#111/598 ●長編
★タイトル (hir ) 02/12/04 01:30 (419)
南総里見八犬伝本文外資料7 伊井暇幻
★内容
八犬伝第七輯有序
世有奇才然後奇書出焉有奇書然後奇評附焉朱元晦曰好人難得好書難得非但好人好書之難
得好評亦不易得何者人之好悪不一加之学之深浅才之優劣各有用捨焉是故所読書同而其所
取不同譬若彼金聖歎水滸伝評読者駭嘆称▲(玄に少)以余観之未可尽為▲(玄に少)也
聖歎尚如此而況其他乎近見好奇之士評稗史徒捜索其瑕疵批之以理義便是円器方蓋更鮮有
不損作者面目或聞余言嘲之曰稗説▲(ニクヅキに坐)記無用之冗籍費工災桜安足道哉嗚
呼憎無用者不知用之所以為用也人之一身無貴無賤所起臥不過一席然多席為無用之物廃之
可乎無用者有用之資也余不貴虚文所好乃経籍史伝旧記実録已矣而毎歳所著莫非稗史小説
所以然者何也書賈揣利以求於余余欲著之書書賈不願刻既已著無益恁地書也三十有八年于
茲潤筆以購有用之書則用之与無用不可得而分別也宜乎大声不入里耳稗史雖無益於事而寓
以勧懲則令読之於婦幼可無害矣且也鬻之者与書画剞▲(厥にリットウ)刷印製本諸工咸
以衣食於此抑不亦泰平余沢耶乃者八犬伝復続稿▲(シンニョウに台)于第七輯毎輯有自
序読者罕矣又唯述愚衷於端楮為知音解頤
文政十年丁亥冬十一月之吉 曲亭主人撰
世に奇才ありて、しかる後に奇書出ず。奇書ありて、しかる後に奇評附く。朱元晦曰
く、好(よ)き人得がたく、好き書も得がたし。ただ好人好書の得がたきのみにあら
ず。好評もまた得易(やす)からず。何となれば、人の好悪は一ならず。之に加うる
に、学の深浅、才の優劣も、おのおの用捨あり。この故に読む所の書は同じくして、し
こうしてその取る所は同じからず。譬えば、かの金聖歎が水滸伝の評は、読む者が駭嘆
し▲(玄に少)と称(たた)う。余を以て之を観れば、いまだ尽(ことごとく)く▲
(玄に少)と為すべからず。聖歎さえ、なお此(か)くのごとし。況(いわん)やその
他をや。近ごろ好奇の士の稗史を評するを見るに、ただその瑕疵を捜索して之を批する
に理義を以てす。弁(すなわ)ち是、円器方蓋。更に作者の面目を損せざることあるこ
と鮮(すくな)し。あるひと余が言を聞きて之を嘲りて曰く、稗史▲(ニクヅキに坐)
記は無用の冗籍、工を費やし桜に災いす、いずくんぞ道(したが)うに足らんや。ああ
無用を憎む者は、用の用たる所以を知らず。人の一身、貴きなく賤しきなし。起臥する
所は一席に過ぎず。しかれども多席を無用の物と為して之を廃して可ならんや。無用は
有用の資(たすけ)なり。余は虚文を貴ばず。好む所は乃ち、経籍史伝旧記実録のみ。
しこうして毎歳に著す所は稗史小説にあらざるはなし。しかる所以は何ぞや。書賈は利
を揣りて以て余に求む。余が著さんと欲する書を、書賈は刻むを願わず。すでに、すで
に無益恁地の書を著すや茲に三十有八年。潤筆を以て有用の書を購えば則ち、用と無用
とは得て分別すべからず。宜なるかな。大声は里耳に入らず、稗史は事において無益と
いえども、しかれども寓するに勧懲を以てすれば則ち、乃を婦幼に読ましめて害なかる
べし。かつや乃を鬻(ひさ)ぐ者と書画剞▲(厥にリットウ)刷印製本の諸工は咸(み
な)以て此に衣食す。そもそも、また泰平の余澤ならずや。乃者(このごろ)八犬伝、
復た稿を続けて第七輯に至れり。毎輯に自序あり。読む者は罕(まれ)なるか。またた
だ端楮に愚衷を述べて知音の頤(おとがい)を解く。
文政十年丁亥冬十一月之吉 曲亭主人撰
す
