AWC そばにいるだけで 62−2   寺嶋公香


        
#166/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  03/07/08  23:59  (469)
そばにいるだけで 62−2   寺嶋公香
★内容
 と、声に出して説明したつもりだったが、実際は違った。顔を赤くして、手
を右往左往させるばかり。
「ずっと好きだった」
 さすがにやや遅れたものの、相羽はストレートに返事をしてきた。
「い、いいの。今の、忘れて!」
 ようやく声を出せた。そして純子は相羽の腕を掴むと、ぐい、と引っ張って、
店の出入口に足を向ける。
「ありがとうございましたー」
 店員達の営業用の爽やかな声が、送り出してくれた。

 帰る前に遠回りしてまで、人工池のある公園まで足を伸ばしたのは、ボート
に乗るため。
 ボートに乗ろうと思ったのは、二人きりでゆっくりと話せると考えたから。
それに、陽射しが暖かくなって、水上で揺られるのはさぞ心地いいだろうとい
う期待も。
 ごゆっくりという、初老の男性係員とアルバイトらしき若い係員に送り出さ
れ、池に出る。多くのカップルが同じことを考えるて見えて、既に数隻のボー
トが、思い思いのテリトリーを自分のものだと宣言するかのように、出回って
いる。
「よかった。うまく漕げてる」
「え? もしかして、初めて?」
 慣れた風な手つきでオールを動かす相羽を前に、純子は目を丸くした。乗る
ときも、先にひょいと乗り移って、手を貸してくれたくらいだ。とても初めて
とは思えなかった。
「こういうボートは初めて。ゴムボートならある」
「なあんだ、それなら初めてとは言わないわよ」
 髪を手で梳きながら、笑いかける。
 と、そのとき、相羽の髪に白い物を見つけた。
「あ、待って」
「待つ?」
「漕ぐのをやめるんじゃなくて、動かないで」
「同じことに聞こえ――え? 急に立ち上がるのは危ないっ」
 こめかみ近くに見つけた白髪を抜いてあげようと、腰を浮かした純子。次の
刹那、ボートが揺れた。動転のあまり、声も出ない。腕を強張ったみたいに伸
ばし、バランスを保とうとする。
 揺れの収まるのを見計らう形で、相羽はオールの柄を放すと、純子の腕に手
を添え、ゆっくりと座らせた。
「ご、ごめんなさい」
 安堵と入り交じって、謝る台詞がどもってしまった。
「気を取られて、つい」
「何か付いてる?」
 相羽は自分の前髪に触れ、上目遣いになる。
「あ、動いちゃだめ。分からなくなる」
 叫んだ純子は、今度は慎重に足を動かし、にじり寄ると、手を伸ばした。こ
ちらに視線を移した相羽に、「白髪、見つけたの」と応える。
 相羽の表情が変化する。目を一瞬、見開き、次いでふっと緩む。嘆息し、口
元にはやがて苦笑を浮かべた。それきり、何も言わない。純子は様子を窺う風
に聞いた。
「抜いた方がいいと思って……」
「ん。そうだね。頼むよ」
 突如ぎこちなくなった相羽の物腰に、純子は軽く首を傾げながらも、静かに
距離を縮めた。雨に濡れた子犬みたいに、どこかしょげた感じでこうべを垂れ
た恋人に、「もっと起こして」と言った。
 面を上げた相羽の前髪を見る。
「何だか、照れるな。往来でこういうのって」
「じっとしてて。やっと見つけたんだから」
 純子だって、内心は恥ずかしい。他のボートや池の周りにいる人達に注目さ
れているのではないかと、変に意識してしまう。早く済ませようと焦れば焦る
ほど、うまく掴めない。このまま抜くと、黒い髪も何本か犠牲になるだろう。
「片手じゃ無理みたい」
 両手を使って、髪を選り分ける。さらに一分ぐらい要し、ようやく目的の白
髪を捉えた。
「えいっ」
 かけ声とともに指先に力を入れると、うまく抜けた。相羽は、いて、とも言
わずに、かつて白髪のあったであろう辺りを撫でた。
「ほら、見て。先から根元まで、真っ白よ」
 そうする必要はないと思うが、何となく、白髪を渡す。相羽は礼を言った。
「サンクス」
「初めてよね? こーんな立派な白髪が出るなんて、相羽君、今何か気苦労が
あるんじゃないの」
「……自覚はないが、そうかもしれないな」
