AWC そばにいるだけで 57−7   寺嶋公香


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#5419/5495 長編
★タイトル (AZA     )  01/02/27  23:01  (200)
そばにいるだけで 57−7   寺嶋公香
★内容                                         16/06/14 23:02 修正 第2版
 緊張を新たにし、思い出して、ベレー帽を取った。玄関までの短い石畳を行
く。後方では、相羽が柵を閉め、閂をまた下ろす金属音が静かにした。
 と思ったら、相羽は純子に素早く追い付き、横に並ぶ。玄関に立つと、ドア
が大きく開かれる。ずっと待たせていたニーナに、相羽が何やらお詫びらしい
フレーズを述べた。
 それから「寒いから早くしてね」「そうですね」というやり取りがあって、
相羽は純子の背をそっと押した。
 純子は帽子を握った手を前で揃え、もう一度、頭を下げた。靴がたくさん並
んぶのが見える。こんなに大勢、入れるの?と疑問に思わないでもない。
 背後で扉が閉じられると、暖房の効いた空気を感じる。
 コートをこの時点で脱いでいいのか、躊躇していると、奥からエリオットが
現れた。時間を要しすぎたため、心配になって様子を見に来たに違いない。
「おおー、信一。それに純子。よく来てくれましたね」
 なかなか達者な日本語に、純子も内心、ほっとする。今度はエリオットに対
して、深々とお辞儀。相羽も同様にした。
「お招きいただき、大変感謝しています」
 英語の定型句で返答すると、エリオットは鼻の頭をいじりながら、微笑した。
「簡単な会話なら、日本語で結構だよ。私も、どれくらい上達したのか、試し
たい気持ちがあるからね」
 純子と相羽が、互いに目を見合わせる。その間にも、エリオットとニーナは、
「さあ、靴を脱いで」とジェスチャー混じりで言った。
「コートは、どうすれば……」
 純子の質問には、ニーナが両手を伸ばす。彼女の方は、英語の割合が多い。
「こちらに。私が掛けておくからね」
「ど、どうもすみません」
 急いでダッフルコートを脱ぎ、帽子を添えて、一流ピアニストに手渡す。白
い肌の指は、長く、力強さを有しているように見えた。
 相羽は先に上がると、コートを脱ぎつつ、「僕は自分でやりますから」とニ
ーナに続いて、傍らの小部屋に行く。程なくして、二人とも戻って来た。
 相羽は、上がってすぐの壁に立てかけてあった紙袋を取り、エリオットに差
し出す。
「先生、これを。こういうとき、日本流では、『つまらない物ですが……』と
言うんです」
「ほう。それで、本当に、つまらない?」
 愉快そうに目尻を下げるエリオット。
「お気に召していただける自信はあります」
 相羽が実際、自信満々に答えたのには、純子も呆気に取られた。
(あんな短時間で選んでおいて、よくもまあ……)
 少しの間、口を小さくではあるが、開けっ放しにしてしまったほど。そこへ、
相羽が振り返って、「何しろ、彼女の見立てですから」と、半分嘘を言う。
「違うっ。私達二人で決めたんです!」
 焦って、大きな声で否定した。しかし、この日本語をエリオットは理解でき
なかったのか、聞こえなかったのか、
「大和撫子の選んだ物なら、間違いあるまい」
 等と、奇妙なアクセントで喋って、ご満悦の表情をなす。
「皆さんで召し上がってください」
 相羽が飄々とした体で言うのを耳にしつつ、彼らに従って、純子も奥の部屋
に向かった。

