AWC 【本格】の積り『スキーマンションの殺人』1朝霧三郎


        
#595/598 ●長編
★タイトル (sab     )  22/11/23  14:57  (486)
【本格】の積り『スキーマンションの殺人』1朝霧三郎
★内容

『スキーマンションの殺人』朝霧三郎
(作者コメント。例のごとく使い回しが多いです)。

●1
 斑尾高原スキーマンションは、長野県飯山市にある、総戸数200個のマン
ションである。
 間取りはリゾートマンションの為1LKから2LDKと小さ目なのだが、共
有施設が充実していて、天然温泉の温浴施設があり、スタジオがあり、フィッ
トネスルームがあり、地下にはスキーロッカーもある。これは、居住者が、こ
こでスキー靴に履き替えて、歩いて行ける距離のゲレンデでひと滑りして、帰
って来るとひとっ風呂浴びる、という行動を想定したものである。
 もっとも、竣工は2018年10月で、竣工と同時に販売代理店も開設され
、翌2019年春のスキーシーズン終了までに約半数が売れ、19年下期にな
ってスキーシーズンが到来したら又売れ出し、この調子だったら本シーズン終
了までに完売するのではないか、と思えたのだが、2020年を迎えて、コロ
ナが直撃、販売も、スキー客もばったりと途絶えてしまったのだった。
 という訳で、管理組合法人も正式には発足しておらず、現状マンション管理
は、施主の子会社(本通リビング)の更に下請けの清掃会社に丸投げされてい
て、管理員や清掃員も、その清掃会社(AM社)がかき集めてきたパートにす
ぎなかった。
 このマンションで働いているAMのパートは次の9名である。

 チーフ管理員  蛯原敏夫(♂62歳)(立川志の輔似)
         勤務時間:8:00〜17:00(火曜休み)
 コンシェルジュ 高橋明子(本通リビングからの出向)(♀26歳)
(渡辺満里奈似)
         勤務時間:同上(日曜休み)
 24時間管理員 大沼義男(♂60歳)(いかりや長介風)
         斉木清(♂32歳)(佐藤浩市似)
         鮎川徹(♂31歳)(高木ブー似)
         勤務時間:8:00〜翌8:00
     (一名が24時間常駐勤務を3名が交代で行う)
   清掃員   山城鉄郎(♂63歳)(夏井いつきを男にした感じ)
         額田勇(♂64歳)(でんでん似)
         大石悦子(♀60歳)(由美かおる似)
         沢井泉(♀23歳)(渡辺直美風)
         勤務時間:8:00〜17:00
     (日曜休み。但し午前中、浴室清掃は行う)

 マンションの平面図は次の如くである。

                               裏エントランス
                                 ・―・
 ゲレンデ側(東)                        | |
・――――――――――――――・―――――――――・―――――――・ ・―・
|              |         |  スロ―プ | | |
| ・――――――――――・ |         |   ――――| ・―・
| |          | |         |       | |↑
| |          | |         |       | |不燃物
| |          | |       ・―・       | |置き場
| |          | |       |エ|自走式駐車場 | |
| |          | |       |レ|(屋上を含めて| |
| | 居住棟      | |       ・―・ 4階建て) | |
| | (10階建て。  | |         |       | |
| |  1フロア20戸)| |         |       | |
| |          | |         |       | |
| |          | |         |       | |
| |        ・―・ |         |       | |
| |        |エ| |         |       | |
| |        |レ| |         |       | |
| |        ・―・ |         |       | |
| |          | |     ・ーー・・―=====―・\|
| |          | |     |  |  リモコン式   |
| |          | ・―――・/・  |  シャッター   |
| |          | |共用棟| |  |←ゴミ箱      |
| |          | |   | ・ーー・ 置き場      |
| ・――――――――――・ |   | |             |
|              |   | |             |
・――――――――――――――・―――・ ・

