AWC お題>告白(上)   永山



#321/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  08/04/07  18:40  (229)
お題>告白(上)   永山
★内容
 夕餉の席で両親が、“ジャックの森”の一帯を開発する計画が本決まりにな
ったと話しているのを耳にし、梶浦美樹彦は叫び声を飲み込んだ。
 表面上は食事を淡々と続ける。が、内では色々な思考が駆け巡っていた。三
年前、小学五年生のときの出来事――悪魔に魅入られたでもしたかのような出
来事を思い出す。
 記憶の抽斗の奥底に、押し込めようとしていたのに、何故か鮮明に思い出せ
た。

           *           *

 ジャックの森という片田舎にしては洋風の通称は、静寂の森から来たものと
か、昼なお暗い森の奥深くに大人達が子らを近寄らせぬため、「切り裂きジャ
ックのような殺人鬼のいる森だ」と言い含めた結果とか、色々と伝はあるがは
っきりしない。
 何にせよ、近寄ることを禁じられれば、破ってみたくなるのは子供に限らず、
真理かもしれない。
 その夏の某日は昼前から、前日の好天とはうって変わって、どんよりとした
曇り空だった。空気も湿り気を帯び、いずれ大降りとなるのが確実と思えた。
 だが、夏休みに入った小学生が遊びにくり出すのをあきらめる理由にはなら
ない。降ってきたら戻ればいい。そんな感覚で、梶浦は家を出た。
 すぐに一人の友達と合流する。身体の大きな高下光一は、クラスのリーダー
兼ガキ大将的存在で、梶浦とは一番の親友同士と言えた。
「今日、いよいよ秘密基地、な」
「もちろんっ」
 二人はこの夏休み、二人だけの秘密基地を森の奥に“建設”するつもりでい
る。ずっと夢に描いていた木の上の基地。今までは体力などの問題もあって、
無理だったが、小学五年生の体格と身長を得て、ついに着手と相成った。春休
みは設計と場所選びに費やし、道具や材料になりそうな物を少しずつ集め、い
よいよ作り出そうというのが今日だ。
 基地設計図と言っても、大木の中程で枝分かれしたなるべく平たいところに、
丸太や板を敷き詰め、縛り、固定するだけの簡素な物。壁や屋根も一応あるが、
枝と葉っぱと布きれを組み合わせただけになる予定。強い雨風には弱そうだ。
 それはさておき、とにかくスタートだ。森の南側、近くには小川が流れると
いう最高のロケーションに、秘密基地を作ることにしていた。
「みんなに見せるには、まだまだしょぼいなあ。もっとちゃんとした基地にし
たいんだけど」
 取り掛かる直前、梶浦は出鼻をくじくような台詞を口走った。そのときはど
うしてそんなことを言ったのか、自分でも不思議だったが、じきに理解する。
 遡ること三日、学校において、高下がクラスの女子を相手に告白しているら
しい場面を、梶浦は偶然目撃していた。高下がこのことを秘密にしたのはかま
わない。梶浦にとってショックだったのは、告白相手が三枝東子だったこと。
 可愛らしい見た目と女らしい仕種、そして男勝りの一面もある三枝は、クラ
スでも人気があった。町の有力者である父親と派手好きな母親は、その夫婦仲
の悪さも含めてよく噂になったが、三枝東子自身は飾らない、気さくな性格を
していた。
 以前、誰か好きな女子がいるかという話になり、梶浦が白状したのが、この
三枝東子だった。そのとき、高下は別の女子の名を挙げた。なのに、高下は三
枝に「付き合ってほしい」と告白したのである。
 加えて、三枝がOKしたように見えたことで、ショックは倍加された。
 だからといって、高下を問い質すなんて真似はできず、男の友情の方が大事
とかどうとか、自らに言い聞かせて夏休みを迎えたのだった。
「いいさ。とにかく、完成させるのが大事ってんだ。広さはどうしようもない
んだし、この第一号を完成させたら、次々に作るってのもありだろ」
 高下は気にする様子は微塵もなく、逆に梶浦を励ました。集めておいた材料
の山から、青い覆いを取り去ると、梶浦に聞いてくる。
「どっちが上がる?」
 木に登り、上で材料を受け取る役をどちらがするのか、という問い掛けだ。
 普通に考えるのなら、比較的小柄な梶浦が適任だが、設計の詳細は高下の方
が遥かによく理解している。腕力や握力も高下の方が上回っており、物を取り
落とす恐れは少なくなる。
 そういった点を考慮し、梶浦が渡す役、高下が受け取る役に収まった。
「うん、いいぞ」
