AWC 悠歩の昔語り その1「どぶ川のザリガニ」        悠歩


        
#206/569 ●短編
★タイトル (RAD     )  04/11/01  22:51  (171)
悠歩の昔語り その1「どぶ川のザリガニ」        悠歩
★内容
悠歩の昔語り その1「どぶ川のザリガニ」

 学生時代、幾度となく友人の安アパートに集まり酒を飲む機会があっ
た。酔うほどに、皆、口が滑らかになり、語る話題も多岐に及ぶ。私も
まあ、雄弁な方ではないが酒の力を借りて、大いに語ったものである。
 が、しかし、ふと私が話に加われなくなる瞬間があった。
 それぞれ地方から上京してきた友人たちが、各々の故郷の思い出話を
語り始めたときである。
「俺の町なんざあ、ま、本当に何もない田舎でよ」
 などとは言いながら、皆、どこか自慢げであったりする。
 両親は地方の出身者であるが、私自身は東京生まれの千葉育ち。田舎、
と呼べる環境にはなかった。従って彼らの自慢話をただ聞くしかなかっ
たものである。
 しかしよくよく考えてみれば、確かに私の育った環境は田舎というよ
うなものではなかったが、決して都会と呼べるようなものでもなかった。
 ふと思い立ち、半端な環境での少年時代を気の向くままに綴ってみた
い。
 田舎ではない、だが都会でもない。そんな環境では育った者は、私以
外にも案外多いのではなかろうか。そんな同胞の共感を呼べれば幸いで
あるが、まあ、なくとも勝手にやっていこう。
 たぶん、こうして過去を振り返って見ようなどと思いついたのは、私
が歳を取ったということなのであろう。

 私が少年時代を過ごしたのは、千葉市内に在るマンモス団地であった。
日本一のマンモス団地は確か、埼玉だか何処だかにあると聞き及んでい
るが、ここも負けてはいないのではないだろうか。少なくとも私はその
地を転出した後、これほどの規模の団地を見たことがない。
 北は国道、南は県道によって挟まれ東西伸びる団地内に当時バス停は
六つ前後あったと思う。中学校こそは一校であったが、千人規模の小学
校が二校、私が転出する間際には四校までに増えていた。さて、これで
ある程度その規模が理解して頂けるだろうか。

 時代は昭和四十年代の後半から、五十年代の前半。そう、分かりやす
いところで言えば漫画「ちびまるこちゃん」の頃である。作者のさくら
ももこ女史と私はほぼ同世代で、たぶんあちらが一学年下になるようだ。

 県道側も似たようなものであったが、大きな団地であるにも関わらず、
国道の向こうに渡れる場所がごく限られていた。確か歩道橋が二箇所、
横断歩道が二箇所ほどで、それぞれの距離が子どもの足で十分程度離れ
ていたと思う。
 その国道の上りと下り線の間にはどぶ川があった。もちろん、そのよ
うに危険な場所であるため、そこに行くことは学校で禁止されていた。
しかし立ち入りを禁止された場所に限って、子どもにとっては格好の遊
び場になっていたりするものである。
 かく言う私も、そこを遊び場とする子どもの一人であった。
 ただいま大人としての私は、子どもたちにこのような場所で遊ぶこと
を勧めたりはしないし、それどころかきつく注意するであろう。しかし
ながら、これはとうに時効となった話として、ご理解頂こう。

 さて、先に書いているように長い国道でありながら、歩行者が横切れ
る場所は極めて少ない。しかも歩道橋ではどぶ川の上を通過するだけで
目的地に達することは出来ない。
 したがってどぶ川に行くためには横断歩道を使うのが最も良い方法だ
が、大半の場合、車の流れが途切れるのを見計らい、道路を横切るのが
ほとんどであった。今にして思えば、よく事故に遭わなかったものであ
る。

