AWC そばにいるだけで 62−4   寺嶋公香


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#168/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  03/07/09  00:01  (498)
そばにいるだけで 62−4   寺嶋公香
★内容                                         17/04/28 03:16 修正 第2版
(いない。もしかして、勝った瞬間、見てくれてなかった? ううん、そんな
はずない。収録中は簡単には出入りできないはず。今は休憩直前のはずだから、
多分、少し早めに動いたんだわ。けれども、何の用事があって? トイレかな)
 色んなことを一挙に考えていると、休憩に入りますという番組スタッフの声
が響いた。しばらくは友達と話せる。
 が、そう思惑通りには行かなかった。最初に、篠が汗を拭き、メイクを直す
下準備をしながら話し掛けてきた。
「いや、よかったよ。面白い勝負だった。それ以上に、君達が勝ってくれて、
嬉しいな。変な意味じゃなくてね。やっぱりさ、女の子の方が華やかじゃない」
「は、はあ」
「ついでに付け加えると、モデルをやっているという売りも、司会者にとって
はありがたいし、番組作ってる連中にもありがたい。数字が取れる可能性が高
まる」
 数字とは視聴率を意味するのだろう、きっと。
「このあとのアルティメットチャレンジでも、手心を加えるわけにいかないけ
ど、心の底では応援してるからね。がんばって」
「少しでも粘ります」
 最後のアルティメットチャレンジで、早々に誤答してしまうと、盛り上がり
に欠けること甚だしい。それくらいは心得ていた。
 篠から解放されると、今度は対戦したばかりのあの二人、西城と木庭に背後
から呼び止められた。振り向くと、駆け寄ってくる。
「やられたよ。完敗」
 西城の口調は、決勝前の廊下での出来事を忘れたかのように、さばさばした
ものである。
「私達は運がよかったんです。先ほども言いましたでしょう」
 淡島が抑揚なく言い返すが、その実、上機嫌であるのがその響きから窺えた。
占い通りにことが運んでいるからだろう。
「つまり、俺達は運が悪かったということか」
 木庭はそう言い捨て、悔しげに頭を振った。どうやら、彼の方は早く立ち去
りたいらしい節がある。西城に視線を戻すと、いやににこにこと微笑んでいた。
「少し感情的になっていたが、あれは勝負前で高ぶっていたということで、許
してくれるかい?」
「え、ええ。許すも何も」
 純子にも淡島にも異存はない。
 すると相手は、「じゃあ、和解とお近づきの印に」と言って、手を差し出し
てきた。
「握手ぐらいはいいだろ?」
 ちょっと唐突な感はあったが、拒む理由もない。純子は手を出そうとした。
 が、淡島が普段の倍ほどの素早さで、その手を押さえる。
「やらない方がいいです。きっとこの人、手の甲に接吻をする」
「え」
 口調の強さに驚いて、手を引っ込める純子。
 西城は口をOの形にして唖然としていたが、そのあと「見抜かれたか」と悪
びれた風もなくつぶやいた。
 それを聞いて純子が両手を胸元で絡み合わせる。手の甲を隠すようにすると、
西城が笑い出した。
「冗談さ、冗談。ま、我がチームを破ったんだから、最後も決めてくれるよう、
願っているよ。縁があったら、別の番組で競いたいね」
 好きなことを言って、西城は木庭とともに立ち去った。半ば呆気に取られて
彼らの後ろ姿を見ていると、同じ高校らしき女子が何名か駆け寄って、べたべ
たし始める。そればかりか、純子達の方を睨んでさえ来た。
「恨まれたみたい」
「逆恨みです」
 成陵の生徒がたくさんいる方角は避けて、緑星の陣営を目指す。唐沢が真っ
先に席を離れ、来てくれていた。純子達に気付くと、両腕を広げ、抱きつかん
ばかりの勢いで距離を詰める。
「おめでとー! 自分のことのように嬉しいよーって感じだな」
「あ、ありがとう。肝心なのはこのあとだけどね」
「予定通りですから、そんなにはしゃがないでください」
 唐沢が苦笑を浮かべたところへ、他の生徒達もどっと押し寄せ、人だかりに