共用棟詳細(1階)。
・〜〜〜ガラス〜〜〜〜・――――・――――・――・――・
|          |    |    |更 |更 |
|  吹き抜け    |清掃準 |共用部 |衣 |衣 |
|          |備室  |トイレ |室 |室 |
|          |    |    |男 |女 |
・――・       ・―/――・ ・――・/―・/―・
|エレ|             /          /
|  |       ・―――――――・/――――――・
・――・       |               |
|階段|   ラウンジ|               |
|  |       |    ボイラ―室      |
・――・   ・―・―・               |
|      |フ| |               |
|      |ロ| |               |
|      |ン| |               |
|      |ト| |               |
住居棟入口  ・―・  |               /
           |               |
|      ・―\―・               |
|エントランス|   |               |
|      |   |               |
|      |管理室|                |
|      |   |               |
|      |   |               |
・―正面玄関―・/――・―――――――――――――――・

共用棟詳細(2階)。
・〜〜〜〜ガラス〜〜〜〜・――――・――――――・
|           |    |      |
|  吹き抜け     |スタジオ|フィットネス|
|           |    |ル―ム      |
|           |    |      |
・――・――――――――・――/―・――/―――・
|エレ|                    |
|  |        ・―――――――――――・
・――・        |           |
|  |        | 浴場        |
|階段|        /           |
・――・        |           |
|           ・―――――――\―――・
|           |           |
|休憩スペ―ス     | 露天        |
|        暖簾 |           |
・――――――・〜〜〜〜・―――――――――――・
|           |           |
|           | 露天        |
|           |           |
|休憩スペ―ス     ・―――――――/―――・
|           |           |
|           |           |
|           |           |
|           / 浴場        |
|           |           |
・―――――――――――・―――――――――――・

 尚、地階にはスキ―ロッカ―がある。

 本日は2月23日で、朝までの24時間管理員の担当は鮎川だった。
 鮎川は、夜明け前の4時半頃から、3時間かけて、正面ポーチの車寄せから
、マンションが公道に面している入り口までの緩やかな下り道の雪かきをして
いた。昨夜は積雪はなかったのだが、その前から降り積もった雪に、車が通る
度にワダチが出来て、氷の様に固まっていたのだった。
 そもそも、雪かきは自然災害だから、マンション管理の範囲外と管理規約に
もある為、他の管理員は誰もやらないでいたのだが、新聞配達員が、ワダチに
ハンドルをとられてこけそうになったからどうにかしてくれと、主任管理員に
言っていて、それでも誰もが無視していたのだが、今朝3時の配達時に、新聞
屋が再度こけそうになり、鮎川を捕まえて、即刻雪かきをしろと怒鳴ってきた
のだった。
 それで夜中の4時半頃から3時間かけて雪かきをしていた。雪かきした雪を
路肩に寄せるだけでは又ワダチになるので、猫車に乗せては公道でばら撒くと
いう作業をしていた。やっと、7時過ぎになって、大方終わったところだった。
 鮎川は空を見上げた。
 雲の流れが速く、時々切れ目から青空が見える。でも今夕から又大雪との事
だった。
 チャリン、チャリンとベルを鳴らされて視線を水平に戻した。
 清掃員の山城が自転車でこっちに迫って来る。
「シャッター開けてくれ」と山城。
 鮎川はポケットをまさぐって、自走式駐車場のシャッターのリモコンを押し
た。
 山城は、鮎川を通り越して正面玄関を通り越して、左に旋回して自走式駐車
場に向かう。又、チャリン、チャリンとベルを鳴らす。
 左手にゴミ箱置き場を見ながら、自走式駐車場に入って中ほどまで行くと、
エレベーターの前で降りる。
 自転車を立ててエレベータに乗り込むと、最上階のボタンを押した。AM社
の自転車置場は最上階のスロープの下にあったのだ。
 最上階でエレベーターを降りて漕ぎだす。ところどころに車が駐車してあっ
て、影に残雪があったが、真ん中へんはグリーンのウレタン床が広く見えてい
た。その上をすいすいと漕いで行く。
 突き当りまで行くと右折してスロープで下る。その瞬間、残雪の塊で滑りそ
うになった。
「あぶねっ」と声を出した。(なんであんなところに凍った雪があるんだろう
。昨日は積雪ゼロだし、前の日の雪は昼間の内に溶けている筈なんだが)
 しかし、こける事もなく、スロープを降り切って、Uターンすると、スロー
プ下の駐輪場に自転車を止めた。