 ぽつりと言って、相羽は吹っ切るかのように再びオールを動かし始めた。
 少々気になった純子だが、今この場で聞き出す必要はないと判断した。相羽
なら、いつまでも一人で抱え込んで袋小路に陥ることもあるまい。
「いつでも相談に乗るからね」
 それだけ言った。相羽は微笑み、「ありがとう」と応えた。
 池の水面が陽の光を反射して、きらきらと眩しかった。

「渡すきっかけがなくて、最後になってしまったけれど」
 自宅までの最寄り駅に着き、改札を抜けて駅舎を出たところで、あとを歩く
相羽が言った。夕日と呼ぶにはまだ少し早い太陽の下、振り向いた純子は彼の
手に、小さいが、白のリボンがきれいに掛けられた細長い箱を見た。それを包
む紙は、ワインレッドをさらに深くしたような赤で、何やらダイヤモンド型の
マークがいくつも打ってある。
「バレンタインのお返しに、これを――」
 相羽がまだ喋っている内から、純子は思わず抱きついた。
「ありがとう!」
「な、何で、そんなに? お返しがあるのは予想できていたはずでしょ」
 さしもの相羽も、面食らった様子が顔にありありと浮かぶ。
「だって。初めて相羽君からもらうプレゼントだもの。その、私達がこういう
関係になってから、初めてってこと」
「そうだったっけ。それなら、もっと熟慮すべきだったかな」
 相羽の手から純子へと箱が移る。
「開けるよ?」
「いいけど、結構、かさばるんじゃないかな。こういうのは得てして包装が二
重三重になっていて」
「開けさせたくないみたい」
 純子が不平で口を尖らせると、相羽は「参ったな」とつぶやいた。
「目の前で贈り物を開けられるのがこんなにも照れ臭いなんて、想像できなか
った」
「あはは。とにかく、開けるからね。包装紙がそんなに心配なら、相羽君が持
っててね」
 歩きながら、最初にリボンをほどき、少し考えてから、相羽に渡した。続い
て包装紙を綴じているテープを、爪を使ってなるべくきれいに剥がす。
 幸いと言っていいのかどうか、包装紙は一枚だけで、白い箱が露になった。
透し掘りで、割と有名なブランドの字体が入っている。若い人からお年寄りま
で、また大金持ちから極一般的な人まで、あらゆる客層にとって手が出しやす
いよう、幅広い商品展開をしていることで知られる総合ファッションの会社だ。
「ひょっとして、ネックレス?」
 開ける前に、閃いたことを相羽にぶつける。「ほぼ、正解」という返事がす
ぐにあった。
「アクセサリーは定番に過ぎるし、純子ちゃんならいくらでも持っていると思
ったんだけどね。身に着ける物で、なくならない物を考えていたら、結局アク
セサリーに落ち着いて。どうせなら、その」
 相羽が言い淀んだのが気になったが、純子はとにかく箱の蓋を取った。
「あ、ハート」
 ネックレスではなく、ペンダントだった。トップの部分がハート型をしてい
る。チェーンは二連になっていて、それぞれ造りが異なる。細かいところでは
凝っているが、全体の印象はすっきりした、何にでも似合いそうな品だった。
「素敵。ありがとう。今、着けようかな」
「あらかじめ断っておくけど、似合う?って聞かれても、うんとしか答えよう
がないよ」
「あはは。だったら、次に二人で会うときに着けてきた方が、相羽君、感動す
るかな?なんて」
「多分」
 相羽の返事を聞いて、純子は贈り物を箱に戻した。午前中に使った紙袋の中
に仕舞おうとしたところで、相羽から「ちょっと待って」と止められた。
「話が戻るんだけど……それ、ロケットになってるから」
「ん? あ、ロケット」
 ほんの一瞬だけ、宇宙ロケットの方を思い浮かべてしまった。天文に興味が
あるせいかもしれない。
 純子は再度ペンダントを取り出し、相羽の言うロケットの部分を確かめた。
「そこに、できれば……」
 相羽がずっと言いにくそうにしている理由に、純子は思い当たった。それを
口にしてみる。
「私と相羽君のツーショット写真を入れればいい?」
「……そう」
 横を向いてうなずく相羽。その目元辺り、少し赤らんで、熟した果実みたい。
「分かった。そうする」
「あのカップ、大事に使ってるよ」
 相羽は唐突に話題を換えた。バレンタインデーに純子が渡したプレゼントの
ことだから、全く無関係ではないけれども。