 木に登った高下が、足場を確保した。梶浦はまず、平べったい板から渡して
いった。
「完成したら、梶浦は基地のこと、誰々に教えるつもりでいる?」
 作業しながらのお喋りで、高下はそんなことを聞いてきた。
「え? うーん、そんなの、考えてない。友達みんなに教えるつもりでいたけ
ど、高下は違うの?」
「そりゃ、最終的には全員、教えてやるさ。自慢になるしな」
 鼻の下をこする高下。持ち上げた物を手際よく配しながら、彼は続けた。
「けど、特別な奴には早く教えてやりたい。そう思わねえ?」
「特別な友達って、僕に高下ぐらいしかいないよ。高下は大勢いるかもしれな
いけどさ」
「俺が言ったのは、友達に限った話じゃなくて……ま、いいか。特別を増やし
すぎたら、特別じゃなくなる」
 最初は捗っていた作業だったが、時間の経過とともに停滞し始めた。やって
みて、意外と苦労するものと分かった。下の梶浦はまだいいのだが、物の長さ・
大きさによって、上の高下が腹ばいにならなければ受け取れない場合が出て来
たのである。
「交代しようか?」
「いや、いい。縄があっただろ。それを投げてくれ」
 言われるがまま、梶浦は縄を取り、放り投げた。片手でうまくキャッチした
高下は、適当な位置かつ適当な太さの枝に、その縄を掛ける。
「よし。これで、滑車みたいに使えるんじゃないか?」
「なーる」
 梶浦は感心し、早速試してみた。いきなり大きな板や丸太は恐いので、葉っ
ぱのたくさん付いた木の枝を結ぶ。それから縄の反対側の端を引っ張った。
「――成功!」
 この“発明”により、しばらくは順調に運んだ。だが、やがて縄の滑りが悪
くなる。高下も梶浦も疲れ始めていた。
「降り出しそうだ」
 空を見上げ、ほとんど同時に二人がつぶやいた。
「切りがいいところまで済ませたいな。直接引っ張ってみる」
 そう言い、高下は縄を枝から外し、地面に真っ直ぐ垂らした。梶浦はその端
を持ち、細長い枝の束を括り付けようとする。大きな音と短い叫び声を聞いた
のは、その次の瞬間だった。
 息を飲み、見上げる梶浦。見えない。自分がしゃがんでいたのを思い出して、
慌てて立ち上がった。が、それでも木の上の様子は分からない。ただ、高下の
姿が消えているのは確かだ。
「た、高下?」
 呼び掛ける。返事がない。
 念のため、木下に目線を映した。無論、そこにも高下はいなかった。転落し
たのでないとしたら、一体……?
「ど、どうしたんだい、高下っ! た、か、し、たぁ?」
 一文字ずつ区切って呼び掛けると、やっと反応があった。不明瞭な音声に、
梶浦は耳をすませる。
「ここ、いる」
 そう聞こえた。声は木の上の方から聞こえた。
「どこ? 見えないよ!」
「中。中だ。木の中」
「え?」
 にわかには信じられない返答に、無意識に聞き返す。同じ答があったあと、
「くそっ、腐った? でかい穴ができてた」と付け加えられた。
 まだ完全には把握できないでいた梶浦だが、とにもかくにも、地上にいたま
までは埒が明かない。木登りを始めた。そして、さっきまで高下がいた辺りに
立ち、事の次第を理解できた。
 大木の太い幹が落とし穴と化していたのだ。運び上げた板の隙間に足を踏み
入れた高下は、洞にすっぽりと収まっていた。目から上と、左腕だけが覗いて
いる。
「三月に見付けたときは、大丈夫そうだったのに」
 思わず、そんな感想が口をついて出る。
「多分、虫にやられたんじゃねーの。じゃなきゃ、寿命で枯れてきてるとかな
っ。そんなことより、早く助けてくれよ。引っ張れ」
 忌々しいハプニングのせいだろう、高下の口ぶりは普段よりもずっと乱暴に
なった。
 梶浦はうなずきつつ、まずは自分の安全を確保しようと思った。が、意外と
足場はよくない。高下が穴にはまった衝撃のためか、仮り組みをしていた板は
雑然となり、かえって邪魔になる。よくよく見ると、一部は地面に落ちていた。
「ねえ、これ、もっと落とさないと、危なくて引っ張れないよ」
「全部落とせ、そんな物。どうせこの木はだめだ。分かるだろ、それくらい」
「分かった」
 両手で上の方の枝を掴み、足で板や丸太を蹴落とす。派手な音がした。梶浦
は横に伸びる枝の内、一番太い物を選んで跨った。両腕を伸ばし、高下の左手
首の辺りを握る。
「いくよ。――せーの!」
「い、痛いっ。無理、無理だって!」
 梶浦はびっくりして手を放した。高下の悲鳴を聞いたのは、これが初めてだ。
「でも、引っ張らないと、助けられない」
「もっとゆっくりやってみろ。じわじわ力を入れるんだ」
