられ、壁際に横たわる長大な龍と獅子がしら、
その前方には棒の先に球を取り付けた物も立ててあり、私はその一部分を
触ることができた。大勢の演技者(踊り手)も待機していたが、残念ながら
私はまもなく列車に乗らねばならず、彼杵駅までの切符を買って、プラット
ホームに出た。
 向こう側のホームに、ツアー客が乗るための特別列車〈トワイライト 
エクスプレス〉が入ってきて、鉄道マニア達がカメラを構える。はるか
改札口の外では、お囃子の音と共に「おってこおーい、おってこおーい」
のかけ声に合わせて〈蛇踊り〉の演技が披露されていて、上の方だけが
僅かに見えたようだ。
 16時11分発の快速列車佐世保行きの優先席に座って一安心。途中、
トンネルの入り口や歩道橋の上にも、写真機を持った鉄道マニアの、
トワイライトエクスプレスを待つ姿が見られ、確かに九州では珍しい豪華
列車なのだ。

  9. 温泉街:
 彼杵駅着17時13分。出札口から10メートルも離れていない所に
JRバスが停まっていて、17時20分発、嬉野温泉→武雄温泉→夢タウン
行きのそのバスに乗った。
 静かな温泉街を行くこと25分、嬉野温泉駅で下車して、電話でホテル
『和多屋別荘』に道順を尋ねたら、ちょうど送迎バスが来ていて、将棋
大会の参加者二組に同乗させてもらった。
 ちなみに、携帯電話の歩数計表示で、今日一日11896歩だった。
 将棋大会の会場並びに宿泊所は、『和多屋別荘』という十二階建ての
ホテルで、故 黒川記章の設計になるそうだ。広くて豪華、設備も整って
いる。

  10. 風呂(その1):
 視覚障害者が慣れない大浴場へ一人で入るのは勇気がいる。広々とした
浴槽や洗い場は、音が反響するため状況が把握しにくく、勝手に歩き回って
他の客に失礼や迷惑があってはならないし、特に、大好きな露天風呂へ、
自由に行ったり来たりできないのが何よりつまらない。
 それで、貸し切りの家族風呂は無いかとフロントに尋ねたところ、
一人辺りの料金にて、50分1500円で、今なら空いていると言う。
早速予約して出かけたが、一階の廊下を曲がりくねった奥の奥にあり、
静かで綺麗で湯も豊富、これはのんびりできた。





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