#187/569 ●短編
★タイトル (dan ) 04/10/14 04:57 ( 41)
歌いながら帰った道 談知
★内容
ワタシは筑豊の炭坑町で育った。小学校の低学年のころだったろ
うか。学校から帰るとすぐ外に飛び出し、日が暮れるまで遊びほう
けていることが多かった。あのころは塾とかいったものはなかった。
少なくともワタシが育った炭坑町にはなかった。だから毎日毎日遊
んで暮らしていた。
あのころは年齢の上から下まで連なって遊んでいることが多かっ
た。上は中学生くらいから下は幼稚園児くらいまで、年齢の幅のあ
る遊び仲間で遊んでいた。それが、ワタシが小学4年のとき大阪市
の越してきたら、そこでは同年齢同学年同クラスのものとしか遊ん
でいなかった。上の学年とも下の学年ともまったく切れていたので
ある。いったいあれはどういうことだったんだろう。田舎と都会の
差なのか。田舎では周りじゅう知ったもの同士なので、一緒に遊ぶ
のか。都会では隣はだれだか分からない状態で住んでいる。知って
いるのは同じクラスの者だけ。だから同じクラスの者としか遊ばな
い、遊べないのか。
上下幅のある仲間と遊んでいると、遊びの伝承といってものがで
きていくことは確かだな。上の連中の遊びの知識が、一緒に遊ぶこ
とにより下の者たちに伝えられていく。下のものがやがて上になる
と、その知識がまた下の者に伝えられていく。こうして遊びが伝わ
っていく。大阪市に来て同クラスの者と遊んでいたら、こういう知
識ってなかなか知ることができない。同じ程度の知識の者と遊ぶわ
けだから。
昔はとても貧乏だったこともあって、遊ぶための道具だとか場所
だとかなかった。遊ぶためには、全部自分たちで何とかするしかな
かった。そうなると遊ぶために知識知恵がいる。それは自分だけで
は得ることはできない。すでに知っている上の年齢の者から知るし
かない。だから上下一緒に遊んでいたのかもしれない。
ところが都会へいき、ある程度豊かになると、遊ぶところがあっ
たり、遊ぶための道具などを買うことができる。遊ぶためのノウハ
ウなども買えるのである。だから上下遊ぶ必要がなくなったのかも
しれない。上下あればやはり上下関係があって、それは子供といえ
どうっとうしいわけだから。必要がなければ、そんな関係などなり
たくないわけだろう。そんなわけで都会の子供には上下連なって遊
ぶこともなくなったのかもしれない。
九州の炭坑町で、ワタシは日が暮れるまで遊んでいた。上下10
数人の仲間といろんなことをした。野球、洞窟探検、独楽回し、鬼
ごっこ。毎日毎日飽きることなく遊んでいた。今思うと、あれはと
ても幸せな時間だったんだろうな。遊びほうけて日が暮れて、それ
ぞれ分かれて自分の家に帰っていく。ワタシはいろんな歌を歌いな
がら帰っていくことが多かった。そのころ流行っていた歌謡曲、童
謡。声低く歌いながら、一心に我が家に向けて歩いていった。