#343/598 ●長編 *** コメント #342 ***
★タイトル (CWM ) 09/04/26 17:42 (366)
夜明けのうた 下 つきかげ
★内容
そこは。
広々とした場所だった。
体育館か講堂のように天井も高くスペースも広い、しかしがらんとした場
所。
薄暗く、薄墨色の空気に満たされているようなしんとしたところ。
その場所のずっと奥に。
あなたは居た。
あなたは。
天使のように巨大な翼を壁に貼り付け。
いや。
あなた自身が化石となって岩壁に埋まっているように。
つきあたりにある広大な壁の中に、身体の半ばを塗り込められていた。
あなたの翼は。
羽根はなく金属でできた骨格だけのようだったけれど。
広々とした壁全体を覆うことができるほど巨大なものだった。
金属の糸で出来た蜘蛛の巣にいるようにも見え。
病室で様々な機器に接続されていたときと同じように。
得体のしれぬ翼のような機械を身体に組み込まれているようにも思えた。
あなたの瞳は閉ざされており。
息をしている気配も感じられなかったため、オブジェかあるいは剥製のよう
に思え。
僕は恐ろしくて近づくことができなかった。
本当に、本当にあれはあなたなのだろうかと何度も何度も自問したのだけれ
ど。
固く目を閉ざしたその顔は紛れもなくあなたのものであった。
僕がその広々とした部屋に立ち尽くしている間に。
いくつもの人影が現れて、あなたのほうへ向かって行った。
そのひとびとは。
皆、男性のようであり全身に刺青を入れていた。
その刺青はまるで身体を覆う回路図のように見え、幾何学的なラインが青白
い光を放っており。
その男たちの身体内部で何か光輝くものが燃えさかっているかのように思え
た。
男たちは、まるで僕が存在しないように僕のそばを通り抜けてゆく。
多分。彼らには僕が見えていない。
僕はまだ彼らとは異なる時間に属しているためだろうと思う。
男たちはあなたを取り囲むように、佇んでいた。
僕は男たちの声を聞くことができた。
(なぜオメガは目覚めない)
(このままでは間に合わないな)
(もう時間がない。このままオメガが目覚めぬのであれば)
(夜明けは訪れないのかもしれぬな)
男たちは、吹き抜ける風のように囁きあい。
やがて。
現れたときと同じように静かに立ち去って行った。
ひとりの男だけを残して。
ひとりだけ残ったその男は。
他の男たちがそうだったように、逞しい身体を持っている。
その身体は、ギリシャ彫刻やボディビルダーのような均整のとれたものでは
なく。
野生の猛獣が持つ。
しなやかさと獰猛さを兼ね備えた。
自然に身についた威圧感を持つ肉体である。
そして、その肉体には縦横に亀裂のような刺青が走っており。
体内で燃え盛る光が漏れ出るように。
輝きを放っていた。
その男は僕を見つめている。
その男だけには、僕が見えているようだ。
男は語りかけてくる。
「おまえは、ブレーンワールドから来たものだな」
僕は、首をかしげる。
「判らないか。まあいい。この世界は16次元空間。バルク空間だ。お前た
ちの世界は、高次元が圧縮され皮膜化したブレーン(泡)の世界。おまえは、
このオメガに連れられてここに来たのだろう」
僕は頷く。
「そうです。あなたには僕が認識できるのですね」
「ああ。おれの名はアルファ。そこにいるオメガのパートナーだ。おそら
く、オメガと認識を共有しているためおまえが見えるのだろう」
「パートナー?」
アルファと名乗った男は。
無言で振り返ると、歩き出した。
「ついてこい。おれたちが何をやっているのか見せてやる」
僕は、アルファの後ろに続く。野生の獣みたいな滑らかな動きで歩くアル
ファは、部屋の扉を開き外に出た。
そこは、広々とした屋外ステージのような場所だ。
眼下には荒廃した大地が広がっており、頭上には深い深い青に染められた空
がある。
アルファは。
その空の彼方を指差した。
「見ろ。あそこにおれたちがフェンリルと呼ぶものがいる」
アルファが指差す先には。
黒い。
おそらく死、そのものみたいな闇につつまれた。
巨大な。
空の一角を支配してしまうくらいに巨大な。
漆黒の塊があった。
それは、切り取られた夜のようでもあるが。夜よりなお深く絶望と哀しみに
満ちており。
見るもののこころを暗澹とさせる力があった。
「フェンリル、あれこそが世界の終わりだ。そして」
アルファは、今度は頭上を指差す。
「戦闘妖精たちが、フェンリルへ向かう。見ろ」
この世のものとは思われない純粋な青に染められた空を。
女たちが翼を広げてとんでいく。
彼女らの翼には羽根はなく、金属の骨格だけのようであったが。
その骨格の間に菫色の光が輝いていた。
彼女らは、菫色の羽を持つ蝶にも見えた。
「彼女らが抱いているのが、パートナーだ」
戦闘妖精と呼ばれた彼女らは、大きな繭を持っている。その中に男たち、つ
まりパートナーが入っているということなのだろうか?
