AWC そばにいるだけで 〜 消えないキャンドル 〜    寺嶋公香


前の版     
#48/569 ●短編
★タイトル (AZA     )  02/12/17  21:12  (418)
そばにいるだけで 〜 消えないキャンドル 〜    寺嶋公香
★内容                                         04/05/15 01:01 修正 第6版
 森を二分する形の細い一本道を抜けると、小さな村の教会めいた建物が見え
てきた。十字架こそないが、背の高い三角屋根が夜空に映えている。色鮮やか
なステンドグラス、壁には蔦の這う模様が施されており、そこここを照らすラ
イトが暖かみを演出していた。
 相羽の運転で、ボックスカーが駐車場に入る。緑の生垣で囲まれたスペース
には、他に一台だけ乗用車があった。
「何だか、凄そうなお店」
 車を降りた純子は、毛糸の手袋の上から息をかけた。暖房の効いた車内から
外に出た途端、寒さが一段と厳しく、急速に迫ってくる。
「静かな感じだけど、敷居が高そうな……」
 鷲宇に教えてもらった店だと、一週間前に相羽が言っていた。鷲宇がひいき
にするマーヤーという馴染みのレストランだそうだが、こうして目の当たりに
すると、想像していたよりもずっと高級な雰囲気を持ち合わせた店構えに、純
子は気後れしがちになる。
「当たらずとも遠からず、かな」
 相羽が笑った。息が白く広がる。
「早く入ろう。時間もちょうどいい」
「うん」
 うなずいてから、二人並んで、歩を進める。
(借り切りと言ってたけれど、大丈夫なのかな……)
 改めて思った純子は、店先に目を転じてふと気付いた。ドアのところで、親
子連れらしき三人が、店の者と話し込んでいる。金髪が外灯に照らされ、キラ
キラと輝くのが見えた。
「お客さんが……店の人ともめているみたい」
 つぶやき、隣の相羽へ問い掛けの視線を投げた。二人の足は止まっている。
「ふりのお客が入れてもらえなくて、ごねている……のかもしれないな。そう
いえば、僕らの他にも車が一台、停めてあったな。中古車のようだったから、
てっきり、あれは従業員の物と判断したけれど、短絡的すぎたかな」
 相羽はしばしの逡巡のあと、先に歩き出した。純子も着いていく。仮に、相
羽の推測通りだとしたら、借り切った立場の自分達が恨まれるかもしれない。
 店までの距離が縮まり、やり取りが聞こえるようになった。当然ながら、英
語だ。父親らしき、小柄だが人のよさそうな丸顔の男性が、黒っぽい制服を着
込んだ店のスタッフと、やや激しい口調で言葉を交わす。
「そこを何とか、入れてくれないか。GB社社長として頭を下げておるんだよ」
「何と申されても、本日は」「娘に約束していたんだ」「明後日以降は充分に
余裕がございますので、改めてご予約ください」「今日でないと、無意味なん
だ」……こんな具合。
(GB社といったら、割と大きな、服のメーカーだわ。あそこの社長さんなの
ね。穏やかな顔つきだから、威光をふりかざすのも板に付いてない感じ)
 そこまで考えて、仕事のことが頭をかすめる。
(傾向が違うから、ルークとのつながりはないに等しいけれど、一応、挨拶し
た方がいいのかな。でも……)
 父親のすぐ後ろには、母親が不安げな色を顔に浮かべ、胸の前で右手を握り
しめて、立っている。そして、その母の腰や腕にすがりつくようにして、小さ