なってしまった。どうして最後の問題に正解することができたのかという問い
に、淡島が答えている隙に、純子は唐沢を引っ張り、輪を外れた。
「何だ? 愛の告白なら、今からでも受け入れるけど」
「違います」
 さすがに慣れた。唐沢の冗談なら、冷静に聞き流せる。むしろ、これから尋
ねることの方が、冷やかされる恐れもあって、恥ずかしい。
「あ、あのね、相羽君はどこに行ったのかなーって」
「やっぱり。あいつなら、電話しに出て行った。ここ、携帯禁止令が出ている
からな。あ、もちろん、涼原さん達の優勝を見届けてから出て行った」
「電話……。前の休憩のときにも、いなくなってたみたいだけれど、あれも電
話を掛けに?」
「そう言ってたな。気になる? 相羽は詳しいことは言ってなかったが、ピア
ノのレッスンに関係する話らしいぜ」
「ピアノ。あっ、年度末だから」
 分かったように言った純子に対し、唐沢は黙って首を傾げる。
「四月からのスケジュールを決めるのに、エリオットさんと連絡を取り合う必
要があるんだわ、きっと」
「お、そうか。だよな」
「これで心置きなく、クイズに集中できる」
 そう言って笑った純子を、唐沢が冷やかす。
「相羽に会って、お喋りをしてからの方がもっと心安まるんじゃないかねえ」
「会いたいけど。大事な電話なら、邪魔したくない」
「そうか? まあ、会いたがっていたと、俺の口から伝えとくよ」
「そ、そこまでしてもらわなくても、自分で言うから」
 純子が少し慌てた刹那、相羽が姿を現した。
「とんとん拍子で来ちゃったね」
「うん」
「賞品、何を狙っているの?」
「私は天体望遠鏡で、淡島さんは旅行券。遺跡や神社、色んな神秘的な名所を
回りたいんだって」
 最終段階のアルティメットチャレンジは、次々と出題されるクイズ十五問に
答えることでポイントを積み上げていく。その値の範囲内で賞品を選べるスタ
イルだ。間違えるとポイント減で終了し、最悪ゼロになってしまう。問題を聞
いてからおりることもでき、この場合はそれまでに獲得したポイントは確保さ
れる。
「いくつ正解すれば目的達成?」
「十一か十二かな。でも、旅行券はポイントが多ければ多いほど額面を上げら
れるから、できるだけ上を目指さなきゃ」
「応援してる」
「“レスキュー”で相羽君に頼むかもしれないよ」
 十五問に挑むに当たって、ピンチを回避するためのヘルプアイテムが三つ用
意されている。“レスキュー”は、応援席の一人を指名し、代わりに答えても
らう。“チョイス”は選択問題なら二択まで減り、口頭問題なら三択になる。
“チェンジ”は、他の問題に取り替える。それぞれ一回ずつ行使できるが、使
わずに誤答すればそれっきり。全問正解を達成した上でアイテムが残っていれ
ば、その数に応じたボーナスポイントがもらえる。
 さらに付け加えると、三つのアイテムの内、レスキューだけは、降りること
ができなくなる制約付きである。これは、解答を託された応援席の人物が降り
てしまうという、盛り上がりに欠ける展開を避けるための縛りであろう。
「遠慮なく、何でも来い。分からなかったら分からないと言うまでだから」
 気楽な口調なのは、純子を励まそうとしているからに違いない。
 それからいよいよ純子が電話のことを尋ねようとした矢先に、番組スタッフ
の声が掛かった。
「通路にいつまでも広がっていられると困るのでー、応援の方々はー、そろそ
ろー、席にー、戻ってくださーい」
 ざわざわしながら、みんなが割と素直に散っていく。相羽も「じゃ、見てる
から。がんばって」と手を振り、きびすを返す。
「しょうがねえなあ」
 唐沢が微苦笑を向けてくる。嘆息した純子に、「やっぱり、聞いといてやる
よ」と告げた。
「いいの。これが終わったら聞くんだから」
「ふふ、当然、その方がいいよな。さて、戻らんと。ああっと、俺の応援もお
聞き逃しなく」
 手のひらを向けた右手の人差し指だけ立て、ちっちと振ってみせると、唐沢も雛壇型
の席に駆け戻っていく。
 純子の後ろに立っていた淡島が、ぼそりと言った。
「親指も立てると遥か昔のスター」

 アルティメットチャレンジは折り返し点も過ぎ、最初の山場を迎えていた。
「第十問。これに正解すると、お二人の獲得ポイントは1000になります」
