AWC 八月の事件(大急ぎバージョン) 2    永山


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#172/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  03/09/01  00:03  (214)
八月の事件(大急ぎバージョン) 2    永山
★内容                                         03/09/01 13:21 修正 第2版
「それぐらい必要と思うわよ。真っ暗な上に、このぬかるみ。急いで走って、
転んだら目も当てられない。それに塀際には雑草が生い茂っていて、結構危な
いわよ。肌を切るかもしれない。慎重に歩いたら、十分間を見ておくのがいい
と思った。いいわね?」
 最前と全く同じ調子で、「いいわね?」と念押しした蜂屋。そしてスーツ姿
に運動靴という出で立ちで、車外に踏み出した。さすがに一歩目は慎重になる。
室内灯の明かりを頼りに、水たまりのないポイントを選んだようだ。全員で校
舎の通用門付近に移動した。着飾っていた八神も、長袖のシャツとスラックス
に着替えている。
「それじゃ、行って来るけど。本命は益美さんなんだからね」
 無理矢理にでも幽霊を見てくれと云わんばかりの物腰だった。「時計で時間
を計るのを忘れないように」との言葉を置いて、蜂屋はドアを閉めた。意外と
軋む音は小さい。それよりも、足音と水の跳ねる音が混じって聞こえていたが、
すぐにしなくなった。

 わざと時間を掛けてのんびりと歩き、百葉箱に自分の名前を書き記してから、
車が見えるところまで辿り着いた葉月は、目算が狂ったことを知ると同時に、
心底ぎょっとした。
 次の順番である八神が、何故かすぐそこにいて、所在なげに周囲を見回して
いるのだ。
 暗がりに潜んで彼女を待ち伏せし、驚かせてやろうと思い付いた葉月だった
が、闇の中で過ごす十分は退屈で、やぶ蚊のありがたくない歓迎も受けねばな
らない。結局、辛抱できずに取り止めたところだったのだ。
(どっちかてえと、俺の方が驚いた)
 暗闇に対する不安からか、葉月の方へと歩み出た八神に、葉月は心中の動揺
を隠し、話し掛ける。
「何でこんなところにいるんだよ。追い抜けるはずないから、外の道をぐるっ
と回ったな?」
 普段通りの声の葉月に対し、眼前の八神は静かにするように口元に人差し指
を当てた。
「車の中にいる人に気付かれないように、息を殺して静かにしてたんだから、
協力してよね」
 八神が恐い顔をしていた。葉月は帽子を脱ぐと溢れ出た長い髪を手櫛で梳き、
声のボリュームを落とすことなく話す。どうせ車の中までは聞こえまい。
「それじゃ、せいぜい頑張ってくれ。こっちから行けば確かに近道だけどな。
云っておくと、かなり無気味だぜ」
「……やっぱりやめよっかな」
「ふっ。何で」
「やりたくないのよ、こんなくだらないこと」
「ははん。恐がってたもんな」
「そんなんじゃなくて。本当に、意味ないじゃない。泥が跳ねて、スカートが
汚れるだけ。上も草なんかの匂いが移っちゃう」                
「恐くて行けないなら、それでかまわないんじゃねえの?」
「恐がりと思われるのが嫌なのよ」
「すでにみんながみんな、お前を恐がりに認定してるぜ。それを振り払うには、
行くしかないだろうな」
 意地悪く笑ってみせた葉月に、八神は予想外のお願いをしてきた。
「代わりに、サインしてきて欲しいんだけれど」
「はあ?」
「サインしてきてよ。お願いだから。着いて来てくれるのでもいいけれど」
 形ばかり手を合わせる八神。
「それをして、何か俺にいいことあるの?」
「得しないと動かないタイプなのかしら、葉月は?」
「そんなことはない」
 内心、うまくプライドをくすぐられたなと自覚しつつ、葉月は答えた。
「現状を悪化させない限り、頼みは聞いてやるよ」
「ありがと。ここで待っていた甲斐があったわ」
「ここで待つのだって、結構恐ろしいだろうに」
「明かりがあるとないとじゃ、大違いなのよ。それより、行ってくれるんなら、
早速だけど、靴を交換しましょ」
「靴の交換? ああ、足跡か」
 細かいことに拘る、と思った。ローヒールだが、他の面々とは一線を画す靴
だけに、足跡を見れば八神の物かどうかの識別は容易に違いない。
「葉月なら、女物でも平気でしょう? 学園祭で女装したとき、似合っていた
しね」
「あのときは母親の古くなった靴を持って来て、履いたんだっけな。見事にぴ
ったりだった」
 さすがに懐かしくなって、頬が弛む。当時は気恥ずかしさも随分あったが、
今となってはいい思い出としか云いようがない。
 二人は片方ずつ脱いで、手際よく靴を交換した。
「ふん。悪くない。歩きにくそうだけれど、恐がってる八神にちょうどお似合
いの震えた感じが出るだろうな」
「余計な口を叩かないで。早くしてよ」
「急げば三分で済むさ。ま、靴が違うから五分かな。それよりも、靴が汚れる
のはかまわないのか」
「ある程度はしょうがないわ。それよりもサイン、字を似せてよね」
「分かった分かった」
 適当にうなずき、葉月は校門の脇をすり抜け、スタート地点にこっそり戻る
ことにした。帽子をしっかりと被り直すと、足下を注意しつつ、一歩を踏み出
す。先ほどまでとは違って歩幅を狭め、ゆっくり、ちまちまと。
(八神はいいが、俺自身が時間掛けすぎになっちまうな)
 そんなことを思いながら。