な女の子がいた。この子の方は、不安を通り越して、泣き出す寸前に見える。
 やはり、最前の想像が当たったよう。
 純子は気分が重くなるのを感じた。挨拶云々のことではない。今日これまで
のクリスマスデートが、何の滞りもなく楽しく過ごせていただけに、ここで一
悶着あったら寂しい。どんな風に決着しても、後味が悪くなりそうだ。
 相羽をもう一度見た。彼は、男達の会話の切れ目を待っているようだった。
「お取り込み中のところ、失礼。初めまして」
 相羽はスムーズに割って入り、まずは従業員に顔を向けた。
「予約をした相羽ですが、こちらの店の御主人は?」
「相羽様、お待ちしていました。鷲宇様からも、話を伺っております。オーナ
ーシェフのリンチは只今、厨房ですが、お呼びいたしましょうか」
 アジアからの混血をほのかに感じさせる顔立ちの従業員は、自然なスマイル
で応じた。
「料理の最中でしたら、呼び付けるのは遠慮しておきます。あなたから伝えて
ほしい。問題がなければ、今夜の貸し切りは返上したい、とね」
「と、申されますと?」
 従業員は眉を寄せ、表情をわずかに曇らせた。相羽がすかさず付け足す。
「僕の言い方がまずかったみたいですね。キャンセルじゃありません。食事は
いただきます」
「それはつまり」
 従業員の目玉が、忙しく動く。家族連れを一瞥し、また相羽に戻ってくる。
「いえ」
 相羽は機先を制した。
「素敵な店を目の当たりにして、独り占めはよくないと思っただけです。とに
かく、中に入りませんか。このままだと、身体も店も冷えてしまいますよ」
「――承知しました。大変、失礼を」
 身体をずらし、道を作った従業員だったが、相羽は純子の手を取るために、
一旦下がる。そして、家族連れ三人に、お先にどうぞと促した。
「ど、どうも……」
 父親は戸惑いも露にどもって返礼し、それに続く母親は黙って頭を下げてき
た。そして娘は、手を引かれながら、相羽と純子をまじまじと見つめた。おか
げで、戸口のところにある小さな段差に蹴躓きそうになり、母親にたしなめら
れるおまけ付き。
 三人とも着飾っているのが、店内の照明ではっきりした。ただ、女の子のピ
ンク系統の靴だけは、ここへ来るまでのどこかで、水たまりにはまりでもした
のか、黒ずんで見えた。
「お待たせ。さあ、行こう」
「うん」
 相羽の気遣いに優しさを見て、純子の表情は冷たい空気にさらされたにも関
わらず、自然とほころんでいた。
 店内は、大きめのテーブルが四つだけ配されていた。つまり、一度に四組の
客をお相手するので精一杯、ということなのだろう。
 静かな調子の音楽が控え目に流れ、植え込みの緑が目に優しい。窓の木枠に
凝った彫り物が施されていたり、棚に並べられた小物の品々がしゃれた空気を
醸し出していたりと、落ち着いた雰囲気を作り上げる工夫が随所に見られるが、
過剰ではない。クリスマスシーズンというのに、その手の飾り付けも見当たら
なかった。唯一、教会でよく見られるような蝋燭立てが、いくつも並んでいる
のが、クリスマスらしいと言えるが、これとて普段から置いているのかもしれ
ず、断定できない。
「座り心地がよくないようでしたら、お申し付けください」
 三人家族に続いて、純子と相羽を奥のテーブルに導いた先ほどの従業員――
ウェイターは、そんなことまで言った。だけど、椅子の具合はすこぶるよく、
何時間でも座っていられそうな気がした。