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八犬伝第七輯口絵
一念所興 四知応怕
一念の興る所 四知は怕れに応ず。
雲とのミ見てやハやまんさくら狩わけ入る山のかひはありけり
武田信昌・甘利兵衛堯元・奴隷▲(巾に厨)内
★漢文の句は余りに処世的なので略す。雲とのみ見てやは止まん桜狩り、分け入る山の
甲斐はありけり。雲だとばかり思っていては、満開の桜を見逃すことになる。甲斐の山
は、分け入る甲斐がある。桜も恥じらう浜路姫を見つけることが出来るのだから。後撰
集巻三春下に「み吉野の吉野の山の桜花、白雲とのみ見えまがいつつ」一一七がある。
遠くの山で広大に花盛りを誇る桜を、山にかかる白雲に喩えたか。或いは、山の一部が
満開で春風に散らされた桜花で白く曇っている様を伝えるか。とにかく、咲き誇る桜を
雲に喩えるは旧来の修辞
愀然相照鏡中 亦有与吾同憂
牡鹿鳴く礒山ちかみ小夜ちとり おのか友とや呼ひかはすらむ 著作堂
浜路・浜路
〈英泉〉
★牡鹿鳴くは秋の季語。千鳥は冬だが、鳴き交わす鳥として引き出されたか。前の浜路
の紋は蛾のようだ。中国にも、死者は七日目に蛾や蟷螂になって生前好んでいた場所に
現れる、との俗説があったやに記憶する。裾の枯れ薄は、幽霊の舞台装置か
由来汝之紅手拭 勝似妖狐戴髑髏
汝の紅手拭の由来、妖狐の髑髏を載せるに似て、勝る。
★「紅手拭」は、化猫を表すとともに、血脈/親子の関係を暗示している。「紅手拭」
と「髑髏」とを併せれば、現八が、一角の髑髏に大角の紅い血を滴らせ親子の証拠とし
たことをも包み込む。直接的には化猫たる偽赤岩一角を、そして間接に真実の親子の誤
魔化しようのない繋がりを表す。さて、紅手拭と化猫の関係であるが、長州岩国の巷説
を採った「岩邑怪談録」第二四話「普済寺猫踊の事」に「普済寺といふ禅寺の猫、或日
の夕飯後に、赤手拭を口にくはへて出ければ不思議に思ひ、小僧、跡につけて行見れ
ば、琥珀といふ所の草原にて、猫ども数々集りて、踊りをおどりける。暫く踊りて、猫
ども踊りつかれて帰りざまに、又明日の晩に出逢ひておどらんと、人の如く物いひて別
れける社奇怪なれ」とある。猫が化けるに紅手拭いを用いるには、何か典拠あるか。
「岩邑怪談録」は「天保年頃ノ老人」である岩国藩士広瀬喜尚翁/通称仁兵衛/が書い
た。八犬伝は、どうやら「岩邑怪談録」に若干先行する。故に馬琴が「岩邑怪談録」を
参考に、「化け猫」と「紅手拭」の関係を持ちだした者でないことは明らかだ。但し、
「岩邑怪談録」は巷説を採ったものであり創作でない点から逆に、少なくとも天保頃に
岩国で「赤手拭」と「化け猫」を関連づける発想があったことを示しており、また巷説
とは人間なるメディアによって伝播するために、岩国以外、例えば江戸でも流布してい
た可能性は否定できない。巷説の流布は時間・地域ともに幅をもつものであり、「岩邑
怪談録」の存在は、遅くとも天保頃までには、赤手拭猫の話が発生していたことを示す
のみである。やや消極的な証明しか出来ないが、上記の如く筆者は考えている。「岩邑
怪談録」に就いては、でちょさんに御教示いただいた
子をおもふ夜の鶴よりかしましや 妻思ふ宿の雉子猫の声
仮一角にせいつかく・赤岩武遠あかいハたけとほ・赤岩牙二郎あかいハがじらう
★既出。偽一角と、信乃に仇為す紀二郎猫との共通性を明かしている/「夜の鶴」は、
白居易の「五弦弾」中の句「夜鶴憶子籠中鳴」などに見られる。鶴が子供思いであると