 純子は相羽のすぐ隣に立つと、腕を組みたいのを我慢して、彼の顔を下から
覗き込んだ。微笑みながら言う。
「私もこのペンダント、大事に、ずっとずっと使って行くからね」

 テレビ局なる場所に出入りするのはこれが初体験ではないにも関わらず、純
子は緊張していた。
「ここ、少し跳ねてるみたい。おかしくない?」
「微塵もおかしくありません。普段通りです」
 淡島が純子の髪型を見、端的な答を返す。
「それよりも、私、てっきり涼原さんは化粧をしてくるものとばかり」
「じょ、冗談」
 両手を振る純子。声が高くなってしまい、焦り気味にボリュームを落とす。
 今いるところは、クイズ・ミレニアムアタックの高校生大会出場者の控室。
個室ではなく、大きな部屋を衝立で区切っただけのもの。当然、話し声も大き
いと筒抜けだ。
「涼原さん、上がってます?」
「ううーん。上がるというのとは、ちょっと違うんだけれど……」
 言葉を濁す。
「モデル経験がある分、度胸満点だと信じていたのですが」
「似てるようで、緊張感の種類が違うみたい。もしも全然答えられなかったら
どうしよう……って」
「つまり、身体には自信があるけれど、頭には自信がないという意味ですね」
 さらっと言う淡島。表情に目立った変化はない。
 言われた純子の方は、大慌てで否定した。
「ち、違うってば! 私の言いたいのは」
「分かってます。リラックスして、優勝を狙いましょう」
 淡島の先ほどのとぼけた受け答えは、純子をリラックスさせるための手段だ
ったのかもしれない。
「淡島さん、優勝に拘ってるけれど、欲しい賞品でもあるの?」
「いえ。賞品や賞金目当てではありません。占いの結果が正しいと分かれば、
それで気が安まるんです」
「占い?」
「このクイズ番組出場が決まってから、自分達がどのくらいの成績を収められ
るか、占ってみたのです。果たして、優勝と出ましたから、これは本気になっ
て優勝を目指しませんと、占いの正しさを証明できません」
「はあ、そういうものかしら」
 理屈は合っている気がしないでもない。が、占いが絶対なら、本気にならな
くても優勝しなければおかしいようにも思える。結局、よく分からなかった。
とにかく、優勝を目指して最善を尽くせばいいとだけは分かる。
(少しくらいクイズやパズルの本を読んで、練習しておきたかったんだけれど、
ほとんどできなかったのよね)
 実は相羽から一冊、雑学事典めいたポケットブックを借りていた。今からで
も遅くない、詰め込んでおこうと、ぱらぱらとページをめくるのだが、さして
頭に入らない。落ち着くのが先決かも。
(相羽君に改めて励ましてもらえたらな)
 そんなことを思い付いたのは、相羽が観覧席応援の一人として来ているから。
だが、こうして控室に入ったあと、参加者と応援団が互いに会うのは、決勝が
終わるまで禁じられている。携帯電話の類もだめ。認めたら収拾がつかなくな
る、という判断らしい。
 収録開始予定時刻の三十分前になって、アシスタントディレクターらしき若
い女性がさも忙しそうに控室にやって来た。参加者全員が揃っていることを確
かめると、「スタジオの方に移動を始めてください。てきぱきと。余計な物は
持っていかないように」などと言いながら、手をぱんぱんと打ち鳴らす。
「出陣です」
 淡島がつぶやき、立ち上がった。目がらんらんと輝いている。
(やる気満々だわ。感情をこんなに面に出すなんて、珍しい)
 純子は足を引っ張らないようにと、両拳を胸の前で握り、気合いを入れ直す。
そして淡島のあとに続いた。
 長い廊下を行く間、嫌でも他の参加者と顔を合わせるわけだが、やけに賢そ
うに見える。純子は俯きがちになりながら、最後尾を歩いていった。

「ようこそ、クイズ・ミレニアムアタックへ。今回は春休みスペシャル、春休
み高校生大会。最初は、成陵学園高等部三年生チーム。自己紹介をどうぞ」
 白いスーツに身を包んだ司会者の男性タレントが言った。お茶の間でお馴染
み、幅広い年齢層に人気がある篠元太郎(しのげんたろう)だ。髪には白い物
が混じり始めたものの、肌の色が濃く、健康そうな身体つき、色つやを保って
いる。
