#321/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 08/04/07 18:40 (229)
お題>告白(上) 永山
★内容
夕餉の席で両親が、“ジャックの森”の一帯を開発する計画が本決まりにな
ったと話しているのを耳にし、梶浦美樹彦は叫び声を飲み込んだ。
表面上は食事を淡々と続ける。が、内では色々な思考が駆け巡っていた。三
年前、小学五年生のときの出来事――悪魔に魅入られたでもしたかのような出
来事を思い出す。
記憶の抽斗の奥底に、押し込めようとしていたのに、何故か鮮明に思い出せ
た。
* *
ジャックの森という片田舎にしては洋風の通称は、静寂の森から来たものと
か、昼なお暗い森の奥深くに大人達が子らを近寄らせぬため、「切り裂きジャ
ックのような殺人鬼のいる森だ」と言い含めた結果とか、色々と伝はあるがは
っきりしない。
何にせよ、近寄ることを禁じられれば、破ってみたくなるのは子供に限らず、
真理かもしれない。
その夏の某日は昼前から、前日の好天とはうって変わって、どんよりとした
曇り空だった。空気も湿り気を帯び、いずれ大降りとなるのが確実と思えた。
だが、夏休みに入った小学生が遊びにくり出すのをあきらめる理由にはなら
ない。降ってきたら戻ればいい。そんな感覚で、梶浦は家を出た。
すぐに一人の友達と合流する。身体の大きな高下光一は、クラスのリーダー
兼ガキ大将的存在で、梶浦とは一番の親友同士と言えた。
「今日、いよいよ秘密基地、な」
「もちろんっ」
二人はこの夏休み、二人だけの秘密基地を森の奥に“建設”するつもりでい
る。ずっと夢に描いていた木の上の基地。今までは体力などの問題もあって、
無理だったが、小学五年生の体格と身長を得て、ついに着手と相成った。春休
みは設計と場所選びに費やし、道具や材料になりそうな物を少しずつ集め、い
よいよ作り出そうというのが今日だ。
基地設計図と言っても、大木の中程で枝分かれしたなるべく平たいところに、
丸太や板を敷き詰め、縛り、固定するだけの簡素な物。壁や屋根も一応あるが、
枝と葉っぱと布きれを組み合わせただけになる予定。強い雨風には弱そうだ。
それはさておき、とにかくスタートだ。森の南側、近くには小川が流れると
いう最高のロケーションに、秘密基地を作ることにしていた。
「みんなに見せるには、まだまだしょぼいなあ。もっとちゃんとした基地にし
たいんだけど」
取り掛かる直前、梶浦は出鼻をくじくような台詞を口走った。そのときはど
うしてそんなことを言ったのか、自分でも不思議だったが、じきに理解する。
遡ること三日、学校において、高下がクラスの女子を相手に告白しているら
しい場面を、梶浦は偶然目撃していた。高下がこのことを秘密にしたのはかま
わない。梶浦にとってショックだったのは、告白相手が三枝東子だったこと。
可愛らしい見た目と女らしい仕種、そして男勝りの一面もある三枝は、クラ
スでも人気があった。町の有力者である父親と派手好きな母親は、その夫婦仲
の悪さも含めてよく噂になったが、三枝東子自身は飾らない、気さくな性格を
していた。
以前、誰か好きな女子がいるかという話になり、梶浦が白状したのが、この
三枝東子だった。そのとき、高下は別の女子の名を挙げた。なのに、高下は三
枝に「付き合ってほしい」と告白したのである。
加えて、三枝がOKしたように見えたことで、ショックは倍加された。
だからといって、高下を問い質すなんて真似はできず、男の友情の方が大事
とかどうとか、自らに言い聞かせて夏休みを迎えたのだった。
「いいさ。とにかく、完成させるのが大事ってんだ。広さはどうしようもない
んだし、この第一号を完成させたら、次々に作るってのもありだろ」
高下は気にする様子は微塵もなく、逆に梶浦を励ました。集めておいた材料
の山から、青い覆いを取り去ると、梶浦に聞いてくる。
「どっちが上がる?」
木に登り、上で材料を受け取る役をどちらがするのか、という問い掛けだ。
普通に考えるのなら、比較的小柄な梶浦が適任だが、設計の詳細は高下の方
が遥かによく理解している。腕力や握力も高下の方が上回っており、物を取り
落とす恐れは少なくなる。
そういった点を考慮し、梶浦が渡す役、高下が受け取る役に収まった。
「うん、いいぞ」
木に登った高下が、足場を確保した。梶浦はまず、平べったい板から渡して
いった。
「完成したら、梶浦は基地のこと、誰々に教えるつもりでいる?」
作業しながらのお喋りで、高下はそんなことを聞いてきた。