 長時間に渡ったクイズ・ミレニアムアタックも、遂に最後のステージ。最初
の四、五問ほどは簡単に答えられるが、中盤の六問目以降はややレベルアップ。
十問目を正解すると、総計1000ポイントを獲得し、なおかつこのポイント
は以後誤答しても確定するため、一つの区切りとされる。
「次に挙げる人名を冠した推理文学賞の内、その人物が逝去後に設けられたの
はどれか。1.鮎川哲也賞 2.江戸川乱歩賞 3.松本清張賞 4.横溝正
史賞」
「……」
 無言で顔を見合わせる純子と淡島。分からないから、ここはヘルプアイテム
を使おうかどうしようか。チョイスは、全く分からなかった八問目、バスケッ
トボールの選択問題に使ってしまったが、レスキューとチェンジがまだある。
(相羽君なら知っていそうだけれど)
 そう思う純子。これまでと違って、相羽の顔を見ることはできない。司会者
の篠を前に、そして観覧席を後ろにする形で、解答者席に着いているのだ。言
うまでもなく、応援に来た者が身振り手振りなどで答を教えるという不正を防
ぐための措置である。
「困っているようだけれど、推理小説は読みますか?」
 篠が無表情だが、優しい物腰で聞いてくる。淡島は黙って首を横に振り、純
子は「少しは読みます」と答えた。
「涼原さん。四人の作品を読んだことは?」
「はい。一通りは」
「それじゃあ、それぞれの賞の作品を読んだことはある?」
「えっと……はっきり意識して読んだのは少ないけれど、あります」
「作家の没年と第一回受賞作の出版年が分かれば、正解を導き出せる」
「それはそうですけど、覚えてませんよー」
 目を細めて苦笑いを浮かべた。篠も「そりゃそうだ。普通の女子高生なら」
と肩をすくめる。
「どの人が一番なさそうだと思う?」
「鮎川……さんはないはず。確か、受賞作の巻末で選評を読みましたから」
「なるほど。その調子で、あと二人を除外できればいい」
「うーん……うろ覚えなんですけど、江戸川乱歩さんは『猫は知っていた』っ
ていう受賞作を高く評価していたって話、読んだ気がするんです」
「なるほどなるほど。このまま聞いていくと、私も思わずうなずいてしまいそ
うになるので、ここら辺でやめましょう。あとは二人で考えてください」
 篠に言われたからではないが、純子は淡島の方を向いた。
「どうする? ヘルプ使う?」
「横溝と松本に絞っていいんですね?」
「多分。実は、ここまでは結構自信あるの」
「でしたら、あとは占いで」
「そんな。淡島さんの占い、時間がかかるでしょっ」
 このやり取りもマイクを通じてスタジオ全体に聞こえるから、時折、笑いが
起こった。
「では、占いはやめておいて。私、朧気ですけど、思い出してきました。占い
の関係で、色々調べたことあるんです。人の生と死について。その中で、名前
の付いた賞ができた年に亡くなった作家がいました。それが確か」
 淡島は純子の耳に口を寄せ、横溝と告げた。他の者には聞こえなかっただろ
う。
「ほんと?」
「恐らく。ただ、涼原さんと違って、自信はありません。ぱっと頭に浮かんだ
のが、その名前でしたから」
「うーん」
 考え込む純子に、篠が「悩むと皺ができるよ」と冗談を飛ばす。だが、純子
自身は考え込むのをやめない。
「いかにもこの作家らしいなと感じましたし、きっと合っています」
 急に自信ありげに言い切った淡島。まさか、純子が悩むのをすとっぷしよう
としたわけでもあるまい。でも、決断を下すには充分だった。二人は短く相談
し、やがて声を揃えて解答した。
「3の松本清張賞で」
「3番、松本清張賞。いいんですね?」
「はい」
 焦燥感をかき立てるような曲が流れ、篠が結果を告げるまで、ためを作る。
固唾を飲んで待つしかない。
 ちなみに、収録中にも音楽を掛けることは知らされていなかったため、最初
に音が聞こえてきたときは、ちょっぴり驚いてしまった。と言っても、純子一
人だけで、淡島は当たり前のような顔をしていた。音を入れるのはあとからと
いう思い込みがあったのは、ドラマやCM出演の経験があるせいに違いない。
 それはさておき、篠にジャッジメントをたっぷり三十秒近く待たされると、
不安になってくる。
(やっぱりレスキューで相羽君に答えてもらえばよかった?)
