AWC 仕事と遊び  談知


        
#191/569 ●短編
★タイトル (dan     )  04/10/18  05:09  ( 52)
仕事と遊び  談知
★内容
 ワタシは現在親と暮らしていて、生活費は親にだしてもらってい
る。一緒に暮らしているわけだから、その親の生活に紛れ込んで、
金を払わず暮らしている。だから働いてない。正直いって働かなく
ていいって、何とらくちんなことかと思うね。もちろん、これで小
遣いがなければ楽しい生活にはならないだろうが、ワタシは障害年
金をもらっているので、小遣いには別に不自由しない。これって、
素晴らしい生活だと思わない?
 もちろん働かず他人に食べさせてもらっているなんて最低だ、と
いう考えもあるだろうが、しかし、それもしょせんひとつの考え、
見方にすぎないんだな。そういうふうに思いたいひとは思えばいい
し、思いたくないひとは思わなくてもいい、その程度のことにすぎ
ない。ひとは自分の生き方を正当化してもいい権利があると思う。
しょせん自分の人生だ。他人がどうこういっても始まらない。他人
がワタシの人生の責任をもってくれるわけじゃなし。関係ない他人
がどう思おうと関係ない話だな。
 額に汗してこそ人生だ。まっとうに働くことのなかに人生の楽し
さがある。これは確かに真実だ。でも、単に生活費を稼ぐための仕
事にそう楽しさはないような気がする。少なくとも、金を一銭もも
らえなくても、その仕事をやるだろうかね。ほとんどのひとにとっ
て、仕事とは、金が必要だからやむなく働いているものではないの
か。ワタシは今まで社会の底辺の仕事ばかりしてきたせいか、働く
ことが生き甲斐みたいなことはなかったね。ただただしんどい、金
のために無理して働いていたみたいなことばかりだった。なるほど、
そういう仕事のなかにもある種のやりがいや充実感みたいなものを
感じた瞬間もあったと思う。瞬間だが。でも、いってしまえば、そ
ういうやりがいや充実感なんか、遊んでいるなかにも感じられるも
のだもんね。その両者に差はないと思う。仕事で感じる充実感は尊
くて、遊びのそれはむなしいということはない。もしそう感じると
したら、それは単なる思いこみだ。
 ただ遊んでいるだけだとむなしい。そういう傾向は確かにある。
それは遊びが消費的行為にすぎない場合、そういうことは確かに言
えると思う。だれかが用意してくれたものに乗って遊んでいるだけ。
そういう場合、最初は楽しくても、最後はむなしさがでてくる。や
はりそういう遊びは、仕事の合間にやってこそ楽しさを感じる種類
のものだろう。仕事をせず、そればっかりやっていてずっと楽しい
ということはないと思う。
 ただ遊びといっても、そういう消費的なものばかりではない。生
産的な遊びというか、創造的な遊びということもあるわけなのだ。
たとえば、こうして文章を書いていることなどどうだろう。これは
ワタシにとっては完全に遊びである。やればやるほど、書けば書く
ほど楽しさが増してくる。そういう性質の遊びである。これだけや
っていてもむさしさを感じるということはない。中島らもさんが言
っていたが、彼が文章を書いたり演劇をやったりしたが、それらが
仕事だと思ったことはないそうだ。ぜんぶ遊びだそうだ。ただ、そ
れに金がついてきたから、仕事をしてたと思われていただけだ。こ
うなると仕事か遊びかと二者択一ではいえないようなものだな。本
当に面白いものって、仕事でもあり遊びでもあるようなものだろう。
 一生仕事してむなしい。一生遊びまわってむなしい。そういうひ
とって結局頭が悪いのだと思う。十分頭を使えば、仕事しても楽し
いし、遊びまわっていても楽しいという状態でいられる。でもワタ
シとしては、一生遊んで暮らしたい、けどね。それで十分生き甲斐
もあり楽しさもありの一生でいられる自信があるね。





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