の通念が背景にあるようだ。他に子供思いの動物には猿があり、「断腸」は、子猿を喪
った母猿の思いを謂う。更に云えば、子を思う母のココロは、「夜の鶴、焼野の雉子
(きぎす)」と二種の鳥を並べて表現することがある。死すべき〈雛〉の〈衣〉となっ
て守り抜こうとする母雉子の哀しさと強さを示す。焼野の雉子は、焼け野原で見つけた
雉の黒こげ焼死体の陰に雛が守られている、との表現。偽一角の評句は、此の「夜の
鶴、焼野の雉子」の「雉子」を「雉子猫」に換えることにより、雛衣の強さと、一角を
殺して妻を奪った偽一角の邪さを対比強調する技巧を用いている。そう言えば、太平
記、八犬伝にも引かれ挿絵にも登場する高師直が塩谷判官の妻に横恋慕する挿話の悲劇
は、「焼野の雉子」に集約されている。忠義の臣・塩谷判官高貞の美しい妻に高師直は
言い寄るが袖にされる。怨んだ師直は主君の尊氏・直義に塩谷を讒言する。危険を察知
した判官は暦応四年三月二十七日暁、「ふたごころ有るまじき若党三十余人」を率い、
妻と子には「身に近き郎等二十余人」を属けて京から逃げ出し、本国の出雲へと向か
う。しかし妻子の一行は播磨の陰山で二百五十余騎の追っ手に捕捉される。「塩冶が郎
等ども今は落ちえじと思ひければ輿をば道のかたはらなる小家に舁き入れさせて向ふ敵
に立ち向ひ、おしはだぬぎ散々に射る。追手の兵ども物具したる者は少なかりければ懸
け寄せては射落し抜いてかかれば射すゑられて、やにはに死せる者は数を知らず。かく
ても追手は次第に勢重なる。矢種もすでに尽きければ、まづ女性幼き子どもを刺し殺し
て腹を切らんとて家の内へ走り入つて見れば、あてやかにしをれわびたる女房の、夜も
すがらの涙に沈んで、さらずともわれと消えぬと見ゆる気色なるが、膝のそばに二人の
子をかき寄せて、これやいかにせん、とあきれ迷へるありさまに、さしもたけく勇める
者どもなれども落つる涙に目も暮れて、ただ惘然としてぞゐたりける。さる程に追手の
兵どもま近く取り巻いて、この事の起りは何事ぞ。たとひ塩冶判官を討つたりとも、そ
の女房をとりたてまつらでは執事の御所存に叶ふべからず。相構へてその旨を存知せ
よ、と下知しけるを聞きて、八幡六郎は判官の二男の三歳に成るが母に懐き付いたるを
かき懐いてあたりなる辻堂に修行者のありけるに、この幼き人なんぢが弟子にして出雲
へ下しまゐらせて御命を助けまゐらせよ。かならず所領一所の主になすべし、と言ひて
小袖一重ね添へてぞとらせける。修行者かひがひしく受け取つて、子細候はじ、と申し
ければ八幡六郎限り無く悦んで元の小家に立ち帰り、われは矢種の有らん程は防き矢射
んずるぞ。御辺たちは内に参つて女性幼き人を刺し殺しまゐらせて家に火を懸けて腹を
切れ、と申しければ塩冶が一族に山城守宗村と申しける者内へ走り入り持ちたる太刀を
取り直して、雪よりも清く花よりも妙なる女房の胸の下を、きつさきに紅の血をそそ
き、つつと突きとほせば、ああつ、と言ふ声かすかに聞えて薄衣の下に臥したまふ。五
つになる幼き人、太刀の影に驚いて、わつ、と泣いて、母御なう、とて空しき人に取り
付きたるを山城守心強くかき懐き太刀の柄を垣にあてもろともに鍔もとまで貫かれて抱
き付いてぞ死ににける。自余の輩二十二人今は心安しと悦んで髪を乱し大膚ぬぎに成つ
て敵近付けば走り懸かり走り懸かり火を散らしてぞ切り合ひたる。とても遁るまじき命
なり、さのみ罪を造つては何かせん、とは思ひながら、ここにて敵を暫くも支へたらば