フェンリルと呼ばれた黒い塊は、近づいてくる彼女らに光の矢を放つ。暗黒
の雷雲が雷を地上に向かって放出するように。
空を飛翔する乙女たちに向かって光の刃は容赦なく、襲いかかってゆく。
獰猛な輝きを放つ光が彼女らに触れると、彼女らはあっけなく炎につつまれ
墜ちていった。
「彼女たちは戦っているのですか?」
僕の言葉に、アルファは首を振る。
「誰も自分の死と戦うことなぞできはしない。受胎させようとしているのだ
よ」
「受胎?」
「そうだ。彼女らの持つ繭。あの中には溶解したパートナーが入っている。
溶解したパートナーは卵となり、フェンリルの中に投じられるとフェンリル
を受胎させる」
僕は驚いて。
アルファを見つめる。
「受胎したフェンリルは、夜明けとなる。つまり」
アルファは微かに笑みを浮かべたように思えた。
「世界の始まりとなるのさ」
僕は、アルファと別れ。
あなたのいる部屋へと戻ってきた。
僕は膝をつき、首を項垂れ、祈るように。
あなたの前で。
幾度も自問する。
あなたは。
あの世界の終わりを見せたかったのだろうかと。
あなたがいずれ赴く。
あの黒く哀しく、そして凶悪な。
世界の終わりを僕に見せたかったのだろうか。
僕は。
その問いかけを自分に繰り返しながら。
あなたの前で跪いている。
突然。
あたりが菫色の光につつまれた。
僕はあなたを見上げる。
あなたの翼が光を放っていた。
夜明けの空のような、菫色の光。
そしてあなたは瞳を開くと、壁から抜け出して僕の前に立つ。
あなたは。
両手で僕の顔を抱き。
「ねえ」
唇を僕の頬へよせ。
「あなたが、好きなの。大好きなの」
あなたは。
口づけを僕の瞼へ、額へ、頬へ、
そして、耳へ、鼻梁へ、唇へ、
そよぐ風のようにやさしく。
「とても好きなの。とても、とっても。大好きなの」
そういいながら
口づけを。
僕は、あなたの腰に腕を回して抱きしめる。
「あなたを、無くしたくない。離れたくない」
あなたは、僕の顔を手で支えると微笑みながらもう一度口づけをする。
「大丈夫なの。心配しなくていいの。大丈夫なのよ。それを伝えたかった
の」
あなたは僕から少し離れて立つと、輝く翼を大きく開いた。
あなたの下腹部に暗い穴があく。
海の底みたいに暗いその穴から、銀色の糸が放出される。
その糸は瞬く間に僕の身体を覆った。
僕は繭の中にいる。
(僕はこの中で溶けて卵になるの?)