 淡島と握り合った手に力が入る。ちょうどその頃合に、篠が口を開いた。
「正解!」
 はぁーっという息とともに、力が抜ける。そこへ凄い勢いの拍手と歓声が押
し寄せて来て、全身が震えるようだ。
「さあ、これで1000ポイント分は確定だ。まずは目標達成の第一段階とい
ったところかな」
「私はこれでもいいんですが」
 純子から淡島に、視線でバトンタッチ。
「上があるからには、目指さないといけません」
 態度や表情こそ変わらぬものの、淡島は気合いが入っていた。
 そのおかげかどうか、続く十一問目は若干息抜きできる芸能問題、十二問目
は真面目に授業を受けた高校生なら解ける血液に関する問題で、ともに短時間
でクリアに成功。
「あと三つ正解すれば、アルティメット達成。しかもヘルプアイテムを二つ、
レスキューとチェンジを残している」
 篠がお定まりの文句を吐いて、十三問目に突入。
「十六世紀の画家アルチンボルド作の絵画『夏』は、人の横顔をある物を使っ
て描いた作品です。それは次の四つの内、何でしょうか。1.農作物 2.青
空と雲 3.昆虫 4.SUMMERのアルファベット六文字」
「……全然分かりません」
「ですね」
 息もぴったり、純子達はつぶやいた。
 絵に詳しい友達がいればレスキューという手もあり得るが、誰も思い浮かば
ない。相羽の雑学に頼るのも、危ない橋だろう。
「消せそうなのはどれだと思う?」
「画題が夏なんだから、農作物は違うかなあと。夏と言うより秋」
「ふむ。それなら昆虫も秋では? すず虫とかね」
「そうですよね」
 素直に同感し、首を傾げる純子。淡島が口を挟む。
「そんなことを言い出したら、青空だって秋のものとも考えられません? 夏
と言い切れるのは、4のSUMMERだけ」
「うん。でも、だから4ていうのも、安易な気が。外国にへのへのもへじみた
いな発想って、あるのかな」
「言われてみますと、見掛けた覚えはありませんが」
 だめだ。全く手がかりがない上に、浅知恵の迷路にはまりこんでしまったよ
うだ。こうなるとどれもが正解らしく見えて、どれもが違うようにも思えてく
る。
「ここは、ヘルプアイテムです」
 淡島の方から決断した。
「チェンジ?」
「はい。レスキューでも厳しすぎます」
 お互い納得して、篠にヘルプアイテム・チェンジの行使を伝えた。
「これよりもさらに難しい問題が出るかもしれませんよ。いいんですね、お嬢
さん方?」
「かまいません。そのときはそのときです」
 篠は顎先を軽く振り、アシスタントから別問題の入った封筒を受け取った。
問題のパスではなく、あくまでチェンジであることを示すための演出だ。
「まず、チェンジされた問題の答だけれども、1の農作物が正解。ご覧のよう
な絵なんだ」
 篠の合図と同時に、パネルに絵画『夏』が大写しになった。ぶどうや人参、
胡瓜といった物が右横顔を形作っていた。
「それでは仕切り直しの第十三問。一九五二年に作曲家のジョン=ケージが初
演したピアノ組曲『四分三十三秒』は、非常に特徴的です。一体どんな曲なの
でしょうか――。おおっと、選択問題ではなくなったぞ。こいつは失敗だった
か?」
 篠が煽る。
 一方、いかなる難問が来るのかと身構えていた純子だが、これには思わず表
情をほころばせた。相羽から教えてもらったことがある。
「はい、答えます」
「え、いいの? もっと考えなくて」
「ピアノの得意な友達が言っていたのを、たまたま覚えていました。四分三十
三秒間、ピアノの前に座ったまま、演奏しない曲。静寂を楽しむ曲です」
「――正解。ため甲斐がないなあ。知ってるというのなら、試させてもらおう
かな。どうして『四分三十三秒』なの? 二分五十八秒でも、六分ジャストで
もいいじゃない?」