「え? うーん、そんなの、考えてない。友達みんなに教えるつもりでいたけ
ど、高下は違うの?」
「そりゃ、最終的には全員、教えてやるさ。自慢になるしな」
鼻の下をこする高下。持ち上げた物を手際よく配しながら、彼は続けた。
「けど、特別な奴には早く教えてやりたい。そう思わねえ?」
「特別な友達って、僕に高下ぐらいしかいないよ。高下は大勢いるかもしれな
いけどさ」
「俺が言ったのは、友達に限った話じゃなくて……ま、いいか。特別を増やし
すぎたら、特別じゃなくなる」
最初は捗っていた作業だったが、時間の経過とともに停滞し始めた。やって
みて、意外と苦労するものと分かった。下の梶浦はまだいいのだが、物の長さ・
大きさによって、上の高下が腹ばいにならなければ受け取れない場合が出て来
たのである。
「交代しようか?」
「いや、いい。縄があっただろ。それを投げてくれ」
言われるがまま、梶浦は縄を取り、放り投げた。片手でうまくキャッチした
高下は、適当な位置かつ適当な太さの枝に、その縄を掛ける。
「よし。これで、滑車みたいに使えるんじゃないか?」
「なーる」
梶浦は感心し、早速試してみた。いきなり大きな板や丸太は恐いので、葉っ
ぱのたくさん付いた木の枝を結ぶ。それから縄の反対側の端を引っ張った。
「――成功!」
この“発明”により、しばらくは順調に運んだ。だが、やがて縄の滑りが悪
くなる。高下も梶浦も疲れ始めていた。
「降り出しそうだ」
空を見上げ、ほとんど同時に二人がつぶやいた。
「切りがいいところまで済ませたいな。直接引っ張ってみる」
そう言い、高下は縄を枝から外し、地面に真っ直ぐ垂らした。梶浦はその端
を持ち、細長い枝の束を括り付けようとする。大きな音と短い叫び声を聞いた
のは、その次の瞬間だった。
息を飲み、見上げる梶浦。見えない。自分がしゃがんでいたのを思い出して、
慌てて立ち上がった。が、それでも木の上の様子は分からない。ただ、高下の
姿が消えているのは確かだ。
「た、高下?」
呼び掛ける。返事がない。
念のため、木下に目線を映した。無論、そこにも高下はいなかった。転落し
たのでないとしたら、一体……?
「ど、どうしたんだい、高下っ! た、か、し、たぁ?」
一文字ずつ区切って呼び掛けると、やっと反応があった。不明瞭な音声に、
梶浦は耳をすませる。
「ここ、いる」
そう聞こえた。声は木の上の方から聞こえた。
「どこ? 見えないよ!」
「中。中だ。木の中」
「え?」
にわかには信じられない返答に、無意識に聞き返す。同じ答があったあと、
「くそっ、腐った? でかい穴ができてた」と付け加えられた。
まだ完全には把握できないでいた梶浦だが、とにもかくにも、地上にいたま
までは埒が明かない。木登りを始めた。そして、さっきまで高下がいた辺りに
立ち、事の次第を理解できた。
大木の太い幹が落とし穴と化していたのだ。運び上げた板の隙間に足を踏み
入れた高下は、洞にすっぽりと収まっていた。目から上と、左腕だけが覗いて
いる。
「三月に見付けたときは、大丈夫そうだったのに」
思わず、そんな感想が口をついて出る。
「多分、虫にやられたんじゃねーの。じゃなきゃ、寿命で枯れてきてるとかな
っ。そんなことより、早く助けてくれよ。引っ張れ」
忌々しいハプニングのせいだろう、高下の口ぶりは普段よりもずっと乱暴に
なった。
梶浦はうなずきつつ、まずは自分の安全を確保しようと思った。が、意外と
足場はよくない。高下が穴にはまった衝撃のためか、仮り組みをしていた板は
雑然となり、かえって邪魔になる。よくよく見ると、一部は地面に落ちていた。
「ねえ、これ、もっと落とさないと、危なくて引っ張れないよ」
「全部落とせ、そんな物。どうせこの木はだめだ。分かるだろ、それくらい」
「分かった」
両手で上の方の枝を掴み、足で板や丸太を蹴落とす。派手な音がした。梶浦
は横に伸びる枝の内、一番太い物を選んで跨った。両腕を伸ばし、高下の左手
首の辺りを握る。
「いくよ。――せーの!」
「い、痛いっ。無理、無理だって!」
梶浦はびっくりして手を放した。高下の悲鳴を聞いたのは、これが初めてだ。
「でも、引っ張らないと、助けられない」
「もっとゆっくりやってみろ。じわじわ力を入れるんだ」
その通りにする。最初はうまく行きかけた。高下の顔がほぼ全部外に出た。
だが、そこで高下は痛がった。やめざるを得ない。
幾度か繰り返したが、それ以上は進展しない。
「無理っぽいよ。何て言うか、真っ直ぐ上から、僕よりも力のある人が引っ張
らないと、難しい」
「畜生! 格好悪いな」
吐き捨てたあと、しばし静かになる。考えているようだ。