 八神の次の男鹿は、その八神どころか、葉月の到着すら知らされないまま、
十分が経過したので、ルールに従い、通用口を出た。
 そして校庭のほぼ真ん中で、死んでいる葉月を見つけた。俯せの彼の背中に
は、大振りの包丁が突き立っていた。判然としないが、キャンピングカーの備
品らしかった。
「馬鹿な」
 呻く風に呟き、男鹿は肝試しを放棄して、キャンピングカーの駐車してある
方角に向かった。校舎ではなく、車を選んだのは、その方が近かったことと、
肝試しを考えた蜂屋がそこにいるからという理由があった。
 そして――。
「八神さんの姿が見当たらないのは、やはり気になるわね」
 蜂屋が冷静な口調で、場に告げた。ついさっき、スキャンダルを最小限に抑
えるために、事件の真相におおよその見当を付けてから通報しようという決定
が、葉月と八神を除く四人でなされた。
「懐中電灯で照らして回ったけれど、葉月君の遺体のすぐそばまで続いている
足跡は、葉月君自身と発見者の男鹿君、そして彼女の物の三つ。男鹿君か八神
さんの仕業と考えられるけれど」
 蜂屋の言葉に、男鹿は特に反応せず、ただただ聞き入る。蜂屋は続けた。
「男鹿君が刺したとしたら、血がもっと固まっていないと思うのよ。併せて、
八神さんの姿がないこと。そして何より、葉月君が地面に書き遺した『やがみ』
という文字。これこそ、彼女が犯人だという証拠だわ」
「もしそうだとしたら……」
 男鹿が慎重な口調で始めた。
「足跡と百葉箱のサインから判断し、葉月は校舎を出ると百葉箱に向かい、サ
インをした。そこから車に向かっています。だが、何らかの理由で車には入ら
ず、学校の周囲の道をぐるっと回って、また通用口の辺りから始めた。それを
八神さんが追い掛けて、あそこで刺した」
 現場を指差す。蜂屋だけでなく、夏川も振り向いた。谷津だけは意気消沈し
てしまったらしく、ずっと無反応が続いている。
「葉月の行動だけでも結構不思議というか、不自然ですし、八神さんの動きも
少し変です。書き遺した文字に気付かないのは、暗さのせいだとしても、その
暗さをあれほど恐がっていた彼女が、この月も出ていない夜に、葉月を追い掛
けて刺すなんて」
「それは……確かにそうね」
「もう一つ。足跡を見ると、葉月も八神さんも走っていない。八神さんが犯人
だとするなら、背後からそっと近寄って、いきなり葉月の背中を刺したことに
なる」
「何かおかしいかい?」
 夏川が、自分も何か喋らねばという雰囲気を漂わせ、震える声で発言した。
「おかしいでしょう。葉月はどうやって犯人の正体を知ったのですか?」
「……刺されて倒れたあと、見上げたとか?」
「葉月は俯せの状態でした。身体を動かした形跡はありません」
「それじゃあ、刺される際に、揉み合いになったんだ」
「だったら足跡が乱れるはずですが、そんな痕跡は全くなかった」
「うーん。だったら……そうだ、声を聞いたんだ。八神さんの襲い掛かろうと
する声を聞いたから、犯人だと認識できたんだよ」
「それもあり得ないと思ってます」
 男鹿は早口でそう云ったあと、谷津の方を向いた。彼女も話は聞き逃してい
なかった様子で、面を上げて、決然と云い放った。
「彼、葉月は、耳を悪くしてたから……」
「え?」
 これには仮説を次々と論破された夏川に加え、蜂屋も驚きの声を上げた。
「耳が悪いって……それでプロモーションビデオの撮影、嫌がったの?」
「ええ。治る見込みは低かったけど、先延ばしにして回復を待とうって。夏川
さんには云い出せなくて。それに、降って湧いたみたいなチャンスだったから、
葉月、張り切っていて、逃したくないって……」
 気力が保てたのはここまでだった。谷津は面を伏せ、両手で隠すと声を上げ
て泣き出した。
「も、もしかして」
 蜂屋が魂を抜かれたみたいに、唖然とした口ぶりになっている。
「あの犬の帽子で耳を隠していたのは、聞こえの悪さをごまかすため……?」
「はい」
 男鹿が素直に認めた。それから眦を決し、断言する。
「葉月には、誰が刺されたのかを知る術がなかった。だから、あのメッセージ
は偽物に違いありません」
「し、しかし、そうなると」
 困惑げに首を傾げた夏川と蜂屋は、やがてお互いに顔を見合わせた。そこへ
男鹿が追究のための推測を語る。
「葉月の耳の件を知らない人の中に、犯人がいる。八神さんは彼女自身の名前