●2
 山城に続いて、到着したのは、コンシェルジュの高橋明子だった。
 ジムニーで鮎川とすれ違う時に、プッとクラクションで挨拶して、駐車場の
シャッターをリモコンで開けると、1階の来客場エリアに駐車する。
 AM社のパートは、自転車通勤しか許されていなかったが、明子は、本通リ
ビングの事務員であるのを、コンシェルジュ不在の為、緊急のピンチヒッター
で来ていたので、飯山市内のビジネスホテルに泊まりながら、自動車通勤をさ
せてもらっていた。
 ジムニーから降りると、もう一回シャッターを開けて、右手にゴミ箱置き場
を見ながら正面エントランスに向かう。冷たい空気を鼻腔から吸い込んで。
 玄関のところまで行ったら、車寄せのロータリーを、どこから来たのか、小
学生3人が覗き込んでいる。
(なんだろう)
 近寄ってみると小学生が言ってくる。「見て見て、お姉さん、このXmas
の字。こんなに芝生の真ん中に書いてあるのに足跡がついていないよ。どうや
ってこれを書いたんでしょう」
「さー。なんでだろう」
 確かに直径2メートルぐらいのロータリーの真ん中に足跡もなく”Xmas
”の文字が。
「多分、棒で遠くから書いたんじゃない?」
「ブー。そんなんじゃ書けないよ」
「じゃあ、考えておくわ。早く学校に行きなさーい」
「はーい」と言ってガキどもは行ってしまう。「ジングルベル、ジングルベル
、すずがなる♪」と歌いながら。

 明子は管理室には入らず正面玄関からオートロックを暗証番号で解錠して入
ると、フロントの前を素通りして、ラウンジ、共用トイレを通り過ぎて更衣室
へ行った。
 コンシェルジュの制服に着替えてくると、カウンター側の鉄扉から管理室に
入った。
「おはようございます」
 管理室内は家電量販店並の明るさ。
 真ん中にスチールデスクがあって、清掃の山城がふんぞり返って座っていた
。机の上に、スパイラルコード付きの鍵を並べていた。
 右手にはホワイトボードがあって1ケ月分のスケジュールが書かれている。
 正面に監視カメラの盤や防災盤がある。
 真ん中のアイホンの盤に主任管理員の蛯原が首を突っ込んでいて、受話器に
向かってしきりに恐縮していた。右前腕にはギブスを嵌めていた。凍結した路
面で転倒してヒビが入ったのだった。
 左奥がキッチンになっていて、冷蔵庫だの電子レンジだのが置いてある。そ
こから、次の24時間管理員の斉木がインスタントコーヒーを入れて出てきた
。既に作業着に既に着替えていた。
 正面玄関側の鉄扉があいて、清掃員の額田が、出勤してきた。
「おはようございます」といって、山城の並べた鍵の内、1本を取る。
 共用部の出入りの為に、清掃員には鍵が貸し出されていたが、こうやって鍵
を取ると同時に挨拶をすると、山城に深々を挨拶をする恰好になるのだった。
「おはよう」と山城が言った
 それから他の清掃員も次々と出勤してきて、深々と山城に頭を下げる。
 最後に鮎川が入ってきた。「ばてたー」
「いやー、理事の土井さんから電話で、駐車場最上階の車の周りの雪が凍って
いるから、
除雪しておけってさあ」と蛯原が言った。
「スロープのところにも、雪の塊があった。俺は滑りそうになったんだ。あれ
も取り除いておけよ」と山城。
「嫌だね。雪かきはやらなくていいって管理規約にも書いてあるだろう」と斉
木。
「じゃあ、お前、やっておけ」と山城は鮎川に言った。
「俺はもう上がりだよ」。言うと、ポケットから鍵の束を取り出して、腰のベ
ルト通しからスパイラルコードを外すと斉木に渡した。
「早く引きつぎやってよ」と斉木。
「じゃあ、引きつぎやっちゃいましょう」と蛯原が集合を掛ける。
 山城は立ち上がると「じゃあ、雪、どうにかしておいてくれよな」というと
、管理室から出て行った。