 国道を渡ると、まず鉄条網が行く手を遮る。ところがこの鉄条網、私
は団地が出来て間もない頃に越して来たのにも関わらず、かなり古くな
っていた。そのため全体的に錆び付き、緩み、場所によってはそれを支
える柱自体が抜けたり折れたりしており、進入口には事欠かない。
 鉄条網を越えた足が踏みしめるものは土。と言うか、葦や笹となどの
植物が主か。その土の部分が幅、二メートルから三メートルほど。そし
いよいよどぶ川へと到達する。ちなみに向こう岸も同様の土、鉄条網、
国道となっている。
 さて問題のどぶ川であるが、川幅はやはり二メートル強から、三メー
トルは無かったように思う。深さは深い所で50センチを超える位だろ
うか。一メートルを超えることは無かっただろう。浅いところでは5セ
ンチ前後か。
 水源は不明。ちょうどその国道から団地一帯、さらにはその向こうの
工場までと広大な埋立地だと聞くから、昔からあった川ではないことは
明らか。生活排水の可能性もなくはないだろうが、団地はもちろんその
周辺も水洗化されていたはず。少なくともそのどぶ川に、生活排水によ
くある洗剤等の泡や油の膜のようなものを見た記憶はない。
 他に考えられるのはどこかで排水された雨水であるが、年間季節を通
じて水量にさほどの変化がなかったことを考えれば、それも些か疑問で
ある。

 さて、ついにどぶ川へと到達したわけだが、ここへとやって来た目的
は水棲生物の捕獲である。どぶ川に棲む生物は主に三種。まずはアメリ
カザリガニ。皆ご存知かと思うが、このザリガニという奴は実に生命力
と繁殖力に富んだ生き物で、常に水のある場所なら大抵生息が可能らし
い。現在の私の住まいの近所でも、以前は雨水の溜まった空き地にも多
くその姿を見ることが出来た。
 次におたまじゃくし。サイズから推測してトノサマガエルのものと思
われる。思われると、曖昧にしたのは、おたまじゃくしの数の多さに比
べ、親である蛙の姿はあまり見た記憶がないからである。ただし、この
おたまじゃくしを小学校の教室で飼育したことがあるが、その時は確か
にトノサマガエルに成長したので、間違いはないだろう。他にもアマガ
エルやイボガエル、稀にウシガエル(別名食用ガエル)の姿を見ること
があったが、逆にこちらはおたまじゃくしを確認した記憶がない。
 そしてもう一種はメダカである。ただこれは子どもたちの間でそう呼
ばれていただけで、在来種のメダカが水質の悪いどぶ川に生息していた
とは考えにくい。おそらくはメダカに似た外来種の淡水魚だったのだろ
う。
 この三種の他にアメンボやヤゴなど様々な水棲昆虫、そのときの気分
にもよるが、これら全てが捕獲対象である。
 とは言え、手にした道具は至ってシンプル。網と小さなバケツ、この
二点。更に付け加えるなら丈夫な糸(釣り糸、または凧糸)とスルメ。
まあ、スルメはなくともよい。網は団地内のおもちゃ屋か文房具店で購
入したもので、竹の竿に目の粗い網の付いたもの。値段は百円とか二百
円といった程度だったと思う。時にほぼ同サイズの捕虫網を代用するこ
ともあったが、これは水につけて使用するとすぐ壊れてしまった。
 三種の水棲生物のうち、捕獲が最も容易だったのはザリガニである。
次いでおたまじゃくし。メダカは動きが素早い上に、目の粗い網ではそ
の隙間をすり抜けてしまい、簡単に捉えることは出来なかった。
 今も昔も、モラルのない大人はいるもので、こうした交通の便がいい
場所、と言うか大きな道路に極めて近い川というのは大概粗大ごみの投
棄場所になることが多い。このどぶ川もその例に漏れず、自転車や冷蔵
庫といった粗大ごみが沈んでいた。ただ今にして思えば、意外にその数
が少なかったのは国道の通行量の多さゆえ、人目を盗んで捨てることが
難しかったからかも知れない。
 そうした粗大ごみや板切れ、ダンボールといったものの下は、ほぼ
100パーセントと言っていいほどザリガニの住処になっている。一番
簡単な捕獲方法は糸に結んだスルメをその周辺に投げる。するとザリガ
ニがそれを大きなハサミで挟み込んで来るので、逃げられないようゆっ
くりと糸を引き、網の上まで誘導する。時には先に捕まえていたザリガ
ニの尻尾を剥き、スルメの代わりとしたこともあった。しかし、このよ
うにエサを使うことは稀だったように記憶している。大体の場合はヘド
ロが巻き上がらないようにゆっくりごみを持ち上げ、出てきたザリガニ
を掬う、という原始的な方法が主だった。
 ちなみにザリガニを捕るとき、網は尻尾の方から、というのが鉄則で
ある。ザリガニはもちろん前進することもあるが、素早く動くときには
後方に飛ぶようにして泳ぐためである。
 小学校近くからスーパーマーケット横まで、五百メートル、もう少し
あっただろうか。その距離を片道、あるいは一往復するのがこのザリガ
ニ取りのコースであった。ところがこのどぶ川、先に記したように国道
の上下線を分けるように存在している。そのため数箇所、どぶ川の上に、
上下線を繋ぐ短い道路が存在していた。橋、ではなくて短い道路、であ
る。当然その道幅のぶんだけ川は埋め立てられており、その間の流れは
土管によって維持されていた。大抵ここはその道路を横断することが多
かったのだが、時折スリルを味わいたくなると土管を潜り抜けることも
あった。