 予約していたオーダーの確認を済ませると、程なくして前菜や飲み物が届く。
早速、グラスを合わせた。二人ともノンアルコールドリンク。
 話し始めようとした矢先、はしゃぎ声が被さった。もちろん、家族連れのテ
ーブル。娘が手を叩いて何やら喜んでいる。よく見ると、子供向けのサービス
なのだろう、手のひらサイズのクリスマスツリーがあった。見た目以上に精巧
な代物らしく、ボタンを押すとライトが点滅する。
「かわいい」
 顔の向きを戻して、つぶやく。相羽が聞いた。
「ツリーが?」
「ツリーも、あの子も」
 再度、肩越しに振り返る。両親はシャンパン、女の子はジュースで乾杯し、
楽しげな談笑が始まっていた。
「少し、後悔してるんじゃない?」
 純子が尋ねると、相羽は意味を計りかねる風に首を傾げた。
「借り切るのを取り止めたこと。わざわざ二人きりになるようにセッティング
するつもりだったんだから、ひょっとして、大事な話があったとか、ロマンテ
ィックなムードを盛り上げたかったとか」
「はは、後悔はない。楽しみが先に延びたと思えばね。ただ……」
「ただ?」
「今日、この店を利用したかったのに、予約が入っていたからあきらめた人が
いるかもしれない。そういう意味じゃ、悪いことをしたと思う」
「気にしすぎ。借り切るつもりだったと言っても、一日中じゃないでしょう?」
「それはそうだけどね」
「もうやめましょ。ごめんね、変な話を持ち出して。最近、どんな感じ? 食
べながら聞かせて」
「同期のエミール=シュナイダーって、前に話したことあるよね? 彼のテク
ニックと来たら――」
「そんな話じゃなくて、あなた自身のことが聞きたい」
 純子が真っ直ぐに見つめると、相羽は戸惑いを覗かせつつ、小さく吐息した。
グラスの中を空にし、お代わりをウェイターに所望する。
「そうだなあ、僕自身はマイペースでやっていて、特に話すほどの変化は浮か
ばないけど……ああ、あれがあった」

           *           *

 メインディッシュが終わり、デザートを運んでもらう前に手洗いのため席を
外した相羽は、戻りしな、女の子とぶつかりそうになった。女の子の方も用を
足して出て来たところで、その勢いが駆け足だったのだ。
 接触はしなかった。が、女の子は驚いたのか、急ブレーキを掛け、その弾み
で尻餅をついてしまった。
「あ、ごめん」
 腰を屈め、女の子に手を伸ばす相羽。人見知りしないというか物怖じしない
というか、女の子はすぐに手を握り返し、助け起こしてもらうと、「ありがと」
と舌足らずな返事をする。だが、その身振り素振りは、レディを気取っている
のがよく見て取れた。手の甲が、キスしてもいいわよとばかりに、相羽の方に
向けられていた。
「どういたしまして。失礼しました」
 微笑ましくなって、相羽はそう応じると、胸元に片手をかざし、お辞儀して
みせた。と、下げた視線が、ピンク色の小さな靴を捉える。転んだ拍子に脱げ
たのだろう、踵を踏んでいる。
「失礼ついでに、靴を履かせようか? それとも自分でできる?」
「できる。けど、履かせて」
 なるほど。これは単語の選択を間違ったな。自分でする?と聞くべきだった
か。そんなことを思いつつ、相羽は履かせてあげた。
(……あれ? ちょっとサイズが小さいような。それに、あまり履き慣れてい
ないのかな。硬い感じがする。水に濡れて少し縮んだ?)