「おはようございます」蛯原は斉木、鮎川、高橋明子に言った。「今日は12
月23日で」とホワイトボードを見る。「それじゃあ、鮎川さんから何か」
「ありませーん」
「高橋さんは」
「ありませーん」と手帳に目を落としたまま。
「分かりました、と。私の方からは、と」蛯原はホワイトボードを見る。「引
越しは無し」と、新しい居住者の入居予定を言う。
(あるわけないじゃないか)と斉木は思った。(もうマンションは売れていな
いんだから)
「あと、そうそう、ごらんの通り、防犯カメラが復旧しました」と蛯原は監視
カメラのモニタを指し示した。先日落雷で破損したのだった。「ただし、ハー
ドディスクは10分の1しか動いていないから16時間しか録画出来ないそう
です。あとは、そうそう、今日ヤマダ電機から遠赤外線ストーブが届く予定で
す」
「へー、よかった。じゃあもう清掃のみんなはボイラー室で休憩しないんだな」
 清掃員には清掃準備室という部屋があてがわれていたのだが、寒くて居られ
ず、ボイラー室で休憩を取っていた。しかし午後からここで仮眠をとる24時
間管理員には邪魔だったのだ。
「あとは、雪かきだ。今夜から又大雪だというし。理事の車のところだけでも
除雪しておかないと」
「俺の方見て言わないでよ」と斉木。「蛯原さんが自分でやったらいいじゃな
い」
「私は、この手だから」と右手のギブスをさする。
「清掃の奴らにでもやらせたら」
「彼らはめいっぱいスケジュールがあるから」
「俺だって遊んでいる訳じゃないんだよ。風呂焚きだの巡回だの、色々忙しい
んだから。高橋さんやったら?」
「私は、ヘルプで来ているだけですし」
「とにかく、管理規約にないんだから、やる事ないよ。理事にそう言ったらい
いんだよ。文句あるならフロントに言ってくれって」と斉木。
「しかし、スキーマンションだしなあ」
「そんじゃあ、俺は、温泉沸かしてくるよ」
 ここの温泉は冷泉をボイラーで沸かすものだった。とにかくそう言って斉木
、鮎川はボイラー室に向かった。鮎川は帰り支度だけれども。

●3
 24時間管理員は、ボイラー室で着替えてきた。そこにロッカーがある訳で
もなく、プラスチックの衣装ケースを1個ずつをあてがわれて。
 衣装ケースの私服を出して着替えている鮎川に、ボイラーの制御盤をいじり
ながら、斉木が話しかけた。
「帰ったら漫画読みながら飲むのか?」
「漫画なんて読まないよ、アニメを見るんだよ」
「ああ、そうか。お前の自衛隊時代の漫画だけれども、今夜あたりにでも、ス
キャンして、youtubeにうpしてやるからよぉ」
「ああ、ありがとう」
「それでバズればお前もユーチューバーだからな」
「ああ」
「分け前は半分半分だからな」
「ああ」
 鮎川を帰してしまうと、制御盤のスイッチを入れて温泉を循環させた。うぃ
ーん、とモーターが駆動して、配管の中を冷泉がめぐりだす。ボイラーのとこ
ろに行くと、ボイラーのスイッチも入れた。冷泉はここで温められて、上の浴
槽に戻って行く。沸き上がるまで2時間半はかかるだろう。
(暇だ)と思った。(巡回がてら、裏エントランスから外に行って無人のゲレ
ンデでも眺めながら加熱式たばこで一服するか)