判官少しも落ち延ぶる事もや、と、塩冶ここにあり、高貞これにあり、首取つて師直に
見せぬか、と名のり懸け名のり懸け二時ばかりぞ戦うたる。今は矢種も射尽しぬ。切り
傷負はぬ者も無かりければ、家の戸口に火を懸けて猛火の中に走り入り二十二人の者ど
もは思ひ思ひに腹切つて焼けこがれてぞ失せにける。焼けはてて後、一堆の灰を払ひの
けてこれを見れば女房は焼け野の雉の雛を翼にかくして焼け死にたるが如くにて、いま
だ胎内にある子刃のさきに懸けられながらなかばは腹より出でて血と灰にまみれたり…
…」。先行していた高貞は此の後、郎等たちが次々に果たす壮絶な犠牲によって出雲ま
では逃げ延びるが、権勢を誇る師直の追っ手が迫り恩賞の触れを出すと親類縁者知人ま
でも高貞を狙うようになる。逃げ場を失った高貞は山に籠もって一戦を交えようとする
が、其処に郎等の一人が馳せ参じ、妻子の死を告げ、腹を切る。絶望した高貞は、馬上
のまま切腹して果てる。太平記巻第二十一「塩冶判官讒死のこと」
一妻両夫 黒白云判
にハとりのぬれてねくらに帰らすは 暮るにたてじ春雨の門
淫婦夏引いんふなひき・四六城木工作よろきむくさく・泡雪奈四郎秋実あハゆきなしら
うあきさね
★試記・鶏の濡れてねぐらに帰らずば、暮るに立てじ春雨の門/陰の気が満ち下草を濡
らす雨が降る。其の陰気に当てられ濡れた二羽の鶏を共に一つの寝所に招き入れる積も
りなのか。まだ鶏が帰ってこないからと言って、日が暮れたというのに、門を閉じてい
ない。門は家の防備/貞操を示し、ひいては陰門/女性器を指す。夏引が夫・木工作あ
りながら、奈四郎と肉欲の関係にあることを示していよう
〈英泉〉
苫舟のおなしなかれにすみ田河 こころくまなき月の夜の友 著作堂
出来介・あま崎十一郎てる文・重出五のきみ
★試記・苫舟の同じ流に隅田川 心隈なき月の夜の友/浜路姫は鼓を構えている。鼓と
言えば、能である。人商人に攫われ奥州へ行く途中で死んだ梅若丸を追い、都から下っ
てきた狂女/母の物語「隅田川」と無関係ではあるまい。攫われた子/梅若は悲劇の死
を遂げ、狂女ならぬ浜路は安房から攫われ目出度く生還する。二つの物語の対比によっ
て、八犬伝のエピソードを際立たせようとしているのか、それとも、浜路姫は浜路に乗
っ取られ、元の浜路ではなくなっている/死んでいることを示しているのか? ←弓張
月・白縫と寧王女の関係。それとも、在原業平が名句「名にしおはばいざ事とはむ宮こ
どりわが思ふ人はありやなしやと」古今和歌集四一一/を思い出せば、別れて来た愛し
い人/信乃への慕情を示しているか
冰輪冷艶擅清光 銀漢斜添雁一行 船倚枯葭桜樹岸 人忘栄利宿鵞傍
斑姫哭子狂何甚 在五思京諷詠芳 月色今宵千古似 秋寒徹水覚風霜
九月十三夜墨水賞月即事
玉照堂主人
氷輪は冷艶として清光を擅(ほしいまま)にす。銀漢に斜めに添う雁が一行。
船は枯葭桜樹岸に倚し、人は栄利を忘れ鵞の傍に宿す。
斑姫の子に哭するや何ぞ甚しき。在五の京を思える諷詠は芳し。
月色は今宵、千古に似る。秋寒く水徹りて風霜を覚ゆ。
九月十三夜に墨水に月を賞し事に即して
玉照堂主人
★斑姫は「班女」即ち、梅若を追ってきた母を指す。在五は在五中将すなわち阿保親王
アホシンノーとは読まずアボシンノウと読むが通例/の息子にして希代の色男・伊勢物
語の主人公たる在原業平の通称。前出「名にしおはばいざ事とはむ宮こどりわが思ふ人
はありやなしやと」で有名か。班女は墨田河畔に留まり尼となって梅若の菩提を弔っ
た。寺は江戸・向島の木母寺であって、都鳥の名所・橋場から向島まで墨田河原は、桜