 予想通り、立食形式のパーティが催されていた。壁には、隙間を見つけるの
が大変なほど、クリスマスカードが張られている。借家だからか、画鋲ではな
く、剥がし易いシールを用いているようだ。
 ツリーを置くスペースは確保できなかったと見えて、その代わり、正面奥の
窓ガラスに、木の形に切り抜いた緑と茶色の紙が張ってあった。ご丁寧に、黄
色い紙のベルもいくつか下がっている。
「これは素晴らしい!」
 エリオットが英語、日本語の順で叫ぶ。純子達の手土産を、今、開けたとこ
ろだ。和菓子特有の色彩と形に、他の者――欧米の人がほとんど――も感嘆の
息を漏らす。ビューティフル、ファンタスティック云々と、しきりに評してい
るのを、端から見ていると、誇らしく思うのと同時に、感じ方の差異や表現方
法の違いも認識する。
「あそこまで大げさに言われると、照れるよね」
「でも、よかった。気に入ってくれたみたいだから」
 純子のつぶやきに、相羽が応える。
「残るは、味の問題だけ。味覚に合うかどうか。きれいなのを壊すのがもった
いないと言って、口にしない可能性もあるかな」
 果たして相羽の予想通り、エリオット達は和菓子に手を着けないで、純子達
を質問攻めにした。「この形にはどんな意味があるの?」「この色合いは、ど
うやって出すの?」「こんな複雑で繊細な形の物を、大量生産できるなんて不
思議」「そもそも、どうやって作るの?」エトセトラエトセトラ……。
 調理部で和菓子を作ったことがあったおかげで、作り方や色合いなら、ある
程度答えられたものの、それ以外は苦しい。自分の生まれた国の話なのに、知
らないことがたくさんあるのだと、改めて思い知らされてしまった。
「相羽くーん」
「うん?」
 説明に追われて早くも疲れた純子が呼ぶと、振り返った相羽は串揚げみたい
な物を口にしていた。
「何呑気に食べてんのよ。私が、必死になって英語使って、説明してたってい
うのに」
「お腹空いた。昼間、まともに食べてなかったからな」
「〜っ。まあ、いいわ。次に来るときは、簡単に説明できるお土産にしましょ。
かまわないわね」
「いいよ」
 口をもぐもぐさせている相羽を見ていると、何だかばからしくなってきた。
ここは、英会話のよいトレーニングになったと思うことにしよう。
「私も食ーべよっと。あ、七面鳥だ。やっぱり、アメリカの人だねえ」
「喋り方が、急におばさんぽくなってないか?」
「うるさいなー。昨日は仕事の関係者が多くて、肩が凝っちゃったの。それに
比べたら、今日はフレンドリーな感じ」
「フレンドリー……何でもかんでも英語を使えばいいってもんじゃないと思う」
「いいでしょっ。とにかく、今日はリラックスして、楽しみたいの」
 紙の小皿とコップを手に、あれこれ物色する純子。
「……と、届かない」
「はいはい」
 モザイク模様をしたミートローフを、相羽が取ってくれた。
「一切れでいい?」
「う、うん。ありがと」
「ところで、今日は鷲宇さん、来てないみたいだね」
「そう言えば……」
 相羽の指摘に、純子は念のため、会場内を見回した。確かに、姿はなし。
「ニーナさんが来ているのにね。クリスマスなのに、一緒にいないなんて、不
思議。どこで何してるのかなあ」
「鷲宇さんも、忙しい人なんだろ。そこまで気を回す必要なんて」
「だって」
「クリスマスに一緒にいる男女は、みんなカップルなのかい?」
 相羽の問い掛けに、純子は言葉に詰まった。もちろん、そんなことは言って
いないのだ。
 ただ、別の点――自分が今、相羽と一緒にいるという事実に重ね合わせ、意
識してしまった。
(こうなったらいいなあっていう気持ちは、前からずっとあったけれど。それ
に最近は実際、毎年のように一緒にいるけれど。でも、こんなに意識したのは
初めてだよ〜)
 コートを着込んだみたいに、暑くなってきた。恐らく赤らんでいるであろう
顔を隠したくても、両手が塞がっている。
(二人きりじゃないから、そんな意識することないのかな。だ、第一、私と相
羽君はなーんにも、そういう関係じゃなくて)
「どうかした? 折角取ったのを、ほとんど食べないで」
「……わっ!」
 ぼんやりしてしまっていた純子の目の前、相羽が覗き込んでくる。驚くあま
り、皿とコップが傾いた。
「あ」
 皿の方は無事だったが、コップからはオレンジ色の液体が飛び散る。飛沫が、
純子自身の胸元を濡らす。
「ごめん、驚かせてしまって」
 相羽は言いながら、素早くハンカチを取り出す。
「ううん、平気っ。ちょうど、目立たない柄の服だし。ハンカチもいいわよ、
自分のがあるから!」
 必要以上に大きな声で返事をした純子。そして皿とコップをテーブルの片隅
に置き、ハンカチを取り出そうと、着物のあちこちに手を当て、まさぐる。
「あ、あれ? おっかしいなあ。……そうだわ、コートの方に入れたまま、移
すのを忘れていた気がする」
「とにかく、これ」
 相羽が純子の手にハンカチを押しつけた。
「はあ。ありがとう……」
 深緑色にだいだい色の縁取りがしてあるハンカチを、広げず、そのまま胸の
染みに当てる。オレンジジュースの水分は、すでにかなり服に染み込んでいた。
仕方がない、直に肌に着いた分を拭こう。一番上のボタンを外して、ハンカチ
をあてがった。
 途端に、相羽が上擦り気味の声で言う。
「――せ、洗濯して返してくれよ」
「うん。当然よ」
 顔を起こすと、さっきまで正面にいた相羽が、横手に移動している。こっち
を見ていない。
(あっ)
 純子は初めて気が付いた。手早く拭き終え、急いでボタンを戻す。
(ど、どうして、あんなに意識するのかな。大したことないのに。おかげで、
私の方まで、変な気分になるじゃない)
 そっぽを向いている相羽のうなじ辺りを、ちらと見やりながら、純子は彼か
らのハンカチを、握りしめた。
(……こっちを向いてもいいよって言わなければ、ずっとああしているつもり
なのかしら)
 そんなことをふと思う。ハンカチに目線を落とし、くすりと笑った。
 純子は黙ったまま、静かな足取りで、相羽のそばを通り、前に回り込んだ。
そのときになって、相羽が目を閉じていることが分かった。
「相羽君、もういいよ」
 いきなり違う方角から純子の声がしたせいか、相羽は身体をびくりと震えさ
せ、瞼を開けた。
「あ、ああ……よかった、目立たない程度ですんで」
「うん。よかった」
 純子が微笑みかけると、相羽はようようのことで、普段の顔つきに戻った。

