AWC 姉、帰る(後編)  已岬佳泰


        
#154/598 ●長編    *** コメント #153 ***
★タイトル (PRN     )  03/06/22  09:21  (126)
姉、帰る(後編)  已岬佳泰
★内容
「ちょっといいかな」
 ふくれっ面をして二階に上がる姉に、声をかけたのはぼくだった。これだけは言って
おいた方がいいだろうと思うことがあったのだ。
「なによ。あんた、まだなんか言い足りないわけ?」
「そうじゃなくてっさ。今日の人、苑倉さんって言ったかな。あの人のこと、姉さんは
どう思っているの?」
 ぼくの予想通り、姉は階段を上りきったところでぴたりと立ち止まった。

 二階の廊下の先には両開き窓があって、そこから玄関屋根の上に出ることができた。
ぼくが小さい頃、深夜に姉がよくここから外に出て、夜空を眺めていたのを知ってい
る。あれは彼女が中学生か高校生くらいの時だったろうか。当時から小説や詩を書く文
学少女だった姉は、そこでいったい何を考えていたんだろう。
 二十三歳になった姉は、少し考えてから、その窓の方へとぼくを誘った。ぼくは黙っ
て姉に従った。窓をくぐり抜けるのに少々手間取ったが、ひんやりした瓦屋根に並んで
腰を下ろすと、姉は大げさにため息をついた。
「わかる?」
「たぶん、少しは」
 答えると姉にならって夜空を見上げた。梅雨前の空はあいにくの曇りらしく、星も月
もなかった。家の玄関近くの街灯がわずかにぼくらの足元を明るくしている。
「そうか。浩二は昔から勘だけはよかったからなあ」
 姉はそのまま黙り込んだ。ぼくはしばらくそのまま待ったが、姉は口を開く気配はな
かった。ぼくが話の口火を切らないといけないらしい。
「父さんの話では、苑倉さんはこの一週間くらい、午後の三時頃に決まってやってきて
いたという。あの新巻鮭を届けるためにね。姉さんが突然帰ってきたのもちょうど一週
間前だったよね。つまり、苑倉さんが現れたのは姉さんが家に帰ってきてからだ。だか
ら、苑倉さんは姉さんの帰郷を知っていた。あるいは、苑倉さんが姉さんの帰郷の原因
となった人かもしれない。そんな風に考えたんだ。違う?」
 姉はうんともいやとも言わない。黙って暗い空を見ているだけだ。ぼくは続ける。
「苑倉さんは毎日午後三時にここに現れた。その時刻はこの家には誰もいない。しかし
そのことが分かっても苑倉さんはやってくる時刻を変えようとはしなかった。なぜだろ
う。ぼくはその点についてこう考えたんだ。ひょっとしら苑倉さんはその時刻にしかこ
こに来ることができなかったんじゃないか。つまり彼は午前中や午後遅くここに来るの
には問題があるような仕事に就いているんじゃないかってね。それで、あの新巻鮭の包
みなんだけど、あれに切り花が数本いっしょに入っていたのを思い出したんだ。しかも
切り花はつぼみだけだった。それと彼の乗ってきた小型トラック。それを思い合わせる
とぼくは彼の職業を花屋さんじゃないかと思った。それもふつうの花屋さんじゃなく
て、おそらく切り花の卸し。ひょっとしたら自分で花を栽培しているのかもしれないっ
てね。魚屋さんに魚市場があるように、そういう人は毎朝、花市場に花を卸しにゆく。
東京でそれが済ませてからそのままトラックでここに来たから、きっと毎日、午後三時
なんていう定まった時刻に現れたのだろうって」
「あんたはそういう頭を勉強の方に使うとすごいと思うけど」
 姉の憎まれ口に、ぼくは自分の想像がそれほど外れていないと確信した。

「それにもうひとつ。苑倉さんの来訪の目的が新巻鮭を届けるだけなら、となりの森下
さんちに頼んでおくこともできたはずなんだ。なのに、苑倉さんはそうはしなかった。
ぼくが榎木家の人間だと確認して、それではじめてあの包みを押しつけようとした。あ
れはきっと、苑倉さんがどうしても榎木家の人間に会いたかったからだろうって思っ
た。なぜかって。それは苑倉さんが真剣な気持ちだったからだと思うよ。それでだんだ
ん、ぼくなりにわかってきたんだ」
 ふう、と声に出して姉が嘆息した。
「まったく浩二にはかなわないな。あんたの方がミステリ書きに向いてるのかもしれな
いわ、まったく」
 そう言うとまた黙り込む。ぼくに全部話せというつもりなのか。
「それでさっきの質問に戻るんだけど、姉さん、苑倉さんのことをどう思ってんのさ」
「そうだね。どうなんだろうね。実はよく自分でもわからないんだな。あの人はあたし
がよく原稿書きで使う喫茶店のとなりにある花屋のオーナーで、あんたの言うとおり、
ガラスハウスで観賞用の花を大がかりに栽培もしているの。それで毎朝、花市場へ卸し
に行って、帰ってくると喫茶店でコーヒーを飲むわけ。その内に自然と話すようになっ
て……」
 姉は柄にもなく小さな声だった。ぼくはしかしそんなことで茶々はいれない。ここは
姉の話に耳を傾ける。
「実は今、あたし書けなくなっちゃってさ。なんか気乗りしないというか。書けてもい
まひとつ気持ちがこもってないクイズ小説みたいになるんで、ほんとイヤになって。そ
れでこっちに帰って少し休みたいって思ったの。そのことを彼に話したらね、ずいぶん
と怒られちゃってさ。もっと自分に自信を持てとか。けっこう疲れるんだよ。へこんで
いるときにそういう風に熱血ドラマみたいなこと言われるとね」
 姉はそこで言葉を飲み込んだ。顔をこする音がする。
 強気の姉だって、目にゴミくらいは入る。ぼくは夜空を見続ける。

