AWC そばにいるだけで 53−1   寺嶋公香


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#5215/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/10/31   0: 5  (178)
そばにいるだけで 53−1   寺嶋公香
★内容
 高校生になって初めての体育祭は、正午を境に曇り始め、最後になって、降
り出してしまった。それも大雨。閉会式は途中で場所を移すわけにもいかず、
生徒ばかりでなく、先生達も散々な目に遭った。
「運が悪いわ」
 教室で制服に着替えながら、純子は嘆息した。すぐ近くにいた結城が、同感
とばかり、大きくうなずき、服に首を通す。
「こんな土砂降りになるなんて、朝の天気予報でも言ってなかったわよね。確
か、多少、崩れるところもあるでしょうって」
「あ、私が言ったのは、そういう意味じゃなくて」
 着替えを終えて、タオルで髪を拭きながら、純子。
「一年の内には、晴れの特異日と言って、他の日に比べて統計的に、快晴にな
る確率が飛び抜けて高い日があるんだって。確か、今日は晴れの特異日に該当
していたはずよ。もちろん、今日以外にも晴れの特異日はあって、たとえば十
月十日とか」
「へえ。物知りだねえ。初めて聞いた。そういうのを知ってるのって、やっぱ
り、純子が星好きなのと関係あるのかしら」
「あは、残念ながら外れよ。昔、教えてもらったの、相羽君から」
「ほう。相羽君て、物知りタイプには見えないのにね。話す機会、そんなに多
くないけれど」
「じゃ、もっと話した方がいいよ。色んなこと知ってて、楽しいんだから」
 言った直後、はっとなって、口を押さえる純子。自己嫌悪が湧き起こる。
(相羽君のことが、頭から離れないよ)
 今日の体育祭にしても、相羽の出ている演目が始まると、最初は全く意識し
ていなかったはずなのに、必ず彼の姿を探していることに気付いた。紅白の組
分けで別々になったから、名前を呼んでの応援もできない。それでいて、昼食
休みの時間に、唐沢から「どっちの応援していた?」と問われて、答に窮して
しまう始末。表向きは同じクラスの唐沢に声援を送っても、内心では違ってい
たから。
「どうしたの、手を止めちゃって」
 結城の声に、我に返る。手を止めるとは何のことかと思いきや、結城の指が
頭を差し示しているのを見て、理解した。載せたままのタオルに両手をあてが
い、黒髪に残る水分を拭い取ろうとする。
「えへへ、ぼーとしちゃってた」
「いけませんなあ、モデルがそういうことじゃ。風邪を引いたら、仕事が吹っ
飛んじゃうでしょうに」
「そんなことないよー。そんなに仕事、ないない」
 冗談めかして答えるが、ある程度の真実を含んでいる。
 今、鷲宇が日本にいるため、モデルの仕事をセーブして、代わりに音楽関係
に力を入れている。久住淳としてはもちろんのこと、以前話に上がった風谷美
羽での歌手デビューも視野に入れて、思った以上に順調に進んでいる。
(雨に気を付けなければいけないのは、本当だわ。この時期に万が一、喉を痛
めたら、色んな人に迷惑掛けてしまう)
 改めて、気合いが入る。仕事面に関しては、忙しいけれども、充実していた。
それに、仕事に打ち込んだり悩んだりしていれば、そのときだけでも相羽を忘
れていられるから……。
「ポスターになるような人が、何を言うやら。全然、説得力がない……。ね、
ね。テレビの仕事とか、ないの?」
 口調を変えた結城に、純子は怪訝な目を向けた。
「珍しいね、マコが芸能のこと聞いてくるなんて」
「仰る通り、大して興味ない。でも、家族揃って、一人だけ大ファンの芸能人
がいてさあ。その人のサインをもらえないかなあと、ふと思い付いたんですよ」
 名前を出さない内から、手もみをして笑みを浮かべる結城。その仕種が芝居
がかっていて、純子は苦笑を誘われた。
「そういうこと。残念でした。新人の私なんか全然、頼りにならない。当てに
しないで。テレビに縁はないし」
「そう言わずに。知り合いの知り合いを伝ってでも、頼んでみてほしいの。お
願い」
 手を拝み合わせる結城に、純子はため息。「マコの手も、動きが止まったわ
よ」そう指摘してから、尋ねる。
「とにかく、誰のことを言っているのか聞かないと話が始まらない」
「よくぞ聞いてくれました。蓮田秋人よ」
 純子の口が、え?という形になる。
「無理? 無理かなあ。大物だもんね。でも、大ファンなんだぁ。私以上に、
お父さんとお母さんが」
「……努力してみる」
 この間、知り合ったばかりだとは言えなかった。どういう風にして知り合っ
たのか、うまく説明できる自信がない。
 しかし、純子の返事に、結城の目が輝いた。
「ほんと? 無理しなくていいのよ。私の思い付きで、苦労するなんてことは
ないようにしてもらなわないと……」
「だ、大丈夫。できないことはできないから。なるべく頑張って、頼んでみる。
当てにしないで待ってて」
「う、うん。ありがとう。色紙、明日か明後日にでも用意するわ」
 両手を握ってきて、早くも感謝の意を表す結城。純子は、「ほんとーに、当
てにしないでよ」と念押ししつつ、頭の中で算段を考えていた。

