#355/598 ●長編 *** コメント #354 ***
★タイトル (AZA ) 10/02/14 00:08 (108)
妄想肘鉄 2 永山
★内容 18/07/09 09:55 修正 第2版
事件発覚から十日が過ぎた。
放課後、江戸川蘭子は住野佐久美を教室から連れ出し、社会科資料室に二人
で入った。この物だらけの小さな部屋は、実際には使われておらず、ミステリ
同好会の設立を目論んだ蘭子が、以前から唾をつけている場所でもある。
「用事って、蘭子の言ってる同好会には、私、入らないわよ」
「そのことではないから、安心して」
窓からの夕陽を背に、蘭子は微笑んでみせた。
「秘密の情報を教えてあげようと思って、来てもらったのよ。ここなら内緒話
もしやすい」
「秘密の情報、ねえ。いつか言ってた、好きな相手が現実世界において見付か
ったとかかしら」
「外れ。三杉君が殺された事件のことで、佐久美にだけ、特別に教えてあげる」
「? どうして私に」
訝しげに眉を顰めた住野に対し、江戸川蘭子は右手人差し指を立てた。
「現場となった調理実習室には、洗いかけのボウルがあった。それには指紋が
一つだけ残っていてね。チョコレートで覆われていたおかげで、崩れなかった」
「ふうん。運がよかったのね」
「その指紋の主が、佐久美、あなたなのよ」
「……何を言ってるの」
今度はしかめっ面になる住野。蘭子が黙っていると、相手はさらに喋った。
「私の指紋が残っているはずない。断言できる。もし蘭子の話が本当なら、あ
なたが私に教えるよりも前に、あなたのお父さんなり他の刑事なりが来て、私
を捕まえようとするはずでしょう」
「ええ、そうよね」
「第一、どうやって私の指紋を採取できたの。私は今までに、警察に捕まった
ことはないし、指紋を採られたこともない。ボウルの指紋と比較するには、絶
対確実に私の物と言える指紋を、どこかから採る必要があるんじゃないの」
「比べなくても、私には分かるの。何故なら――ボウルにあなたの指紋を残し
たのは、私なんだから」
「え?」
意味が分からない。そんな風に、大きな動作で瞬きをした住野。
蘭子は自分の言葉が与える効果を確認しつつ、また、逆光を意識しつつ、微
笑を浮かべた。
「前の前の土曜日、調理実習室で、並んでチョコ作りをしていたでしょう?
あのとき、あなたの使ったボウルを洗ってあげるふりをして、逆に指紋が落ち
ないようにチョコで固めてから、そっと隠したのよね」
「な――どうしてそんな」
「私の筋書きでは、住野佐久美が犯人てことになってる。三杉秀介に密かな恋
心を抱いたあなたは、今年のバレンタインデーに、思い切って彼を誘った。彼
に振る舞ったのは、チョコはチョコでもチョコレートフォンデュ。フルーツは
自分の家で採れた物をたっぷりと。調理実習室を密会場所にしたのは、家に招
くことはできないから。三杉秀介は誘いにのこのこと乗ってきた。けど、その
割に身持ちが堅いというか、森静子を裏切らなかったのね。逆上したあなたは、
三杉を突き飛ばす。バランスを崩して転倒した彼は、机の角で後頭部を打ち、
死に至る。予期せぬ自体に、焦ったあなただったけれど、できる限り冷静に対
処した。血の付いた机の角を一旦チョコまみれにした上で、チョコごと拭って
綺麗にする。三杉のお腹を切り開いたのは、家庭菜園のフルーツやナッツを取
り戻すため。未消化の物を詳しく分析されたら、同じDNAだと分かってしま
うからね。液体チョコレートを口に流し込んだのは、元々あなたが三杉に食べ
させたチョコを“薄めて”、分からなくするため。あなたが最初に三杉に食べ
させたチョコには、あなたの分泌物が入っていたのよね。恋のおまじないとか
で、たまにあるじゃない。涙とか唾とかを混ぜて食べ物を作るの」
「そんなことしてないわ。全部、でたらめ」
「だから、これはみんな、私の考えた筋書き、計画よ。ちょっと計算違いだっ
たこともあったけれどね。本当なら、私が出しゃばらなくても、父達が指紋か
らあなたに行き着くという計算だったのに、充分な理由もなしに、むやみやた
らと生徒の指紋は採れないみたいで……。イチゴもあなたが持って来た分から
一つくすねて、いかにも三杉が食べたように、胃の中に切れっ端を置いたんだ
けどなあ。小さすぎたのか、警察はまだ調べてくれてないみたいで。仕方ない
から、こうして私があなたに直接、状況を説明しに来た訳よ」
「本当に意味が分からない。何のために、そんなことを」
「佐久美を事件に巻き込み、窮地に陥れた上で、私が名探偵として助けてあげ
る予定なのよ。あなたが真犯人じゃない証拠も、ちゃんと揃えてあるわ。それ
が何かは言えないけれど」
「名探偵として活躍したいがために、こんなばかなことをしたの?」
言いながら後ずさる住野。蘭子のいる位置からは、住野が後ろ手で扉に触れ
ようとしているのがよく分かった。
「逃げてもかまわない。けれど、どうにもならないと忠告もしておく。今、警
察が握る物証では、あなたが三杉秀介殺しの犯人になる。あなたが警察で、私
が今言ったことをぶちまけても、私の父は優秀な刑事で通っているからね。そ
の娘が、そんなおかしな犯罪をしでかすはずがないと信じてくれる」
「……」
「今逃げたら、もう私はあなたを救わない。今、私の言うことを聞くのが、最
初で最後のチャンスだと知りなさい」
流暢に言い切った蘭子。
住野は両手を前に持って来た。
「じゃあ、聞くわ。どうすれば、私の無罪の証拠を出してくれるというの?」
「それはね」
* *
住野佐久美は渡されたA4用紙の束を、机に放り出した。小説が印字された
それは、右肩を留めてあるのでばらけることはない。
「えー、何で途中で読むのをやめるのよ」
「落ちがちらっと見えて、あまりのばかばかしさに」
作者たる江戸川蘭子が抗議するも、住野は至って冷静に答えた。
「ちらっと見えたなら、最後まで読んでくれればいいじゃない」
「ここまで読むのにも相当我慢してきた。もう限界」
「あることないこと書いたのは謝るし、最初に断ったじゃない」
「あることないことじゃなくて、ないことばかり、でしょ」
「ああ、それは確かに。大変失礼をしました」
自分で自分の頭を叩いた江戸川。
「言い訳すると、実在のよく知る人をモデルにした方が、筆が乗るんだ」
「それは分からなくもない。だからこそ、このぎりぎりまで付き合って、読ん
できたわ。しかし、最後の落ちが……」
江戸川の手元にある原稿を指差しながら、一旦、言葉を区切る住野。大いに
ため息をつくこと、十秒ほど。ようやく喋りを再開する。
「こんなひどい事件を起こした動機が、私の――作中の私の、好きな相手を知
りたいだけって!」
「だって、知りたいんだもん。三杉秀介みたいな線の細い二枚目がタイプ?」
「それもだわ。三杉秀介って誰? というより、私とあなたとあなたのお父さ
んの他に、実在の人物って、上和田先生しかいないじゃないの」
「ノンノン」
自らの台詞に合わせ、ぴんと伸ばした人差し指を左右に振る江戸川。
「名倉さんも本当にいるよ。父とはとっても馬の合う刑事さん」
「知らないってば」
――おしまい