「木庭亮(きにわりょう)、クイズ研究会の部長をやっています」
「西城志郎(さいじょうしろう)、同じくクイズ研究会の副部長を務めていま
す。絶対優勝するつもりで来ました」
 成陵学園と言えば、有数の進学校として知られている。そこのクイズ研究会
となると優勝候補筆頭か。純子は知らなかったけれども、成陵学園クイズ研は
他局が夏に催す大がかりな高校生クイズ大会の常連であった。
 続いて府立N高校の女生徒コンビにスポットライトが当たる。
「えー、江副美奈子(えぞえみなこ)です。春から二年生。大阪から来てん」
「そんなん言わんでも、学校の名前見たら誰でも分かるって」
 片割れが一人目に突っ込んでいる。江副はしれっとして応じた。
「京都美人には見てもらえへんやろか」
「見えへんて。喋りでばればれや。付き合っとれんわ。私は横倉友恵(よこく
らともえ)言います。いわゆる仲良しチームでーす」
 最後だけ標準語のアクセントになっていた。応援団からやんやの喝采。とも
すれば白けかねない空気を塗りつぶす。
 三番目、純子達の番だ。この頃には、純子の緊張もだいぶほぐれていた。ス
タジオに入った途端、すっと落ち着いた。
「淡島春香と言います。運だけで今ここにいますが、この勢いを保って最後ま
で行くつもりです。どうかよろしく」
 ライバルチームの戦意を削ぐ作戦かと思わせるほど、淡島は穏やかな口調で
自己紹介をすませた。ただ、内容自体は結構挑発的だから、差し引きゼロかも
しれない。
「涼原純子です。元々は応援席に座るはずだったんですが、ハプニングがあっ
てここに座っています。クイズは苦手だけど好きなので、精一杯がんばります。
よろしくっ」
 純子は思い付いたフレーズを喋り終わると、ぴょこんと一礼した。充分リラ
ックスできて、自然と笑みがこぼれる。応援席に目を向け、相羽の姿を探そう
とした。
 と、そこへ司会者の篠が話し掛けてくる。
「一体どんなハプニングがあったの?」
 参加者交代の件は篠も承知しているはずだが、これは視聴者向けの質問だろ
う。純子は慌てることなく応じた。
「応募した子が出られなくなったんです。予選のペーパーテストもその子と淡
島さんで解いたんですけど」
 家族の反対で、という部分は出さないことにした。
「そうかぁ。いやあ、おじさんはハプニングに感謝したいね。君のような別嬪
さんが出て来てくれるんなら。おっと、これは失言」
 面白おかしく喋る篠。普通の中年男性が言えばセクシャルハラスメントと取
られ兼ねない台詞も、篠のイメージと話術に緩和されるのか、嫌な感じはしな
い。
 最後の四チーム目の紹介に入った。霧が丘高校の生徒会コンビというキャッ
チフレーズ、男女のペアだ。二人とも眼鏡を掛けて、顔立ちもきりっとし、頭
がよさそうに見える。
「西之谷麻美(にしのたにあさみ)、生徒会長を務めていますが、みんなから
は女史と呼ばれているみたいです」
「そりゃあ、誰も頭が上がりませんから。僕は、副会長の辻井恭介(つじいき
ょうすけ)。男女ペアだけど隣の人とは関係ないので、恋人募集中。よろしく」
 口を開くと、なかなか愉快な二人だった。これで西之谷が辻井の頭をはたけ
ば、大阪チームといい勝負の漫才コンビだが、さすがにそれはない。
 応援席を順番に写してから、いよいよ始まりだ。
 レギュラー時は四つのラウンドからなるが、今回は二時間特番なのでラウン
ドは一つ多い五段階が用意されていた。第一から第三ラウンドは四チームでク
イズを行い、決勝を戦う上位二チームを選ぶ。第四ラウンドは決勝戦で、これ
に勝利したチームが最終段階、アルティメットチャレンジに挑む(訳すと変な
日本語になるがテレビ局が決めた名称なので仕方がない)。ここでの正解数で、
賞品・賞金が決まる仕組みである。
 第一ラウンドに行われるのは、ごく一般的な早押し問題。問題文を読み上げ
るのは篠ではなく、女性アナウンサーだ。解答権を得たチームをコールするの
が、司会者の役目である。
「喜劇王チャールズ=チャップリンは日本人秘書を雇うほど日本通で知られま
すが、彼が日本に来た回数は?」
「四回」
「正解。初来日の際には、当時の犬養首相が暗殺された五.一五事件に巻き込
まれる寸前だったのは、有名な話だね」
