#342/598 ●長編
★タイトル (CWM ) 09/04/26 17:40 (462)
夜明けのうた 上 つきかげ
★内容
「ねえ、何しているの」
その言葉に僕は、はっと顔をあげる。
ゆっくりと。
水の底から浮上してくるように。
焦点が合っていなかったカメラの映像が、次第にクリアになってゆくよう
に。
僕は現実を取り戻していく。それは僕の皮膚から否応なく染み込んで、僕の
意識を支配してゆく。
ひとびとの語り合う声。
どこかで流れる音楽。
歩いてくるひと、立ち去るひとの足音。
音、音、音が少しずつ僕の意識を覚醒させる。そして、それに合わせて色彩
が。
僕のこころに届いてくる。
そこは。
駅の構内にある喫茶店だ。
目の前には彼女がいた。
あなたの妹だと名乗って僕の前に現れた女の子。まるで物語に出てくる妖精
みたいに。少し現実離れした美貌を持つ少女。
僕はゆっくりと首を振る。
「何をしているって」
僕は自嘲気味に口を歪める。
「思い出していただけだよ。昔のことを」
あなたのことを。
思い出していた。
そうは言わなかったけれど、彼女にはそう判ったらしい。
「何にしてもまだ時間はある」
僕は携帯電話を取り出し時間を見る。
僕らが乗る予定の夜行列車が出発する時間まで、まだもう少しあった。
彼女は。
ぐいっと。
僕の袖をめくりあげた。
そこには、傷痕が文字となって並んでいる。
あなたが、僕に残した聖痕。
皮膚の下に描かれた紅い文字。
2011.4.5 5:12
彼女は冷めた美貌に薄く笑みを浮かべる。
「そうね。約束の時間までまだ随分あるわ」
僕は。
ゆっくりと。
再び記憶の海へと沈んでゆく。
その部屋は。
薄暗く、幾つもの電子機器が並べられており。
病院の一室というよりは、何かの研究室か実験室のようで。
並んだ液晶ディスプレイが放つ仄かな光の中に、その女医は佇んでいた。
彼女がかけた紅いフレームの眼鏡は、医者らしからぬ艶かしい雰囲気を持っ
ていたが。
彼女が身に纏ったものは、法廷にのぞむ裁判官みたいな厳粛さであった。
僕とあなたは。
白衣の女教皇みたいな女医の前に腰を降ろしていた。
あなたにはもう身寄りとなるひとが誰も残っていなかったので。
僕だけがあなたのそばに居ることになった。
女医はそして。
厳かに語り始める。
あなたはどこか。
授業を受ける女学生みたいに好奇心で瞳を輝かせ楽しげであった。
「この症例はだいたい2年前、そう2009年くらいから報告されるように
なったわ」
女医は。
表情を変えず、どこか事務的ですらある調子で語りつづける。
「TSD(Time Sense Disorientation)という奇妙な名称で呼ばれる
病 」
「知ってるわ」
その言葉に僕は驚いてあなたを見つめる。
「時間識失調症でしょ。わたし、2年前。その病でつきあってた彼をなくしたもの」
僕があなたと出会う前。
そのころの話を聞いたことはなかったので、知らないのは当たり前なのだ
が。
女医は満足げに頷いた。
「時間というものは、何か。それは物質のように意識から外在的に実在する
ものではなく、それ自体がそもそもひとつの脳の機能といえるわ。つまり
ね。脳の機能が正常に動作しなければ時間というもの自体が正常に流れなく
なる」
「ええ」
あなたは、朗らかに笑いながら語った。
「この病にかかると正常なひとたちとは別の時間が流れる世界にシンクロし
てしまい。この世界からは消えてゆくのでしょう」
女医は。
判決を下すように。
薄く笑みを浮かべて、頷く。
「そうね。例えてみれば。私たちの住んでいる世界が時速50キロで走る電
車の中にいることだとすれば。TSDを発症したひとは時速500キロの電
車に乗り換えるようなもの。つまりね。私たちからは認識できない世界へと
入り込んでしまうのよ」
僕は何か。
全てが非現実であるような。
粘液質の皮膜がその部屋全体に覆いかぶさっているような、奇妙なとても奇
妙な幻惑を感じながら。
あなたと女医のやりとりを聞いていた。
「わたし。あとどのくらいこの世界に留まれるのかしら」
「いくらか遅らせる方法はあるのだけれど。精一杯やって2ヶ月というとこ
ろかしら」
あなたは、
僕に微笑みかける。
「春まではもたないみたいね」
夜は。