 その割には、濡れた感触はない。とにもかくにも、やや手間取ったが、無事
に履かせることができた。
「きついみたいだけど、痛くない?」
「大丈夫。ありがと、ありがと」
 何で今度は「ありがと」が二回なんだろう。相羽が不思議に感じていると、
それが表情に出たらしく、女の子は得意げに答えた。
「今のは、靴を履かせてくれた分と、お店に入れてくれた分」
「――お店に入れたのは、お店の人の心が広いからだよ。クリスマスがもうす
ぐだからかな。そういえば、今夜はクリスマスのお祝いかい?」
「ううん」
 この答は、ちょっと意外だった。相羽は、店に入る直前、もめていたときの
父親の言葉――「娘に約束」云々――を思い出した。
「じゃあ、君の誕生日か」
「それも違う」
「え……っと。すると、何なのかな」
「分かんないわ。パパが、今まで行った中で、一番美味しかった店はどこだっ
て聞くから、ここって答えといたの。そうしたら今日になって、いきなり」
 女の子の話が途切れた。母親が席を離れ、やって来たのだ。
「すみません。長々と話し込んでしまって」
 相羽もさすがに慌てて、すかさず言うと、軽く頭を下げる。幸い、母親も怒
っているわけではないようだ。その証拠に、上品な笑みを絶やさないでいる。
テーブルの方を一瞥すると、父親は顔を赤くして、やはりにこにこと上機嫌の
様子だ。きっと、これまでの経緯を見ていたに違いない。
「いいえ。こちらこそ、娘が失礼を。若いのに礼儀正しくて、感心して見てい
ました。どちらのご出身?」
「日本です」
「まあ。それでは、もしかすると、お連れの方は、ファッションモデルのミウ
さんではありません?」
 相羽は少しの間だけ考え、結局、肯定した。
「ご存知でしたか」
「もちろんですわ。夫は服飾の仕事をしておりましたし、私の従兄弟はミラノ
でデザイナーをしています。私も殊更、興味を持っています」
「よかった。一般の方にも知られるほど、彼女がこちらで有名人になってしま
ったのかと、不安がよぎりました」
「注目されているのは、間違いありませんわ。私自身、ミウのファンですもの。
生では観られませんでしたけれど、テレビの方で」
 微笑む相手の目が、水平方向に微妙に動いた。相羽がそちらを振り向くと、
こちらに歩いてくる純子の姿を捉えることができた。若干、心配げに眉を寄せ
ているのは、待ちかねたのか、それとも会話の内容が気になったのだろう。
「どうかしたの?」
 耳打ちするときのようなボリュームで、尋ねてきた。
「こちらの方が、君のファンだって言うから、びっくりしていたところ」
「え、そうなの」
 相羽が教えると、純子は急ぎ気味に、相手の女性に目礼した。
「お目にかかれて光栄ですわ。舞台の上だと、大きく見えますね」
「そうですか? どうもありがとう」
 自然と笑みがこぼれる純子。まだ話し足りない気分だったが、母親が来たせ
いか、女の子は急に戻りたがり出したため、ここで切り上げて、元のようにテ
ーブルに着く。
 デザートを運んでもらってから、またお喋りを始める。
「段々、知られてきたね。最近、こっちの舞台に立ったのは、いつだった? 
確か、都合がつかなくて、二時間ほどしか会えなかったとき……」
「だいたい半年になるわ。さっきの人が言ったのは、多分、これのことね。ふ
うん、テレビで流れたんだ」
「会場にカメラ、あったでしょ。集中力の賜物かな。気付かないなんて」
「あのときは、仮面舞踏会みたいにマスカレード着けて、何だか気持ちよかっ
た。顔を隠せば、普段よりリラックスしてできるはずなんだけど」
「ついでに聞いておこうかな。次の予定は?」
「なし、と言うよりも、未定よ。だって、これからオーディションを受けて回
らなくちゃ」
「まだオーディションで採否を決められるのか。厳しい仕事だな」
「いいもん。おかげで、こうしてあなたと会えるチャンスがたくさん」
「大学の方は、休学したんだっけ」
「今年はしないつもり。あっ、今度こそ、案内するからね」
 話は尽きず、そのせいで、デザートの一部、アイスクリームがだいぶ柔らか