 その通りにする。最初はうまく行きかけた。高下の顔がほぼ全部外に出た。
だが、そこで高下は痛がった。やめざるを得ない。
 幾度か繰り返したが、それ以上は進展しない。
「無理っぽいよ。何て言うか、真っ直ぐ上から、僕よりも力のある人が引っ張
らないと、難しい」
「畜生! 格好悪いな」
 吐き捨てたあと、しばし静かになる。考えているようだ。
 梶浦が話し掛けようとした矢先、高下が口を開いた。
「しょうがねえ。大人の人を呼んで来てくれよ、梶浦」
 それは自分達が叱られることを意味した。森への立入はより厳しく禁じられ
るようになるに違いないし、秘密基地の計画も水の泡となる。
 念のため、そうなってもいいのかと、高下に尋ねる梶浦。すると、「馬鹿か
よ!」と怒鳴られてしまった。
「分かってら、そんなことくらい。早く行けよ! このままだったら俺、死ん
じまうかもしれないんだぞ!」
 梶浦は無言で首肯し、木を滑り降りた。靴を履き直していると、上から声が
降ってきた。
「怒鳴ってごめんな」
「え。いいよ、別に」
「ほんとは、まじで恐い。今だって……泣きそうなのを我慢してる。もし、一
人で来て作業してたら、どうなってたか」
「……」
「叫んでも、ここからじゃあ、誰にも聞こえないもんな。おまえと一緒で、命
拾いしたぜ」
 声に、洟をすする音が混じる。不安を振り払いたいのだろう、高下は殊更に
明るい調子で言った。
「さあ、できるだけ急いで頼むぞ、心の友!」
「……」
 あとから考えるに、このときの高下の台詞に、「心の友」なんていう単語が
なかったなら、素直に助けを呼びに行ったかもしれない。
 あるいはその前の、叫んでも誰にも聞こえない云々の話を聞かなければ。
 梶浦は今一度、靴紐を結び直し、心を決めた。そして、散乱した基地作りの
材料や道具を集めると、近くの小川に放り込み始めた。
「梶浦、何をしてるんだ?」
 見えなくても、音で察した高下が聞いてくる。梶浦は答えず、黙々と“後片
付け”を続けた。
「おい、基地作りを隠すつもりなら、やめとけって。どうせ、森に入っただけ
で叱られるんだし……」
 梶浦は片付けを終えた。ただ一つ、縄だけを手元に残して。
 木を見上げる。意を決して、再び登った。
「梶浦」
 目が合った高下は、不安を隠しきれないでいた。梶浦はなるべく機敏に、高
下の真後ろに周り、そこにある枝に跨った。続いて縄を目の前の首に、素早く
掛ける。
「何をする気だ?」
 そんな言葉を皆まで聞かずに、締め上げた。効果は即座に出た。高下の声が
よく聞き取れなくなっていく。
「なんで――おまえ――さえ、ぐっ――くる――おれ――よん……」
 声が恐ろしい。聞こえなくなれ!と力を込めていると、いつの間にか静かに
なっていた。
 梶浦は高下の顔を覗こうとして、寸前でやめた。声なんかよりももっと恐ろ
しい体験をするに違いない、そんな予感があったから。
 でも、高下の左腕は、折り曲げるようにして洞へ押し込んだ。そのままにし
ておいたら、すぐさま見付けられてしまう気がした。
 ほとんど飛び降りるようにして木から離れると、梶浦はそのまま振り向かず、
一目散に走った。
 風がごおごお、鳴っている。向こうに見える空の雲は厚く、いよいよ雨粒が
落ちてきそうだった。

 夜遅くになって、高下家から電話が掛かってきた。息子がどこに行ったか知
らないかと問い合わせる電話だった。
 最初、どきりとした梶浦だったが、よく聞いてみると、慌てる必要はなかっ
た。高下の親はクラスメートに手当たり次第に電話していたのだ。秘密基地作
りは文字通り秘密だったので、高下は今日出掛けるときも、誰それと遊びに行
くとさえ言い残してはいなかったらしい。
 当然、梶浦は「知りません」と答えた。
 その後、数日間に渡って大がかりな捜索が行われたが、高下光一は見付から
なかった。あのあと降り出した大雨のおかげで、一切の痕跡は洗い流されたの
だろうか。小川が水量を増したことで、基地の材料や道具も下流に押しやられ
たのだろうか。
 いずれにせよ、梶浦は疑われなかった。一番の友達だからという理由で、心
当たりはないかと聞かれただけで済んだ。

           *           *

(高下の遺体は、きっと今でもあそこにある)
 梶浦は白骨化した遺体を想像した。理科室の標本めいていて、案外、恐怖感
は起きなかった。実物を前にすれば、きっと縮み上がる。
(見付けられない内に、別の場所に移すか? いや、開発が近いのなら、大人