の名所。「桜樹岸」は、此の辺りであろう
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第六十二回
「船虫奸計礼度に説く 現八遠謀赤岩に赴く」
返璧の庵に船虫禍胎を贈る
現八・角太郎・氷六・ふなむし・ひなきぬ
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第六十三回
「短刀を携来て縁連師家を訪ふ 衆兇と挑みて信道武芸を顕す」
縁連使して短刀をうしなふ
よりつら・ハッ太郎・飛伴太・東太・一角・団吾・現八
勇を奮て現八よく五兇を挫ぐ
牙二郎・一角・ひばん太・団吾・よりつら・現八・ハッ太郎・東太
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第六十四回
「現八単身にして衆悪と戦ふ 縁連・牙二郎、信道を逐ふ」
衆兇挟て夜現八を害せんとす
よりつら・ふな虫・牙二郎・東太・ひばん太・現八・をは内・▲(はか)内・団吾・ハ
ッ太郎
牙二郎逸東太双で角太郎を詰
ひなきぬ・牙二郎・角太郎・よりつら・現八・一角・船むし
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第六十五回
「▲(オンナヘンに息/よめ)に逼て一角胎を求む 腹を劈て雛衣讐を仆す」
金玉瓦礫はじめて判然
よりつら・一角・牙二郎・船虫・角太郎・現八・ひなきぬ
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第六十六回
「妖邪を斬て礼儀父の怨を雪む 毒婦を丐て縁連白井に還る」
邪魔人畜悉皆頓滅
土地の神・山の神・ひな衣なきから・現八・逸東太・ふなむし・山ねこ・角太郎・猯ま
ミ・貂てん・牙二郎
★陀羅尼系の真言か
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第六十七回
「礼儀義家禄を捨つ 船虫謀て縲絏を脱る」
名を改めて大角留別の小集す
犬飼現八・犬村大角・村長・村をさ・氷六
★此処で大角が着けている紋は、後に使う蔦紋ではないようだが、杏葉牡丹でもないよ
うに見える
笛の音によるてふ鹿ハあし引の 山のさち雄を妻とし惑ふらむ ▲(頼のしたに鳥)
斎
船虫・逸東太
★笛の音に誘き出されるという鹿は、あし引きの山の猟師を配偶の牝だと誤解して惑
う。猟師は牝の声を模した鹿笛で、牡鹿を誘き寄せることは古来民俗として知られてい
る。この場は船虫が猟師、縁連が牡鹿。因みに牡鹿の牝呼ぶ声はアハレとされ、秋の歌
に繁く詠まれている。かなり性欲の強い動物と思われたか。鹿角は精力増進薬として、
現在でも用いられている。荷物に逸東太の名
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第六十八回
「穴山の枯野に村長秋実を救ふ 猿石の旅宿に浜路浜路を誘ふ」
甲斐の道中に信乃奈四郎を懲す
をバ内・犬塚信乃・あハ雪な四郎・よろぎ木工作
有花不語春鳥寄声有水無意蟾蜍遺環 蓑笠題
花ありて語らず。春鳥、声を寄す。水ありて意なし。蟾蜍は玉を遺す。
出来介・なびき・はまぢ・信乃・木工作
★花が咲いているが、彼は何も語らない。代わりに春鳥が声を寄せてくる。水には、意
ココロなんてない。蟾蜍が、玉を遺す。後の浜路は何も語らず、代わりに前の浜路が語
りかけてくる。信乃には下心はないが、木工作は浜路を信乃に娶せようとする。即ち、
