AWC あるトラニーチェイサーの死5    朝霧三郎


        
#594/598 ●長編    *** コメント #593 ***
★タイトル (sab     )  22/11/11  11:43  (196)
あるトラニーチェイサーの死5    朝霧三郎
★内容

 明子巡査はトラニー達を見渡した。
「それじゃあ、まず、「死への欲動」から。
 みなさん、フロイト博士って知ってますか?
 フロイト博士によれば、人間にはそもそも原初の状態に戻ろうとする傾向がある
との事です。原初の状態とは、生まれる前の、原子の状態、つまり死の状態です。
そこに戻りたいと思っている。これを、タナトスといいます。
 でもみんながみんなそう思っている訳じゃない。この世で成熟した女性と上手く
行っている人は、いちゃいちゃするのは楽しいから、ここにいたいと思う。快感原
則ですね。これをエロスといいます。
 では、どういう人が、エロスを捨ててタナトスに向かうか。
 それがこの世で成熟した女性との関係が上手く行かない人。
 どういう人が上手く行かないかっていうと、赤ちゃんの時に母親の無限の愛を得
られなかった人ですね。
 人って、胎内、母子関係、世界での男女の関係、と、人間関係を広げていきます
が、このこの母子関係のところで、無限の愛が得られるか得られないかが重要なん
です。
 母子関係の愛って、無限の愛なんですね。だって赤ちゃんは言葉が喋れないから
、何が欲しいとは言えないから、母親の方が「おっぱいが欲しいのかな、それとも
オムツが濡れているのかな、それとも何かな」と、無限の愛をくれないとならない
んです。赤ちゃんは無限の愛が欲しいのだから、何をくれても泣く、泣く、だって
おっぱいが欲しい訳でも、オムツを換えて欲しい訳でもなく、無限の愛が欲しいの
だから、何をくれても泣く訳です。
 でも、ここで無限の愛を得られたと感じれば泣き止む。そして、母は自分を愛し
ている、だけれども、おっぱいはでない時もあるんだなあ、と納得するんですね。
 ところが、この無限の愛が得られないと泣き続ける。おっぱいをやってもオムツ
を交換しても、無限の愛を求めて泣き続ける。そしてとうとう無限の愛を得られな
いままの赤ちゃんも居る。
 こうやって、大人の世界に行くと、無限の愛を得た人は、例えば女が変な態度を
とっても、「変な女だな、まあ、女にも色々あるからなぁ、つーか、女だって何時
でも濡れている訳じゃないからなぁ」ぐらいに思うんですね。母は愛してくれてい
るよ、でも何時でもおっぱいが出る訳じゃない。女だって何時でも濡れている訳じ
ゃない。こういうのはエロス的ですね。
 一方、母子関係で無限の愛が得られなかった人はどうなるのか。大人になっても
、基本的に愛はないから、何時までも愛があるか調べ続ける、赤ちゃんの時に泣き
続けた様に。こういうのはタナトス的なんですが。
 どうやって調べるかというと、昔、岸田秀という心理学者が居たんですが、その
人は、自分は母親に愛されなかった、と50歳になって言い出すんですね。母親と
は20歳の頃に死別しているのに。母親は自分を家業の跡取りとしか考えておらず
、愛してはいなかった、利用する事だけを考えていた、と言うんです。だから、ギ
ターでも何でも買ってくれたが、勉強に関するものは買ってくれなかった、それは
、学業の道に進まれると跡取りに出来ないからだ、とか。それで、50歳になって
、ノートに線を引いて、左に「母は愛している」、右に「母は愛していない」と、
昔の言葉を思い出して書くんですよ。そして愛していなかったと結論する。
 心理学者でも、赤ちゃんの時に無限の愛を得られないとタナトス的になっちゃう
、と気が付かないんですね。
 さて、今回の事件のガイシャも、なんと、同じ事をしていたんですね。職場のコ
ンシェルジュの言葉をアップルウォッチに録音して、愛はあるか、ないか、とチェ
ックしていたんです。まったくタナトス的ですね。
 こういうタナトス的な人間がどうなるかというと、この世での男女関係に上手く
行かないものだから、母子関係、胎内へと逆行するんですね。更には生まれる前の
状態、つまり死の状態に戻りたいと思う。これが「死への欲動」という奴です。
 でも、実際には、タナトス的な愛って、録音でチェックする様なカチャカチャし
たもので、おっぱいを吸う様なねっちょりしたものではないから、なんとなく臨場
感がないから、それで鉄骨の下書きになって臨場感を出していたのかも。拒食症患
者がリスカして臨場感を出すみたいに。
 とにかくこれが「死への欲動」の解決編です。みなさん、「そうだったのかー」
と膝を打ちました? まるでミステリー小説を読むみたいに。