を書くとは思えないし、幽霊話や暗闇に対する恐怖心は本物だったと思う。だ
から、彼女は違う。夏川さんは僕らとずっと一緒にいて、肝試しの順番を待っ
ていた。そうなると、あなたしかいません、犯人は」
 指摘された本人、蜂屋は何度も瞬きをした。
「私が? 何故? 彼とは今日が初対面だったのよ」
「全くの想像になりますが、恐らくあなたは間違えたんだ。本当に殺したかっ
たのは八神さんだったのに、見誤って葉月を刺してしまった」
「想像力がたくましいにも程があるわ」
「だから最初に断りました」
「仮に私が八神さんに殺意を持っていたとして、葉月君を彼女と見間違えたの
もよしとしましょうか。夜で暗かったし、葉月君は細身だし。じゃあ、どうや
ったら殺せたの? 足跡は?」
「あなたの足跡は、八神さんの足跡と交差している」
「あっても不思議じゃないでしょうが。一番最初に肝試しに出て、足跡ができ
た。その上を、あとから来た八神さんが通っただけのこと。第一、葉月君とは
無関係じゃない」
「そうでしょうか? 八神さんが学校の周りを回って、校門葉月を待っていた
としたら。そして、彼女が葉月に、代わりに肝試しをやってくれないかと頼ん
だとしたら」
 男鹿の台詞に、蜂屋の表情が奇妙に歪む。
「お得意の想像みたいだけど、根拠は?」
「こう考えれば、葉月の足跡が、肝試しを二回やったように見える説明が付く
んですよ。葉月は八神さんと靴を交換し、校門から校舎に回って、二度目のス
タートを切った。だが、途中で待ちかまえていたあなたに、八神さんと勘違い
されて、刺された」
「待ちかまえていたら、足跡が百葉箱まで付けられないわ。それに、百葉箱の
サインだって。葉月君は一度、百葉箱まで行っているんだから、私のサインが
なかったら、不審に思うでしょうに」
「あなたは肝試しをセッティングするため、夕刻頃、百葉箱などの位置を確か
めに、一人で出歩いた。そのときに先にサインを済ませたんじゃないですか? 
くじにも細工をして、自分が一番に、八神さんが三番になるようにした」
「講釈師、見てきたようなことを云い、ね」
「こうすれば、肝試しを真っ先に済ませたふりをして、八神さんを待ち構える
ことができます。あ、そうだ。携帯電話での連絡なんかは、本当に肝試しを遂
行した証拠にはならない。どこからでも掛けられるんだから。そもそも、この
肝試しは全て、あなたが提案し、あなたがセッティングした。あなたの自由に
使える道具と云えます」
「私と八神さんの足跡は、一箇所で交差しただけよ。八神さんに見違えた葉月
君を刺したなら、彼はその交点で倒れるんじゃなくて?」
「葉月の背中には、包丁が突き刺さったままでした。凶器が刺さっても抜かな
ければ、しばらくは栓の役目を果たし、外への出血は抑えられると聞きます。
葉月もそうだったんでしょう。刺されたまま、縦数歩進んだんだと考えます」
「ででも、八神さんの足跡は? 葉月君の足には、彼の靴があった。靴の再度
の入れ替えが説明できてない。それに八神さんが犯人でないなら、どうしてあ
んな『やがみ』なんて、書き遺したのかしら」
 声ばかりか、全身が震え始めた蜂屋。その慌てぶりが如実に物語る真実。
「足跡の件は、警察が詳しく調べれば明らかになるでしょう。葉月があんなメ
ッセージを遺したのは、恐らくは不幸な偶然。刺されて何メートルか前進した
後に倒れた葉月。そこへ八神さんがやって来る。何故か。葉月があまりに遅い
ので、様子を見に来たんじゃないでしょうか。さっさと靴を交換しないと、皆
の前に出られやしないという気持ちもあったのかもしれません。彼女は刺され
て横たわる葉月を見て、動転します。そして彼の顔をのぞき込む。それを葉月
も見た。八神さんが自分を刺したんだと思い込み、『やがみ』と書き遺した。
八神さんは葉月が絶命したのを見て、ますます慌てた。とにもかくにも靴を交
換し、皆に知らせようとした。が、この状況では、自分が怪しまれるに決まっ
ている。言い逃れのできない状況下、恐怖心に駆られた彼女は身を隠そうと、
僕らのいない、別方向に逃げたんだと思いますよ。
 さあ、これで説明できたつもりですが、いかがですか、蜂屋さん?」
 男鹿が断言し、詰め寄っても、蜂屋はまだ逃げ道を探しているのか、視線を
宙にさまよわせていた。

――終





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