 成陵学園チーム、先制。
「素麺と冷や麦の違いはJIS規格で定められた太さによります。さて、その
境は直径何ミリ?」
「一.三ミリ」
 成陵学園チーム、連取。優勝候補の呼び声に違わぬスタートダッシュだ。
「お見事。ちなみに、うどんと冷や麦の境目は、一.七ミリ。さあ、他の三チ
ーム、がんばれ。第三問!」
「昨年、『スパイラル・ゾーン』に特別出演して話題を呼んだスーパーモデル
のアリー=ホーネスト、そのや――」
「フィットネスアドバイザー」
 成陵学園は、他三チームの出足が鈍いとみて、一気に畳み掛けようと、問題
文の途中で答えた。だが、これが裏目に。
「残念。成陵はこの問題の解答権を失うとともに、ネガティブチョイス。一回
休みかマイナス1ポイントのいずれかを選択せねばならない。さあ、どっち?」
 成陵の二人は目配せと軽くうなずくだけで、結論を出した。一回休みを取っ
た。普通はそうだろう。
「OK。問題文、続けて」
 篠の無情の声に、互いに首を捻る成陵学園の二人。
 実はこのとき、純子は全神経を集中させていた。かりそめにもモデルとして
仕事をしてきた身。アリー=ホーネストについてはよく知っているつもりだ。
この問題はぜひとも取りたい。
「その役柄であるフィットネスアドバイザーさながらに、彼女がダイエットを
指導するエクサ――」
 純子は早押しボタンを叩いた。淡島と目が合う。うなずき、マイクに顔を若
干寄せて答える。
「『ひと月10ポンド』です」
「正解。“ダイエットを指導するエクササイズビデオのタイトルは?”、アリ
ー=ホーネストの『ひと月10ポンド』ということです。私は全然知らない」
 緑星高校応援席が盛り上がる。この段階で、純子はようやく、相羽の顔を見
つけることができた。彼自身は特に騒ぐこともなく、ぼんやりした感じの眼で
こっちを見ている。純子は手を振ろうとしたが、淡島から「凄いです、涼原さ
ん」と称賛されたのに応じる内に、次の問題が始まってしまった。
「なぞなぞです。肉体のとある部分についてアメリカ人に尋ねたところ、動物
のそれは苦労し、人間のそれは寝入るという返事がありました。さて、その肉
体のとある部分とはどこでしょう?」
 今度はどのチームもなかなか押さない。カウントダウンが進む。制限時間は
十五秒。
(……“苦労”って、もしかして)
 純子は今年一月のあることを思い起こし、不意に閃いた。ボタンを押す。残
り一秒といったところか。
「爪?」
 自信の度合いが声を疑問文調にした。だが、篠から「お見事、正解」と言っ
てもらえて、ほっと安堵する。
 何で爪?という風な空気がスタジオ内に漂うところへ、司会者からすかさず
補足説明があった。
「高校生なら知っていると思うけれど、英語で、獣の爪をクロー、人間の爪を
ネイルと言うからね。苦労と寝入る」
 なぞなぞとしての出来映えはさておいて、この正解で、純子達も勢いに乗っ
た。次の一問は成陵に取られたが、その次が幸運にも古代の占いに関する問題
だった。淡島が物凄い瞬発力でボタンを押し、楽々正解。
 影の薄かった残り二チームも、エンジンが暖まったか、徐々に本領発揮。早
押しクイズ十五問が終了した時点で、成陵と緑星が正解数五で並び、霧が丘が
三、府立が二で続く。これがそのままポイントになる。
 テレビ番組の流れとしては、このあとすぐに次のラウンドに移るのが恒例な
のだが、収録現場では違った。スタジオのセットの組み替えもあって、十分の
休憩に当てられた。と言っても、控室に戻れるわけではない。解答席に座った
まま、待つばかり。
 他チームと同様、純子はパートナーの淡島とお喋りをしつつ、応援席に目を
向けた。
(相羽君……あれ? さっき、あの辺りにいたのに)
 いない。首を巡らせるが、相羽を見つけられなかった。代わりに、と言って
いいのかどうか、唐沢の姿を発見。何故か眼鏡(恐らく伊達)を掛けた唐沢は、
彼自身の太股を机代わりに、何やらメモをしきりに取っている。
「どうかしました?」
 淡島の声で我に返り、急いで振り向く。隠すことではないし、正直に答えた。
「相羽君がいない。さっきはいたのに」
「今は皆さんにとっても休憩ですから、御手水に立たれでもしたのではありま