達が出入りしているはず。中学生がのこのこ歩いていたら、怪しまれる。やる
としても夜だろうけど……)
 真っ暗闇の中、あの森を分け入って、遺体を抱いているであろう大木まで行
き着くのは、並大抵のことではできそうにない。それに、遺体を移動させると
言ったって、具体的にどこという案は浮かばない。
(考えなしに、下手に動くよりも、見付かるがままにすべき? 高下の遺体に、
僕がやったという証拠はない。大船に乗ったつもりでいていいはず)
 梶浦はそう思った。思い込もうとした。
 ところが……。

――続く




#322/598 ●長編    *** コメント #321 ***
★タイトル (AZA     )  08/04/07  18:41  (320)
お題>告白(下)   永山
★内容                                         10/12/25 10:26 修正 第3版
 話を聞きたいからちょっとだけと連れて来られたのは、警察署の会議室のよ
うな大部屋。その片隅で、刑事二人と向き合った。他には誰もいない。
 ドラマなどでよく見る取調室でないのは、当時小学生であり、現在も中学生
に過ぎないことを考慮したのか、それとも単に空いている部屋がなかったのか。
あるいは、容疑者でなく、飽くまで参考人扱いだから、これが当たり前なのか
もしれない――梶浦は楽観的な思考に努めた。
「報道で知っていると思うけれど」
 二十歳でも通りそうな童顔の刑事が、砕けた調子で始めた。名は古舘と言っ
た。もう一人の年輩の刑事は、まだ名乗っていなかったように思う。ひょっと
したら、三年前、既に対面を果たしていたかもしれない。
「ジャックの森で遺体が発見されてね。骨格や衣服から、三年前に行方が分か
らなくなった高下光一君と見て、調べていたんだ」
「高下君だったんですか」
「ああ。歯の治療痕が一致した。まあ、そんなこと、今はいいじゃないか。そ
れよりも梶浦君。君は小学生の頃、よくジャックの森へ遊びに行ってたんだよ
な」
「ええ。叱られるんで、大人には秘密にしてたけど」
「その大半は、高下君と一緒に」
「そうです。あの日は行ってませんけど」
「あの日というのは、三年前、高下君が行方不明になった日のことだね? う
ん、それはいいんだ。今日、君に聞きたいのは――」
 懐を探る古館刑事。どこに閉まったのか忘れたか、やや手間取っている、そ
れを見て、梶浦は気にしていた点を明らかにしておこうと思った。
「刑事さん、高下君はどこで見付かったんですか」
「うん? だからジャックの森と」
「森のどこ? 昔、あれだけ捜索して見付からなかったのに」
 質問を言い切り、梶浦は内心ほっとしていた。これで、遺体発見場所の詳細
を聞いていないのに、思わず口走ってしまった、なんていう間抜けな事態は避
けられよう。
「どこと言われても、森に目印となる曲がり角や建物がある訳じゃないしねえ」
 古館は答えながら、懐より手を戻した。探し物は一枚の写真らしい。それを
机に伏せ、話を続ける。
「ざっとでよければ、南側。それも大木の中だ」
「……大木の中って」
「うん。どういう訳だか、遺体は木にできた縦穴の中に収まっていた。犯人が
殺害後、押し込めたのか、高下君自身が誤って落ち込み、出られなくなったの
か。その辺も調べている」
「犯人……高下君は殺されたかもしれないってことですか」
 探るような調子にならぬよう、低い声で梶浦は聞いた。自分が高下にした行
為の痕跡が、どれくらい残っているのか、聞き出したい。
「その可能性もある。とにかく、これを見てほしい」
 古館は写真を表向きにした。
 遺体写真を想像していた梶浦は、目を背けようとし、やめた。写っていたの
は遺体ではなかった。木の皮らしい。
「……これ」
 唾を飲み込んだ。顔を上げるのが恐ろしい。
 写真の木の皮には、文字が彫り込まれていた。
 “かじうら に”と。
 年月を経て、他の木肌と区別しづらくはなっていたが、それでもしっかりと
読み取れた。
「君を呼んだ理由、これで分かったろう? 高下君がどうして、こんな文字を
書き残したのか、君には分かるかい?」
 古舘の声が、梶浦の耳にうつろに響く。よい返事は見付からない。
(ま、まさか、あのとき、まだ死んでいなかったのか……。気を失っただけで、
あとで息を吹き返し、字を書いてから、結局死んだ? それとも、首を絞めら
れているときに、名前を書いた?