 ボイラー室から出ると、共用棟の裏口から屋外に出る。
(寒いなあ)
 そこは、ゴミ箱置き場の裏で、ゴミ箱置き場の向こうには自走式駐車場が見
える。
 右側に歩いて行くと、正面玄関から駐車場に向かう道に出た。
 駐車場方向に歩いていって、駐車場奥の裏エントランスに向かう通路を歩い
た。
 裏エントランスに近付くと、清掃員の額田と大石悦子が不燃物置き場の扉を
見ながら腕組みしたり頭を抱えたりしていた。
「なに、どうにかしたの?」い言いつつ斉木が近付いて行く。
「あらー、見つかっちゃった。見てこれ」と大石悦子は扉を指す。
「うん?」と斉木は扉を見た。
「分からない?」
「うーん、うん。キズがついている」
「分かるでしょう。実はね、ここに鳥の糞がべっとりこびり付いていたのでヘ
ラでこじったらこんな傷を付けてしまったの」
「あーあ」
「そんで、私らパートと言っても請負契約社員だから、物損を出せば損賠賠償
になるでしょう? あんなドア、業者に塗らせたら3万も5万も取られてしま
う。月に8万しか貰っていないのに5万も取られたらもう何も買えなくなって
しまう。週末にお父ちゃんと卸売りセンターでウニ丼を食べる積もりだったん
だけれども、それも諦めるようかねぇ、うぅーーー」
「斉木君、塗ってやってよ」と額田が言った。「ボイラー室にここを建てた時
のペンキの残りとかあるだろう」
「そんだったら、張り紙でもしておけばいいんだよ」と斉木。「雪で滑ります
、とか、足元注意、とか書いて貼っておくんだよ。それも蛯原の前でこれみよ
がしに書くんだよ。そうすればあいつがオスのマーキングで、すぐにパウチの
張り紙に交換するから。そうしたら又それを引っ剥がして、又自分の張り紙を
しておくんだよ。そんなの一週間もやっていれば、傷だらけになって元の傷な
んて分からなくなるから。ガード下の電柱みたいに」
「本当かい?」と大石。
「本当だよ。俺は、ここに来て蛯原のこの習性をすぐに発見したんだから。
 俺がここに就職した頃は、共用部の鍵なんかも誰も管理していなくて、俺が
夜間の暇な時に、本数をチェックして、鍵台帳を作成したんだけれども、次回
の勤務日に来てみたら、ベニヤ板に鍵がぶら下がっているし、鍵台帳も作り直
してあったんだよ。
 あと、割れたままの蛍光灯のカバーがあったので、取り外して、サランラッ
プで雨水が入らない様に養生しておいたら、次の勤務日には、アロンアルファ
で直したカバーが取り付いていたんだよ。
 それから、雨で滑ります等の張り紙をすると、すぐにワープロとテプラで作
った張り紙に貼り替えられる。
 なんだこいつは。犬か。小便した後に又小便を掛ける、みたいな真似しやが
って。
 でも、この習性を利用すれば、隠蔽工作に使えるなーって思ったんだよ。鮎
の友釣りみたいな」
「本当?」と大石悦子。
「それだけじゃないよ。あいつのこの習性を利用して、実は、今、額田さんに
もあるミッションを仰せつかっているんだぜ」
 額田は舌を出すとデヘヘと笑った。
「何、何、それ」と大石は興味津々である。
「まぁ、もうすぐミッションコンプリートだから、お楽しみだな。とにかくそ
の傷は、その上に張り紙をしておけばいいから」


