#344/598 ●長編
★タイトル (CWM ) 09/08/11 01:30 (379)
ホテル・カリフォルニア 1 つきかげ
★内容 09/08/11 01:39 修正 第2版
冬の空みたいに蒼い海が、世界を覆っている。
清洌な、哀しさすら漂わす冷たい蒼。
海は蒼に身を包み、寒々と横たわっている。
そのホテルは、海の中にあった。
古代の遺跡のようにあるいは中世の城塞みたいに灰色の武骨な外見を晒す建物。
潮が引いて、海が浅くなったときにだけ。
そこにいたる白い道が海の中から姿を顕す。
海の中から浮き上がる、白い骨のような。
真直な道が。
蒼い海の中に浮き上がる。
そしてその道を通って岸壁にたどり着くと、そこに螺旋状に刻まれた回廊を見出すこ
とになった。
巡る回廊を通り抜け、城壁のような壁に囲まれた道を進むと。
大きく頑丈な木製の扉へたどり着く。
そこには、こう刻まれている。
「ホテル・カリフォルニア」
この世で最も残酷な生き物は子供に違いない。
だってそうじゃないか。なんでやつらは、僕を殴るんだよ。
意味もなく。
へらへら笑いながら。
挑発するように、
いたぶるように。
露出している部分にあざが残らないよう注意深く。
まるでこころを傷つけるためみたいに。
殴る。
殴る。
ああ。こんなこと考えている場合じゃあない。
僕はもう眠らないと。明日までに。こころと身体の痛みを快復させて。
うんざりするような。
そう、マンガの中でのできごとみたいに現実感がなくバカバカしく。
それでいて耐えがたい苦痛に満ちた、生きるために全ての気力を振り絞らなければい
けないような。
日々に立ち向かわないといけない。
多分、あれだぜ。
ピラミッドを造った奴隷たちだって、こんなにしんどくは無かっただろうと思う。
僕の日々に比べれば。
僕は、
布団に横たわり。
ああでも、子供が残酷というのなら僕も残酷ってことなんだ。
と思いつつ。それはないよなと思いつつ。
そのとき。
突然僕はその声を聞いた。
(やあ、はじめまして)
僕はびっくりして、あたふたする。
なんだよ、誰なんだよ。頭の中に直接話しかけるなんて、一体だれ。
(いや、僕はきみで、きみは僕。そして僕は人力コンピュータ)
へえ、きみは僕なんだ。なるほど、それで僕の頭の中に直接、て、人力コンピュータ
!?
なんじゃそりゃあ。
(コンピュータの歴史を考えると、人力で動いていた時代のほうが長い。それこそ紀
元前から手動でコンピュータは動かされてきた。それはさておき、もうひとり、僕そ
して、きみがいる。失われた、大切なものを探しにいこうとしているきみ、そして僕)
なんの話だよいったい。
て、いうかさ。
そもそも、なんの用があるの、人力コンピュータ。
(終わりが始まる。そして、きみはたどりつく。ホテル・カリフォルニア)
なんか。
僕は夢見心地。
そこは、空の上。
下には、海がひろがっている。
蒼い海。
そして、その海を貫く白い道を。
僕がきみが。
歩いてゆく。
まっすぐ。
ずっと。
君は。
蒼い夜空を横切る白い銀河みたいな。
その道を歩んでゆく。
世界は哀しいほど澄み渡った蒼に満たされて。
ただ。
君の足元の道だけは、塩のように白い。
かつて神の怒りに触れた街が滅ぶのを見たひとが、その屍を塩の柱と化したというけ
れど。
その塩と化した屍が続くようなその道を。
君は。
歩んで行く。
巡礼者のように、フードのついたマントを身に纏って。
両の瞳は分厚いゴーグルで覆い隠し。
灰色の影となった君は。
蒼い世界に浮かぶ灰色の城塞へ、たどり着く。
君は。
螺旋を描く回廊を、黄昏をさまよう幽鬼のように静かに歩んで行くと。
その扉にたどり着く。
その頑丈な木の扉には、こう書かれている。
「ホテル・カリフォルニア」
君は。
その扉に手をかけた。その時。
鐘が鳴り響く。
ああ。
今まさに。
世界が終わることを歎く弔いの鐘のように。
美しく、鳥肌が立つように荘厳な。
そう、それは城塞のような建物に相応しい原始の司祭が祈りを唱えるように戦慄的に。
鐘が鳴り響く。
君は扉を開いた。
薄暗く広いその玄関ホールに。
悪魔のように黒衣を纏った初老の男が立っている。
黒い男は黄昏みたいに、そっと笑い。
こう言った。
「ようこそ、ホテル・カリフォルニアへ」
その言葉と同時に君の背後で軋み音をたてながら。
大きな扉は閉ざされる。
まるで。
棺桶の蓋が閉ざされるように、重々しい音をたてて。
ずしりと。
この世界の綻びは修復され永遠に。
閉ざされた。
君は。
玄関ホールの中へと入ってゆく。
マントのフードをぬぎ、さらさらと揺れる細く真っ直ぐな髪を顕にする。
小鹿のようなつぶらな瞳や、エルフのように華奢な身体はゴーグルとマントに隠され
ているが。
