AWC ギター抱えて歩いたよ  談知


        
#249/566 ●短編
★タイトル (dan     )  04/12/17  06:15  ( 51)
ギター抱えて歩いたよ  談知
★内容
 ギターを背中に背負って馬に乗って現れるのは「ギターを抱いた
渡り鳥」の小林旭である。はてさて、その馬はどこで飯を食ってる
の。どこに繋いだらいいの、と突っ込みたくなる設定であるが、ま
あいいとしよう。この旭くん。乱闘のさなか突如ギターをかき鳴ら
し歌い始めるのである。それを今まで戦っていた男たちがじっと聴
いている。辛抱強いというか余裕があるというか。思わずうふふと
笑いたくなる状況でございます。ご都合主義の極地なのだが、しか
し、これが娯楽映画のお約束なのでございます。歌い終わった旭く
ん、また乱闘を再開。そして全員をのしてしまうわけである。うー
ん、すかっとするね。映画はこれでなけりゃいかん。
 この映画の途中で突如歌ったり踊ったりするのはインド映画でも
よくあるね。比較的最近では「ムトー踊るマハラジャ」でもそうだ
った。シリアスな演技の途中、突然歌がはいる。踊りがはいる。歌
あり、踊りあり、シリアスな演技あり、笑いあり、涙あり、の天こ
盛りがインド映画ってもんでございます。一本でなんでもそろって
いる。だから言葉がわからなくても十分楽しめる。もうずっと昔、
ワタシがインドによく行っていたころも、彼の地でよくインド映画
をみたものだ。エアコンもないような映画館で長い長い映画をみた。
一本3時間以上の映画なんかよくあったもんな。途中でインターバ
ル、休憩がはいるの。そうでなきゃしんどくてやってられませんぜ。
3時間以上の映画なんて。いくら面白くても集中力の限界ってもの
がある。映画以上に楽しかったのは、そのときの観客のようすだっ
た。映画の展開にあわせて笑ったり泣いたり、かけ声をかけたり、
いやあもう映画と一体になって楽しんでいた。そうそうそうでなき
ゃいかんね。金を払って映画を見る以上、十分楽しんで元をとらな
きゃ。日本の観客はおとなしすぎるぜ。しんねりむっつり映画を見
ている感じ。もっとスイングしなきゃね。
 ワタシが若いころフォークソングというものが流行っておりまし
た。岡林信康あたりに始まって、高石ともやなどの関西フォーク、
そしてよしだたくろう井上陽水などでてきて、フォークも色とりど
りの盛況をむかえた。ワタシなどそのまっさかりに色気づいておっ
たわけで、もちフォークのとりことなりました。でも当時の高校生
なんて金がないわけよ。一ヶ月の小遣いが千円くらいでなかったか。
いくら今と貨幣価値が違うといっても千円ではたいしたことはでき
ない。だって喫茶店でコーヒーを飲んでも200円くらいしたんじ
ゃないか。レコード一枚2千円くらいか。レコード一枚買うために
は、二ヶ月飲まず食わずでいなけりゃならない。そんなのできない
よ。それに第一ステレオなんてしゃれたものもってないんだもん。
当時の高校生のあこがれはラジオだよ。何とか手に入りそうなあこ
がれの品物って、ラジオなの。少なくともワタシの周囲の高校生は
そうだった。大人になって、その年代でテニスしたりスキーしたり、
はてはヨットに乗っていたりするひとたちを知ったが、ワタシの周
囲にはそんなひと影もなかった。せいぜいラジオで深夜放送を聴く
ことくらいが最大の楽しみのひとたちばかりだった。
 何の話だったっけ。そうそう金がないということだった。そのせ
いで、ワタシはとうとうギターを買うことができなかったわけよ。
親にも金はないことはわかっていたし、ギター買ってくれなんでと
てもいえなかった。だからほうきをギター代わりにしてフォークソ
ングを歌うことがせいぜいだった。
これが本当の、ほうきそんぐ。
お後がよろしいようで。てけてんてん。





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