物理的な重さを持って、僕らの上にのしかかってくるかのようだった。
夜行列車は夜の闇を走っている。
列車は絶え間なくリズミカルな律動を生み出している。とても単調でシンプ
ルな音楽みたいに。
それは時間を作り出していた。
僕らの生きる時間。
そして、あなたがとどまり続けることができなかった時間。
列車は。
高く聳える山の狭間を走ってゆく。
山は漆黒の巨人となり僕らの両脇に佇んでおり。
その狭間から見える空は。
深淵への裂け目のように黒く横たわっている。
僕は。
その闇の世界に、なぜか安心する。
深くて黒い闇は、僕のこころにも横たわっており。
世界が闇に塗り潰されれば、僕のこころと同期がとれる。
彼女は。
僕の向かい側に座っている。
切れ長の少しつりあがった。
夜の宝石みたいに美しい瞳で僕を見つめている。
唐突に。
彼女は口を開いた。
「姉は、どんな感じだったんでしょう」
僕は、思い出したように彼女を見つめる。
「この世界から去る前の姉は。どんなだったのでしょうか?」
僕は、ぎこちなく笑ってみせる。
そして。
ゆっくりと語った。
「普通だったよ」
僕は闇に潰されたこころの底から、記憶を取り出す。
「とても。普通だった」
そこも。
病室というよりは、電子機器で武装された要塞のような。
あなたは。
その青白い光を放つモニターの群と、冷却ファンがノイズを放つプロセッサ
の城壁に取り囲まれ。
無数のケーブルが繋がったヘッドセットを頭に付けていた。
まるでガラスで出来た仮面を付けているような。
そして、僅かに口元だけが露出しており。
あなたは、その口元を子供っぽい笑みで歪めると。
「えへへ、こんなんなっちゃった」
と僕に語りかける。
あなたは、無数のセンサーやチューブで機器に接続されていたため、ほとん
ど機械の一部になっているように見えた。
ただ舞い落ちた花びらみたいな紅い唇だけが。
あなたが、まだひとであることの証だと思う。
「なんかね」
あなたは。
ごく自然な調子で。
まるで今日のお天気がどうだということを話すみたいに。
僕に語りかける。
「TSDを発症するとほら。わたし、別の流れにある時間の中へ意識を飲み
込まれていくじゃない」
僕は、そんなあなたをただ見つめていた。
「この機械は、わたしの意識をね。この世界につなぎ止めることができるら
しいの」
あなたの脳は。
女医が言っていたところの時速500キロの世界へと向かってブーストをか
けられている。
TSDは着実にあなたのこころを、意識を、蝕んでいっているはずだった。
でも。
あなたは、幼子のように笑っている。
僕はあなたの隣に座った。
「TSD特別障害年金の手続きができたよ。大した額ではないけれど、」
突然。
あなたの唇が、僕の唇へ押し当てられる。
優しく、まるで風が撫でるみたいに。
あなたは僕に口づけをした。
「ほら、こんなんなってもちゃんとキスできるんだよ」
僕は。
涙をこぼした。あなたは、困ったように微笑む。
「ねえ。大丈夫だって。そりゃあお外を並んで散歩はできないけどさ」
あなたは、くすりと笑う。
「どっちにしても外はまだ寒いじゃない。こうして手をつなぐのよ」
あなたは。
僕に手を預ける。
「そうすれば、お部屋の中で並んで座って手をつないでるのよ。いつもとお
んなじ。ね。泣いたらおかしいよ」
その夜、僕はあなたのそばで一夜を過ごした。
TSDを発症したひとは、異なる時間の中へ飲み込まれてゆくときに、身体
が光につつまれる。
まるで。ホログラフでできた映像みたいに現実感を無くして細かな光の粒子
に分解されてゆく。
僕は暗くなった夜の部屋で。
魔法の森に咲く花のように神秘的な光を放つあなたの身体を眺めながら。
その手をぎゅっと。
握りしめていた。
現実感を無くしていくあなたをそうすれば、この世界につなぎ止められると
いうかのように。
それより2週間前のこと。
僕ははじめてあなたの病に気がついたときのことを、思い出す。
そう、それは。
夜明け前の出来事だった。
僕とあなたは、ひとつの部屋の中でまるで子宮の中で微睡む双子みたいに。
肌をよせあい、互いの息を感じながら。
薄く次第にはぎ取られて闇の中で抱きあっていた。
はじめ僕は、夜明けの光があなたに訪れたのかと思ったのだけれど、そうで
はなく。あなたの身体は。そう。世界から剥離していくことの象徴みたい