「えっと、確か……四分三十三秒を秒数だけに直すと、二百七十三秒で、これ
が絶対零度のマイナス二百七十三度を意味してるんですよね。これ以上低い温
度はないというのと、これ以上静かな音楽はないというのを対応させた」
「私も思い出しました」
 急に発言した淡島に大勢が注目する。
「涼原さんの言った説ですけど、絶対零度と同じ値になったのは偶然で、実際
は中国式の占いによって決めた数という話があります、確か」
 占いを趣味とする彼女らしい話に、篠は「お見事」と手を叩いた。
「うーん、完璧だ。どうやら幸運を引き寄せているようだね。あんまり見事だ
と、こっちも参っちゃう。気合いを入れ直して、次! 総計7500ポイント
の十四問目!
 四枚のカードがあります。カードの各面には、赤一色、青一色、記号の○、
記号の×のいずれかが印刷れています。このカードがテーブルに図のように並
べてあります」
 篠が言い終わるのと同時くらいに、パネルに図が示される。カードが赤、青、
○、×の順番で、縦に並べられたところだった。上から順に1、2、3、4と
番号が傍らに振ってある(1.赤 2.青 3.○ 4.×)。
「さて、『全ての赤のカードの裏側に、×が描いてあるか?』という問いに正
しく答えるには、何枚のカードをめくらなければならないでしょうか」
「論理パズルですね」
 淡島が落ち着いた調子でつぶやく。純子は力強くうなずいた。
「焦らずに考えれば、必ず解ける。まず、一枚目の赤いカード。これをめくる
のは当然よね。この裏が×かどうか、分からなきゃ始まらない」
「二枚目は青だから、関係ないと?」
「……そうじゃないと思う。青の裏面には赤、青、○、×のいずれかが描かれ
ているのだから、もしも青の裏が赤だったら、『全ての赤のカードの裏が×』
は否定されるわ」
「関係あるんですね」
 理解できたのかどうか、握った両拳でこめかみを押さえる淡島。比較的、論
理思考は苦手な質である。それでもがんばって言葉を続ける。
「ということは、三枚目の裏も赤である可能性があるかもしれないわけですか
ら……関係ある?」
 思考過程に誤りはないが、代わりに日本語が変になったようだ。純子は少し
頬を緩めながら、「当たってると思う」と応じた。
「今のところ、三枚ともめくらなければいけないってことですか。少し、不安
になる……」
「ううん。間違っていないはず。あとは四枚目だけ。えーっと。×の裏が赤と
したら、問いは肯定される。赤以外だとしたら、問いは否定され……」
 ん?と頭を捻った純子。
(×の裏が赤以外、たとえば○だったとしても、問い掛けへの答には何の影響
もないわ。そうよね、うん)
 自分の内で何度も確かめる。そうして篠に対して言った。
「決めました」
「おっ、案外と早かった。とにかく、聞きましょう。お答えは?」
「一、二、三枚目のカードをめくる必要があります」
「この手の問題で、何故そう思ったかと聞いても意味がないから、さっさと進
行しよう。それでかまわない?」
「……ええ。四枚目以外は関係ある。一、二、三枚目をめくる。これが答です」
 純子が言い切ると、篠は手前のテーブルに両肘をつき、無表情を作った。そ
して例の焦れったくなる音楽が流れ始め、時間が経過する。そんな中、徐々に
篠の表情が変化していく。厳しいものとなっていく。
「外れのときは、笑うんですよね」
 純子は緊張を紛らわせるため、そんな軽口を叩いた。
「それに、正解じゃないときは、もう少し引き止めてくれるんです。特に、解
答者が若い女性の場合、答を変えさせようとして」
「……よく番組を観てくれてるねえ……。正解ですっ」
「やった!」
 純子と淡島は互いの手のひらを合わせて、喜びを露にした。自信があっても、