●4
 フロントでは、高橋明子が気をつけの姿勢で立っていた。居住者は誰もたず
ねてこないのだが。
 蛯原は、フロントから出て行ってラウンジをうろついたり、又戻ってきたり
と、落ち付きがなかった。
 盤から防寒着(ブックオフで500円で購入)を出すと着込んで「ちょっと
温泉を見てくる」と階段を上がっていった。
 温泉の開店は12時なので、それまでだったら露天風呂に行けば一服出来る
と思ったのだ。斉木の居ない日はボイラー室で吸えるのだが、斉木が嫌煙権を
主張しているので今日はあそこでは吸えない。さりとて、わざわざ正面玄関か
ら出て行ってマンションの敷地外に行くのも面倒くさいので。
 浴室に上がって行って男湯を覗いてみたら、山城が洗い場の掃除をしていた
。そこで女湯の露店で一服しようと、女湯に行ってみる。
 電気はついていなかった。薄暗い女湯の引き戸を開けると、入って左手の石
造りの壁の向こうが洗い場なのだが、シクシクという泣き声が聞こえてくる。
(誰だろう、どうしたんだろう)と思って行ってみると、真ん中へんの洗い場
のところで、照明のカバーを持ったまま泉がしゃくりあげていた。
「どうしたの」
「電球が切れいているから交換しろって言われて、これ、外したら、割れてい
たんです」
「最初っから割れていたんじゃしょうがないじゃない」
「でも、私のせいにされる」
「ちょっとかしてみな」というと、蛯原は、ブツを受け取った。
 ガラスのカバーは、ねじ込み式のもので、ねじ込み部分まで全てガラスで出
来ている。ねじ込み部分から本体の一部にかけて割れている。
「だいたい、こんなところにガラスのカバーを使うのがおかしいんだよなあ。
プラにすればいいのに」
「これ、弁償したらいくらぐらい…」
「これ、割れやすくて前にも誰かが割ったんだが、2万だったかな」
「えー、2万? 私8万しかもらっていないのに。うちの母のC型肝炎の治療
費なんですけど、高額療養費を使っても年60万はかかるから、月5万は最低
医療費にかかっちゃうんです。あと、母の国民年金が5万だから、2万ってい
ったら大きいんですよねぇ」
「そうだよなあ。趣味や健康の為に働いているんじゃないものなあ。じゃあ、
これをよぉ」と鏡の前のカウンターに割れたガラスカバーを置くと、防寒着の
ポケットからアロンアルフアを出した。「これでくっつけりゃあ直るんじゃな
いか」
 断面に点々とアロンアルフアをたらして、割れた部分を本体にくっつける。
「これでいいよ。これでハメておこう」と言うと、鏡の上の照明のところにね
じ込んでしまう。「今度外したらダメかも知れないけれども、当面はこれで大
丈夫だよ」
「本当ですか?」
「ああ、平気だよ。さあ、行っちゃいな。バレない内に」
「ありがとうございます。ありがとうございます」といって泉は出て行った。
 その後、蛯原は、露天で一服した。
 真ん中に竹の仕切りがあって、男風呂を掃除している山城の出す音が聞こえ
る。
 音が止まった。
(こっちにくるかな)
 パッと女湯の電気がついて山城が入って来た。
「なんだよ、電球交換してないじゃないかよ」
 言うと、一回脱衣所に出て行く。そこにはミストサウナの蒸気発生器の設置
してある小部屋があって、ポリシャーやデッキブラシなどもそこに突っ込んで
あるのだが、そこから電球をとってくると又戻ってきた。
 洗い場に行くと、さっきねじ込んだカバーを開けた。
 途端に、「わー」と叫ぶ
「どうした?」携帯灰皿にタバコを押し付けながら何食わぬ顔をして蛯原が来
た。
「割れてんじゃないかよ」と山城。
「飛び散ったなあ。居住者がそこらへんで足の裏でもケガしたら大事だぞ。と
にかく、その割れたのを始末しないと」と、ポケットからレジ袋を出すと、
「ここに破片を入れろよ」
「いやに用意がいいじゃないか」
「昔、バタヤをやっていたからな」
 本体と破片を慎重にレジ袋に回収する。
「あんた、床に掃除機をかけときな。俺はここを養生するビニール袋とかガム
テープをもってくるから」
 蛯原は、フロントに行って、高橋明子に「山城さんが物損を出した」と言う
と、管理室に入って行って、流しの下に、ガラスのカバーの入ったレジ袋を置
いた。
 流し下部の収納スペースから、ビニール袋だのガムテープだのを出すと、2
階浴室に戻って行った。
 女湯の洗い場に戻ってみると、掃除機をかけ終わった山城が、途方にくれた
感じで突っ立っていた。
「この上から養生しちゃわないとしょうがない」言うと蛯原はビニール袋を照
明のところにあてた。「あんた、ここ、持っていて」
 と山城に指示して、ビニール袋を持たせると、ガムテープを四方に貼る。
「今日はこれで営業してもらうしかしょうがないなあ。割れたものの手配は、
俺から本通リビングに連絡しておくから」
「それ、高いのか」
「2万ぐらいだな」
「2万かあ。3日分の給料がすっとんだな」
「あんたは金持ちだからいいだろう」