せんか」
「そう、かな」
 よほどのことが起こらない限り、途中で帰ってしまうはずがないのだ。淡島
の言う通りなのだろうと思う。いくら相羽のこととは言え、気にしすぎだぞと
自らを戒める。
(よほどのこと……まさかね)
 純子の根拠のない嫌な予感は、まったくの杞憂だった。休憩時間の終了間際
に、席に戻る相羽を認めることができたのだから。
「帰って来ましたね」
「うん」
 淡島と笑顔を見合わせる。
 相羽は隣の唐沢と二言三言、言葉を交わしていたが、アシスタントディレク
ターらしき人物のかけ声で口を閉じる。それだけでスタジオ全体が静かになる
ものでもなく、どことなくざわざわした雰囲気が残る。
 第二ラウンドは、高校生大会用に設けられた、知識プラス思考力が要求され
るパズルステージ。文字通り、クイズではなくパズルのコーナーだ。早押しで
はなく、制限時間内に正解を出せるかどうかで競う。制作側の用意した正解に
たどり着けば必ず二ポイントがもらえ、そうでなくても正解と見なしうるユニ
ークな答には、一ポイントが与えられる。極稀なケースではあるが、用意した
正解を超えた答と認定され、三ポイントプラスということも過去の特番であっ
た。
 一問目は俗にマッチ棒パズルと呼ばれるタイプの問題で、最初の配置からマ
ッチ棒を何本か動かして正しい式を作れだの、正方形をいくつにせよだのとい
うあれだ。高校生には簡単だったらしく、全チームが正解を出した。
 二問目もマッチ棒こそ使わないが、似たような問題だった。“「IX」はロ
ーマ数字で言うと、9になる。これに線を一本だけ加えて、偶数にすることを
考える。たとえばこの文字を逆さにして「XI」、これの右横に縦線を加える
と「XII」、つまり12となる。他の答を見つけてほしい”。制限時間は三
分とされた。各チーム、パネルを手元に置いて考え始める。
「普通に考えますと」
 穏やかな口調で言いながら、淡島がパネルの一箇所に線を引いた。ちなみに
パネルはホワイトボードのようになっていて、何度でも書き直しが可能だ。
 淡島は、Xの左側の二点を結ぶ線を引いた。
「これは?」
「こっちが、4のように見えません? 多少、傾いた4」
 言われてみれば見えなくもない。しかし、これを14と読んでもらうのはあ
まりにも厳しい。他によい答が見つからなかったときはこれで行くことにして、
思考を続ける。
「このX、記号にもなるわよね」
 小声で言う純子。淡島が首を傾げたので、パネルの片隅に、掛け算の記号、
と書き込んだ。すぐさまうなずく淡島。そしてしばらくメモによる会話が続く。
<でも、Iを1と見なすとすれば、『1×』で、これに線を一本足しても、せ
いぜい『1×1』で、結局は奇数>
<1の真ん中に横棒を通すのは?>
<漢数字の十? 『十×』で偶数っていうのは、ちょっと強引>
<十にどんな整数を掛けても偶数になる。だめかな?>
 篠がよく通る声で、一分経過と告げた。
(相羽君なら、とっくに解けてるかな)
 焦りつつ、つい、救いを求める風に相羽らのいる方に目をやってしまう。
 当然のことながら、応援席からヒントや答を教えるような行為は禁止。ばれ
れば即失格だ。
 相羽は、敢えて純子達の方を見ないように強いている雰囲気があった。実際
に正解を見つけて、教えたくてたまらないのをこらえるため、そうしているの
かも。
 その代わりかどうか、隣の唐沢に何やら耳打ちをする。すると唐沢が小刻み
に何度か首肯し、納得した様子で膝を打った。
(やっぱり、分かってるんだわ)
 純子が思ったそのとき、唐沢が左の手のひらをノートに、右手人差し指をペ
ンに見立てて、ほんの一瞬、書く動作をした。相羽に教えられた答を再現した
のだろうか。無論、純子達解答席に座る者からは、全く見えない。
 純子はしかし、ヒントを得た気がした。昔、相羽が言っていたのを思い出し
たのだ。
(推理小説を読むとき、何故こんな風な書き方をしたのか少しでも引っかかる
点があれば、それが謎解きの鍵かもしれない――だったかしら。今の私にも、
さっきから何となく気になっていたことがあるわ。一問目はマッチ棒パズルだ
ったのに、どうして二問目はパネルにペンで書かせるのか?)
