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#47/569 ●短編
★タイトル (kyy     )  02/12/15  16:14  (147)
お題>書き出し限定>「忘却」    舞火
★内容                                         02/12/15 17:14 修正 第2版
 ここには何かがなかった。
 あるはずのものが、あるべき場所にないなんて、なんだか気持ちが悪いって思うんだ
けど。
 なのに、私にはそれが何かが判らないのだ。
 気持ちが悪いと腕を掴んで身震いはしてみたものの、さりとてそこに何があったの
か?
 何かがおかしいと気付いたときからずっと、頭の中で自問自答し続けて、いまだに答
えは出てこない。
 困ったものだわ。
 最近忘れっぽくなって。
 そんな愚痴で終わらせるにはそこにない何かが気になってしようがなくて、私は結局
その場から離れることができなかった。


 私は、もうずっとそこを睨んで考え込んでいた。
 確かにそこには何かがあった。それだけは覚えている。
 その場所は我が家の出窓で、普段は部屋とは障子で仕切られていて室内から目に触れ
ることはない。
 締め切られた空間だから、埃を払うときくらいにしか掃除をしていない場所。
 今だって、庭から窓の中を見ている。
 そう……ここには何かを置いたはずだ。
 外からしか見えない場所だから、他人に見られて恥ずかしくないものを、と選んで置
いたことだけは覚えている。
 それにしてもそれはいつから無いのだろうか?
 私は窓に近づいて、そこの様子をじっくりと観察してみた。
 埃がうっすらとしているから、しばらく掃除をしていないことは確かだ。
 出窓の左側には、備前焼でできた15cmくらいの高さの猫が片手を上げて愛嬌を振
りまいている。それは、子供の学校のバザーで買った置物で、可愛さに一目で気に入っ
たものだ。
 娘も可愛いって喜んでくれたのよね。
「確か……この猫を置くために、真ん中に置いてあったそれを脇によけたんだわ」
 猫を飾りたいと、出窓の障子を開けて……。
 ああ、そうか……。
 その時には確かにあったそれは、こう……こちら側に置いたんだわ。
 その時の様子を思い出して、手がそれを動かすように再現する。その両手のかたち。
 ……これって花瓶、かしら?
 直径が20cmほどの球形のものを持つように、両手が丸く弧を描く。
 それにしても……いったいいつから掃除をしていなかったのかしら?
 もともと無精ものであったから、掃除は苦手。
 忙しさもあって、汚れない場所は滅多に掃除をしてはいなかった。
 だから、この出窓を掃除したのがいつかなんて……全く覚えていない。
 だけど、きっといつかは掃除をしている筈だ。少なくとも、この猫を置いたときに
は。
 その時、それはあったのだろうか?
 ……きっとあったはずだと思う。
 だって今頃無いって気がついてこんなにも気になっているのだもの。前に無くなった
ことに気がついていればさすがに何があったかなんて思い出していると思うし。
「本当に何が置いてあったのかしら……」
 夕刻が近づいて日が陰り、私は押し寄せてきた寒さにぶるっと身震いした。
 顔を上げれば、さっきまで日だまりであった場所がすっかりと陰っている。
 出窓も少しずつ、暗さを増していた。
 私は、気にはなっていたけれど夕餉の支度をするために室内に戻ることにした。
 玄関のドアを開けながら、もう一度そちらを振り返る。
 死角になって出窓の隣の窓が夕日に当たって反射していて、その赤さに私は思わず目
を逸らしていた。