少女のように繊細な作りの唇や顎の線はさらけ出されている。
君は。
呟くように、目の前にいる黒い男に話し掛ける。
「どうして」
男は魔物みたいに口の両端を吊り上げて笑い、言葉を促す。
「そんなふうに、笑うのですか?」
男は表情を変えず、問い返した。
「お気に召しませんか」
「だって」
君は。
儚ない花びらのような唇を少し震わせながら、言った。
「怖いじゃあないですか」
男はすっと、笑みを消した。
そして彫像のように無表情になると、優雅に一礼する。
玄関ホールは洞窟みたいに薄暗いが礼拝堂のように広く、天井が高い。
男はその玄関ホールの奥へ、ファウストを案内するメフィストみたいに君を差し招く。
男は奥にあるカウンターの中に入ると、芝居の台詞みたいにくっきりと言った。
「お名前を頂戴できますか?」
君は。
少女のように俯きながら、けれどはっきり答える。
「野火・乃日太といいます」
男は満足げに頷く。
「ではすぐにお部屋をご用意しますが、それまでの間お飲みものでも如何ですか」
君は。
答える。
「では、ホットミルクを」
男は少し眉を上げる。
「そのようなスピリッツはございません」
君は困ったような笑みを浮かべる。
「スピリッツじゃあない。ホットミルクだよ」
男はそっと。
頭を下げた。
「わたくしどもはスピリッツ以外のお飲みものはご用意できません」
君はため息をつき。
その場を離れる。
君は。
玄関ホールを抜けると中庭に出る。
真冬の空みたいに灰色の壁に囲まれた中庭は。
中央に噴水があり。
周囲に緑なす木々が繁っていて。
そこは半ば自然のままであり、半ばひとの手によって造り上げられたもののようで。
不思議な混沌と。
静謐な秩序とが。
調和を取り合って成立している場所であった。
君は。
石柱が立ち並ぶ庭園の入口から。
噴水近くを眺める。
そこには。
黒衣を纏った男女がおり。
野生の獣みたいにしなやかで美しい動きを見せながら。
美しい旋律を持ったコンチェルトみたいなダンスを踊っていた。
空はいつしか深い藍に染め上げられ。
日は音もなく退場したようで。
酔い心地に浮かれた黄昏れの空気があたりを包みこんでいる。
君は。
突然。
氷の刃を押し付けられたみたいな殺気を背中に感じて。
後ろを向く。
その手には。
骨のように純白の巨大な拳銃が握られている。
魔法のように。
拳銃は突然手の中に出現したように見えた。
君は。
声をかける。
「どうして、そんなふうに僕をみるのです」
か細いけれど。
冬の陽射しみたいに凄烈な声で。
君は言った。
「怖いじゃあないですか」
石柱の影から女が姿を顕す。
グレーのジャケットを身につけた。
長身の女は精悍な笑みを浮かべながら自然体で君に近づく。
「悪かったよ。君があまりに剥き出しだったから試したくなったんだよ」
女は君のすぐ前に立つ。
君が手にした、拳銃をゆびさす。
「見せてくれないか、その銃を」
君は。
純白の拳銃を女の心臓につきつけたまま。
静かに問いかける。
「あなたは、誰なんです」
女は。
吐息を吐くように、そっと笑った。
「君と同じ。このホテルの客だよ。入ることはできるけれど。出ることの叶わない。
裏返って閉ざされた場所。そこの囚われ人。君と同じだよ」
君は。
手にした拳銃をくるりと回して。
銃把を女のほうへ向けた。女は満足げに笑みを浮かべると、銃把を手に取る。
女は、その五連式輪胴断層の拳銃を手にした。
「バントラインスペシャルなみだな、この長銃身は」
女はトリガーガードのレバーを操作し、中折れ式の銃を折り弾倉から銃弾を取り出す。
女は低く口笛を吹いた。
「驚いたな。これは375口径、ホーランド&ホーランドマグナム。エレファントキ
ラーじゃないか」
女は銃を畳むと、君に戻す。
「猛獣狩り用のライフル彈を拳銃で使うなんて。ライフルで撃ったとしても素人であ
れば鎖骨を骨折するといわれているが。それを拳銃で発射するなど正気の沙汰とはお
もえない」
女は喉の奥で笑う。
「これを撃てば手が裂けても不思議はない」
君はゴーグルで表情を隠している。
女は問いかけた。
「なぜこんな大きな銃を使う」
君は純白の拳銃を腰のホルスターへ戻すと。
可憐な唇を震わせながら。
女に答える。
「だって」
君は、少し俯いて、でもはっきりと言った。
「怖いじゃあないですか」
女は。
驚いたように眉をあげる。
「357マグナムや44マグナム。いえ。50口径のマグナムだって」
君はゆっくりと言った。
「確実に殺せるとは限らない」
女は。
ゆっくりと頷く。
「エレファントキラー。確実に死を与えることができる。だから僕は」
君は、少し微笑む。
「少しだけ安心するんです」
女は。
納得したように頷く。
「では君もあのディナーにでるつもりなんだな」
君は。
少し苦笑の形に唇を歪めて、答える。