くなってしまった。それに気付いたのは、二人とも、ずっとあとだったけど。

           *           *

 時間の都合で、相羽と純子が席を立ったのは、午後九時ちょうど。親子三人
は、まだいるようだ。
 純子達が軽く頭を下げて、横を通り過ぎようとしたら、父親がわざわざ立ち
上がって、ふらつきながらも返礼してきた。
「今夜は、どうもありがとう。おかげで、よい晩餐が楽しめました」
「お店の人に言うべき言葉でしょう」
「もちろんそうでしょうが、私は、あなた方にも言わずにいられない気分なの
ですよ」
 怪しい呂律ながら、父親は感謝の意を表した。真っ赤な顔になるほど酔って
いるようだが、乱れたところはない。
「こんな、最後になって、親切を受けるとは、本当にいい夜だ。妻も、お気に
入りのモデルさんと巡り会えて、喜んでいるし、ルーシー……娘は娘で、あな
たのことを気に入ったらしい」
「東洋の紳士さんっ、素敵だったよ!」
 背もたれを抱えるような格好で座るルーシーが、相羽に手を振った。
 相羽は何とも言えない微苦笑を浮かべ、手を振り返す。
「おっと、これ以上、お引き留めしちゃ悪いですな。ほんのちょっと早いが、
メリークリスマス」
「メリークリスマス。ご縁があれば、またお会いできるでしょう」
 すでに充分、心地よかったのが、なお一層、晴れやかな気分になれた。純子
と相羽は、来たときと同じように、手を取り合って店を出た。

 車に乗り込むと、相羽は暖房を入れた。だが、すぐに発進させようとはしな
い。
「どうかしたの?」
 ハンドルに両手を乗せ、やや前屈みになって考え込む様子の相羽を、純子は
横から見つめた。しばらくして、相羽が振り向く。
「……少し、予定より遅れていいかな」
「いいけど……何か」
 相羽の表情が、やけに難しいものになっていると気付く。気分よく店を出た
純子は、相羽も同じだろうと信じて疑わなかったのだが、どうやら違うらしい。
「社長さん、帰りはどうするつもりなのかな」
「え? ああ、飲酒運転ね。それはよくないけど。奥様がするんじゃない?」
「二人とも、よく飲んでいたよ」
「じゃあ、車を置いてタクシーか、代車サービス……」
「この辺りは結構、外れだから、呼んでも時間が掛かるだろうね。そもそも、
今言った手段を執るなら、最初からタクシーでここに来ればいいと思う。ある
いは、部下の人に運転させることだって、社長さんならできたはず」
「それはやっぱり、家族水入らずで団欒を楽しみたかったんじゃない?」
「部下の人が同席する必要はないよ。送り迎えさせればいい」
 悉く否定され、純子は黙り込んだ。考えてみても、最早手詰まり。はっきり
言ってほしいと頼んだ。
「まだ判断しかねているんだ。携帯電話で、GB社についてどれほど調べられ
るか……。悠長にしていられないし」
「分かんない。心配事でもあるの?」
「店で、あの女の子とぶつかりそうになったあと、あの子の靴に触れる機会が
あった。全体的に黒ずんでいた」
「それがおかしいって? そりゃあ、あれだけおめかしした子が、靴だけ汚れ
ているのはアンバランスだけれど、ここに来るまでの間に、汚したかもしれな
いじゃない」
「靴は乾いていた。どちらかというと、長い間、埃を被っていた靴を引っ張り
出してきたって感じだったよ。社長さんの家で、そんなことってあるだろうか」
「それは……ルーシーちゃんが履きたがっただけかも。履き慣れているとか、
思い入れの強い靴とか。色々考えられるわ」
「履き慣れた靴にしろ、お気に入りの靴にしろ、あんな汚れ方は不自然だよ。
かといって、お祝いの食事の席に、わざわざ汚れた靴を履いてくることもない
だろう。多分、あれが一番いい靴なんじゃないかと思う」
「まさか。信じられないわ」
「僕の推測が、仮に当たっているとしよう。すると、派生して二つの考えが浮
かぶ。あの父親が社長だというのは嘘か、あるいは社長だが見た目ほど裕福で
はない。このどちらかだと決め付けるのは乱暴かもしれないけど、可能性は高
い」
「嘘をつく理由がないわ。それ以前に、あの三人は何度か店に来たことがある