 いやいや、刑事の言った「どうして」はこういう意味じゃない。今は考えち
ゃいけない)
 梶浦は怖気立ったようにかぶりを振った。
「何だ、それは。肯定か否定か分からん。名前を書かれる心当たりがあるのか。
高下と大喧嘩したとか」
 年配の刑事が初めて口を開いた。外見から想像する通りの威圧的な声に、梶
浦は固まった。喉に見えない膜が張り付いたみたいで、満足に喋れない。
 次の瞬間、年配の刑事が何やら怒鳴りつけてきた。机をどんと叩く音だけが
聞こえて、言葉はまるで認識できなかった。
 とても持ち堪えられそうにない。元々、自分は気が弱い方なんだ……。
 己の性格を改めて理解した梶浦は、自白するタイミングを、半ば無意識の内
に窺った。

           *           *

「浜さんが度を超えて脅かすから、自白しちゃったじゃないですか」
 古舘は年上の浜田刑事に、いつものように馴れ馴れしい口を聞いた。本格的
な取り調べを前に、二人で言葉を交わす。
「ほんの二言三言口を挟んだだけだぞ。それに、解決だろ。いいじゃねえの」
 そう答えながらも、浜田の指は頭を掻いている。目算とのズレは、彼も確か
に感じていた。
「文字が残っていたからといって、梶浦を犯人と断定した訳じゃないのに、自
白された。ややこしくなりますよ、間違いなく」
「そうだったな。あー、もう一度、説明してくれ。どうしてあの坊主がやった
とは言い切れないのか」
「しょうがないなあ。文字が刻まれた高さは、高下の胸の辺り。だが、遺体の
姿勢、穴のサイズ、最終的な腕の位置などを考慮すると、胸の高さに文字を刻
むのは、かなり無理がある、らしいですよ。不可能ではないが、わざわざ胸の
高さに書かなくても、腕を下げたまま、下の方に書いたって結果は同じ。もち
ろん、本人は死ぬかもしれないとは思っても、死ぬ覚悟を決めてはいないだろ
うから、可能な限り上の方に書こうとした、という解釈も成り立たなくはあり
ませんがね」
「うむ。分かった」
 大きく頷く浜田に対し、古舘はたしなめる口ぶりで付け足す。
「まだですよ、浜さん。もう一つ、自白で厄介なことになったのは、状況が合
わない点。高下の衣服には、彼自身の物と思しき血が、大量に付いていた。頭
骨に殴打の痕跡はなかったので、多分、頸動脈付近を鋭利な刃物で切られた。
それが死因であると見込んでいたのに、梶浦の自白、ありゃなんですか」
「縄で首を絞めた、それしかしていない、だったな。確かに話が合わん」
「未成年てだけでもやりにくいご時世なのに、まったく、困ったもんですよ。
辻褄合わせするか、別に犯人がいるのか」
 ため息をついた古舘。浜田は試すかのように言った。
「お得意の合理的に考えればってやつに照らすと、どっちだと思う?」
「蓋然性の高い方を取ると、文字は、高下には彫れなかったと見なすべき。梶
浦がわざわざ自分で自分の名を刻むとも思えません。よって、真犯人が別にい
て、梶浦を陥れる目的であの字を刻んだと考えるのが妥当でしょう」
「しかし、だとしたら何で梶浦は自白した? あれは本気で自分がやったと信
じているように見えたぞ」
「そこなんだなあ。文字の件に加え、自白内容と実際の状況との齟齬から言っ
て、真犯人を庇うケースじゃあり得ない」
 古舘は腕組みし、首を傾げて考え込んだ。そんな相棒の背中を、浜田は手の
ひらで叩いた。
「今から聴取で、その分からんところを明らかにするんだろ」

「結論から言うと――K君は高下君の首を絞めたが、殺すまでには至らなかっ
た。直後に逃走した彼の姿を、何者かが目撃した。その人物こそが高下君を殺
害し、K君に罪を全て被せる意図で、『イニシャルKに』と木肌に彫った――
こうなります。これがK君の自白と科学捜査の結果、双方を両立させる、恐ら
く唯一の構図です」
 用意しておいた説明を済ませると、古舘は相手の反応を窺った。
 被害者らの同級生・三枝東子に話を聞くため、家を訪れた古舘と浜田は、応
接間に通された。2×2のソファには、もう一人、母親の彩美が当然の顔つき
で同席している。口を開いたのは母親だった。
「それが、私達に何の関係がおありですの」