 1人寂しい夕食を食べ、今度は室内からその出窓をじっと観察してみた。
 久しぶりに開け広げた障子にもうっすらと埃が積もっていて、自分の無精さに呆れて
自嘲めいた笑みがこぼれる。
 室内から見るとあの猫のしっぽがくるんと巻いた形になっているのが判った。
 こうしてじっと見ていると、置いたあの時の様子が目蓋の裏に浮かんでくる。
『お母さん、可愛いね』
 そう言ったのはたった一人の可愛い娘。
『そうよ。だから、みんなに見て貰えるようにここに飾りましょうね』
 小さな赤い座布団の上に鎮座させ外を向けた猫は、日だまりの温もりが随分と気持ち
よさそうだ。
『これね、近すぎない?』
 子供に指摘され、そこを見た私。
 ……そうね、と頷いた記憶がある。
 そこにいったい何があったのかは判らないのに、そういう記憶だけは鮮明に覚えてい
た。
『あ、私がやるうっ!』
 私が手に取ったそれを子供が取ろうとして、それから?
『あ、危ないっ』
 そんなことを叫んで。
 無意識のうちに視線が出窓から畳の上へと移動した。
 粉々に割れたのは……。
『ご、ごめんなさいっ!!』
 今にも泣きそうな子供の顔。
 いや、泣いていた。
 赤い涙が流れてて……。
 私は……なんと言ったのだろう?
 がくがくと体が震える。
 私は……何をした?
 ここには何があった?
 胸の中に不快な渦がわき起こり、私はその気持ち悪さにぎゅっと体を抱きしめた。
 私は……何を……。
 ひどい罪悪感に襲われて、私はその場に蹲った。
 ご、ごめんなさいっ……ごめんなさい……ごめんなさいっ!!
 ただ、ひどい後悔が私を支配していた。



「また暴れたんですよ」
 電話の向こうで市の職員がうんざりとしたように開口一番そう言った。
 私はため息を漏らして見えないとは判っていても反射的に頭を下げる。
「すみません、いつもの……発作ですから」
 またやってくれたのだと、半ば諦めにも似た心境で答える。
「すぐに治まりますからいいんですけど、まだ引き取って頂く病院は見つからないんで
すか?」
「はい……何せ、普段は元気なものですから」
 もうすぐ80になる母は、普段は何の問題もない。
 なのに、何かの拍子に発作を起こすのだ。
 いきなり心だけが過去に戻り、過去の出来事をトレースする。
 それは、ひどく乱暴な行動を伴っていた。
「今回は出窓を割って泣き叫んでいたところを近所の方が通報したようです。幸いにも
手の甲にけがを負っただけで、本人は元気です」
「申し訳ありません。できるだけ早く病院を探しますから」
 そう言って、すでに3年。
 市役所の人もいい加減諦めている。
 慢性的に不足気味な老人ホーム。それを何よりも判っているのは、そういう老人を相
手にする彼ら自身なのだから。
 母のように普段は何の問題もなく一人暮らしができている場合、介護認定のランクが
低すぎてどうしても後回しにされるのが実情。
 かといって、私のほうも引き取るわけに行かない事情がある。
 ここは、東京。
 母の元からここまで新幹線を使って実に4時間。それに主人の両親と同居しているの
だ。
 一人っ子であったから、母の面倒を見ることには皆仕方がないと思ってはいてくれて
いるのだが……。
「本当に申し訳ありません」
 それでも私自身の感情が母を引き取ることに同意しない。
 大仰なため息が電話口から漏れ、そしてカチャリと切れる音。
 私はしばらくその受話器を見つめ、小さくため息をつくとそれを置いた。
 私は……母が嫌いだ。
 自己中心的なせいかひどく我が儘で、かんしゃく持ち。
 不意にもう30年も前の出来事が脳裏に鮮やかに甦る。
 出窓の模様替えの時、そこにあった備前焼の壺を落として割ってしまった私に、母は
異常なまでの折檻を与えたのだ。
 忘れない。
 忘れようとしても、眉の脇に残る小さな傷跡を見るたびに思い出す。
 投げつけられた壺の破片で切った場所はいつまでもじくじくとして、結局痕になって
しまったのだから。
 母さん……。
 私はあの時のこと……忘れていないから。
 だけど……、何であの出窓の中身を変えようとしたのかしら?
 確か、何かを置こうとしたのよね。
 そして……。
 ああ、やだわ。考え出したら気になっちゃう。
 私は自嘲気味の笑みをその口の端に浮かべ、頭を振ってその疑問を振り払った。
 そんなこと、今更どうでもいいことよね。
 私は電話のことを頭の片隅に追いやって、もうすぐ帰ってくる娘のためにおやつの用
意を始めることにした。

終わり





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