様子だったわよ。お店の人も、社長さんだと認識してるみたいだった」
「そう。だから、あの父親はかつて社長であったが、今現在、あまり裕福では
ない、と見なしていいんじゃないか」
「それこそ乱暴な仮説よ」
「GB社というのは、服飾メーカーか何か?」
「ええ、そうよ。知らないで聞いてたのね」
 呆れつつも、教えてあげる純子。相羽は一度うなずき、質問を重ねた。
「本業以外に、何かやっているという話は聞いたことある?」
「GB社が? ううん。もちろん、周辺の仕事には手を広げているみたい。生
地の仕入れや、繊維、染料の開発かな。でも、メインは服飾よ」
「GB社という会社自体は、まだ存在してるよね?」
「当たり前よ。倒産の噂なんてまったく聞いたことないわ。どうしてそんな話
になるの?」
「僕が、奥さんとも話していたのを、覚えてる?」
「もちろん」
 急な話題転換に感じられたが、純子は大きく首肯した。相羽は前方を向き、
フロントガラスの外へ視線を投げながら言った。
「会話の中で、奥さんは『夫は服飾の仕事をしておりました』という意味のこ
とを言った。僕はちょっと引っかかった。何故、過去形なんだろう?と」
「……奥さんの癖じゃない? つい、過去形を使ってしまうような」
「どうかな。この話に続けて、『従兄弟はデザイナーをしています』と言った。
そう、現在形。どう思う? 僕の聞き間違いならいいんだが」
 相羽のヒアリング能力からして、聞き間違えた可能性は極端に低い。あの母
親が、現在形と過去形を使い分けたと考えるべきだろう。恐らく、無意識の内
に。
「すると、どうなるの……?」
「会社がなくなったのか、社長の職から追われたのかは、分からないが、今は
社長でないことになる。にもかかわらず、今夜、社長と称した。単なる見栄か
もしれない。だが、あそこまで痛飲していたのは気になる」
「勇退したのよ、きっと。言ってみれば、会長みたいな立場なんじゃない? 
これなら、社長って名乗ってもかまわない。ね?」
「会長的立場にある人とその家族が、あんな中古車に乗って来る?」
 斜め前方にある車を、目で示す相羽。明かりに照らされたそれは、どことな
くくすんで映った。
「あの人達の車とは限らないんじゃあ……」
「徒歩で来るとは思えないから、あるとしたら、タクシーもしくはお抱え運転
手に送らせたことになるよね。店先で一家とウェイターが揉めていたことから
考えて、その車は、僕らが着く少し前にここを出発したはず。でも、ここに通
じる唯一の道を通ってくる間、僕らは一台の車ともすれ違わなかった」
「――エージェントの人に聞いてみる。GB社のこと、何か知ってるかもしれ
ない」
 純子は携帯電話を使って、エージェントに電話を掛けた。呼び出し音が焦れ
ったく感じた。

           *           *

 自分達が店をあとにしてから、十五分ほどが経過していただろうか。
 店から出て来た三つの影が、いささかおぼつかない足取りで、駐車場の方に
向かう。脇に立つ外灯のスポットライトの真下にいた相羽は、気付いてくれる
のを待った。が、素通りされてしまう。
 仕方がない。声を掛ける。
「先ほどはどうも」
 そんなに大きな声を出したつもりはないが、家族連れの三人を驚かせるには
充分だったらしい。特に、母親はびくりと肩を震わせるのが、遠目にも見て取
れた。
「あ……さっきの。どうも」
 父親が応対する。台詞が単語の断片であるのは、酔いのせいかもしれない。
「お待ちしていました」
 相羽は小走りで近付き、白い息を吐いた。待っていたと言われて、意味を解
しかねたのだろう、相手の顔が怪訝な色に染まる。
「何か。ああ……車、トラブル? バッテリー?」
「そうじゃありません。車は、少し関係ありますけどね。差し出がましいので
すが、少々、お酒が過ぎているようにお見受けします」
「確かに」
 自覚はあるらしい。
「よろしければ、僕らの車で行きませんか。お送りします」
「何?」
「――ルーシーちゃん」