「特にあなた方に関係があるという意味ではなく、当時、高下君やK君と同級
だった子達を、順に回っているのです」
「分かりませんわ。高下という子が遺体で見付かり、Kという子――噂で梶浦
という名前が耳に入ってきていますけれども――が自白した、それで決着では
ありませんの」
 古舘と浜田は顔を見合わせた。アイコンタクトの後、再び古舘が話す。
「この『イニシャルKに』という文字を彫ったのが高下君ではないことは、九
分九厘、間違いありません。K君本人でないことも同様です。では、誰か。そ
の人物は事件発生時点で、K君の名前を知っているのが条件。高下君とも知り
合いで、なおかつ高下君とK君が友達であることもよく知っている人物……と
なると、遺憾ながら、高下君と同じ学校に通っていた小学生、それも同学年に
絞り込んでよかろう……こんな経緯です」
「それにしたって、男子児童を当たれば充分じゃありませんか。小学生なんだ
から」
 娘の頭を撫でる母親。古舘は言葉を選びながら応じた。
「いずれ、女子児童だった他の子達の家々も回ることになるかもしれませんが、
とりあえずこちらに参ったのは、一つの証言が理由でしてね」
「誰の、何という証言なのかしら」
「誰というのはお答えできませんが、複数の者から確認を取っています。証言
内容の方はプライバシーに関わるので、できればお母さんは席を外していただ
きたい」
「無意味です」
 きっぱりと拒否を示す母親。
「あなた方がお帰りになったあと、東子は全て、私に話します。そう躾けてい
ます。そんなことよりも、未成年者を大の大人が二人掛かりで事情聴取しよう
ということの方が、許されないでしょうが」
「弁護士でも何でも呼んでくれて結構なんですよ」
 面倒くさいとばかり、浜田が吐き捨てるようにつぶやいた。古舘はそれを手
で押しとどめる仕種をしつつ、「分かりました」と笑みを作った。
「同席を認めますが、証言内容に関して、娘さんにこの場で問い質さないよう
に願います。親子の話し合いが必要なら、あとでやってください」
「……承知しましたわ」
 やっと引いた母親から、娘の東子へ視線を移す。
「本来なら、真っ先に君に確認すべきことなんだけれど、色々とデリケートな
問題もあってね。こうして、裏を取ってから来ることになった。その点はすま
ないと思う」
「別に……かまいません」
 意外としっかりした声の返事。古舘は目をしばたたかせ、浜田は目を丸くし
ていた。事前の聞き込みで、三枝東子に箱入り娘のような印象を抱いていたが、
少し違うようだ。無論、男勝りの一面があるとは聞いていたが、高いところを
苦手にしているなどというエピソードを耳に挟むと、おしとやかな女の子をイ
メージする。
「では、遠慮なく、単刀直入に。三年前、小学五年生の夏頃、君は高下君から
交際を申し込まれているね」
「――交際ではなく、少し付き合ってほしい、という言い方でした」
 少し間が開いたものの、予想よりも早く答が返ってきた。母親の反応はと、
ちらと窺うが、感心にも約束を守って、口出しして来ない。少なくとも表面上
は冷静を保っている。
「高下君が行方不明になる直前だね?」
「直前と言っていいのかどうか知りませんが、三日ほど前だったと記憶してい
ます」
「君の返事はどうだったんだろう? OKしたと思っている人が一人いるんだ
が」
「……OKしたかと問われたら、OKしたことになるんでしょう」
「というと?」
「……そのあと、さほど間を空けずに後悔……というよりもまだ早すぎる気が
して、断りに行きましたから」
 返事までの時間が徐々に掛かり始めた。昔を思い出そうとするせいか、それ
とも何か含むところがあるのか。
「ほう」
 古舘は質問を止め、しばらく考えた。次にまず聞きたいことは同じだろうと、
浜田にバトンタッチする。
「断りに行ったのは、いつだね」
「それは……よく覚えていません」
 何か答えようとして、言い淀み、結局答えなかった。そんな風に見えた。
「覚えているだろ。高下君が行方不明になるまで、ほんの数日しかなかったん
だからな」
「そう言われても……」
「じゃあ、どうやって断った? 直接会ったのか、電話か、人に頼んだか」