●5
「どうしたんですか?」戻ってきた蛯原と山城に高橋明子が言った。
「風呂場の照明、割っちゃった」と山城。
 二人は管理室の中に入って行った。山城がデスクのチェアにどっかりと腰を
下ろす。
「コーヒーでも入れますか」と明子。
「ああ、入れてくれ、濃いのを」と山城。
 明子はキッチンコーナーに行って二人分のインスタントコーヒーを入れてく
ると、デスクの上においた。
「あーあ、全く損したな」と言って山城はチェアにふんぞり返ってコーヒーを
すする。
 主任管理員の蛯原が立ったまま、コーヒーをすする。
 山城はじーっと監視カメラの9分割の画面を見ていた。
「あのモニタだけれども、巻き戻せるのか」
「そりゃあ、そうだよ」
「何時間?」 
「今は16時間だな。本来は160時間なんだけれども」
「そこに映っているのは、駐車場の屋上からスロープの方へ行くところだよな」
「ああ」
「スロープのところは映っていないのか」
「あそこは死角になっているんだよ」
「スロープの手前でもいいけれども、昨日の夜中のとか見られないの? あそ
こで、滑りそうになったから。みんな俺の事を嫌っているからなあ、金がある
からって。だから、誰かが盛る土ならぬ盛る雪でもしたんじゃないかと思って」
「昨日まで故障していたから映ってないよ」
「カメラは全部で何台あるんだよ」
「24台だよ」
「残りの15台の映像は見られるのかよ」
「ああ、見られるよ」
 言うと蛯原はモニタの下に行くと、デルのPCから出ているマウスをいじく
りだした。
 山城も近寄ってきて、モニタを覗く。
「ここのボタンをクリックすれば画面が切り替わるんだ」蛯原はカチャカチャ
と画面を変えた。
「あ、泉だ」泉がエレベーターカメラに映った。「何やってんだ。さぼってい
やがるのかなあ」
 泉はエレベーターから降りて行くと画面から消えた。
「何であいつは真面目に働かないのかなあ。どうせ拘束時間は同じなんだから
、ちゃんと働いた方が時間が早く経つし、人の役にも立つのに。一ケ所にじー
っとしていないで、すぐに飽きて別の場所に移動する」
 蛯原が得意気に更にカメラを切り替える。
「あ、又泉が移動している。こいつ、ダメだなあ。首にするかなあ」
「そういうなよ。彼女はお前みたいに、遊びで働いている訳じゃないんだから
。家が苦しくてさあ。お母さんがC型肝炎だろ。年金も国民年金で、本当に爪
に火を点す様な生活をしているんだから」
「その割にゃあえらく太っているな」
「そういえば、もうすぐ飯の時間だな。あんた、どこで食うの?」
「清掃準備室」
「今日から、あそこにはみんなが帰ってくるぞ。遠赤外線ストーブが入ったか
ら」
「えー、本当かよ。あいつら貧乏人と一緒に食いたくないな。銭湯の休憩所で
食うかな」
 この会話をフロントで聞いていて、明子はムカっ腹を立てていた。
(首にする権利なんてあるわけないじゃないか。自分だって同じ時給のパート
なのに、何言ってんだろう。今度本社に帰ったら、ああいうのがリーダーだと
全くパワハラ、モラハラ、セクハラのブラック企業になってしまうと報告して
やろう)








 続き #596 【本格】の積り『スキーマンションの殺人』2朝霧三郎
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