 捕らえたザリガニは当然家で飼う。プラスチックの安い水槽に入れて
飼うのだが、多分サイズ的には二匹、多くても三匹が限度というサイズ
である。しかしその中に十匹以上入れることが多く、大概すぐに死なせ
てしまっていた。死因の二大要素はまず共食い。エサはきちんとやって
いたつもりだが、食欲旺盛なザリガニには足りなかったのだろう。もう
一つは水が腐ってしまうこと。食パンやスルメをエサにやることが多か
ったため、水がすぐ臭くなってしまうのだ。これは本当なら水をまめに
替えることで避けられたはずなのだが。
 時々洗面器をベランダに置き、その中で飼うこともあった。しかしこ
れは簡単にザリガニが逃げ出し、私が小学校に行っている間母がそのザ
リガニと出くわし騒ぎになることもあったようだ。

 しかし何も飼うことがザリガニを捕まえるメインの目的ではなかった。
ザリガニ同士を戦わせることこそが目的であった。
 公園の砂場に溝を掘る。そこに水を溜め、ザリガニを放す。各団地の
ゴミを集めるダストボックス横に住人が共同で使える水道があったため、
水は簡単に溜められるのだ。
 溝の両端からザリガニを進め中央で戦わせる。ひっくり返ったり後ろ
に下がったりしたら負けという至ってシンプルなルールである。細かい
点はその度に変わっていたと記憶している。
 友だちの飼っていたザリガニでやたら強い奴がいたのを覚えている。
 体自体他のザリガニより一回り大きかったのだが、それにも増してハ
サミがでかい。通常の三倍以上はゆうにあっただろう。なんでもザリガ
ニは一度ハサミを失うと、失ったものより大きくて強いハサミが生えて
くるのだそうだ。私も巨大ハサミのザリガニを求め、頻繁にどぶ川へと
通ったものだが、ついに彼のものに勝るザリガニは見つけることが出来
なかった。

 最近、これは全くの偶然であるがインターネットでこのどぶ川あった
国道周辺の写真を発見した。鉄条網は消え、どぶ川は綺麗な蓋がされて
いた。いや、その下にどぶ川が残っているのかどうかも定かではない。

 さてとりとめもないまま書き進めて来たが、今回はこれにて終了とし
たい。
 そして次回もまたとりとめもない昔話を綴ってみたいと思う。
 
 2004.11.1





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