#171/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 03/08/31 23:59 (144)
八月の事件(大急ぎバージョン) 1 永山
★内容
「なあに、そのだっさい帽子?」
場違いなほど着飾った八神さりなの、配慮の欠片もない声が曇天の下、よく
響いた。今この場が深夜の住宅街であったら、迷惑行為も甚だしいが、実際は
幸いにもそうではない。時刻は午後三時ちょうど。場所は人口減少の著しい山
間の寒村。その村の廃校を前に、彼ら六名は立っている。三名ずつ、それぞれ
の車から降り、顔を合わせたところだった。
「あ?」
“だっさい”帽子を被った葉月正吾が、耳を覆うように垂れた黒い円弧状の
布切れを持ち上げる。帽子はダックスフントの頭部を模したデザインで、鍔が
鼻先から口に辺り、目玉もちゃんと着いている。葉月の耳を覆っていたのは、
ダックスフントの垂れた耳という訳だ。当人は小柄で華奢と云えるほど細いが、
二枚目には違いないので、服装を決めれば異姓の目を引く。
「説明しなきゃ分からないか? 分からないよな。土砂降りにあった犬ころの
気分を表現した」
「何よそれ。分かんない。とにかく、いけてないぃ。全然、だめ。センス悪す
ぎってやつ」
「俺は、おまえに気に入られようと思って毎日の格好を決めちゃない」
「これから有名になろうって人が、そんなことでどうするのよ。高校のときは、
あんなにセンスよかったのに」
八神は言葉を切ることなく、葉月の傍らに立つ谷津益美に身体ごと向き直る。
「やっぱり、今、近くにいるその人にセンスがないんじゃないのかしら」
「かもしれねえ」
面倒臭げに葉月は云ったが、相手から目をそらさないでいる。谷津の方は何
かを我慢するかのごとく、葉月の腕を握り締めた。着古したジーンズ素材のシ
ャツに皺が寄る。
「まあまあ。着いた早々、仲違いしていても始まらない」
夏川栄人が晴れやかな笑顔で仲裁に立った。センスという面では、この男も
最先端とは云い難い。ポロシャツの上からフード付きのジャンパーを羽織り、
下は灰色のジーパン。スニーカーは実用第一を具現化したような大ぶりの物だ
った。ちょび髭に青色のサングラスの取り合わせが妙に浮いていて、ユーモラ
スさを狙ったのだとしたら正解だが。
「時間を無駄にしないように、まずは自己紹介と行こう」
「時間なら腐るほどあるわ。折角、プロモーションビデオの撮影が決まってた
っていうのに、葉月が調子悪いからって延期になって」
それにも関わらず、ロケ地に足を運んだのは、下手に撮影スケジュールを変
更してメジャーデビュー前のアーティストが生意気な態度を取っていると思わ
れてはまずいとの判断が働いたため。各方面の関係者に顔向けできるよう、御
祓いを兼ねた下見という名目で、葉月達はこの廃校に足を運んでいる。
とりあえず、夏川の誘導に乗って、簡単な自己紹介が行われた。三人組のバ
ンド「かろん」は、ギターの葉月がリーダーで、谷津がボーカル。もう一人の
男鹿数太郎は本来はドラムスだが、キーボードもギターもこなせる。必要とな
ったらサックスでもOK。その真ん丸とした体躯からは想像しづらい器用さの
持ち主だ。
事務所サイド――と総称していいのかどうか微妙なところだが――の三人は、
八神と夏川と蜂屋伸子。八神は葉月のかつての同級生にして、レコード会社に
コネのある両親を持つ。夏川は現段階でのマネージャー的存在。平たく云えば、
様々な仕事を押し付けられる雑用だ。そして自己紹介が本当に必要な、つまり
は葉月達バンドメンバーにとって初対面である蜂屋は、プロモーション全般を
受け持つ役割。今回の名目の一つはプロモーションビデオの下見だが、撮影で
は彼女がカメラを回す訳でもないし、監督をするのでもない。売り出し方の作
戦を立てる総指揮者と表現するのが、最も正解に近いだろう。
名刺交換もない紹介が終わると、蜂屋は早速仕事の話を始めた。
「益美さん。あなた、霊感が強いと聞いたけれど、本当?」
「霊感ではなくて、普通の意味での勘が働くだけです」
蒸し暑い空気のせいか、汗の滲んだ額に、赤のハンカチを当てながら谷津が
答えた。レモンカラーのシャツとホットパンツは涼しげに見えるが、体感する
温度に差はあまりないようだ。
「その勘を幽霊に向ければ、霊感でしょう? ここの学校、幽霊が出るって噂
があるのは、本当なのよね。いぐさで失敗した農家の人が何人か、ここで首を
吊ったっていうね、だからこそ、御祓いなんていう取って付けたような理由を
並べることができたんだけれど」
自らの肩越しに、親指で校舎を差し示す蜂屋。藍色のスーツにズボンを見事
に着こなしているが、背景には似合わない。それにもまして、山歩きを考慮し