「あれをディナーと呼ぶのであれば、そうですね」
空を見上げる。
藍に染まった空は。
次第に昏くなってゆき。
逢魔が刻を迎えつつある。
薄明の中で、黒衣の男女たちは優雅に踊っていた。
そして。
夜はゆっくりと降りてくる。
僕は夢の中。
君がホテルの中で交わした会話も夢で聞いた。
そして。
今は誰かの泣き声を聞いている。
誰なんだろう。
そんなに泣くことはないのに。
きっと悪いことばかりじゃないよ。
いいことって。記憶に無いけれど。まあ、大丈夫さ。
てな感じでいい加減なことを言っていたら。
ふっと目がさめた。
僕は驚いて息を呑む。
「えっと、お母さん?」
暗闇の中。
微かな月明かりに。
お母さんの姿が浮かびあがっている。
その手には、冷たい金属の輝きを放つものが握られて。
えっと。
それって包丁。
ちょっと。まてよ、おい。だめだって。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ」
僕は叫んで横に転がる。
包丁は布団に突き立てられた。
僕は、必死で窓から飛び出す。
無我夢中で、窓辺の木に抱き付くと、下まで滑り降りる。
なんだよ、一体。
どういうことなんだよ。
夜の庭。
気配を感じて僕は振り向く。
真っ黒な男の影。
男が動いて、月明りを浴びる。
「お、お父さん……」
お父さんの手には、金属の棒が握られている。
多分。
ゴルフのクラブというやつだ。冗談じゃあない。そんなものを振り回して。
「ひいいっ」
僕は辛うじて尻餅をついて、フルスイングを躱す。ごきっ、と音がしてクラブは木に
激突し、へし折れる。
僕は、塀に跳び上がると、道路に出る。
そして走った。走った。走った。
心臓が喉から飛び出るかというくらい。
犬のように。
走った。走った。走った。
僕は、限界がきて、膝をつく。
汗が噴きでる。喉に火がついたように激しく息をした。吐息が炎みたいだ。
奇妙な夜だった。
声に成らぬ叫びが。
おーーーんと。
おおおーーーんんと。
無音のまま、夜に響き渡っている。
それは、夜を恐怖と不安の色に染め上げた。
でも。
それは僕にとって母親の膝みたいに。
とても馴染があるものだ。
そう。
僕の日常には、不安と恐怖が満ちあふれている。
僕は、学校で殴られながら。こう囁かれる。
(おれが本気だして殴ればよう。お前の内臓は破裂するするぜ)
そして、腕の関節をきめられてこう囁かれる。
(おい、このまま折ってもいいんだぜ。そしたらお前。どうするのかなあ)
そんな。
不安と恐怖がいつも僕とともにあって。
だから今、それが街じゅうに溢れているので。
これって僕のこころがそののまま夜を塗りつぶしたってことじゃん。
なあんて。
思うんだけれど。
「野火くん」
いきなり声をかけられ、僕は顔をあげる。
「み、水無元さん…?」
そこには。
ラプンツェルみたいに髪の長い。
妖精みたいな美少女が。
蒼ざめた顔をして立っていた。
僕と同じパジャマのままで。
荒い息をして。
立っていた。
僕は立ち上がると。
水無元さんの前に立つ。
こんなときでも水無元さんは石鹸のいいにおいがして、僕は少しどきどきした。
「ねえ、野火くん。あなたも街のひとたちを見た?」
え、街のひと……?
「知らない、なんのこと?」
水無元さんは、整った顔を少し曇らせる。不思議の国で道に迷ったアリスみたいに。
「みんな、おかしいの。まるでそう、あれは」
「あれは?」
「ゾンビみたいなのよ」
げげっ。
そんな、そんなことが、あるんだろうか。
僕にとって日常はいんちきで、でたらめで。
マンガの中のできごとみたいに。
馬鹿馬鹿しく過ぎてゆく時間なのだけれど。
でも怪奇映画になってしまうなんて。
そりゃあいきすぎだぜ、と思ったら。
水無元さんの顔が。
月明りの下で。
川に墜ちたオフィーリアみたいに、蒼褪めてきている。
僕はゆっくりと振り向いた。
そこには街のひとたちがいる。
なるほど、ゾンビだね。こりゃあ。
焦点の合っていない目。
ぎこちない動作の歩み。
僕は、髪の毛が逆立つような恐怖を感じる。
なるほど。夜を支配していた恐怖はこれだったのかと。
僕は思う。
「逃げよう」
僕は水無元さんの手をとって、走り出す。
でも。
僕も水無元さんも裸足でその足は傷だらけだったから。
そんなに速くは走れない。
ゾンビみたいになった街のひとたちも、速く走ることはできなさそうだったけれど。
でも、僕等は次第に追い詰められていった。
そのとき。
水無元さんが、前方の坂の上に立つ人影を指さした。
あれ。
あれは。
夢の中に出てきた。
君で、僕で、彼じゃないか。
灰色のマントを纏って、フードを被り。ゴーグルで目を隠した。
僕で君でそして彼は。
叫んだ。
「ここまで、走れ。全力で」