「……電話で」
「おかしいな。さっき、断りに“行った”と答えたじゃないか」
 浜田の口調がどんどんきつくなる。古舘が「あ、まずいかな」と感じた矢先、
母親がとうとう口を挟んできた。
「やめてください! そんな話、どうでもいいでしょう? 事件に何の関係が
あるんですかっ」
「関係あるんですよ」
 浜田に代わり、古舘が応じる。
「今まで伏せていましたが、K君が重要な証言をしてましてね。高下君の首を
絞めた折、高下君が漏らした断片的な言葉を思い出したと。それらをつなぎ合
わせると、事件発生当日、高下君は三枝東子さんを現場に呼び出した可能性が
浮上するんです」
「そんな、まさか」
「高下君はK君と二人で、森の中に秘密基地をこしらえようとしていた。当日
は言わば、起工式の日です。そこへ、付き合い始めたばかりの彼女を呼び、誇
りたいのは、子供らしい心理じゃないかと思うのですが、いかがです」
「人それぞれでしょう。もう喋ることはないわ、東子」
 娘の肩を押し、部屋から出て行かせようとする母親。古舘は「いけませんよ」
とやめさせた。
「どうやら、お嬢さんは部分的に嘘をついているようです。はっきりさせない
と、捜査に支障を来します。お母さんが出しゃばりすぎるようでしたら、続き
は警察署の方でしましょうか」
 主導権を握って放すまいとする。旦那の権力を持ち出されると厄介なので、
畳み掛けねばならない。
「三枝東子さん。どれが本当で、どれが嘘なのか、正直に話しなさい。まず、
断りに行ったのは?」
「……違います」
「ん? 意味が分からない。嘘ということ?」
「そうじゃなくって、交際を申し込まれたというのが、そもそも違うんです」
 意を決したかのごとく、面を起こし、真っ直ぐ見つめ返してきた東子。古舘
は内心、またおかしなことになってきたかと警戒しながらも、穏やかに対応し
た。
「どういうことかな」
「交際を申し込まれたことにすれば、動機がないと思われて、疑われずに済む
と思ったんです」
「うーん、まだよく分からないな。つまり、高下君から付き合ってくれと言わ
れてはいないと?」
「言われました。さっきは刑事さんが勘違いされているのが分かり、動機がな
いと思われたいので、交際を申し込まれたみたいな答え方したんです。本当は、
『夏休みの一日、森の秘密基地作りを見に、付き合ってくれ』と頼まれただけ
……」
「え……っと」
 一瞬、ぽかんとしてしまう。これは想定していなかった。
 だが、これまでで最重要の証言であることは間違いない。何せ、当日、現場
へ行く約束をしていたというのだから。気を一層引き締め、慎重に尋ねた。
「それで、実際に行ったんだね?」
 ここで再び嘘をつかれては困る。逃げ道を塞ぐべく、分かっているのだから
認めなさいと言わんばかりの口ぶりに、敢えてした。
 すると効果覿面。東子は母親へ振り向くと、不安に溢れる視線を送った。
 母親の彩美は、硬い表情こそしているが、案外と冷静でいるらしく、唇を噛
み、思案する風に見て取れた。
「正直に答えればいいわ。あなたのしたことだけを正直に」
 やがて与えられた指示。娘は無言でうなずき、刑事達へ向き直った。
「森へ、行きました。途中で、梶浦君が逃げるように、外へ向かって走ってい
くのを目撃しました。そのあと、言われた場所に着いてみると――」
 彼女の言葉を聞いて、古舘と浜田は目を見合わせた。これは正規の調書を作
らなければならない。

「あのね、三枝さん。話が合わない。まとめると、こういう証言になるんだが
――高下君の声がする方を見て、彼を見付けた。助けるのに手間取ると、『早
く大人を呼んでこい』と言われた。こんな場所で会っていたことを知られると
どう思われるか恐い、という理由で躊躇っていると、高下君から罵られた。自
分を悪く言うだけならまだしも、母親の浮気の話を持ち出されてかっとなり、
持っていたカッターナイフで、彼の首を切った――と。どうだね。色々と不自
然だろう?」
「……」
「カッターナイフの現物が見付からないのは、まあ三年前のことだから分から
なくもない。カッターナイフを持ち合わせていたというのが、まずおかしい。