此の歌は、後の浜路を花、前の浜路を春鳥、水を信乃、蟾蜍を木工作に喩えている。花
とは眼前にある〈形を持った者〉即ち、後の浜路だ。春の花が語りかけてくるように感
じるが、実は、姿の見えない鳥/前の浜路の囀りに違いない。前の浜路が後の浜路に憑
依して、信乃への思いを言い募る場面である。しかし水気の犬士・信乃には下心なんて
ない。にも拘わらず木工作は信乃を見込んで浜路に娶せようとし、結局は横死するのだ
が、玉なる後の浜路を遺す。玉は万物の美称であると同時に、犬士達の身分証明であ
る。玉は、犬士を象徴すると言い得る。犬士が玉に象徴されるなら、犬女も玉で象徴さ
れて何の不都合やある。雛衣も「玉」と言い換えられていた。ところで読本には何度か
書いたが、蟇は土気である。和漢三才図絵に蟾蜍が土精であると書かれてあると、執拗
に書いてきた。五行の理に於いては、土克水、土は水を堰き止める機能を有している。
此の挿絵に続く第六十九回のタイトルは、「仕官を謨りて木工作信乃を豪留す」であ
る。正しく、信乃は木工作に〈堰き止められる〉のだ。其処まで考えると彼の苗字「四
六木」が、〈四六の蝦蟇〉から来ているであろうと察しもつく。なお、読本で述べた如
く、此の場で夏引が身に着けている着物の模様は、亀篠の普段着と同様だ。一方、後の
浜路の着物は、前の浜路が死の直前に着ていた物と同様である。着物の模様によって、
夏引・後の浜路と亀篠・前の浜路の関係が、同様のものであると知れる。ただ、全く総
てが同様であるのではなく、蟇六と木工作が対称的な人物像であることから、単純な反
覆によって足踏みするのではなく、物語は捻れて前進していく
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第六十九回
「仕官を▲(ゴンベンに莫/はかり)て木工作信乃を豪留す 給事を薦て奈四郎四六城
を撃つ」
拙工不成自又破之
拙き工(たくら)み成らずして、自ら又これを破る。
★奈四郎は権威をカサに着れば相手が従うものだと、恐らく自分を基準にして考えたの
だろうが、娘・浜路の幸せを願う木工作は、信乃こそ婿にと考えているので、従わな
い。しかも詰られた奈四郎は怒りに任せて木工作を射殺する。温厚そうな木工作が、喧
嘩腰で口説した理由は、挿絵にしか描かれていない。即ち、余りに鳥獣を殺したため
に、獲物の怨霊に祟られ、言わずもがなの言葉が口を衝いて出たのだろう
禽獣の怨霊ハ文外の画なり看官宜意をもて解すべし
かや内・奈四郎・をバ内・木工作
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八犬伝第七輯巻之五に附記す闘牛並に小狗の略説
闘牛は原西羌の戯なり。西陽雑爼境異篇云亀茲国元日闘牛馬駝為戯七日観勝負占一年羊
馬減耗▲(クサカンムリに繁)息也といへり。是より先に三国の時、魏の曹植が牛闘の
詩に、行彼山頭▲(炎に欠)起相▲(テヘンに唐)突、といひしは二牛の自然に闘へる
なり。事は太平広記又野客叢書{十二}に見えたり。又淵鑑類函{巻四百三十五牛部}
に仇池筆記を載て、牛闘尾入両股間、といへり{闘牛竪尾図経識者指摘見五雑爼}又昭
代叢書{巻二十六}竹枝詞の附録土謡部苗人を詠ずる詞に、身被木葉挿鶏頭銅鼓家家賽
闘牛、といふ句あり。注に、歳時召親戚▲(テヘンに過)銅鼓闘牛於野▲(圭にリット
ウ)其負者祭而食之、といへり。唯牛のみにあらず、西域には闘羊闘▲(壱のヒなしに