たのか、運動靴を履いているのは違和感がある。
「そこで一つ、提案。ここでのプロモーションビデオ撮影に、逸話の一つでも
付けたいのよね」
「逸話というとアレか。まゆみ――とか云ったりしちゃったり」
「幽霊を出したいのだけれど、いんちきの映像は作りたくないし、ばれたらや
ばいし」
夏川のジョークは、きれいにスルーされた。
「そこでまあ、ここはかわいらしく、肝試しをやって、何かあったらそれでよ
しということにしようかなと思ってる」
「肝試し?」
男鹿が雄武返しをする。蜂屋はアップにした髪を気にする仕種をしてから、
軽くうなずいた。
「夜、暗くなってから、この廃校を舞台に肝試しをやるのよ。恐い体験をして
もらったら、益美さんも何か得体のしれないものを感じるんじゃないかしらと、
期待してる訳よ」
谷津はすぐには反応を示さず、独り言を云うかのように、しばらく口を小さ
く動かした。蜂屋から「どう?」と問われ、やっと返事する。
「……分かりました」
これだけだった。どう受け取ったか知らないが、蜂屋は満足げに改めて首肯
した。
「葉月君も男鹿君も、それでいいわね?」
「かまいません。ただし、自分は全然、信じない質だから、御期待には添えな
いと思いますが」
男鹿が真面目腐った口調で答え、次に葉月が口を開く。
「俺もかまいませんけど、その肝試し、やるのは俺ら三人だけ? そんなのつ
まんないから、全員でやりたいね」
「――」
蜂屋は目を丸くしたあと、苦笑を浮かべ、夏川は口をぽかんと開け、そして
八神は首を振った。
「私、幽霊は大っ嫌いなのよ!」
その表情は、頭上の空のように、今にも泣き出しそうだった。
雨がかなり勢いよく落ちてきて、一行は校舎内に避難した。木造とプレハブ
からなる二棟は、どちらもわずかながら雨漏りは見られるものの、雨宿りには
充分だった。
「まさかここで一晩を明かすって云うんじゃないでしょう?」
多数決で肝試しには全員参加を押し付けられた八神が、両方の二の腕を自身
で抱きしめながら、蜂屋に食ってかかった。対照的に、蜂屋は呆れ口調で応じ
る。
「そんなことはしません。寝泊まりは車の中。だからあんな大げさなキャンピ
ングカーを用意したんです。お忘れ?」
「それなら、まあいいんだけれど。じゃ、じゃあ、どんな肝試しをやるっての
よ」
「そうねえ。校庭を突っ切って、どこかにサインを書いて、戻ってくる。定番
だけれど、いいんじゃないかしら」
「懐中電灯を持たずに?」
男鹿が聞く。「もちろん」と即答があった。八神は身震いのポーズを取り、
頭を左右に振る。ロングヘアが波打つ。それからはっと思い付いたみたいに勢
い込んで発言する。
「この雨が上がらないと、肝試しは中止よね?」
「それはまあ……ちょっと危ないかもね。いくら八月でも、夜の雨は冷たいだ
ろうから、身体によくないのは確か」
「そうそう。葉月だって喉を悪くしてるんでしょ? 雨、やまなかったら無理
しない方がいいわよ」
「――ん?」
話を聞いていなかったのか、葉月は谷津に袖を引かれてやっと反応を見せた。
顰め面になる八神を制し、蜂屋はさっきしたばかりの話をくり返す。葉月は
谷津、男鹿と何やら囁き合って、
「雨が降り続けるようなら、百物語をやろうぜ。蝋燭ずらっと並べて、火を着
けて、この廃校ならムード出ること確実」
このあと、百物語を知らない者に対する説明が続いたが、結果的にそれは無
駄になった。雨は徐々に弱まり、夕食が終わる頃には、すっかり上がって、雲
も薄くなったからだ。
「そろそろ始めるとしますか」
切り出しながら、蜂屋は手近にあった紙を破き、くじを作った。順番を決め
るつもりらしい。
「地面がぬかるんで、ぐちゃぐちゃだわ。まだ危ないわよ」
八神による最後の抵抗も虚しく、くじが引かれていく。蜂屋、葉月、八神、
男鹿、夏川、谷津の順に決定した。
「言い出しっぺが最初で、霊感のある益美さんは最後か。よくできてるわね」
自嘲気味に云いながら、蜂屋はサインペンを持ち、すっくと立ち上がる。屋
根の高い車なので、頭をぶつける心配はまずない。
「再確認しておくと、ここ、校舎の通用口をスタートして、右に曲がり、校庭
を横断する形で、向こうの端まで行く。右に折れてそのまま塀沿いに進むと、
百葉箱があるわ。さっき、食事前に見たら、腐りかけの代物だったけれどね。
そこに自分の名前をペンで書いて、後門外に止めたキャンピングカーがゴール。
それだけ。前の人はキャンピングカーに着いたら、そこに携帯電話があるから、
こっちに連絡して。連絡があったら次の人がスタート。連絡がなくても十分が
過ぎたら、次の人はスタートする。いいわね?」
「今さらだけど、十分は長い気がする」
夏川が自分自身のペンを玩びながら、腕時計を見やる仕種をした。