以前、この点を追及すると、文房具として筆箱に入っていたと答えたが、当日
は既に夏休みで、ランドセルとか筆箱とかを持って森にはいるのはおかしいと
指摘した。すると供述を翻し、森に一人で入るのは恐いから、護身用に持って
いったときた。最初からそう答えていれば、まだ信用したかもしれないが、言
い直しはまずかったな。
 それから、当時小五の女の子が一人で森に行くこと自体、かなり不自然だと
思うね。護身用にカッターナイフを持っていたとしてても、だ。三枝家の躾は
厳しいようだしな。出掛けるときは、親に行き先を告げるように言っていたん
じゃないか? そう考えると、森に一人で行ったという証言が、ますます疑わ
しくなる」
「……嘘をついている、と?」
「ああ、そうだ。古舘刑事の受け売りだが、合理的に考えられるのは、当日、
三枝東子は森に行っていない、もしくは二人以上で森に行った、てことになる。
前者は、正直にそう答えれば容疑が晴れるのに、そうしていない。他にメリッ
トもないので、却下だ。となれば、実際に起きたのは後者。事件当日、三枝東
子は大人と一緒に森に入った。そうじゃないかね、三枝彩美さん?」
「よくお分かりになりましたわね、刑事さん」
「嘗めなさんなってことだ。あんた、感づかれなきゃ、頬被りして知らぬ存ぜ
ぬで通す気だったのか。全部、娘に押し付けて」
「とんでもありません。これまで知らないふりをし、今こうして認めたのは、
あの子の将来を慮るあまりの――」
「へえ、こいつはおかしなことを。殺人の罪を娘に擦り付ける気、満々でいら
っしゃるようだ」
「――心外ですわ。仰る通り、私はあの子に付き添って、森の中、秘密基地と
やらの近くまでは行きました。しかし、その後何があったのか、直接は見てお
りません。あの子がしでかしたことを、あの子自身の口から聞いただけです」
「被害者の首を切ったのは、三枝東子だと言い張るんだな?」
「事実ですから。そもそも、私には高下という子供を殺す理由がありません」
「それに関しては、娘の証言通りじゃないのかな? 浮気だか男遊びだかを非
難されて、プライドの高そうなあんたは激高し、発作的に殺害してしまった、
と見ている」
「ふん、そんなことで、いい歳をした大人が……」
「三枝東子の仕業とするには、凶器のカッターナイフの説明も付かないんだが、
どうだい?」
「……」
「武器になり得る物を護身用に持って行ったとしたら、それは娘でなく、大人
であるあんたが所持するべきもんだろ。子供にも持たせたとしたって、いい大
人がカッターナイフを渡すか? 催涙スプレー辺りが妥当じゃないか」
「人それぞれです」
「さっき、あんたの持ち物を検査させてもらったが、化粧道具が結構入ってた
な。遊び歩いて、泊まりになることが多いから、一式持っているのかね。まあ、
あれを一式揃っていると呼んでいいのか、男の俺には分からんが」
「余計なお世話じゃありません? 何が言いたいんです?」
「あの中にむだ毛処理用の剃刀があった。ああいうのもこの事件の凶器になる
と感じたんだが、どうだい? 女のあんたの意見を聞かせてくれ」
「……あれは皮膚や肉を斬る物ではありませんっ」
「だが、やったら斬れるよな」
「仮にそうだとしても、実際に使ったかどうかは……」
「確かに。遺体が古く、状態もよくないので、判断できない。だが、少なくと
もあんたの娘には、犯行は無理だ」
「……どうして」
「俺達は最初、あの子の証言を鵜呑みにして、事件を再構築した。その上で、
実験してみたんだ。そうしたら――ふふ」
「な、何がおかしいんです」
「失敬。まさかあの子も、再現させられるとは考えていなかったんだろうな。
木を前にして立ち尽くしてしまったよ。早くやってみせてくれと促したら、蚊
の鳴くような声で答が返ってきた。『私、木登り、無理です』ってな」
「あっ」
「自分の娘に、高所恐怖症の気があることぐらい、把握してるだろうに。あっ
と、その前に一つ、質問させてくれ。三枝彩美、あんたは三枝東子の実の母親
なのか?」

――終




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