間を取られるとぐらつくもの。その極限まで高まった緊張感から解放され、安
堵する。
 答の解説を挟み、篠は椅子に座り直した。
「いよいよ。いよいよここまで来ました。最後の問題です。これに正解すれば、
アルティメット達成。しかも、レスキューの切り札を残している。可能性は充
分だ。問題――」
 間を取る。長い時間に感じられた。息を飲んだ。問題文はパネルに表示され
るというのに、聞き逃すまいと耳を澄ませる。
「ノーベル賞には現在、六部門が設けられていますが、一九六九年度から新設
されたのは何でしょうか? 1.文学賞 2.平和賞 3.経済学賞 4.医
学・生理学賞 5.化学賞 6.物理学賞」
「ここに来て、全くの知識系統。ついていません。選択肢があるのは不幸中の
幸いですけど」
 頭を抱えることもなく、わずかに吐息した程度で、淡島が淡々と言った。そ
のまま、顔を純子に向けて、聞いてくる。
「分かります? 私はさっぱり」
「私も無理」
 首を左右に小さく振って、小声で応じるしかない。
「どういう部門があるのかさえ、正確には知らなかったもの」
「そもそも、ここに挙がっている六部門、本当にあるんでしょうか」
 淡島が司会者の篠をちらと見やるが、もちろん何のヒントも返ってこない。
代わりに、「慎重に、ようく考えて。こうなったらおじさんは応援しちゃうか
らね」と、好感度の高いタレントらしいスマイルを浮かべた。
「平和と文学、物理は聞いたことある。化学も多分、あった。あと、医学賞が」
「そうそう、それです。医学・生理学というのが、怪しくありません? 二つ
の言葉をつなげた名称。作為的な匂いが」
「ない部門を当てるんじゃないよ、淡島さん」
「分かっています。そのような意味で言ったのではなく、元々は医学賞だった
のが、一九六九年に医学・生理学賞となったかもしれません、と」
「あっ、ありそう」
 思わず手を打って、淡島を指差す。だが、直後に疑問も浮かんだ。
「だけど、それで正解じゃあ、あからさますぎるような気も……」
「ですね」
「お嬢さん方、レスキューを使った方がいいんじゃない?」
 篠がにこやかな笑みを保ちながら、若々しい口調で提案した。
「ここで使わずに間違えると、あとで悔いが残るよ、きっと」
「でも……」
「ボーナスがそんなにほしい?」
 ヘルプアイテムを一つでも残してアルティメットを達成した場合、ポイント
が二割り増し、つまり12000になる。
 だけど、純子達の頭の中に、そんな考えはなかった。
「応援しに来た人に助けを求めて、その人がもし間違えたら、責任感じさせち
ゃう」
「はっはあ。これはこれは、心優しい。おじさんなんかにはとても及びも着か
ない細やかさだね」
 ゆっくりと拍手しながら、篠は苦笑顔に転じた。
「それなら、もう少し易しいレベルのときに使えばよかったのに」
「答えられたんだから、仕方ありません」
 淡島が例によって、抑揚の乏しい調子で言った。ただ、表情は笑っている。
篠の苦笑顔を皮肉るかのように。
「それじゃあ、降りますか」
「ここまで来たからには、アルティメット達成しなくては空しさが残ります。
目的のためなら、最善を尽くします。つまり、自力で答えます」
 淡島が続けて応えた。女子高校生らしくない硬い物腰に、スタジオの片隅で
見ているプロデューサーやディレクターなんかは、渋い顔をしたかもしれない。
それとも、特異なキャラクターとして買ってくれただろうか。
「遠慮するなー!」
 後方の応援席から、そんなかけ声が上がった。「自分達もテレビに映りたい
んだぞー」「正解する自信ないけどねー」と続いて、笑いを誘う。
 どうする?という風に、二人は顔を見合わせた。すぐに意見の一致を見る。
「ヘルプを……レスキューを使います」