 体育祭の帰り道は、遅くなった。生徒の中には、観覧に来ていた父兄ととも
に帰る者や、そうでなくても白沼のように車で迎えに来てもらう者もいたけれ
ど、たいていは雨宿りで時間を潰さざるを得ない。
 幸い、雨は一時的なもので、閉会式終了後から一時間強で止んだ。
「一緒に帰らないか」
 廊下で結城や淡島といるところを、唐沢から声を掛けられ、振り返ると、純
子は表情を固くした。唐沢の横に、相羽もいたからだ。
「みんなで、どこかに寄って、暖まっていかないかって話になってね。どう?」
 唐沢の提案に、結城は即座に諸手を上げ、賛成の意を表す。と、続けて一つ、
確認を。
「おごってくれる?」
「何じゃそりゃ。ま、ばか高いのでなけりゃ、どうにかならなくもないが」
「しみったれたこと言う。そんなんじゃ、もてなくなるわよ。知らないよ」
「本来、俺は太っ腹だぜ。急に思い立ったから、持ち合わせが寂しいだけなの
だ。というわけで、相羽君にも協力を仰ごうと思う」
「言わなくても分かってるよ」
 唐沢に肩を抱き寄せられた相羽は、疲れた風情で緩く押し返す。そして唐沢
の手首を掴んで、じっと考え込む仕種を見せた。
「な、何だ? もしや、変な趣味に目覚めたか?」
「いや。反省してるところ。武道家たる者、もっと素早く切り返し、腕を極め
るようでないといけないなと」
 真顔で言った相羽に対し、慌てて腕を引き抜く唐沢。相羽の表情が弛緩した。
「安心しろ、冗談だ」
「まったく。武道の練習を再開するのはおまえの勝手だけどよ、試合があるか
らって俺を実験台にするのだけは、御免だぜ」
 男子二人の様子に結城や淡島がくすくす笑う中、純子は「え」と声を上げた。
「相羽君、武道の試合をまたするの?」
「うん」
 何を今さらとばかりに、不思議そうに見返してきた相羽だったが、はたと気
付いて、付け足した。
「そうか。言ってなかったっけ」
「全然、聞いてないわよ。何で、また……」
「夏休みに入って、ピアノのレッスンが途絶えたから、代わりに」
「それは聞いた。試合をすることを聞いてないのよ」
「津野島って覚えてる? 凄く強い奴。あいつから言ってきて、僕もやりたか
ったら、その気になってさ」
 あっけらかんと言い放つ相羽に、純子はもどかしさと苛立ちを覚えた。口を
もごもごさせ、やっと言葉を絞り出す。
「……〜っ。ピアノは?」
「もちろん、ピアノもやるよ」
「両立できるものなのっ? だいたい、試合をして、指に怪我を負ったらどう
するのよ?」
 声を大きくした純子に、相羽は暫時、戸惑った風に大きな瞬きをした。
「そんなこと気にしていたら、体育の授業も受けられなくなるだろ。今日の体
育祭だって」
「私が言ってるのは、そういうことじゃないわ。心がけを――」
「まあまあ、難しい話は後回し」
 議論に発展しそうな気配を感じ、割って入ってきたのは唐沢。感じのよい笑
顔を振りまき、おもむろに腕時計を指差した。
「時間がもったいない。早く行って、もっと楽しいお喋りを」
「……分かったわ。ごめん。私、帰る」
 一礼して立ち去ろうとすると、唐沢が今度は焦りの声を上げる。先回りして、
純子の前に立ちふさがった。
「ど、どうして」
「こういう状態だと、楽しいお喋りができそうにないから」
「気にするこっちゃないぜ。――な? 相羽も気にしてないだろ?」
 振り返り、相羽に尋ねる唐沢。相羽は黙ってうなずいた。
 純子は相羽から視線を外すと、頑なな口調で言った。
「いいの。私が気にしてるの。それに、用事を思い出したから、帰らないとい
けない」
 徐々に舌の回りが早くなる。勢いを保ったまま、結城と淡島に向き直った。
「二人とも、ごめんね。また明日……じゃない、明後日ね」
 呼び止められるのを避けるべく、小走りでその場を去った。それでも何か言
っている声が背中に届くが、敢えて無視する。
(元々、相羽君とは距離を置くと決意したんだから、これで普通なのよ)
 後者を出て、校門まで駆け足でたどり着くまでの間、ずっと自分に言い聞か
せていた。そうして今度は本格的に急ぎ足になって、駅を目指す。
 まぶしい。厚い雲を割って、夕日が降り注ぎ始めた。
 それとは無関係に、瞳が潤む。
(私に言ってくれなかった)
 距離を置くと誓ったはずの相手に対して、文句が出て来る。
(何よ、人の気も知らないで。試合なんかせずに、ピアノを大事にしてよ。お
願いだから!)

