#156/569 ●短編
★タイトル (AZA ) 04/03/24 00:06 (170)
極 常
★内容
どうせ人肉だろう――。
彼はそう言った。つまらなさそうに。吐き捨てるように。
でも、口中の肉を吐き出しはしない、もちろん。
「当たりだ」
夜のディナー中、しかも公のレストランでこういう会話もどうかと思わない
でもない。しかし気にしていては、彼の友人は勤まらない。だから私も平静を
装って、ほうれん草を口に運ぶ。そもそも、この話題を振ったのは私なのだか
ら。
「誰も食べたことないような極上の料理と聞けば、すぐこれを連想する。僕は
飽き飽きしてるよ」
「それは失礼をした」
「人肉テーマの文学作品は、世界中にある。我らが小さな島国である日本にも、
傑作とされる物がちらほらさ。天の下で考えることなんて皆同じって訳かな」
「そう言うけどね、実際に人肉を食べた人なんていないのだから――」
「間違ってるぞ、君は。若いから仕方ないかもしれないが」
珍しく彼は食事の手を停め、フォークで私の方を指し示してきた。
「何だって? 人を食った話なんて洒落はなしだよ」
私が笑みを交えて応じると、相手はにこりともせずただ鼻を鳴らす。
「冗談を言ってるんじゃない。人間の肉を食べた連中は存在する」
「まさか」
そう応じつつも、私はお冷やを煽った。汗をたっぷりかいたコップの中身は、
いくらか温くなっているような気がした。
「サッカー選手の一団を乗せた飛行機が雪山に墜落した事故を知らないか?
生きるために、生存者は死者の肉を食ったのさ」
「……」
「こんな事例を持ち出さなくとも、戦場ではそういうこと、たまにあったんじ
ゃないか。僕みたいな戦後派には分からないけどさ」
「どうかねえ……? 想像で言ってはまずいだろ」
「それもそうだ。話を戻すがね、人肉を食うなんて、いつでもできる」
「君こそ冗談はやめようじゃないか」
「冗談ではないっての。自分を食えばいい」
「は……ははあ」
ついに食が進まなくなり、私は額に片手をやった。しばらくすれば、また食
べられるだろうか。
「これまた小説の話になるが、自分の身体を徐々に機械に置き換えていき、自
分を食ってしまう男を描いた短編があった」
「何だ、作り事かい」
「いや、だからね。食べたくなったら、僕は自分の身体の一部を食ってみるよ
ってことさ。簡単だ」
こんな下らない会話の間も、彼は食べることを忘れない。食べながらよく喋
れるものだと感心する。
「それよりも、僕は思うんだ」
嬉々として彼は続けた。
「極上の料理を味わうといったら、もはやどんな物を食べてもたかが知れてい
るんじゃないかってね」
「そうかな。まだまだ見知らぬ食材が世界中に」
「いや、いかに知らない食材であっても、人間の想像を超えた味覚はないよ。
万万が一、そのような味があったとしたって、それは人間の想像を越えている
んだからすでに『まずい』はずだ」
にやりと笑った相手に、私は肩をすくめた。
「それは単なる言葉の遊びだよ」
「そう急くな。僕だって考えてはいるさ。極上の料理……それは食べることで
はなく、食べられることではないかってね!」
レストランを出ると、私達二人は彼の車に乗り込んだ。
駐車場から交通量のさして多くない道へ入る。これから小一時間ほど山道を
行き、彼の家に向かう訳だ。
先ほどのレストランのある辺りはにぎやかなのに、それが嘘のように思えて
くる静けさ。ガードレールこそ続いているが、外灯はぽつんぽつんと思い出し
た頃に現れる始末だ。
やがて本当の山道に入る。林を切り拓いたような道だ。舗装も決して万全と
は言えず、時々がくんと車体が上下に揺れる。
ふっと、左右の木々がその枝を伸ばし、私達の上に覆い被さってくる錯覚に
とらわれそうになる。
私は激しく頭を振り、つまらぬ想像を打ち消した。
「どうかしたか?」
ハンドルを握る彼が、助手席の私へ尋ねてきた。
「何でもないよ」
「顔色がよくないようだが」
「暗いせいだろう」
私が恐怖心をごまかすために早口で答えた、ちょうどそのとき。
前方斜め上が急激に白く、明るく輝いたかと思うと同時に、車が停止した。
「ど、どうしたんだい?」
僕が振り向きながら尋ねると、運転手の彼はハンドルから離した両手を広げ、
オーバーな仕種で首を傾げた。
「分からない。僕は何もしてないのに、ストップしちまったよ」
「故障……にしては変だ」
「ああ。それにあの光……」
私達は目を細くし、白色光の正体を見極めようとした。
が、その球体は相も変わらず斜め上方で突き刺すような光を発しており、正
体も何も分からない。
「空飛ぶ円盤か」
落ち着きのある口調でそんな台詞を口走られると、かえって恐ろしくなる。
「そ、そうか? 人魂かもしれない」
