AWC そばにいるだけで 57−9   寺嶋公香


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#5421/5495 長編
★タイトル (AZA     )  01/02/27  23:02  (189)
そばにいるだけで 57−9   寺嶋公香
★内容                                         18/06/15 02:25 修正 第2版
「彼氏って、もしかして、相羽君のことですか?」
 声を潜め、聞き返す純子。返事を待つ間にも、相羽が戻ってこないか、ドア
の方へ注意が向く。
 ニーナが「そうよ。信一のこと」と答えた。受けて、純子は急いで対応する。
「相羽君は、私の彼氏じゃないんです」
「ボーイフレンドじゃない?」
「男の子の友達という意味でしたら、イエス、です。でも――」
 大きな水たまりを前に立ち止まり、身構えてから、飛び越える。そんな、小
学一、二年生のときのような気分を、今また味わう。
「――恋人じゃありません」
 溜めのあと、不自然なほど早口になった気がして、咳払いする純子。少しだ
け飲み物を含み、ゆっくりした口調に戻そうと意識した。
「昨日は彼が純子のいるところに駆けつけ、今日は二人一緒に現れたのにもか
かわらず、違うと言うの?」
「はい」
「純子は、彼を好きではないの?」
「そんな」
 ストレートに問われ、息を飲んだ。今日は何度も、水たまりを飛び越えねば
ならないようだ。声をなくし、首を横に何度も振る。
「……好きです」
「彼の方も、あなたのために駆けつけるほどなのだから、気持ちは同じに違い
ないと私は思う」
「それが……昔、ふっちゃって。えへへ」
 照れ笑いを浮かべ、頭に手をやる純子。早く切り上げたい気持ちが働いたの
かもしれない。
「ふった、とはどういう意味なの?」
「あの……。相羽君の『好きです』っていう告白を、私が断ったんです」
 ニーナはそれを聞いて、意味を咀嚼するために数秒を要してから、Why?と叫
び気味に言った。
「友達の気持ちを考えると、できなかったんです。相羽君は、とても人気があ
って、私の友達の何人かも、相羽君を好きでした。私は、そのことを知ってい
たから……」
 ニーナに文意が伝わったかどうか、少し心許ない。しかし、純子は言い直し
たり説明を加えたりせず、顔を伏せた。
(郁江や久仁香とやっと仲直りできて、もう、その障害もなくなったんだけど。
最後の勇気が出せない)
 心の中で、想いをかみしめる。
(私は多分……相羽君に呆れられるのを、恐がってるんだ)
 ぼんやりとではあるが、何となく、分かってきていた。
(今さら、私の方から相羽君に告白して、気持ちを受け取ってもらおうだなん
て、都合がよすぎる。自分勝手)
 午前中に実った決心が、午後、相羽の家で天童を見かけたことで少し鈍り、
夕刻、回復の兆しを見せたのも束の間、現在は完全に揺らいでしまっていた。
「純子」
 昨日会ったばかりだというのに、ニーナが親しげで心のこもった声を掛けて
くれる。
「私の日本語は、まだ下手です」
「そんなことありません、お上手です」
 話のつながりがよく見えないながら、純子は否定した。ニーナはウィンクを
して、「お世辞を、どうもありがと」と応じる。
「私の日本語を、純子が理解できるのは、純子がちゃんと聞いてくれるからで
す。私も、純子の英語、理解できます。たとえばさっき、和菓子の説明、とて
もよかった。分からない部分があっても、私達の互いの表情、身振り、そして
気持ちが補うから」
「そうかもしれません」
「私が思うのは、全ての会話が、私達の会話みたいに、分からないところを補
って、成立するのではないということ。はっきり言葉にしなければ伝わらない
こともあるのよ、です」
「……」
 言葉を噛みしめ、頭の中で繰り返す純子。
 ニーナは、純子が黙ったので、不安に駆られたか、眉根を寄せて首を傾げた。
「純子、意味、分かった? 分からなかったとしたら、それは、私の言い方が
おかしかった」
「――いいえ! 違います。凄く、よく分かった」
 声が弾む。ニーナも、不安から解き離れたように、頬を緩めた。
「おお、よかった。当たり前のことを言っただけですが、これは大事と思うよ」
「うん。私、言われるまで、すっかり忘れてた」
 舌先をちょっと覗かせ、純子は微笑んだ。ニーナも微笑し、それから誇らし
げに言った。
「憲親――鷲宇さんは、私に、言葉と態度で気持ちを伝えてくれました。だか
ら私も、言葉で応えたのよ」
 下の名で呼んだのは、故意なのか、それとも想いがこぼれ出たのか。多分、
両方なのだろう。