 体育祭の翌日は学校がなく、身体を休められる。
 純子もこの日は仕事を入れておらず、朝からゆったりと休日気分に浸ってい
たのだが、一本の電話で、その安寧を少し揺るがされることになる。
「純子。星崎さんて人から電話よ」
 母の呼ぶ声に応じて、部屋を出て、階段を下りながら、記憶を再生する。星
崎さんて、誰だろ? 知り合いにいないし……まさか。
 電話を代わってみると、果たして、その「まさか」であった。
「やあ、涼原さんかい? それとも風谷さんと呼ぶべきなのかな。とにかく、
久しぶりだね」
「星崎さん!」
 タレントの星崎が、自宅に電話を掛けてくるとは予想外の事態。そもそも、
彼はどうやって電話番号を知ったのだろうか。
「『星崎さん』て、星崎さんのことだったんですか」
「ははは、何だい、それ。面白い言い回しだね。流行ってるのかい?」
「い、いえ、そういうわけじゃ……」
「どう? 元気にしてるかい? その声だと、元気そうだけど」
「は、はい。おかげさまで。お久しぶりです」
 何がおかげさまなのか、自分でもよく分からないまま、応答する純子。冷静
になろうと、相手の用件を尋ねてみた。
「鷲宇さんに教えてもらって、君のところに電話したんだ」
 明瞭に答えた星崎。だが、純子にはまだ話が見えてこない。ただ一点、純子
の家の電話番号を星崎に教えたのは、鷲宇らしいということだけは分かった。
「あの、それでどんなご用でしょう?」
「涼原さんには迷惑な話で、申し訳ないんだけど……久住君に連絡を取りたい
んだよ」
 純子は息を飲んで、話を聞いていた。うかつな返事はやめよう。

――つづく




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