 相羽はいきなり、女の子に話し掛けた。眠たげに目をとろんとさせていたル
ーシーだが、呼ばれてしゃきっとする。
「僕の車を見たくない?」
「車?」
「うん。ボックスタイプで、結構広いんだよ。暖房が効いて、充分暖まってい
るし」
「見てみたい。でも、パパとママも一緒じゃなきゃ」
「そうだね。ただ、パパと二人だけで話がしたいんだ。だから、少しだけ時間
をくれるかい」
「それくらい、いいわよ」
「うん、ありがとう。じゃあ、ママと一緒に、あっちの車で待っていて」
 ルーシーの興味を引いたあと、母親に顔を向け、目でお願いをする。幸い、
察してもらえたようだ。「分かりました」と言うと、母親は娘の手を引き、純
子の待つ車を目指し、歩き出した。
 やがて母娘の姿が、車の中に消えると、残った二人は改めて向き合った。
「寒さは大丈夫でしょうか? 明日以降に差し支えがあっては、僕としても申
し訳ないですから」
 相羽は、「明日」にアクセントを置いた。
「……確かに、厳しい寒さだな。だが、いい。どうやら、悟られたようだ」
 男の表情は強張っていた。
「何故、分かったのか。いや、そんなことはどうだっていい。これは、生きろ
という天の思し召しか? クリスマスの奇跡か?」
「そう考えることで、受け入れてくれるのでしたら、異存ありません」
「そうだな……少なくとも、妻や娘まで巻き込むことはない」
「あなたもです、ストームさん」
 すかさず、言葉を差し挟む。相手のストームが、意外そうに目を見開いたの
は、名を呼ばれたためだけではあるまい。相羽はさらに穏やかな口調で、だが
力強く言った。
「すみません。少しだけ、調べました。GB社の前社長のディオン=ストーム
さんですよね?」
「ああ、そうだが」
「僕は事情を知りませんし、知ったとしても力になれない可能性が高いでしょ
う。でも、これだけは言える。自ら命を絶つのだけは、やめてください」
「仕事で、裏切られた。それでもか?」
 噛みしめ、吐き捨てられたその台詞。相羽は、そこに込められた感情――情
念を読み取ることができた気がした。
「……信頼していた人に、裏切られたんですか」
「そうだ。手ひどい裏切りに遭って、多大な損害を蒙ったばかりか、責任を問
われ、地位を追われた。今や私は無職で、借金まみれで、私自身の信用も失っ
てしまった。何より堪えたのは、人間まで離れていったことだ。部下も、他社
の取締役連中も、付き合いのあった連中のほとんどは、私が社長でなくなった
途端に、距離を置くようになった。私はその程度の男だったのかと。これでも
絶望してはいかんか?」
「たとえ絶望しても、死を選ぶことではない、と思います。仕事について、僕
は何も分かりませんが、周りから人が離れていったのは、あなたのせいじゃな
いでしょう? 離れていった人達こそが、その程度の人間だったんです。その
証拠に、今でもあなたの周りにいるのは、多分、みんな素晴らしい人達ばかり
のはず」
 相羽の言葉で、ストームは過去を振り返ってみたのであろう。暫時の沈黙の
後、やがて、憑き物が落ちたみたいに表情が和らぎ、「そうだな」とつぶやい
た。そして身震いをすると夜空を見上げ、手をこすり、二の腕を抱く格好をし
た。
「この寒さで、酔いが、いや、悪い夢から覚めたようだ」
「冬に感謝しなければいけませんね」
 ストームと相羽の間に、ほんの少しだが、笑みが生まれた。

           *           *

 前年のクリスマスシーズンから、およそ五ヶ月後、ディオン=ストームの興
した通信販売会社は、ファッション関連商品に特化したことで注目を浴び、軌
道に乗った。
 そのカタログのモデルとして、ミウが一役買ったことは、ちょっとした驚き
を持って迎えられた。どんないきさつがあったのか、事情を知る者は少ない。

――『そばにいるだけで 〜 消えないキャンドル 〜 』おわり





前のメッセージ 次のメッセージ 
「●短編」一覧 永山の作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE