AWC そばにいるだけで 57−8   寺嶋公香


        
#5420/5495 長編
★タイトル (AZA     )  01/02/27  23:01  (198)
そばにいるだけで 57−8   寺嶋公香
★内容
 相羽のつぶやくようなフレーズが、純子の動きを止めた。
「え? 何?」
「いや。先生に頼めば、泊めてもらえるかなと思って」
 そんな言葉を返すと、相羽は皆のあとを追いかけた。立ち止まっていた純子
も、慌て気味に続く。
 研修施設には立派な門があって、雲形のプレートがはめ込まれていた。そこ
には、<風鳴館>という文字が刻まれている。風の鳴る館とは、音楽らしさを
感じさせる名称だ。
「面白がって、WHO MAY CAN ? なんて呼んでいるよ」
 エリオットが、玄関口で靴を脱ぎ、スリッパに履きかえながら言う。
「……まともな文章になってないんじゃあ?」
「ははは。“誰が缶詰にすることができるだろう?”といったところで、いか
がかな」
「余計に分からなくなりました」
 玄関奥の突き当たりを右に折れると、ホールに通じる扉があった。ここも当
然、防音が施されている。
 中に入って、グランドピアノが置かれたフロアステージを中心に、半円を描
く風にすり鉢状の席が天井近くまで続く。一見、巨大な横長の階段である。個
個の仕切りのないベンチを重ねた趣で、まるで段々畑のよう。小規模ながらコ
ンサートを開けそうなホールだ。
「思ってた以上に、立派――」
 純子が感嘆の声を漏らすと、それが反響する。座席にいるとどう聴こえるの
かはまだ分からないが、少なくとも演じる側にとっては、よい響き具合のよう
に思えた。
「早速、酔っ払いの目を覚まさせる歌を、お願いします」
 赤い顔をしたエリオットが、日本語で純子に言った。その言葉の通り、思い
思いに座席に座る人達の中には、かなりアルコールの入っている者もいる。だ
が、こと、音楽にこだわりを持つ人が多いのも、確実。
 少なからず緊張を覚えた純子の隣で、相羽が応える。
「はい、頑張ります。酔っ払ってる人が、心地よくなるように」
「なるほど。そういう言い方もあるね」
 エリオットが愉快そうに笑う。
 純子はいっとき、唖然として相羽を見返したが、すぐに収まった。気負って
も仕方がない。相羽の言うように、心地よく聴いてもらえるように努力しよう
と思う。
 ところで、何を唄うのか、ほとんど打ち合わせしていないのだ。純子は気易
い調子で尋ねた。
「昨日のニーナさんみたいに、クリスマスソング?」
「一曲だけ。比べられたらかなわないから」
「何にしよっか? 結構、レパートリー増えたんだよ、私も」
 コートを脱いで準備を進めながら言う純子に、相羽は「カラオケみたいに言
うねえ」と苦笑いを返す。そして自身もコートを脱いで、
「『きよしこの夜』で、行こう」
 と目配せをした。
「あの曲は、パイプオルガンの方がいいって、昔言ってなかったっけ」
「いいの。今日は特別。それよりも、帽子は被っていていいと思うよ」
「そうかしら」
 手に持っていた帽子を、頭の方へ。純子のその姿を評して、相羽曰く。
「うん。一人聖歌隊みたいだ」
「何よ、それ?」
 リラックスしてきた。これなら、楽しくやり通せるに違いない。