に。
薄く光輝いていることに気がついた。
僕は思わずあなたを揺すり起こしたのだけれど。
あなたは、自分の身体が現実離れした光を放っているのにただ微笑みを見せ
ただけで。
母親が子供を抱きしめるみたいに、いやあるいは子供が親にしがみつくみた
いにぎゅっと。
そう。
ぎゅっと。
僕の身体を抱きしめてくれた。
そのときが、はじまりだった。
そして、そのときあなたは。
それから何が起こるのかを全て理解していたのだ。
僕が不安に喘ぎながら夜明けの光の中で蒼ざめているときに。
あなたは全てを知っていたのだ。
僕はあなたの肌にふれ手を繋ぎ、日々を過ごしていて。
いつの間にかそれが永遠のものだと思ってしまっていたのに。
あなたは、それに終わりがあることを知っていた。
知っていたんだ。
女医は。
電子機器に囲まれたシャーマンのように。
妖しげなひとみで僕を見つめた。
「で、あなたは何を知りたいの」
なぜこの病院はどこに行ってもこう機械に満ちあふれているのか。
ここでは誰も彼もが、機械に接続され駆動されているみたいだ。
僕はふうとため息をつくと。
こう言った。
「TSDを発症したひとは、最後はどうなるんですか?」
「言ったはずよ。わたしたちの世界から消えてゆく」
女医は。
月と氷が支配する世界に佇む女王のように。
ディスプレイたちが放つ仄白い光を浴びてふっと微笑む。
「その答では満足できないのね」
「ええ。だって、異なる時間に飲み込まれていくのでしょう。つまり別の世
界に行くということではないのですか?」
「死ぬことだって」
女医はどきりとするような冷たい眼差しで、僕を見る。
「別の世界へ行くようなもの。そうじゃあないかしら」
「ではTSD患者は死ぬのと同じだと」
「うーん。ちょっと違うかな。少し待って」
女医は振り向くと、ディスプレイのひとつに向き合って、キーボードを操作
し始める。
「あのね。TSDの発症例は全部で1300くらいある。そのうち一例だ
け。戻ってきたひとがいるの」
「戻ってきた?」
僕は。
息が止まるかと思った。
「そんなことが」
「ただ、戻ってきたひとはほとんど別人になっていたのだけれどね。そのひ
とにインタビューしている映像がストレージのどこかにあったはずなんだけ
れど」
女医の手が忙しく動く。
「どいういう訳か、戻ってきたひとの情報はほとんど組織が非公開にしてし
まったから」
「組織?」
僕は女医の言葉にひっかかりを感じて問いかける。
「ああ、TSDの調査組織のことよ」
突然、ディスプレイのひとつに男の映像が浮かび上がった。
猛禽のように見開かれた瞳。蛮族のように長く乱れた髪。そして、狼のよう
に痩せ細り、餓えた笑みを浮かべて。
男は語り始めた。
「もうすぐ、夜が明ける。
黄金に輝く太陽がやってくるんだ。
おれたちは。
夜と月に属する一族だから。
彼女らのように光輝く世界の中では、
存在していくことはできない。
そう。
嵐が地上を蹂躙するみたいに。
光が世界を押し潰す。
そこでは太陽の娘たちだけが、息をするのを赦される。
彼女らは喜びに満ちあふれ、夜明けの歌をうたう。
ああ。
おれたち夜と月に属するものは。
消えてゆく。
消えてゆくんだ。
けれど、決して哀しみとともに消えるのではなく。
太陽の娘への祝福と喜びに満たされて。
消えてゆくんだ。
ああ。
もうすぐ、夜が明ける。
あなたは光輝く黄金の光に抱かれて。
喜びに満たされるんだ」
少し粗雑なその映像は、唐突に打ち切られた。
女医は謎かけのような笑みを僕に向ける。
「どう思う?」
「どうっていうか」
「もちろん、きちがいの戯言として片付けてもいいと思う。でもね」
女医は、シャーマンの笑みを見せると厳かに言った。
「きちがいは、別の世界に属した内的論理に従って語っているのよ。判るか
しら」
僕はふっと。
甦る記憶の中に飲み込まれた。
僕とあなたは。
夜の部屋の中で固く抱きあっていた。
まるでそうすることによって。
お互いの肌が溶けあって混ざり合わすことができるというかのように。
お互いがひとつのものに、なれると思っているように。
固く、しっかりとたがいに抱きあって。
夜が明けるのを待っていた。
傲慢な光の刃が、薄暗い部屋の闇を切り裂くのを。
待っていた。
期待とともに?
