#16/569 ●短編
★タイトル (paz ) 02/03/17 01:43 (198)
『獲物を狩る者たち』修正2版 …… パパ
★内容
私が街角で一人の女性に心を惹かれたのは、彼女から醸し出されている暗い
影に興味を持ったからだ。黒いカジュアルなスーツと若いのに濃いめの化粧で
武装した彼女は、声を掛けた私に安堵とも悲哀ともつかぬ吐息を漏らした。そ
れも私が瞬きをした刹那に満面の笑みへ変化する。
彼女は頬をゆるめ、ちょうど暇だったところなんです、といった。
微笑みは仮面だ。今、私が浮かべている笑みと違いはない。
最初に尋ねたのは彼女の名前だった。椹木という。さわらぎ、と口に出して
みると、彼女は「変ですか?」と尋ねた。私は、首を振って答えにかえる。
夜の帳から不夜城の歓楽街へと場所を移すのに、障害は何もなかった。群れ
をなした電飾看板の中から行きつけのバーを選ぶ。狭い入り口から急な階段を
のぼり、通路の奥へと向かう。古木で作られたドアを引き開けるとアルコール
の香りで眉をしかめてしまった。酒場という雰囲気は好きだが、アルコールは
得意ではない。
背後にいる彼女の気配がゆらいだように感じて、後ろを振り返った。彼女は
バッグの持ち手を頻繁に変え、落ちつきなく私の反応を伺っている。こういっ
た場所に慣れていないのは、右に左に動く視線と、不安気な表情から推察でき
る。
私は笑顔をつくり右手でカウンターへの着席を促した。バーテンダーに「例
のものを」と、耳打ちしてから、彼女の横に座り、
「プースカフェというカクテルをご存知でしょうか?」
と、着飾った言葉で質問した。
私がバーテンダーに囁いていたのを、彼女は横目で観察している。ブースカ
フェを注文したことは推測できても、彼女にはそれが何か分かるまい。
彼女は人差し指で唇に触れながら、目を閉じている。まぶたの下で眼球がさ
かんに動いている。
私はマスターが差し出したフローズンカクテルを受け取り、ストローを指先
で弄びながら返答を待った。二本のストローが触れあい、交わってから離れて
いく。
やがて彼女はため息をつくと、
「ダメねえ。考えても分からないわ。だって、知識がないから」
といって親指の爪を噛むまねをした。
バーに新しい女性を連れて来ると、必ずブースカフェを注文して、同じ質問
をする。特別な理由はない。ただの習慣に過ぎなかった。それでも、女性によ
って異なる反応は興味深く、どれもが強い想い出となって再演される。
「どうぞ」
バーテンダーが差し出したのは、細身のグラスに幾層もの色彩が重ねられた
カクテルだ。薄明かりの中、緩やかにリキュールが煌めている。静かに流れる
JAZZに身を任せながら、彼女はグラスにひとつ口をつけた。
「虹みたい。でもキツイ……」
彼女は淡く頬を染めた。
「リキュールやブランデーがそのまま使われていますから。でも綺麗ですよね。
見ていても飽きることがない――まるで貴女のようだ」
こんな台詞にも照れることがなくなった。
「ふふっ。真顔で言えるなんて、すごいわねぇ」
女性が小さく笑うのを見て、私はカクテルを飲み干した。
「男はみな貴女を見て美しいと口にするでしょう。でも、私が気に入ったのは
貴女のお尻の形です。小さくて、それにとてもキュートだ……」
酔いが回れば口も動く。飲み過ぎないこと、次いで誰もが褒める箇所は決し
て褒めずに他の美点を探し出しすこと、それが肝要だ。
「面白い人……でも、少し嬉しい」
彼女はマドラーでグラスの中を軽くかき混ぜる。幾重にも織り込まれた色彩
の演出が、ただの混沌としたリキュールに変容していく。バーテンダーの顔に
微苦笑が浮かぶ。
「貴女と出会って数時間しか過ぎていませんが、私は宿命的なものを感じてい
ますよ」
「宿命?」
「運命は変えられるが、宿命は変えられない。一番好きな言葉です」
「私と出会ったことは、宿命だということかしら。これから先は運命だと?」
「ええ」
「私、自分の名前にコンプレックスがあるの。ゆがみこ――変でしょう。歪む
に子供の子で、歪子。さわらぎゆがみこ、フルネームで呼んだ友達は舌を噛ん
だわ。小学生の頃は早口言葉として流行ったの。おかしいでしょう? これも