「あのクイズ小説ね。あれを書くのに一週間もかかったのよ。たった千字なのに一週
間。ああ、もうネタ切れだあとあたしは観念した。それで帰る決心をしたわけ」
 ぼくは夜空に見えない月を探していた。相変わらず真っ暗な空がどこまでも広がっ
て、地上との境目をあやうくしていた。
「結婚してくれって言われた」
 遠い東の空に小さな星を見つけたと思ったとき、姉が気軽な口調でそう言った。
「いつ?」
「あたしがこっちへ帰ると決めて、喫茶店でそう伝えた時」
「それで、なんと答えたのさ」
「いやよって言ってやった。そのまんま荷物まとめて帰って来ちゃった」
 ひとつ屋根の下にいた頃から、姉の行動パターンは直情型というかすごくわかりやす
かった。今回もそうだ。姉の気持ち。それを思うと少し酸っぱい気分になった。弟って
けっこう複雑な役回りなんだなと思う。
 しかし、そうした内面のさざ波を押し殺して、ぼくは最後にとって置いた質問をし
た。

「それでさ。苑倉さんの持ってきたあれ、新巻鮭は正解なの?」
 姉はにやりと笑い、首を振った。
「残念ながら、ノーよ。まあ、シャケ弁屋だから凶器は冷凍新巻鮭だなんて、ヒネリが
利いていいところを突いてるけどね。氷の固まりで殴り殺したっていうのよりは数倍は
いいわ。弁当屋に氷なんて置いてないからね。犯人は弁当の材料だった「かちんかちん
に凍った新巻鮭」でオーナーを殴り倒し、その後解凍した鮭を切り身にわけ、弁当のお
かずとして使ってしまいました。かくして凶器消失。わはは。でも、それもあたしの伏
線というかミスディレクションにしっかりとはまってくれて、申し訳ないくらいだわ」
 え?
「ちゃんと答えになってるんじゃないの?」
「ノーよ。第一、オーナーは頭を横殴りされていたのよ。つまり犯人は凶器をまるで野
球のバットみたいに、振り回してオーナーの頭を殴ったことになる。新巻鮭の凍ったや
つってかなり重いから、女手では振り回すのは困難だわ。それにパートの主婦が鮭を振
り回すというシーンはマンガ的すぎて、あたしの作風に合わないから却下。そもそも、
弁当屋は鮭をまるごとなんて買わないわよ。鮭だったら切り身でしかも火を通したもの
をパック買いする。だって弁当に詰めるのに、鮭を切り身にして、それを焼いて、なん
てやってられないじゃない。パックから箸でより分けるだけ。だから、新巻鮭凶器説は
ハズレです」
「ふーん。それじゃ、いったい何が凶器なの?」
 姉が嬉しそうにぼくを見ている。
「さすがの浩二もわからないか、なんだかちょいとドツボから盛り返した気分よ。ヒン
トをあげようか。弁当屋さんには必ずあるもの。これないと困るんじゃない」
 ぼくはさっき見た雑誌のイラストを思い出していた。あれとこれと……。
「わかった」
 なるほど。それなら女でも振り回して、頭を横殴りにできたかもしれない。
「そっか。さすがだね。で?」
「答えは米、だろ。炊飯器があったもんな。たしかに米は弁当屋なら置いてあるはず
で、それを袋に入れて振り回したら、ちょっとした凶器だ」
「袋なんて曖昧な道具じゃだめよ。犯人は女なんだから、使った入れ物はパンストよ。
正解はこうよ。三枚重ねくらいしたパンストに濡らしたお米を詰めて振り回し、被害者
の頭を殴打した。だから被害者の頭は陥没したし、周囲が水で濡れていた」
 ふーむ。言われてみると簡単な答だ。
 姉の自慢げな顔を見ながら、ふと、苑倉さんの真意を思った。ひょっとしたら、彼に
は正解がわかっていたんじゃないか。だけどわざと新巻鮭を持ってくることで、姉に自
信をつけてやろうとしたんじゃないか。

 さっきの酸っぱい気分が戻ってきた。
 でも一方で、ぼくは苑倉さんをちょっとだけ好きになりかけていた。

(終わり)





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