反対意見としては滑稽だろうが、ジョークとしてはいい線を行くかもしれな
いなとあとで思った。付け加えると、このときの私は大真面目だったのだが。
球体と私達との距離が縮まっているように感じられた。
「降りよう」
「何だって?」
彼の言葉が信じられず、私は裏返り気味の声で聞き返した。
「車から出るんだ。宇宙人に会えるかもしれん」
「馬鹿な。よせよ」
運転席側のドアを今にも開けようとする彼を、私は必死に引き止めた。
「うまく行けば、地球上にない食い物にありつけるぞ」
「君の冗談にはほとほと呆れたよ!」
私が怒鳴ったというのに、彼は平気で冗談――冗談に違いない――を続ける。
「人魂だとしたら、人魂って食えるのかねえ?」
こちらを振り返った彼の表情は、真剣そのものだった。
「あ……」
私の腕から力が抜けると、彼は車内から飛び出していった。
待っていたかのように、光る球体も地上まで降りてきていた。
ここに来てようやく、光る球体の影がぼんやりと見える。
窓らしき丸い物がある。つまり、空飛ぶ円盤なのだろうか。
もしも乗り物だとすれば、乗り込んでいる連中の背丈は私達地球人よりも大
きい。倍近いのではないかと推測される。
私は彼が気掛かりで観察を続けたが、そこまでが限界だった。
球体の面が四角く開き、中から人の形をした生き物が現れたのだ。
私はそいつの正体をしかと見届けることなく、車から飛び出るや、球体があ
る方向とは反対へ駆け出していった。
彼にも逃げるよう叫んだつもりだったが、果たしてまともな言葉になってい
たのかどうか、自信がない。
三時間後、冷静さをどうにか取り戻した私が警察官一名に付き添ってもらっ
て問題の現場を再訪すると、そこには彼の車だけが残されていた。
まだ夜なので、周囲に何があるのか鮮明ではない。
警官は私を疑惑の眼差しでずっと見ていたが、放置状態にある乗用車に少し
は心動かされたらしい。地を這うような格好で、遺留物はないかと調べ出した。
十分ほどして警官は腰を伸ばしながら、ゆっくりと言った。
「宇宙人なんて信じられんが、何かがあったのは間違いないようだ」
その手には、衣服が握られている。消えた彼が着ていた物だ。
「見せてください」
警官にも懐中電灯で照らしてもらい、私は服に見入った。所々、切り裂かれ
たような痕跡がある。切り口から判断して、刃物ほど鋭い道具ではないようだ。
「……妙な臭いが」
緊張感のせいか今まで気付かなかったが、手にした衣服からすえたような異
臭が漂うのが分かった。
警察官も鼻をくんくんさせた。
「本官は鼻がよくないんでの。あんまり臭わんが、それでもまあ、変な感じは
する……」
警官は考え込む風に腕組みをした。
「その服、湿っていると思わんか?」
「え?」
唐突な質問に、私は急いで服の手触りを確かめる。
「あっ、湿ってます。と言うよりも、濡れてる」
「さっき、辺りをよーく見てみたんだが、池はおろか水たまり一つない。草の
葉の夜露が付着したとしても、その服は濡れすぎだぁな」
なるほど、警官の言う通りである。
私はしばし考え、思い付いた。
「あの。彼は車の外に出たあと、少し歩いて池にでもはまったんじゃないでし
ょうか。池から這い上がって、服を脱いで乾かそうとしているところへ、また
別のトラブルに遭遇した……」
宇宙人の存在を否定したくて、こんなことを思い付いたのかもしれない。
「服がかぎ裂きだらけなのはどう説明するね?」
「それは、木の枝にでも引っかけたんじゃないですか」
「にしちゃあ、ひどすぎるのぉ」
警官の指摘の方が正しい。衣服の裂かれ具合は、何かの重機に巻き込まれた
みたいになっているのだ。
ただ、それにしては血が一滴も付着していないとは、また不思議である。
「とりあえず、もう少し辺りを見回ってみるか」
警官の提案に従い、私もびくつく気持ちを押さえ、近くの林に分け入る。
そしておよそ五分後。
見つけた。
私はそれを木の幹に発見したとき、声が出なかった。酸欠の金魚みたく、た
だただ口をぱくぱくさせるのみ。
その太い幹には文字が刻まれていた。やたらと角張ったアルファベットであ
った。
ただ一言。
GOCHISOUSAMA
偶然にも、かつて誰かがたまたまこの場所、この木にナイフで刻んだ……と
思い込むには、あまりにも真新しい痕跡だった。
私と警官は、木肌を手で恐る恐る触れた。何とはなしに、熱を感じる。
そのとき、上空から、強烈な臭気が我々を押さえ付けた。最前のすえたよう
な臭いとは根本的に異なる。とにかく、単に“くさい”。
と、そんなことを感じている暇もなく、ひゅーという落下音が頭上から聞こ
えたかと思うと、私の視界はこげ茶色に染まった。
柔らかい固体が潰れるときのような、べちゃっという音とともに。
――幕