 駅の自転車置場にたどり着いたときは、九時にわずかに足りない頃合だった。
「怒られるかな」
 相羽が自転車を押して、歩道をしばらく行く。交通量が激しく、自転車を漕
ぎ出すにはふさわしくない。
「相羽君のお母さんが、帰宅が遅いって、あなたを怒るの? 信じられない」
 あとに続く純子は、息の白さを確かめつつ、尋ね返した。
「いや、そうじゃなくて、僕が、君のご両親から」
「?」
「遅くまで大事な娘を連れ回して、どういうつもりだあっ!……なんてさ」
「あ、送ってくれるのね」
 遅まきながら察して、純子は声を高くした。
「嫌と言っても、着いて行く」
「あは、頼もしい」
「その代わり、怒られないように取りなしてくれるかい? はははっ」
「だいじょーぶ。携帯電話持って来てるし、いざとなったら、連絡する」
 笑いをこらえ、歩く内に、やがて行き交う車の少ないところへ出た。
 もう自転車に乗っても大丈夫。でも、純子は乗らなかった。相羽も乗ろうと
しない。
 寒いし、早く帰らなければならないのに、でも、この今の時間を大切にした
い。少しでも長く、相手と二人でいたい。
 そんな気持ちが、はからずも一致したのかもしれない。
(今なら、言えそうな気がする)
 純子は相羽の背を見つめて、そう思った。横に並びたいのに、できない。自
転車を邪魔に感じる。
「あ……」
 不意に相羽の声がして、消え入るように途切れる。
 純子は「何?」と聞こうとするが、その前に、気が付いた。
 止んでいた雪が、また舞い降りてくる。先ほどとは異なり、今度はひょっと
したら積もりそうな、大粒の雪だ。
 前でブレーキの音が、きゅっとしたので、純子も立ち止まる。相羽が肩越し
に振り返った。
「寒くない?」
「……ううん。暖かい」
 間を置いて答えたのは、ちょっぴり想像したから。ここで「寒い」と答えれ
ば、暖めてくれるのかしら?なんて。
 その想像だけで、暖まったような気がする。
「じゃあ、急がなくていいか……」
「そうね」
 横断歩道を渡り、歩道を行き、角を折れると、やがて生活道路に入った。幅
が広く、車の交通量は多くない。歩みを、純子は速め、相羽は遅くした。自然
な形で、横に並ぶ。
「相羽君」
「ん?」
「――ううん、何でもない」
 切り出し方に迷って、一度目は失敗。
 それに、相羽の姿を見ているだけで、とても幸せでいられると実感する。今
ここで告白して、もしもこの幸せな気分を失うようなことになったら……考え
るだけで、勇気がしぼむ。
(歩きながらじゃなく、どこかに落ち着いてからの方がいいかな。いっそのこ
と、家の前で、別れる間際に……)
 色んな場面を想定してしまう。それは実は、先延ばしにしたい心理の表れな
に違いなかった。
 純子自身もそれを悟る。
(言わなくちゃ。今日言わないと、きっと、だめになる。クリスマスの奇跡で
も何でもいい、私に勇気をください!)
 ほんの一瞬、目を瞑って念じる。
 と、それを見ていたのかどうか分からないが、相羽が独り言のように口を開
いた。ちょうど、坂道に差し掛かったところだった。
「少し、風が出て来たな」
 言う通り、風がほぼ真正面から吹いてきた。相羽も純子も、さすがに寒そう
に肩をすくめる。
 相羽が、歩くスピードを上げた。純子の前に回って、風よけになるつもりら
しかった。
「――待って」
 純子は呼び止め、自らも早く歩いた。再び、元のように横に並ぶ。
「相羽君に守られっ放しではいたくないのよ」
「……」
 無言で見つめてくるのみの相羽。純子は一生懸命、自転車を押した。
「これからは、私が相羽君を守ることがあっても、いいじゃない。ね?」
 向かい風の中、坂を登りきり、ほっと一息。
 そのとき、相羽が足を止め、囁くような口調で言った。
「純子ちゃん」
 同時に立ち止まっていた純子は、相羽を見つめる。街灯の明かりが、二人の
表情を、ぼんやりと照らす。
 相羽は自転車のスタンドを立てた。純子も、何も言われない内からそうした。
「純子ちゃん」
 再び名を呼ぶ相羽。
「うん」
 純子は相槌を打ち、彼の方へと数歩近付く。
「時間を少しだけほしいんだ。いい?」
「全然かまわないわ」
 純子は帽子を取り、待った。帽子に乗っていた雪が、いっぺんに落ちる。
 相羽の方も、純子へと近付いた。話し始める寸前、軽く唇をかみ、そうして、
いつもの優しげな声が純子に届く。
「純子ちゃん。――今なら、君は僕に応えてくれる。そう信じた」
 相羽の台詞と表情、その他細かな仕種から、純子は彼が何を言おうとしてい
るのかを瞬間的に察し、はっとした。
(二度も言わせるなんて、できない!)
 急ぎ、声を発する。
「待って。お願い、私から言わせて」
「……どういう……」
 語尾が曖昧になって、霧散する。何と応じればいいのか、戸惑いを露にした
相羽。ただただ、純子を目で捉える。
 純子はその視線を、真っ直ぐに受け止めた。
「私も、相羽君と同じことを考えていると思う」
「純子ちゃん?」
「あなたが今言おうとしている言葉は、私にとって二度目? 一度目は、一年
と少し前で、私は断ってしまった……」
 相羽は答えず、下を向くと、手袋を外した。左、右と脱いで、コートのポケ
ットに突っ込んだ。雪は一定の調子で、音もなく降り続いた。
「相羽君。私、言うよ? 今なら言える」
「僕も、もう一度、伝えたいな」
 見つめ合った。二人の間を、白い雪が、ちらちらと斜めに横切っていく。や
がて、どちらからともなく表情がほころぶ。
「相羽君」「純子ちゃん」
 お互いの名前を呼んだ。
 それから、同じ意味の言葉が、同じタイミングで、二人の口から流れ出る。
「――」
 強い風が鳴った。話し声を聞こえなくするほど。だけど、二人には相手の言
葉が伝わっている。
 純子と相羽は歩み寄り、残っていた最後の間隔をゼロにした。
 そして影が重なる。
 互いに強く抱き合った。

――『そばにいるだけで 57』おわり





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