梶浦が話し掛けようとした矢先、高下が口を開いた。
「しょうがねえ。大人の人を呼んで来てくれよ、梶浦」
それは自分達が叱られることを意味した。森への立入はより厳しく禁じられ
るようになるに違いないし、秘密基地の計画も水の泡となる。
念のため、そうなってもいいのかと、高下に尋ねる梶浦。すると、「馬鹿か
よ!」と怒鳴られてしまった。
「分かってら、そんなことくらい。早く行けよ! このままだったら俺、死ん
じまうかもしれないんだぞ!」
梶浦は無言で首肯し、木を滑り降りた。靴を履き直していると、上から声が
降ってきた。
「怒鳴ってごめんな」
「え。いいよ、別に」
「ほんとは、まじで恐い。今だって……泣きそうなのを我慢してる。もし、一
人で来て作業してたら、どうなってたか」
「……」
「叫んでも、ここからじゃあ、誰にも聞こえないもんな。おまえと一緒で、命
拾いしたぜ」
声に、洟をすする音が混じる。不安を振り払いたいのだろう、高下は殊更に
明るい調子で言った。
「さあ、できるだけ急いで頼むぞ、心の友!」
「……」
あとから考えるに、このときの高下の台詞に、「心の友」なんていう単語が
なかったなら、素直に助けを呼びに行ったかもしれない。
あるいはその前の、叫んでも誰にも聞こえない云々の話を聞かなければ。
梶浦は今一度、靴紐を結び直し、心を決めた。そして、散乱した基地作りの
材料や道具を集めると、近くの小川に放り込み始めた。
「梶浦、何をしてるんだ?」
見えなくても、音で察した高下が聞いてくる。梶浦は答えず、黙々と“後片
付け”を続けた。
「おい、基地作りを隠すつもりなら、やめとけって。どうせ、森に入っただけ
で叱られるんだし……」
梶浦は片付けを終えた。ただ一つ、縄だけを手元に残して。
木を見上げる。意を決して、再び登った。
「梶浦」
目が合った高下は、不安を隠しきれないでいた。梶浦はなるべく機敏に、高
下の真後ろに周り、そこにある枝に跨った。続いて縄を目の前の首に、素早く
掛ける。
「何をする気だ?」
そんな言葉を皆まで聞かずに、締め上げた。効果は即座に出た。高下の声が
よく聞き取れなくなっていく。
「なんで――おまえ――さえ、ぐっ――くる――おれ――よん……」
声が恐ろしい。聞こえなくなれ!と力を込めていると、いつの間にか静かに
なっていた。
梶浦は高下の顔を覗こうとして、寸前でやめた。声なんかよりももっと恐ろ
しい体験をするに違いない、そんな予感があったから。
でも、高下の左腕は、折り曲げるようにして洞へ押し込んだ。そのままにし
ておいたら、すぐさま見付けられてしまう気がした。
ほとんど飛び降りるようにして木から離れると、梶浦はそのまま振り向かず、
一目散に走った。
風がごおごお、鳴っている。向こうに見える空の雲は厚く、いよいよ雨粒が
落ちてきそうだった。
夜遅くになって、高下家から電話が掛かってきた。息子がどこに行ったか知
らないかと問い合わせる電話だった。
最初、どきりとした梶浦だったが、よく聞いてみると、慌てる必要はなかっ
た。高下の親はクラスメートに手当たり次第に電話していたのだ。秘密基地作
りは文字通り秘密だったので、高下は今日出掛けるときも、誰それと遊びに行
くとさえ言い残してはいなかったらしい。
当然、梶浦は「知りません」と答えた。
その後、数日間に渡って大がかりな捜索が行われたが、高下光一は見付から
なかった。あのあと降り出した大雨のおかげで、一切の痕跡は洗い流されたの
だろうか。小川が水量を増したことで、基地の材料や道具も下流に押しやられ
たのだろうか。
いずれにせよ、梶浦は疑われなかった。一番の友達だからという理由で、心
当たりはないかと聞かれただけで済んだ。
* *
(高下の遺体は、きっと今でもあそこにある)
梶浦は白骨化した遺体を想像した。理科室の標本めいていて、案外、恐怖感
は起きなかった。実物を前にすれば、きっと縮み上がる。
(見付けられない内に、別の場所に移すか? いや、開発が近いのなら、大人
達が出入りしているはず。中学生がのこのこ歩いていたら、怪しまれる。やる
としても夜だろうけど……)
真っ暗闇の中、あの森を分け入って、遺体を抱いているであろう大木まで行
き着くのは、並大抵のことではできそうにない。それに、遺体を移動させると
言ったって、具体的にどこという案は浮かばない。
(考えなしに、下手に動くよりも、見付かるがままにすべき? 高下の遺体に、
僕がやったという証拠はない。大船に乗ったつもりでいていいはず)
梶浦はそう思った。思い込もうとした。
ところが……。
――続く