 篠に伝える。
「そうかい。じゃあ、どの友達に? 振り返っていいから、自信のありそうな
顔の子を選ぶといい」
 純子一人が椅子の背もたれを掴みながら、振り返った。そして淡島に小声で
尋ねる。
「誰にしよう?」
「それはもう、今日来てくれた中では、彼しかいません」
 淡島が肩越しに、振り向きもせずに指差した先には、相羽と唐沢の姿があっ
た。
「……唐沢君?」
「分かってて言ってません、涼原さん?」
 一瞬の沈黙の後、二人とも吹き出した。
「そうよね。唐沢君より、相羽君の方が多分、知識が豊富そうだし」
「問題がテニスや流行り物のことなら、唐沢君でもよかったんですけど」
「でも、この問題、相羽君でも難しいと思う……」
「他の誰よりも、物知りなのは紛れもない事実です」
 相羽に精神的負担を追わせたくない気持ちが多少あった純子だが、淡島の言
に押し切られ、同意。事実、一番頼れるのは相羽だった。
「決まったようであれば、名前を言ってくれるかな」
 篠が促す。
 純子と淡島は、せーの、と調子を合わせて、相羽の名を口にした。
「相羽信一君。どこにいるのか、立ってくれるかな?」
 求められるよりも早く、相羽は腰を上げていた。観覧席全体からすると上の
方に当たるその場所へ、マイクを持ったスタッフが駆け上がっていく。
「おー、なかなか男前だ。彼はクラスメイト?」
「え、いえ、クラスは違います。でも小六のときからの友達です」
「そうか。彼にも聞いてみよう。相羽君? 君はどうして自分が選ばれたんだ
と思う?」
 相羽の顔の近くに、細長い棒のようなマイクが向けられた。
「さあ……間違えたとしても落ち込まない性格だと思われたんじゃないでしょ
うか」
 そつのない返事に、ちょっとした笑いが起きる。相羽自身も笑顔だ。突然の
指名にも、リラックスしているように見えた。
「実際のところ、どう? 心臓に毛が生えてる?」
「見たことないので分かりません。今は大丈夫です」
「君の答一つで、アルティメットが達成できるか、はたまた1000ポイント
に大幅ダウンか、運命が決まるわけだけど、それについては」
「責任重大。問題を知らない内なら、大言壮語してみせたんですが」
「ふっふ。結構だね。――お嬢さん方、運命を託す彼に、言葉を掛けてあげて
はどうですか」
 急に話を振られて、純子はあたふた。心中で、相羽君がんばってと声を掛け
続けていたのだ。
「相羽君に任せました。結果は神のみぞ知る、ですから、思った通りに答えて
ください」
 先に淡島が言った。相羽は何故かお辞儀をして応じた。
 続いて純子。
「相羽君……がんばって」
 結局のところ、送る気持ちはこの一言に尽きる。無意識の内に、情感がこも
ってしまった。
 その証拠に、相羽の目元がわずかながら赤くなったよう、見受けられる。テ
レビカメラがそこまで捉えたのか分からないが、司会者たる篠はそこに触れる
ことなく、進行する。
「では、そろそろ始めよう。まずはルールの確認だが、レスキューを使うと、
降りることはできなくなる。そこのところ、いいね?」
「はい。それも含めて、涼原さん達の選択でしょうから」
 もう冷静な調子に戻っている相羽の声。
「よろしい。じゃあ、問題を繰り返すよ。いいかな、相羽君?」
「どうぞ、お願いします」
「よく聞いて。ノーベル賞には現在、六部門が設けられていますが、一九六九
年度から新設されたのは何でしょうか? 1.文学賞 2.平和賞 3.経済
学賞 4.医学・生理学賞 5.化学賞 6.物理学賞」
「……3の経済学賞にします」
 間はあったが意外なほどの即答に、純子も淡島も、唐沢を始めとする応援席
の面々も、ええっ?と声を上げたようだった。
(そ、そんな簡単に答えちゃって、大丈夫?)