不安とともに?
恐れとともに?
待っていた。
僕とあなたは、ふたりで夜明けを。
でも。
僕はなぜか夜に留まることを選んでしまった。
そういうことなのだと思えた。
夜行列車がその駅についたのは、真夜中の少し前だった。
大体4時間ほど列車に乗り続けたことになる。
夜の闇を抜けた末にたどりついた北の地にあるその駅は。
思ったより大きな駅だったのけれど。
既に終電車も終わってしまった時間で、バスも終わりタクシーも出払ったら
しく。
まるで廃墟のように閑散としていた。
僕と彼女は並んで駅の外へ出る。
太古の遺跡のように大きなビルが立ち並ぶ人気のない北の街。
ひとつよいことは、いつの間にか空が晴れたらしく明るい月が輝いているこ
とだ。
「どうやって行くつもりなの?」
彼女の問いに僕は笑って答えた。
「もちろん、歩くのさ。4時間も歩けばつくよ。約束の時間には余裕で間に
合う」
彼女は何も言わずに、僕とともに歩きだした。
大きなビルの立ちならぶ街並みは30分も歩けば様がわりして。
気がつけば周りは寺院や、墓地がならぶ土地となった。
荒涼とした暗い土地が延々と月明かりの下に広がっており、死霊達が這い
まっわっているような静かではあるが濃厚な死の気配が漂う場所だ。
まるで、冥界を歩いているようだった。
僕は、その場所を歩きながらとても馴染んでくるのを感じる。
まるで、ここが自分自身の場所のように。
その考えに、僕は思わず苦笑する。
彼女は、その様子を怪訝そうに見て声をかけてきた。
「あなたがその刻印を受けた場所がこの先にあるんですよね」
僕は頷いた。僕の腕、皮膚の下に刻まれた紅い血の文字。
「そうだよ。君のお姉さんがこの世界から消え去る3日前。今から大体一ヶ
月ほど前のことになる」
僕は輝く月の下で白々と輝き荒野を貫く道を歩きながら、遠くを指差す。
「この向こうにある森の奥。そこの建物で約束の刻印を受けた」
僕は。
一ヶ月前、とても奇妙な場所で目覚めた。
そして目覚めた僕の腕には、聖痕が刻まれていたのだ。
約束の時間を示す、血の刻印。
僕らは、その約束の場所へ約束の時間にたどり着くよう向かっている。
月の光に照らされ白く輝く道を抜けて。
その日いつものように病室に入った僕は、驚きのあまり息をのむ。
あなたが居ない。
機械に接続されかろうじてこの世界に繋ぎとめられていたはずのあなたが、
消え去っていた。
残り少ないとはいえ、後数日は残されていたはずなのに。
突然。
僕はあなたに抱きしめられた。
あなたは、扉の影に隠れて僕が来るのを待っていたのだ。
いつもの仮面は脱ぎ去り、空色のワンピースと濃紺のカーディガンを着て。
華やかといってもいい表情を僕にみせてくれていた。
「ねぇ、驚いた?」
僕は言葉を失いもあなたを見つめる。
あなたはそんな僕を見て上機嫌に微笑んでいたが、急に切なそうな目で僕を
見た。
「さあ、行きましょう」
僕は、驚いて聞き返す。
「え、どこに行くというの?」
「わたし、この世界から消えてどこにゆくか判ったの。だから」
あなたは笑みを浮かべ、僕の手を引く。
「あなたにもその場所を見ておいて欲しいから」
あなたは、僕の手を引き廊下に出る。
不思議と今日に限って人気のない廊下を駆け抜けると、あなたは壁の一箇所
を押す。
壁の一部が開き、奥に部屋が現れた。僕らはその薄暗い部屋に入る。そこは
パイプやダクト、ケーブルが縦横に走り点検用と見られる機器の取り付けら
れた鉄骨の柱がむき出しになった場所だ。
僕とあなたは、鉄製の階段を下ってゆく。まるで鋼鉄の迷宮みたいなその場
所を僕らは、下へ下へと降りていった。
