AWC 大学生活  談知


        
#256/566 ●短編
★タイトル (dan     )  04/12/27  06:55  ( 56)
大学生活  談知
★内容
 ワタシが大学生だった頃というと、もう30年も前になる。何校
か受験して受かったのが近畿大学という某三流大学のみ。浪人して
もう少しいい大学に行こうかとも思ったのだが、しかし考えてみれ
ば、そもそも大学にいくことにしたのも、4年間遊んで暮らしたい
という理由からだった。このうえ勉強してしんどい思いをするのも
嫌だなと考え、近畿大学に入学した。
 入学してしみじみ思ったのは、自宅から大学まで遠いなあという
こと。大阪の北のほうから南のほうへ大阪市を縦断していくわけで
ある。ドアツードアだと1時間半くらいかかったんじゃないか。ワ
タシは結局この大学を中退するのだが、その理由のひとつは大学ま
で遠かったということだった。距離の問題は大きいよな。
 大学自体は可も無し不可もなしという感じだった。まあこんなも
んかなあという感じ。他の大学に行ったことないので比較すること
ができないが、まあ大学ってこんな感じとちゃうかという、イメー
ジ通りの感じだった。
 一番印象的だったのは、強制がなにもないということだった。ク
ラス制ではないので、講義に出席するもしないも自由。高校までは
出席しなければすぐわかり注意されるわけである。すぐ指導がはい
る。大学では出席しなくても誰も何もいわない。
 高校まではワタシは真面目な学生だと思っていた。なぜなら欠席
をまずしなかったからだ。毎日学校に通っていた。ずる休みはまず
なかった。しかし、それは学校へいかなければならないという強制
があったからだと気がついたのは、大学へいってすぐだった。ワタ
シはなまけはじめたのだった。何しろ行っても行かなくてもだれも
チェックしない。誰からも何もいわれない。こうなると本来の自堕
落な性格が表れたのだった。自堕落というより自分で自分を律する
力の弱さだろうか。自分で計画をたててその通り実行していく力の
弱さ。何しろ高校までは、学校がすべてやってくれていたわけだか
ら、自分で何か考えてやる必要はなかった。大学に入ったとたん、
すべて自分でやらなければならなくなったわけである。しかし、ワ
タシにその力はなかったわけだ。その習慣がなかったわけだ。
 ワタシは徐々に講義をさぼりだした。そして大学にもいかなくな
りだした。大学にいかず何をしていたのだろう。自宅でうだうだし
ていたのか。金はなかったからどこかへ遊びにいくということもで
きなかっただろうし。
 そういう具合で、ワタシの大学生活は半年で終わりをつげた。半
年目で退学届けをだしたのだった。そんなわけで、ワタシの大学生
活といってもほとんど経験してないのだな。今思い返しても、漠然
と大学の建物などが浮かぶくらいで、そこで何をしていたのか全然
思い出せない。ナッシングの大学生活だったのかと思う。
 先日、近畿大学の学生祭にいってきた。退学以来30年ぶりに大
学にいった。建物などかなり建て変わっていると思うのだが、まあ
さして変わりがないなという感じだった。いろんな屋台がでていて、
ワタシもあれこれ買い食いした。考えてみれば、ワタシは大学祭も
経験してないんだな。その前に退学しているから。そのときふと、
また大学生活を送ってみるのもいいかなあと思った。年取って、若
い学生と一緒に学ぶもの面白いかなと。
 ワタシが入学したのは経済学科だったが、今は文芸学部などもあ
るし、そのあたりで学べないかなと思った。文芸学部があるせいな
のか、女子大生の姿が多く見かけた。ワタシのころは男ばかりの大
学という印象だったが。文芸学部だと女子大生を仲良くなれる機会
も多かろうと鼻の下を伸ばす。復学などできないのかなと思った。
 まあろくでもない大学ではあるけれど、とにかく大学にいっとい
てよかったなと思う。大学ってこんな感じとわかっているだけでも、
何らなの自信にはなると思うね。50歳を迎えて大学生活を送るっ
てもいいかもと思う。そうできればいいね。





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