 だが、少なくとも純子達解答者の二人は、何ら口を挟む権利はない。相羽に
全てを託したのだから。
 篠は司会者故の気楽さからだろう、おどけた響きを滲ませつつ、軽妙に喋る。
「おおっと、早いなあ。何故、そう思ったの? まさかまさか、知っていたと
か言うんじゃないだろうね?」
「いえ。ただ……」
 司会者の問い掛けに、相羽は少し緊張した風に、唇を舐めた。モニターの一
つを見ると、相羽の顔のアップだった。
「確かノーベルは、ダイナマイトが戦争の道具に使われるのを悲しみ、平和を
願ってノーベル賞を創設したと、伝記で読みました。平和賞が最初からなかっ
たらおかしい。別の本には、ノーベル賞の中に文学賞があるのはノーベルが文
学青年だったから、という逸話が載っていました。これも後年になっての新設
じゃなく、最初からあったはず。あとは直感で……経済という学問が認識され
始めたのは、他の分野に比べると何となく新しい気がしたので、経済学賞に」
「なるほど。そのことを、いまの一瞬で考えた?」
「まさか。問題を最初に読まれたときから、ずっと考えていましたから、時間
はかなりありました」
「聞いてみればもっともだ。さあて、相羽君。経済学賞を最終的な答にしてい
いのかな?」
「どうぞ。これ以上考えても、変更する材料は持ち合わせていません」
「自信はあるかい?」
「これで間違えていたら、仕方がありません」
「もし、降りられるんだったら、降りたいかい?」
「いいえ」
 断言した相羽。知識としては身に着けていなくとも、論理展開に自信が少な
からず窺えた。
 篠が感心した風に顎を振り、やがて、あの焦燥感を煽る音楽が、スタジオに
じんわりと響き出した。
 ための間、純子は胸の前で両手を組んだ。ふと気付くと、淡島も同じように
して、しかも目を閉じている。
 純子は改めて目を見開き、相羽の方をしっかりと見つめた。
(正解して。ポイントなんかなくてもいいから、相羽君を正解させてください)
 冷静に考えたら明らかに相反する願いを唱える。
 そうする内に、篠がとうとう口を開いた。
「――素晴らしい考察と勘だ。おめでとう、正解!」
 わっという割れるような歓声が、拍手と一緒になって、スタジオ全体を包む。
地鳴りのような音が響くのは、観覧席のみんなが足踏みをしたせいだ。
「お嬢さん方もおめでとう! アルティメット達成だ」
 抱き合って喜びを露にする二人に、コメントを取ろうと話を振るが、今は聞
こえていない。「何か一言」と二度繰り返したあと、司会者はお手上げのポー
ズを作った。
 純子はそんな様子も目に入らず、観覧席の相羽に対して、両手を大きく振っ
た。
「相羽君、ありがとー! 大好き!」
 テレビであることを忘れて、意識せずに口走った言葉に、隣の淡島が気付い
て、急いで声を被せる。
「私も大好きです。一番大事なところで正解してくれて、大好きです。ええ、
それはもう本当に……」

――『そばにいるだけで 62』おわり





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