 純子と相羽にお呼びが掛かったのは、それから間もなくであった。
「少し手狭だけど、問題ない」
 職員住宅の区画に隣接する形で、大学の研修施設が建っている。二階建ての
鉄筋だ。そこのホールに、ピアノがあるという。みんなして歩いて、そちらに
移動する。
「隣近所への迷惑は、考えなくていいから」
 エリオットが英語で言うのを、相羽が通訳してくれる。
「元々、防音設備はかなりの物なのに加えて、ここには、音楽の好きな連中が
集まっているからね」
「さすが音大ですねー」
 答えながら、コートを改めて被り直す。陽も落ちて、寒気が強まったようだ。
 と、純子の鼻先を、白く小さな粒が、上から舞い降りてきた。
「雪!」
 反射的に声を上げる。
 他の人達も気が付いて、一斉に歓声を上げるものだから、途端に大騒ぎにな
ってしまった。
「わぉ、メリークリスマス!」
「これで、クリスマスらしくなったわね」
「ホワイトクリスマスになるかな?」
「積もるのは期待できそうにないなあ」
 口々に喋るのだが、三ヶ国か四ヶ国ぐらい、言葉が入り交じっているため、
一段とにぎやか。妙に陽気である。
 そんな光景を目の当たりにし、純子の頭の中を、擬人化したインターナショ
ナルという文字がたすきを掛け、右から左へ手を振りながら横断していく。
「あはは」
 不意に笑った純子を、相羽が不思議そうに見つめる。笑顔の前に、彼もつら
れたように微笑する。
「そんなにおかしい?」
「おっかしいわ。それに、楽しい」
 両腕を広げ、手の平を上に向けると、歩きながら、フィギュアスケーターみ
たいにくるりと回る。
「きれいね、雪」
「そうだね」
 相羽はコートのポケットに両手を入れたまま、目を細めた。
「積もったら、もっときれいだろうなあ。でも、本当にたくさん積もったら、
帰れなくなるかもしれないわね」
「……別に、それでもかまわない」

――つづく





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