宿命ということかしら?」
「女性に生まれてきたことは宿命だから変えられない。でもそれを自覚してど
う生きるかは自分で選ぶことができる。だからこそ運命と言うのだ。――そう
牧師が言いました。歪子さんの場合も同じだと思います」
彼女は同意の印に、小さくうなずいた。
会話を重ねるほどに二人の距離が近くなってくるのを感じる。最後までいけ
るな、そう確信できるだけの雰囲気が匂い立っている。
期待に水を差したのはバーテンダーだった。
「そういえば……テレビで見たのですが、牡ばっかりになったカエルの群で牡
が雌に変化していたんですよね。これは運命だったのでしょうか? それとも
宿命だったのでしょうか?」
馬鹿なことを口にする男だ――私が鼻で笑うのと、彼女が答えたのは同時だ
った。
「人間だって、同じような条件になれば何がおこるか分からない……。種族保
存の本能は想像以上に強いものだと私は思ってます」
彼女はバーテンダーに答えると沈黙してしまった。グラスに焦点を定めたま
ま何事かを一心に考えている。
部外者は寡黙がいい。少なくとも客に対して余計なお喋りは禁物だろう。一
度強く指摘する必要がある――心の片隅にメモをして忘れないことにした。
私の視線を感じ取り、バーテンダーが肩をすくめる。彼は小声で何かつぶや
くと後ろの小部屋へと続くドアに身を隠した。
「ごめんなさい、私、酔っちゃったみたい。どこかで休みたいわ」
彼女がつぶやいた。
「では、部屋を用意しましょう」
私は内ポケットから携帯をとりだし用を済ませると、新札をカウンターに置
いた。
*
ホテルの一室で彼女はネックレス一つだけ身につけている。金の鎖には小さ
な勾玉がペンダントトップとして飾られている。いま彼女はシーツを肢体に絡
ませたまま放心していた。女性を喜ばせる術なら、私ほどたけるものはそうい
ない。そう自負するだけの履歴を持っている。
ベッドに腰掛け、煙草の煙をくゆらせる。アルコールの時は我慢できても、
交じり合った後では耐えられなかった。
「禁煙中の一服ほど旨いものはないなあ」
自分以外に宛先のない言葉だ。
間を置いて、彼女が切ない吐息をもらした。
「……貴男、とってもすてきだったわ。私の躯と相性がいいもの。これなら上
手に送れる。仲間たちも喜ぶに違いない……」
女性は乱れた髪を掻き上げると、肘をつき、身体を起こした。
「仲間って?」
送れるって、どういうことなのだろう? 私は疑問に感じたが、彼女の口に
した仲間という存在が気になり、先に質問することにした。
「歪子って名前には意味があるの。養父母の元に現れたとき、文字通り空間が
歪んで私が顕れたそうよ。記憶にはないけど、話は聞いて知っていた……。小
さい頃は悩んだわ。どうして私に時空間を歪める力があるのか。まるでお伽噺
よね。笑えるでしょう?」
私は笑えなかった。
「年頃になって分かったの。18の時、過去を訪れて学んだわ。そして納得し
た。私は使命をもって生まれて来たってことを。そう思うより自分の存在を認
める事ができなかったのね。――そして私は宿命に従い、運命を自分で決めた。
貴男の言葉によればそうなるわ」
「なに莫迦な話を……」
私は煙草の火を消した。頭の中でどう解釈すればよいのか思考の糸を巡らし
たが、結論は出なかった。
「貴男と出会うのは宿命だったと私も思うわ。だって相性というか波長が合わ
ないと上手に送れないから……無理に送ると使い物にならなくなるの」
彼女が立ち上がると、私は本能的に一歩後ろに引き下がった。彼女の瞳が深
紅に染まり、訳の分からぬ不安が私の全身を刺し貫いている。危険だ、と脳裏
に電撃が走る。
「これが運命なの。私と貴男の」
彼女の指先が私の胸板に触れ、柔らかく、次いで強く押してきた。
私が一歩下がると、背後に冷気のカーテンがあった。身体が冷たい油膜に沈
み込んでいくような錯覚にとらわれる。私の周りは暗黒で重力を感じない。な
のに身体は震えることすら叶わず、瞬きすら許されなかった。
彼女のいる空間だけが、闇に開かれたジッパーのように存在している。明る
い場所はそのわずかな隙間だけだ。
これは幻なのだろうか?