 * * *

 短い休憩を一度挟んで、八曲。小一時間のコンサートとなった。
 どの曲でも、純子の歌は合格点をもらえたらしかったので、嬉しいことは嬉
しい。だが、一番受けたのは中盤、米国のアイドル歌手のやや古い曲を、振り
付きで茶目っ気たっぷりに模倣してみせたときだったから、少し複雑な気分。
「どうしたの」
 終わって席に引っ込み、水を飲んでいると、相羽が話し掛けてきた。自然な
感じで、隣に座る。
「どうしたのって、そんなに様子が変?」
「がっくり肩を落として、疲れてるように見える」
 純子は膝上についていた肘を離して、姿勢を正した。
「このままでは、物まねお笑い歌手になっちゃう……と思って、落ち込んでた
の」
「はは。本気で?」
「本気じゃないけど。ちょっと、調子に乗りすぎたわ」
「のりのりで唄ってたもんな。後ろから見てて、驚いた」
「よく笑い出さずに、演奏を続けられたわよね」
「笑うようなもんじゃなかったよ。あれはあれでよかった。似た傾向の曲ばっ
かりだと、聴いてるみんなを退屈させてしまうしね」
 そう言って、天井を仰ぎ見た相羽は、気持ちよさそうだった。やり終えた充
実感が、そこここに垣間見られる。
(相羽君の演奏があったから、あそこまで楽しくできたんだわ)
 空になったコップを置いて、相羽の横顔をじっと見る純子。
(そこのところ、あなたは分かってるの? 私は気付いてほしいのよ)
 ステージの方では、バイオリンの演奏が始まった。ウェーブをしたきれいな
黒髪を持つ南欧系の男性が、難しげな顔をして弾く。
 最初は真面目に弾いていたのが、段々と変化していった。と言っても、旋律
やリズムなどは一向に崩れず、むしろますます調子の波に乗る感じ。では何が
変わったのか。
「……あの人、凄い。右と左、持ち換えた」
 純子は唖然としながらもつぶやいた。他の面々が拍手喝采したり口笛を吹い
たりしているので、お喋りを遠慮する必要はなさそう。
「まるで曲芸だね」
 感想を漏らし、相羽も拍手を送る。
「そう言えば、後ろ向きでピアノを弾く人を、小さい頃、テレビで観たことあ
るなぁ」
「へえ? それも凄い。相羽君はできる?」
「やったことないからな。今すぐは無理だろうけど、練習すればできるよ」
 断言する相羽。純子はでも、じゃあやって見せてとは言わなかった。相羽は
ピアノを普通に弾いているのがいい、と思ったから。
(そりゃあ、後ろ向きで弾いて、よりいい音が出るんだったら話は別だけど、
そんなことはないに決まってる)
 ステージ上のバイオリニストは、今度は前に大きくお辞儀すると、カウボー
イのバンジョーよろしくバイオリンを背負い、弦を見ずに、これまた器用に弾
き続けた。
「大道芸でも食っていけるな!」
 そんな声まで飛ぶ。奏者も面白がってやっているのが、表情から見て取れた。
「ねえねえ。あんな弾き方をして、専門家の人は、怒らないのかしら」
「さあ? 腹を立てる人もいるかもしれないけれど、エリオット先生は違うよ。
実力を備えた人が、TPOを外さずに、きれいに決めて魅せればよし、という
スタンスだから」
「ふうん。そんな話まで、先生としたことあるのね?」
「まさか。今の先生の様子を見て、そうだろうなって思っただけさ」
 こんなときまで相変わらず、人を食った物言いをする。
 純子はしばし考え、ちょっとした逆襲に転じた。
「それなら、あなた自身はどうなのかしらね」
「ん?」
「相羽君は、ああいう離れ業めいた弾き方を、どう考えているのよ」
「こういう場なら、いいんじゃないかな。隠し芸みたいなものだから。だいた
い、僕がどうこう言う以前に、あの人は遥かに上手いよ」
「バイオリンとピアノとじゃ、比べられないじゃない」
「おおよそのところは、感覚で分かる……と言うよりも、僕の腕前なんて、音
大の人達に比べたって、まだまだ。要するに、比べるまでもないってやつ」
「そんなことない、と思うけど」
 力説しそうになる純子。すんでのところで思いとどまった。
 演奏が終わり、相羽は再び拍手を送りつつ、純子に「ありがとう」と言った。