「じゃあ、肛門性愛は?」とトラニーの一人が聞いてきた。「死への欲動と肛門性
愛になんの関係があるの?」
「それは、成熟した男女の関係から、母子関係、胎内へと退行しているのだから、
フロイト博士的に言えば、性の男根期から性の肛門期に退行した、って感じだけれ
ども。
 或いは、タナトスというのはアップルウォッチで録音してチェックする、みたい
な厳密なものだから、排便の時の快楽を厳密にコントロールしたかった、とも言え
るし。
 でも、実際には、コンシェルジュに愛される事に絶望して、もう女はいらない、
女性性器ではなく肛門がいい、と思ったのかも。

「じゃあ、ペニス羨望は?」と別のトラニーが聞いてきた。
「このオトコは、成熟した男女の関係から母子関係に退行したわよねえ。この時こ
の赤ちゃんが欲望しているものは、自分の欲望ではなくて、母親が欲望しているも
のなのね。じゃあ、母親が何を欲望しているかというと、それは父親のペニスなの
。だから赤ちゃん、つまりトラニーチェイサーにはペニス羨望があるのよ」
「ふーん」

「「死への欲動」と肛門性愛とペニス羨望は分かったわよ」とアリスが言った。「
でも、実際には小っちゃんはロボコップみたいに鉄骨の下敷きになって死んだんで
しょう? そんな洗脳が可能なの?」
(語るに落ちた。誰もロボコップなんて言っていない。こっちは、足場の下敷きに
なって死んだと言っただけだ。こいつがホシだ。もう少しせめてみよう)
「そうねぇー」明子巡査は腕組みをして右手で顎をつまんでみせた。「もともと「
死への欲動」があったから「ロボコップ」のイメージだけであんな事をやっちゃっ
たのかしら。
でも、プレイでトランスしている時に、無意識に、ロボコップが鉄骨の下敷きにな
るシーンを埋め込むなんて出来ないわ。そんな後催眠みたいな事はあり得ない。
それより重要なのは、さっき言ったペニス羨望って事なんだけれども。あの客はも
の凄い勢いでペニスを羨望していたと思うんだけれども。
それはもう、母子関係に退行したらもの凄い勢いでペニスを羨望しちゃうんだけれ
ども。
そのペニスの代わりにポケモンがきたら、そこいらの子供がポケモンカードに萌え
ている様になるし、ブランド品がきたらOLの様にブランド品に萌えるし、お経が
来たらカルトの様に宗教にハマるし。そして、ペニスの代わりに「ロボコップ」の
あのシーンが来たら、それはもう激しくあのシーンを羨望する。だから、洗脳とい
うより、ペニス羨望の代替でロボコップ羨望した、って言えるかもね。