 純子はそのことをメモ書きし、淡島に意見を求めた。残り時間はあと一分。
他の三チームも、まだ確信の持てる答を得た様子はない。
<不思議ですけど。分かりません>
 淡島がしきりに首を傾げる。純子はペンを握りしめたまま、必死に考えた。
(図にマッチ棒を付け足すことと、ペンで書くことの違いって? マッチ棒は
真っ直ぐしか置けないけれど、ペンは自由に書ける。でも、それが? ……あ、
待って。問題文は確か)
 一挙に閃いた。時間がない。淡島には相談せず、パネルを手にすると、純子
はペンを走らせた。
「涼原さん。これって、いいの?」
 パートナーでさえ、疑ってしまう答。純子は笑顔で切り返した。
「いいんじゃない? だめなら、認めさせる。なんてね」
 ここでタイムアップ。一斉にパネルを立て、自分達の答を示す。スタジオ内
がちょっぴりざわめいたのは、ひょっとすると純子達の答のせいかも。
 篠が司会の椅子を離れ、解答席へと歩み寄る。
「では、順番に見て行きましょう。成陵、これは?」
 成陵チームは、パネルの下半分に、黒々とした太い横線を書き込んでいた。
線と言うよりも、黒い横長の長方形である。IXの下半分も塗り潰されている。
「見えているところだけを取り出せば、『IV』となっています。これはロー
マ数字でいうと、4です」
「ふむ。この長方形は、一本の太い線だと言うんだね?」
「はい」
「よく考えてあるが、しかしなあ。余計な物が残っているという意味で、認め
られない気がするよ。どうかな」
 確かに、太い横線に、文字としての意味がない。高校生二人は沈黙した。
「府立チームは……ああ、これは分かり易いね」
 隣に移った篠が、笑みを浮かべる。府立チームの解答は、純子達が真っ先に
考え付いた、斜めになった14であった。
「えらく傾いてるねえ」
「だって、これしか思い付けへんかったんやもん」
「そうやで。難しすぎる」
「まあ、正解を楽しみに。さてお次の緑星チームはと」
 斜め前にやってきた篠が、大げさに目を見開く。純子はそれを目の当たりに
して、自信が出て来た。何故なら、その仕種は篠がこの番組でよく見せる、正
解を言い当てられたときの表情に似ていたから。
「見たままです。一本の線を加えて、6にしたんですけど、だめ?」
 自分達のパネルを上から覗き込んだ。そこには、「SIX」と書いてある。
「Sが一本の線?」
「はい。問題文は確か、線を一本だけ加える、となってて、直線とは言ってな
かったなと思い出して……」
「おお、大した記憶力だ」
 拍手のポーズをする篠。スタジオを埋めた観客からも、ほぉ、というため息
に似た反応があった。
「では、霧が丘はどうかな」
 霧が丘チームは、男の辻井がパネルを斜めにしたまま支えている。説明は西
之谷が受け持った。府立チームの斜め14に似て、こちらは4である。要する
に、Iの部分を塗り潰す形で太い線を引き、それと同時に、Xの左端二点を結
んだわけだ。いびつな14よりは、こちらの方がすっきりしている。ただ、S
IXの出たあとでは色あせた。
「いや、もう、これはSIXが正解だよ。パネルを持ってるの、疲れて来ちゃ
った。戻していい?」
 辻井が芝居がかって弱音を吐き、パネルを正規の方向で立てた。女史こと西
之谷もあきらめムードでため息をつく。
 篠が司会の席に戻り、アシスタントの女性アナウンサーに正解を尋ねる。
 スタジオに設置された大型のスクリーンパネルに、正解が映し出された。電
子音声が“線と聞いて直線だと思い込まなかった? 実はこういうのもありな
んだねえ”などと得意げに解説し、SIXが正解として表示された。参考まで
に、別解として、1×2、1×6が挙げられた。
「やった!」
 思わず、純子と淡島は手を合わせた。椅子の上だというのに、少し飛び跳ね
た気がする。

――つづく





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