 最後には、みんなでステージに上がって、三曲、大合唱をした。
 うち二曲は、純子の知らない英語の歌だったけれど、周りの楽しげな空気に
乗せられて、Woo Woo WooとかYeah!なんてやってると、あっと
いう間に溶け込めた。純子の他にも、唄うのはそっちのけで、踊りまくってい
る人達がいたほどだ。
「あー、何だか、発散できちゃった」
 建物を出て、エリオット宅に引き返す道すがら、純子は夜空に向けて、大き
く伸びをした。雪は止んでしまったようだ。積もらなかったのは、やっぱり残
念とすべきか。
「物まねお笑い歌手のとき以上に、乗ってたねー」
 冷やかす相羽に、純子はむくれることなく、素直にうなずいた。
「来る前までは、クラシックばかりなのかなって考えていたの。実際はそれと
は違って、色んな音楽を言葉で語るんじゃなく、肌で感じたわ。うまく言えな
いんだけど、ごちゃ混ぜで無茶苦茶で、でも、とっても素敵」
「よかった」
 誘った立場故か、嬉しそうに頬を緩めた相羽。そこへ、エリオットが声を掛
ける。かなり早口の英語だった。
「信一。お開きとする前に、少しだけ時間をくれるだろうか」
「はい、かまいません。あの、僕だけですか?」
「ああ。時間は取らせないつもりだから、純子をそう待たせることもないよ」
 純子には正確なところは聞き取れなかったが、エリオットが相羽と話したが
っているのは、分かる。気を利かせると言ったらおかしいが、エリオットに軽
く黙礼し、二人から距離を置いた。
 白い息を吐きながら、やり取りをする相羽とエリオット。そのまま、家の中
へと入っていく。
(年明けからのレッスンのことね、きっと)
 純子は、自分の手を息で暖めながら、そう思った。そして、来年早々の自分
の仕事に、連想が及ぶ。
(レッスンと言えば、声優の仕事、練習も指導もなしに、いきなりやるのかな
あ。まさかね。もしそうだとしたら、まったく、とんでもないわ。どうなって
も知らないんだから)
 純子も中に入り、靴を脱ぐ。相羽の姿が見えない今、ちょっぴり心細い。
 ぽつねんとしていると、ニーナが気を利かせてくれたのか、近付いてきた。
「ハーイ! 純子は楽しかった?」
「オフコース。ニーナさんもでしょ?」
 日本語と英語のちゃんぽんで会話。これで充分、成立する。
「もっちろん」
「あは。でも、鷲宇さんがいないのは、寂しいんじゃないですか」
「ノー。それ、違うよ」
 即答するニーナだが、顔つきは笑みを絶やさず、リラックスムード。もしか
したら、ジョークなのかもしれない。
「鷲宇さんが私に惚れてるのであって、私が鷲宇さんに惚れてるわけじゃあり
ませーん」
「えー? リアリ?」
「さあねー。先に、一目惚れは、鷲宇さんよ。これだけは、間違いなし」
 やっぱり冗談だ。そして、やっぱり、相思相愛に違いない。純子はうらやま
しく思いつつ、祝福の気持ちから微笑んだ。
「鷲宇さんは今晩、どうして来られなかったんでしょう?」
「こんばん?」
「えー、『今夜』と同じ意味。あ、トゥナイト」
 純子の発音を、ニーナはしっかり聞き取ってくれた。
「ああ。鷲宇さんは、今夜も仕事ね」
「クリスマスなのに? あの人らしくない感じがするわ」
「彼は、セッショーごとがあると言っていたわ。Negotiation ね」
「……折衝ごと、ですか」
 何だろう?と思ったものの、全然見当もつかない。
(そういえば鷲宇さん、昨日も、何かいらいらしていたときがあったけど、そ
れと関係あるのかしら)
「心配してくれるのですか?」
 ニーナが嬉しそうな表情を浮かべた。きれいな並びの白い歯が覗く。
「え、まあ。こうなると、仕事が憎らしいですね」
 純子の言に、ニーナはさっきジョークを口にしたときの顔に再びなった。
「鷲宇さんは、私のために仕事してくれてるから、私はいいんです」
「あはは、ひどいなー。鷲宇さん、かわいそう」
「それはこっちに置いといて」
 目の前の箱を持ち上げ、横に置く動作を、宙でしてみせるニーナ。こんなこ
とまで教えたのは鷲宇に違いないと、純子は確信した。
「何でしょう?」
 純子が促すと、ニーナは下で唇を湿らせた。それでも足りなかったと見えて、
テーブルに向かうと、グラスを二つ持って来た。
「純子も、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
 純子は受け取るだけして、ニーナが口中を潤すのを待つ。二口ほど飲んだニ
ーナが、ようやく話を始める。
「私と鷲宇さんを心配してくれるのは、とてもありがたいですけれども……え
っと、私、鷲宇さんから聞きました。あなたと彼氏のことを」

――つづく




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