#318/598 ●長編 *** コメント #317 ***
★タイトル (CWM ) 08/02/19 02:28 ( 81)
小説の書き方3 つきかげ
★内容 08/02/19 23:32 修正 第2版
既に日は落ち、夕闇がより深くあたりを満たしている。クレアの小説を読み
切ってしまったが、思ったより下校時間が遅くなってしまった。あいにく夜に
なるとともに天気も崩れてきており、僕は冷たい雨が幾万もの刃となって降り
注ぐ中、家路を急いでいる。
運河の傍に作られた歩道近くまで、水位が上がっていた。東京は半ば水没し
ており街は縦横に走る運河によって、埋め尽くされている。僕の背後にはグレ
ートウォールと呼ばれる巨大な防御壁が、黒く聳えたっていた。
グレートウォール。
かつて東京を環状に走っていた鉄道の高架線に沿う形で、押し寄せる海を堰
止める防御壁が築かれている。その昔山の手線が囲んでいた内側には、海に犯
されていない街があった。そこに僕が通う聖キリア学園がある。
聖キリア学園は、丁度グレートウォールの内側すぐの所にあった。そのせい
か、グレートウォールの内側にある普通の学園と違って、僕のように外から通
う生徒についても編入テストにさえ合格すれば受け入れてくれる。
ただ、グレートウォールの外と内では世界の荒廃具合が全く違うため、外の
世界から聖キリア学園へ通う生徒は稀だ。外の世界は広大なスラム街となって
いる。
グレートウォールの外側は、運河の中へ沈んでいた。そして、運河には無数
の筏が浮かんでいる。それらの筏は運河の上を渡る橋につなぎ止められており、
その上に小屋があった。グレートウォールの外では、筏に乗った小屋で生活し
ているものが多い。僕は、無数に立ち並ぶ筏の上にある小屋の間を抜けるよう
にして、家へ急ぐ。
僕が住むのは小高い丘に建っているため、水没を免れたマンションだ。老朽
化した建物で、一部屋の広さは辛うじて人が一人生活出来る程度の広さではあ
るが、水没していないだけましといえる。
運河の上を渡る橋は、複雑に組合わさっており、立体的な迷路のようになっ
ていた。夕暮れ時には、橋の上に無数の屋台が出現し賑やかになるのだが、今
日は雨が降っており時間も遅くなってしまったせいで人どおりは殆どない。
やがて闇があたりを覆い尽くす。闇とともに、霧もでてきたようだ。僕は迷
路のような橋を渡りながら、次第にいやな予感に捕らわれ始める。どうも、道
に迷ったらしい。
歩いて二十分程度の距離なので、普通なら迷うような所では無かった。ただ、
今日のように視界が悪く夜にかかるような時間帯であれば、道を間違う可能性
がある。
曲がり角一つ間違えると、迷路化して複雑な立体交差をもつ橋は、全く別の
所へと僕を導く可能性があった。僕は、ふとクレアの書いた小説を思い出す。
彼女の小説の中でも、僕と似た主人公が道に迷っていた。丁度今の僕と同じよ
うに雨に降られながら、霧に包まれながら。そして、空には小説と同じように
死神の鎌と同じような三日月がでている。僕は苦笑した。
僕は多少焦り始める。グレートウォールの外側は決して治安がよいとはいえ
ない。まあ、僕のような貧乏学生が狙われる可能性はとても低いのだが、単に
誰のでもいいから血を見ることだけを望む麻薬中毒の変質者が少なからずいる
ことも確かだ。
焦りを感じながらも、僕は無意識のうちにクレアが書いた小説のストーリー
を思い浮かべる。確か僕に似た主人公は、霧の立ち込める闇の中で歌声を聞く。
まるでいにしえの森奥深くで、精霊たちを讃えるシャーマンの声を思わせる歌
声。
僕はふと、立ち止まる。
声が聞こえた。いにしえの深い闇から立ち上ってくるような歌声。
ぞくりと、僕の背中を戦慄が這い上がる。
おそらくその歌声は、クレアの小説に描写されていた歌声を現実のものにす
れば、こうなるであろうという歌声であった。僕は、無意識のうちに歌声がす
る方へと足を踏み出す。
歌は迷宮にもたらされたアリアドネの糸のように、僕を導いていく。
僕は、白い洞窟をくぐり抜けて行くように、霧の中を進んだ。優美で、しか
し神秘的な歌声は次第に強く大きくなっていく。僕は炎に引き寄せられる蛾の
ように、歌声に呼び寄せられて行った。
唐突に。
闇が途切れた。
迷路のような橋が交錯する交差点。そこだけが星の光を宿したように仄かな
輝きを放っている。そして、その交差点の中央で白衣の少女が歌っていた。
まるで。
天から墜ちた天使のように。
或いは古代の神殿より抜け出してきた、巫女のように。
少女は僕の奥底に眠っている深い思いを、揺り動かしていた。僕は、その少
女の神秘的な美貌を見つめる。僕は思わず叫んでいた。
「クレア?!」
少女は僕の叫びには答えることなく、手をあげると僕の背後を指さした。僕
は反射的に振り返る。振り向いた僕の目の前で、闇が裂けていった。
さっきまで辺りを覆っていた霧は左右に退いていき、一筋の光の道が延びて
ゆく。その先にあるのは、小高い丘であり、僕の住んでいるマンションがある。
僕は道に迷っていたようで目的地の麓に辿りついていた。
ここまで全てがクレアの書いていた小説のとおりに物事が進んでいた。ただ、
これだけであれば偶然としてすませれるレベルだ。小説のとおりであれば、
今……。
唐突に大地がゆれた。地の底で巨大な竜が身じろぎをしたように。小規模な
地震が起きたようだ。
僕はそのことに、衝撃をうける。それもまた、小説に予言されていたとおり
だった。
僕は、少女のほうを振り向く。そこには既に人の姿が無かった。僕は首を振
って自分の心に湧き起こる怪しげな思いを振り払うと、自分の家に向かう。