あたりには金網のフェンスや轟音を立てて稼動している機械があり、鉄骨や
コンクリートがむき出しになって迷路を構成している。
気がつくと、そこは最下層らしくコンクリートの床がある場所へ立ってい
た。僕らは内臓のように複雑にケーブルやパイプの絡み合った廊下を駆け抜
けてゆく。
そして。
あなたは、また壁の一箇所を押す。
僕らがたどり着いたその場所は。
駅のホームだった。
「一体?」
僕はあたりを見回す。
恐ろしく古い、壁にはひびが入りあちこちから水が染み出して滴っておりま
るで自然の洞窟みたいでもあったが。
間違いなく駅のホームらしく、プラットホームの向こうには線路が走ってい
る。
「もうすぐよ」
あなたのどこか無邪気な声に呼び出されたように。
列車が姿を現した。
黒くて大きな獣を思わせる巨大な乗り物は、ごうごうと音を立ててホームに
入ってくる。
その列車が立てる音は獣の雄たけびみたいだと僕は思う。
その列車は僕らの前に止まった。
開いた扉の向こうへ、当然のようにあなたは乗り込む。
僕は慌ててあなたの後に続いた。
僕らはベンチシートに腰を下ろす。ため息みたいな音をたてて列車の扉は閉
まり。
ごうごうと音を立てて再び走り始めた。
規則正しい律動を列車は僕らに伝えてくる。
ただ。
そのリズムはどこか奇妙だった。
列車の生み出すリズムは、時間を作り出す。
ただ、その時間は今まで僕らのいた場所のそれではなく。
あなたがこれから行くはずの場所に属する時間。
ブーストをかけられ僕らの意識が到達できなくなるはずの高速で流れる時間
を、作り出しているようだ。
巨大な鋼鉄の獣はごうごうと咆哮して。
僕らの属する時間を抜け出して、別の時間が流れる別の世界へと向かって
行った。
あなたは。
もう僕を見ておらず、窓の外を流れててゆく地下の照明を見つめていた。い
や。何も見ていなかったのかもしれない。自分の内に流れる異質な時間以外
は何も。
そして。
列車は厳かに停車した。
何かの終わりを告げるような轟音と振動が響き渡り、列車は完全に止まる。
扉が開き。
僕はあなたの後を追ってホームに出た。
あなたはホームを急いで駆けてゆく。
まるで、何かに追い立てられるように。
僕は慌ててあなたの後を追った。
階段を駆け上り、いくつもの廊下を走り抜けてゆく。
僕は地下世界でうさぎを追うアリスみたいに。
息を切らしてあなたの海の底みたいに青いカーディガンを追い求める。
それでもいつかあなたを見失い。
気がつくと僕は行き止まりの廊下に迷い込んでいた。
その突き当たりには鋼鉄の扉がある。僕は、その重くて頑丈そうな扉を開い
た。
扉の向こうには。
巨大な機械が立ち並ぶ、薄暗い場所だった。
天井はとほうもなく高く、備え付けられている機械たちもまるで小規模のビルみたいに
高く聳えている。
機械についているらしい無数のLEDパネルが光を放っており。
まるで、照明が星のように煌く夜の街を眺めているみたいな。
あるいは宝石が瞬いている、地下の洞窟に迷い込んだような。
そんな気持ちになって、巨大な機械の谷間へ入り込む。
ごおんと。
空調や、冷却ファンの立てているノイズが僕を包み込む。
そのノイズは僕のこころから思考を奪い取り。
あなたを見失った不安さえも麻痺させていった。
気がつくと僕は壁沿いに上ってゆく階段を僕は見出す。
僕はその延々と続く階段を上ってゆき、天井近くにある扉をひらいた。
そこには真っ直ぐ廊下が伸びていて。
突き当たりには巨大で城壁みたいに聳える扉があり、少しだけ隙間が開いて
いる。
僕はその扉の隙間から奥の部屋へと入った。
そしてそこに。
あなたが居た。