「いいえ、あなたはパートナーではないもの。そうはならない」
僕らは空へと舞い上がる。
青い青い空。
僕はその天空の景色を、あなたの瞳を通して見ていた。
繭の中にいる僕は、あなたとこころが繋がっており、あなたの見るものが僕
にも見ることができた。
あなたは高速で空を飛翔する。
漆黒の塊であるフェンリルが瞬く間に近づいてきた。
あなたは。
巧みにフェンリルが放つ光の矢を躱しながら、黒い闇へ近づいてゆく。
やがて、僕らはフェンリルの真上へ来た。
真上から見たフェンリルは、金色と銀色の光が渦を巻いており。
そしてその中心には、黄金に輝く球体があった。
それは。
永遠の輝きのように、荘厳な光を持っており。
とても美しく。
とても神秘的で。
宇宙の果てから訪れたかのように、異様な力を内に秘めており。
神の創りたもうた永遠の安息みたいに安らかで。
怖れをもたらし。
哀しみをもたらし。
僕のこころを嵐のように揺さぶって。
僕は涙した。
あなたは僕に囁きかける。
(忘れないで。何も失われない。何もつけ加えられない)
あなたは、フェンリルの中心にある黄金の球体めがけて急降下する。
僕らの回りで、黒と金と銀の渦が激しく回転した。
美しかった。何もかもが。涙がこぼれるほどに。
そして。
僕らは喜びに包まれながら。
黄金の球体へと突入する。
(忘れないで。全ては変わってゆくだけなの)
僕と彼女は。
その森のはずれについた。
おそらく約束の場所である。
建物がある場所。
そこはかつて学校であったようだが、今は廃校になったらしくひどく荒廃し
ている。
僕は、あなたとともにフェンリルへ飛び込んだ後。
その廃校となった校舎の屋上で目覚めた。
一ヶ月前のことである。
一体どうやってそんな北の地にたどり着くことができたのか、なぜそんなと
ころにいったのかは全く判らなかった。
けれど、僕は自分の腕に刻まれた文字を見出す。紅い血で刻まれた文字。
2011.4.5 5:12
その日付が今日だ。あと一時間ほどでその時間が訪れる。
おそらくそれはあなたが僕にくれた約束のメッセージ。
約束の場所と約束の時間。
それがあったから。
僕はあなたがこの世界から消え去ったときにも耐えることができた。
あなたがもう一度。
おそらくあと一度だけ僕に会いにきてくれるという予感があったからだ。
僕と彼女は。
隠遁した賢者のような、今にも崩れ落ちそうな感じのする建物の中へと入っ
てゆく。
暗い階段を登り黄泉の世界みたいな建物の中をとおりぬけると。
屋上へでた。
東の空は微かに白みはじめており。
夜が明ける予兆で空気が震えているような気がする。
ああ。
夜が明けるのだ。
夜と月は消え、光が世界を支配する。
僕は、ただずっと東の空を眺めつづけていた。
彼女が唐突に口をひらく。
「あと、10分ほどね」
僕が彼女を見たとき。
あたりが轟音に満たされた。
轟く爆音と風が吹き荒れる。巨獣のようなボディを持つ軍用ヘリが姿を表し
た。
ライトが凶暴な圧力を持って僕らを照らし出す。
2機の軍用ヘリは屋上に風を巻き起こしながら着陸すると兵士たちが降りて
きた。
ひとりの兵士が彼女に大きな軍用拳銃を渡す。
「一体あなたは何ものだい」
「わたしたちの組織は」
彼女は僕に拳銃を向けると言った。
「ずっと、TSDの研究を続けてきた。あなたがバルク空間に行ったときに
乗ったあの列車は、わたしたちが開発したもの。あなたは戻ってきたひとの
映像を見たのでしょうけれど、戻ってきたものは彼だけではない。わたしも
また」
僕は息をのんだ。
「そんな」
「戻ってきたのよ。そして、世界を滅ぼさないために。組織に協力して戦う
ことにした」
「世界が滅ぶ?」
「わたしたちは夜の生き物。夜明けに耐えることはできないのよ。あなた
も、わたしも。ブレーンワールドのものはみな。わたしたちは夜という皮膜
に貼りついて生きている。夜明けがくると泡は弾けて消えてしまう」