石木)駝さへあること右の如し。されば又瀛海勝覧云、勿魯謨斯国羊有四種大尾綿羊重
七八十斤其尾闊一尺余▲(テヘンに施のツクリ)地重二十斤狗尾羊如山羊尾長二尺余闘
羊高二尺七八寸前截毛長▲(テヘンに施のツクリ)地後半剪浄頗似綿羊角彎向前上帯小
鉄牌好闘好事者養之賭博為戯{類函}、か丶る事を鑿出さば猶いくらもあるらんを大か
た似たる事なれば此に許多せず。又按ずるに、周末戦国の時、角觝の戯を為れり。憶に
秦晋北燕なンど胡国に近かりし諸侯彼闘牛に擬して、この戯を作れるならん。正字通角
字注に、角觝戯名觝通作抵六国時所造両々相当角力相抵漢武元封二年作角觝戯史記李斯
伝作▲(穀のノギヘンが角)抵張騫伝作角▲(抵のツクリ)、と見えたり。
{▲(穀のノギヘンが角)觝の▲(穀のニギヘンが角)史記李斯伝音学西京雑記巻三秦
末有白虎見於東海黄公乃以赤刀往厭之述既不行遂為虎所殺三輔人俗用以為戯漢帝亦取以
為角觝之戯焉又按述異記云秦漢間説蚩尤氏耳髯如剣戟頭有角与軒轅闘以角觝人人不能向
今冀州有楽名蚩尤戯其民両両三三頭載牛角字相觝漢造蓋其遺製也又闘牛の事は事物紀原
巻九にあり。考ツべし}
角は競なり。觝は抵なり。唐山の俗語に言葉戦を角口といふ、その義これと同じ。角觝
は力士牛頭を戴き両々相当り相抵て勝負をなせり。その形勢宛闘牛に似たり。是則今の
角力の権輿なり。闘牛は本邦にもむかしより越後州古志郡二十村に在り。人多くこれを
知ざるのみ。吾友鈴木牧之は越後魚沼郡塩沢の里長なり。いぬる庚辰年春三月二十五日
予が為にその地に赴きて闘牛を観て手づから図説を為りておこしたり。牧之云二十村は
地方の▲(テヘンに総のツクリ)名なり。闘牛の地所は定りたることなし。毎歳三四月
の間雪の消果るに及びて寅申の両日の吉辰をえらみてこの事あり。土人は牛の角突と唱
ふ。原是件の村々の城▲(ツチヘンに皇)なる十二権現の祭祀によりてこの戯を興行す
といへり。この闘牛の光景は本輯第七の巻に載たればこ丶に具にせず。左の図と合し見
るべし。原図は牧之の筆するもの、紙中甚闊して且二三頁あり。そを縮図して漏さず▲
(衣の上下間に臼)めて欄▲(氏のしたに巾)一ト頁の中に尽せしは画者渓斎の筆力に
成れり。上古には陸奥はさらなり越後近江さへ夷俗に擬せられて夷長を置せ給ひしよし
国史に見えたれば、この闘牛の戯はいとふりたる風俗の波及にこそあるならめ。昇平既
に久しうして辺鄙も文物に乏しからねば今は東奥北越の尽処までも夷めきたる事はなき
に此闘牛の戯の偶越後に遺りしは古俗を知るの端崖ならずや。▲(ニンベンに尚)崔安
潜をして世に在しめば神遊して見まく欲するなるべし{崔安潜好看闘牛見五雑爼人部
三}
因にいふ、ちぬは{ちひさいぬの略辞なりと閑田▲(田に井)筆に見えたり}払菻狗の
種類なり。一名は哈叭狗一名は馬鐙狗又これを▲(ケモノヘンに過のツクリ)といふ。
唐高祖武徳中高昌{国名}献狗高六寸長尺能曳馬銜燭云出払菻中国始有払菻狗{唐書適
要}天朝は則淳和天皇の天長元年渤海国より契丹{国名}の▲(ケモノヘンに委)子を
献りぬ{▲(ケモノヘンに委)通作▲(ケモノヘンに過のツクリ)}類聚国史{殊俗
部}云淳和天皇天長元年四月丙申覧越前国所進渤海国信物並大使貞泰等別貢物又契丹大
狗二口▲(ケモノヘンに過のツクリ)二口在前進之これ天朝に異邦の小狗あるはじめな
るべし。▲(ケモノヘンに過のツクリ)子も払菻狗に類せる矮狗なり。天宝遺事云天宝
末云云上夏日嘗与親王碁令賀懐智独弾琵琶貴妃立於局前観之上数子将輪貴妃放康国▲