何もかも分からない。頭の中で現実と幻想、二つの言葉が拮抗し互いに譲ろ
うとはしない。
縦に開かれた明るい亀裂の中で、彼女は小さく手を振る。隙間が閉じた時、
暗黒が全てを支配した。心臓の鼓動と血流だけが五感を埋め尽くしていく。閉
ざされた恐怖の中で、叫び声をあげようとしたが、喘ぎ声ですら拘束されてし
まう。――そして意識が遠のき、何も考えられなくなった。
*
「……ここはどこだ?」
目覚めた私は叫び声をあげてから、周りを見渡しそう尋ねた。薄暗い粗末な
小屋の中に女性が4人いる。それぞれが真っ直ぐな瞳で私を見つめている。仄
かな明かりの中でも彼女たちの異質さは感じ取れる。
頬をつねってみた――痛い。何がなんだか分からないが、側に女性がいると
いうだけで人心地つく、そんな自分に笑いがこみ上げてくる。
だがそれもわすかな間だけだった。起きあがろうとするとき、掌に土の感触
を得て、違和感が全身を包み込み襲いかかってきた。
何かがはじける音がして、身が震える。私の横で燃えているのは枯れ枝の束
だ。揺らめく炎が、女性たちを照らしている。目が慣れるに従い、周囲を把握
することができるようになった。小屋の隅には撚糸文がつけられた土器が並べ
られ、壁は枯れ草でできていた。女性の背後には出入り口らしいくぼみもある。
これでは古代の竪穴式住居ではないか!?
ここはここ。あなたにとって沢山の昨日――と、私の意識に直接言葉が綴ら
れた。
「テレパシーなのか?」
丸顔に一重瞼の女性が首を傾げてから、衣服を脱ぎ始めた。素人目にも麻な
どで織られたものだと分かる。女性たちは私の質問には答えもせず、勾玉や宝
玉のアクセサリを外し始める。
「どうなっているんだ。なぜ、みな裸になる?」
この村には女性しかいないから――
「……そうだ、歪子さんは?」
ユガミコは沢山の明日、はるかその先にいる――。
「どうなってるんだ、いったい……」
ユガミコは狩人。男を連れてくるために神が授けてくれた。私たちには男が
必要。子供が欲しい――。
私の脳裏に、子供が欲しい、子供が欲しい、と言葉が重奏になって刻まれる。
絡みつこうとする女性の手を弾いて、本能的に外へと飛び出した。それもわ
ずか数歩の冒険に過ぎなかった。天空に月明かりはなく、星の瞬きも見られな
い。暗黒の大地は喧噪ともいえるざわめきと人の気配で満たされている。人数
は一人や二人ではない。文字通り沢山の視線が私を取り囲み、無数の光る眼が
私をとらえて放さなかった。
逃げ場はない。背後から手を捕まれ、建物に引き戻されても、拒否すること
ができなかった。
ここにいる限り、衣食住は女性たちが保証してくれる。丸顔の女性がそう伝
えてきた。
女性たちが私の下着を剥ぎ始めても、もう気にならない。戻る術がないと理
解してしまえば、抵抗すること自体が無意味に思えたのだ。ここには女性が沢
山いて、全員が私との交わりを望んでいる。それは私が現代と呼ばれた遙か先
の世界で行ってきたことと、何も違いはない。
だが一つ問題がある。
「あなた方には言っても分からないだろうね……私が男の心を持って女性の身
体で生まれてきたってことを……今のこの身が作り物だということなんか想像
もできないだろうね」
女性たちはただ貪ることしか知らない。私の台詞は理解不能な出来事として
無視されている。
子供ができないと分かったら私はどうなるのだろうか?
口にはしなかった質問だ。
女性の視線が一瞬、背後に向かう。目を向けると土器の陰にドクロがひとつ
転がっていた。
「私のいた時代では宿命ですら変えることができたのに……ここではそうもい
かない」
ため息を漏らすと、丸顔の女性が唇で塞いだ。私は観念して運命に身を任せ
ることにする。
なるようにしかならない――人類はいつの時代もそれを運命とよんで割り切
ってきたのだ。宿命と運命の違いなぞ、今の私にとってどうでもよい事だった。
−−了−−