「分かったわ。ハウダニットは」と巨漢オカマが口を挟んできた。「じゃあ、誰が
それをやったのよ」
「それは多分この中にいるんじゃないの」明子巡査はトラニー達を見渡した。
「誰?」
「まず、みなさん、自己紹介してよ。はしから」
「はるなでーす」と左端のトラニーが言った。
「ちょっと待って。スペックも言ってよ。このお店のhpに、竿アリ、玉ナシとか
、ニューハーフとか男の娘とかあるでしょう。ニューハーフっていうのはホルモン
をやっていて、男の娘というのはホルモンをやっていない人の事?」
「そうよ」
「それも言って。左から」
「はるなです。竿アリ、玉無しです。玉無しだから当然ホルモンはやってます」
(これは完全は女だな)と思った。
「しのぶです。竿アリ、玉あり。ホルモンはやっていません。男の娘です」
(kpopのアイドルより男っぽい。ジャニーズのタレントレベルかな)
「アリスです。竿アリ、玉あり、ホルモンはやってます。ニューハーフです」
(これは微妙だな。ジャスティン・ビーバーがズラを被った様にも見える)
「しおりです。竿アリ、玉あり、ホルモンはやってます。ニューハーフです」
(こりゃあ、背は高いが、顔は女っぽい)
「ゆきです。竿アリ、玉あり、ホルモンはやってます。ニューハーフです」
(デブっているが、顔は女っぽい)
「なつきです。竿アリ、玉あり、ホルモンはやっていません。男の娘です」
(これも結構男の娘だな)
「マンションの警備員の証言によると、ガイシャは、ドタキャンされたからと誘い
出された。早く買わないと、最後の一個だから、みたいに。心理学では、ハードト
ゥゲットとかゲインロス効果とか言われるけれども。
でも、こんなのにひっかかるのは、そもそもガイシャが、愛はあるんか、と、何時
でも愛に飢えていたからなのね。コンシェルジュの言葉に愛はあるんか、みたいに。
だから、簡単にひっかかってしまう。
「ロボコップ」の洗脳をしたのはその人。その日にプレイをした人。
それって分かるんでしょう?」と明子巡査は巨漢オカマの方に言った。
「さぁ、令状がなければ言えないわ」
「hpに出ているスケジュールも、店でいくらでも調整出来るんでしょう?」
「そうね」
「じゃあ、こっちで当てなくっちゃ」明子巡査はトラニーの方を見た。「ガイシャ
は愛に飢えていたからひっかかったのだけれども、トラニーの方にも、自分は愛さ
れていない、おちょくられているだけだ、という気持ちがあったんじゃないかしら
。ガイシャが、遊びでホルモンをやろうとしたら激怒した、という情報もあるわ。
トラニーの憎しみはホルモンに関するものね」
明子巡査はトラニー達を見回した。
 はるな。竿アリ、玉無し。ホルモンはやっている。
 しのぶ。竿アリ、玉あり。ホルモンはやっていない。男の娘。
 アリス。竿アリ、玉あり、ホルモンはやっている。ニューハーフ。
 しおり。竿アリ、玉あり、ホルモンはやっている。ニューハーフ。
 ゆき 。竿アリ、玉あり、ホルモンはやっている。ニューハーフ。
 なつき。竿アリ、玉あり、ホルモンはやっていない。男の娘。
(まず、男の娘は除外される。ホルモンをやっていないのだから。
あと、玉無しのはるなも除外。玉無しまで行っていれば、相当に女だろうから。
残るは、アリス、しおり、ゆき。
さっき語るに落ちたのはアリス。でも、トラニー同士で情報交換していたかも知れ
ない。だから、ゼロから想像しないと。
この3匹の中でホルモンで苦労していそうなのは…)
「ずばり、言うわ。アリス。あなた」
「何で私?」
「直観よ。つーか、ちょっと顎が長いからホルモンが遅かったんじゃないの? だ
からホルモンをもてあそんでいたガイシャが気に入らなかったんじゃないの? 結
構エラも張っているし。これが本当のエラハリウッド」
「そこまで言うううう。でもそんなの状況証拠もいいところだわ」
「ところがこれ」明子巡査は「ロボコップ」のDVDをかざした。「ここにはホシ
の指紋がべっとりついている筈。それと、そのトートバッグの中のSODのチュー
ブについている指紋を照合すれば物証だわ」
 突然アリスは、自分のトートバッグに飛びかかるとSOD ロングバケーション
を引き抜いた。
「ほーら、ひっかかった」と明子巡査。「この「ロボコップ」のDVDは、さっき
借りてきたものなんだから。ガイシャのは足場で木っ端みじんになっちゃったんだ
から」
「そんな…。だましたの?。そのDVD私のじゃないの?」
「まんまとトラップにひっかかったわね」
「だとして、犯罪になるの? 小っちゃんは死にたかったんでしょう? しかも後
催眠でもないんでしょう。ペニス羨望みたいに死への羨望があっただけでしょう。
それ、私に関係あるの? そんなんで起訴出来るの」
「それは分からない。ブランド品に夢中になるように洗脳するのは罪か、お布施を
する様に洗脳するのは罪か、分からない。でも、死ぬ様に洗脳するのは問題がある
んじゃないの?。たとえ、もともと死にたい人だったとしても。そこらへんはそれ
は検事さんが決める事だわ」
「とにかく署には来てもらうよ」と小林が言った。「ローションをひったくったか
らね。刑訴法221条、警察官は被疑者が任意に提出した物を領置することができ
る。それをひったくったんだから、公務執行妨害だ」
「勾留されるの?」と巨漢オカマ
「多分な」
「何日ぐらい?」
「最初10日、更に10日」
「留置場って、男と一緒なの? それとも女?」
「さあ、独居が空いているんじゃない」
「そうしてやって? 男と一緒になんて出来ないわよ」
 加藤がアリスに手錠をかけた。
 アリスと刑事3人は504から出て行った。
 通りに出ると、警察車両に、ぽつりぽつりと雨が落ちていた。
 梅雨明けまでにはまだ1週間はかかるだろう。アリスの勾留期間は恐らく20日
間。
 彼女が出てくる頃には、からっからに晴れているだろう。

【一応 了】










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