(ケモノヘンに過のツクリ)子於坐側▲(ケモノヘンに過のツクリ)子乃上局局子乱上
大悦といへり。これらによりて▲(ケモノヘンに過のツクリ)子の小狗たる事を想像る
べし。払菻狗は稲若水の本草綱目別集に留青日札肇慶府志呉県志を引て考証あり。若水
云今之矮爬狗即古小狗之種蓋与中国狗交而漸高大者也。馬鐙狗長四寸可蔵之馬鐙中{留
青日札摘要}番狗長毛▲(マダレに卑)脚身絶小高四五寸為哈叭狗来自京師最貴{肇慶
府志}犬小者有金獅▲(モンガマエに市)獅{呉県志}今按ずるに近来この間に畜る小
狗は絶小きもの稀なり。今の小狗に八種あり。そを鬻ぎて生活になるもの丶俗呼を聞く
に所云八種は、つまり・ちやんぱげ・かぶり・小かしら・しかばね・りうきう・さつま
たね・まじり、是なり。つまりは、その毛つまりて長からぬをいふ。ちやんぱげは占城
毛なるべし。かぶりは、頭毛長く垂れて面上を掩ふをいふ。小かしらは、頭ちひさく眼
大なるもの、これを上品とす。しかばねは、鹿骨なり。痩てその脚長きもの下品なり。
りうきうは、琉球より来たる小狗なり。さつまたねは、琉球狗とこの土の小狗と尾りて
生れるをいふ。この故にその耳垂れずして形円かり。まじりは、小狗と地狗とまじはり
て生れるをいふ。又紅毛狗と尾りて生れるもあり。紅毛狗は、地犬よりちひさし、穀食
せず或は魚鳥或は琉球芋もてこれを養ふなり。強て飯を食しむれば稍大きくなれり。こ
の他小狗を養ふにくさぐさの口伝あり。且常に用ふべき薬方、子を産する時のこ丶ろ得
など、いと多かり。これらのよしを書きつめて好るものに示さばやと思ひつ丶さる暇の
あることなければ久しうして得果さざりき。こはその崖略のみなれど八犬伝の名にしお
ふ小狗の事しも漏さじとて諳記のま丶にしるすになん。
文政十年丁亥冬十一月大寒前六日
蓑笠老逸
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第七十回
「指月院に奸夫淫婦を伴ふ 雑庫中に眼代戍孝を捕ふ」
昼無住院に竊憩して奈四郎夏引と密談す
なひき・な四郎・をバ内・むが六
★むが六の背後に然り気なく斑犬が寄り添っている
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第七十一回
「冤尸を検して尭元姦を知る 禅院に寓して旧識再会す」
鼠璞非璞兎絲非絲其名同而其物異也
鼠璞は璞にあらず。兎絲は、絲にあらず。其の名は同じうして、其の物は異なるなり。
慎之慎之出於爾返於爾者也
慎めや慎めや、爾に出て、爾に返るものなり。
信乃・はまぢ・出来介・なひき・出来介・たか元
ふたつみつひとつになるや露の玉 以作者少時所吟發句為賛
はまぢ・念戌・俗同宿・住持・仮眼代・信乃
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第七十二回
「三士一僧五君を敬ふ 信乃・道節甲主に謁す」
応仁の昔かたり三才の息女鷲に捕らるところ
石禾の寺に信昌二犬士を知る
道節・ちゆ大・信乃・たかもと・のぶまさ
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第七十三回
「仇を謬て奈四郎頭顱を喪ふ 客を留て次団太闘牛に誇る」
五の君を送る道中に信乃はからずして仇を撃つ
五の君・てる文・道節・信乃
主を賊して媼内更に亡命す
をバ内・奈四郎
自若として小文吾暴牛を駐む
うし力士・牛力士・いそ九郎・牛力士・牛りき士・小文吾・うし力士・牛力士