突然。
空が菫色の輝きに満たされる。
夜明けの光が頭上に出現した。
あなたが。
戻ってきたのだ。
あなたは。
夜明けの光で輝く翼を背負い。
屋上に降り立つ。
地に立つと同時に翼は光を失い、金属でできた骨格みたいな翼は折り畳まれ
てゆく。水晶の破片が触れ合うような音をたてながら。
彼女は。
僕の腕をとらえると、僕のあたまに拳銃を押し付けた。
あなたは、歌うように語り出す。
「ねえ。これは我儘なの。わたしの我儘なの。あと一度だけ。一度だけあな
たに会いたかったの。とてもとても。会いたかったの。夜明けがくる前に」
「ありがとう」
僕は。
かろうじてその言葉を絞り出すことができた。
「ありがとう」
彼女は、叫ぶ。
「この男を殺されたくなければ、ここに留まりなさい。フェンリルを受胎さ
せてはだめ」
あなたは。
どこか哀しげに首を振った。
「意味はないのよ。何も減らないし何も付け加えられない。あなたもバルク
空間にいたのなら判るでしょう。時間の対称性が破れているのはひとの妄想
にすぎない。全てはあるの。永遠に。永遠に戻ってくるの。何度も何度も
戻ってくるの」
彼女は苦しげに叫ぶ。
「違う。夜明けは永劫の別離だ」
「いいえ。恐れていてはだめ。それすらひとつの変化に過ぎない。全ては永
遠なのよ」
「それこそ妄想だ。知っているのだろう、あのフェンリルこそブレーンワー
ルドの正体なのだと」
あなたは。
笑みを浮かべると。
再び、水晶が触れ合う音をたてながら、翼を広げる。
夜明けの光。
菫色の光が再びあたりを覆う。
ああ。
それはそれは。
荘厳で、清らかで。神秘的でとても哀しい。
この世界の夜明けを示す光であった。
あなたは。
その光の中へと消えていった。
彼女は舌打ちすると、拳銃で僕の顔を殴る。僕は屋上に倒れる。
鼻骨が折れ、僕は激痛でのたうちまわった。
「まったく。なんて役たたずな男なの、あんたは」
彼女は腹立ちまぎれに僕の頭を蹴りとばす。
僕は呻きながら転がって彼女から逃れた。
仰向けになり。
東の空が明るくなってくるのを見た。
そして。
僕は苦痛でかすれる意識の中でそれに気がついた。
空の中心。
もっとも高いところに。
金色の輝きがある。
そうか、あれがそうんなだ。
僕はつぶやく。
「夜明けが始まる」
「ああ。なんてこと」
彼女の呟きのすぐ後に、銃声が響いた。
僕は驚いて彼女のほうを見る。彼女は自分で自分の頭を撃ち抜いていた。
僕は再び。
空を見上げた。
金色の光は大きくなってゆく。
いつかバルク空間でみたときよりも。
遥かにリアルで獰猛で激情を揺さぶりおこす。
美しさと激しさが。
安らぎと激動が。
嵐のように互いを喰らいあいながら激しく回転しており。
それは、空いっぱいに広がる金色の果実みたいに。
大きな大きな輝きは、世界を満たし。
そして。
僕は。
光の中に飲み込まれた。
ゆっくりと。
水の底から浮上してくるように。
焦点が合っていなかったカメラの映像が、次第にクリアになってゆくよう
に。
僕は現実を取り戻していく。
僕は、暗闇の中で手探りでものを掻き集めるみたいに。
記憶を取り戻してゆく。
僕は。
そう、薄暗い病室の中にいた。
ベッドに横たわり。
終わりのときを待っていた。
苦痛を和らげるために投入された薬のためか。
随分長い夢を見ていた気がする。
夜明けにかかわる夢。
あなたが夜明けの向こうへと飛び去る物語。
それは哀しくもあるけれど。
僕を幸せにしてくれる夢でもあった。
僕は。
誰かの泣く声を聞いた気がして。
泣くなんて、おかしいよ。
と言ったつもりだったけれど。
もう、声を出すほどの力は僕には残っていなかったようで。
次第に。
あたりが光に満ちてゆく。
部屋が。
真っ白に輝きはじめ。
僕の意識もその白い光に飲み込まれてゆく。
ああ。
夜が明けるのだと思う。
ねえ、夜明けの歌をうたってよ。
夜明けの歌を聞かせてよ。