AWC そばにいるだけで 50−5   寺嶋公香


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#5124/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/ 7/31  10: 0  (174)
そばにいるだけで 50−5   寺嶋公香
★内容
 場合によっては映画出演辞退を考えているだけに、香村と早く会わなければ
いけない。けれども、相手は人気アイドルだけあって、容易にはつかまえられ
なかった。相羽の母やルークの市川にそれとなく、香村のスケジュールを調べ
ておいてほしいと頼んでおいたが、純子とて学校に通う身、そうそう時間を割
けるわけもない。
 しかし、試験をおよそ二週間後に控えた日曜日、遂に機会を捉えることに成
功した。
 この日は午後から香村の身体が空いていると分かり、急いで電話を入れ、約
束を取り付けたのだ。香村はデートだと思い込んでいる節があったが、電話口
で本当のところを告げることもできず、純子はそのままにしておいた。
(どんな風に切り出そう……やっぱり、怒っているんだってことを、きちんと
示すべきよね。でも、あんまりきつい言い方したくないし)
 問題の日曜を翌々日に控え、頭の中で色んなシミュレーションを試みてみる。
どれもうまく行きそうだし、まずいような気もする。第一声は決まっても、相
手の反応が想像できないだけに、どう続けるのがいいか分からず、悩んでしま
う。
 そんな金曜の放課後、学校で相羽から誘われた。
「明後日の日曜、時間ある?」
「え、日曜日は……」
 純子の口ごもる様子から、相羽は即座に察しを付けたのだろう、一瞬、表情
を曇らせたが、すぐに戻った。
「あ、だめならいいんだ。また今度」
「ちょ、ちょっと。どういう用事なの? 言ってよ」
 立ち去ってしまいそうな相羽を呼び止め、気負い込むような調子で聞いた。
「大したことじゃない。エリオット先生の承諾をいただいたから、ピアノの練
習をしてるところを、見てもらおうかな……って思っただけさ」
「そういうことなら……」
 予定を変更してでもぜひ見に行きたい、と思った。事実、そう口走りそうに
なった。でも、明日を逃せば、香村とじっくり話す時間が取れなくなる。映画
のことがどうなるかはまだ分からないが、長く、わだかまりを抱えたままでは
いられない。
「忙しいみたいだから、別の日に機会を作るよ」
 純子の顔に感情が浮かび出ていたのか、相羽は先回りした返事をよこした。
ただし、相羽の表情は幾分寂しげで、ぼんやり眼も平静を装うためのポーズの
ように見える。
「それで大丈夫? 先生の都合とか、あるんじゃないの……」
「いいんだ。そりゃもちろん、エリオット先生の意向が最優先だけれどね。あ
あ、ごめん。日曜日のこと、もっと早く言えばよかった」
 先に頭を下げられ、純子は慌てた。
「ううん、こっちこそ。ピアノを弾いているところに居合わせたいって言った
くせして、土日にスケジュール入れちゃって……本当にごめんなさい。覚えて
てくれて、嬉しかった。次は、私の方から言うわ」
 答えたあと、まずかったかなと思い直す純子。
(それよりも、郁江や久仁香との仲直りを先にしておかないと)
 内心、忸怩たるものが広がる。しかし、相羽を避けることは、今の純子には
とても無理だった。
「じゃあ、無理しないで。せめて、少しでも楽しめたらいいね」
「何のこと?」
 相羽の台詞が理解できず、小首を傾げる純子。相羽の方も、怪訝な色を浮か
べた。唇を湿らせ、改めて言う。
「日曜、仕事があるんだろう?」
「え、ええ。なーるほど、そのことを言ったのね」
 部分的な嘘をつくことをカムフラージュしようとする神経が働いた。殊更に
明るい調子で応じてしまう。
「相羽君もピアノ、楽しく頑張ってね」
 ――自分がそう言ったときの、相羽の顔を思い出しながら、純子は香村が来
るのを待っていた。
 日曜の喫茶店は、朝十時から、早くもなかなかの繁盛ぶりを見せていた。ど
うやら待ち合わせに利用する客が多いらしい。しかも若い――高校生から大学
生ぐらいの――カップルが目に着く。
 これまでの純子なら、香村を待つ間、自分達は周りからどんな風に見られる
のかしら?と意識していただろうが、今日は違った。落ち着いて、単なる知り
合いを待っている気分でいられる。それでも、早く来てほしいと願ってはいた
が、これとて早く決着したい心の現れだ。
 約束の十時半に遅れること三分ほどで、香村はやって来た。プライベートで
は相変わらずサングラスを掛けているが、以前ほど色の濃い物ではない。着こ
なしは一流だから、目立つ要素はほとんどなくなった。
 でも、純子にはきざに映って仕方がない。
「やあ。待った?」
 遅れておいて言う台詞じゃない。それに、笑みがわざとらしい。
 些細なことがいちいち気になるのは、香村に対する好感度がマイナスにまで
落ち込んだ証。許そうと思っていた意識が、いざ本人を前にすると、どこかに
行ってしまった。
 純子自身が頭の中で解体したほど、純子の受けたショックの構造は単純では
なかった。知らない内に、身心の内部へ染み込んでしまったらしい。
「どうかしたのかい? 喋ってくんない」
 席に腰を落ち着けてからも、香村はにやにや笑いながら続けた。
「あ、遅れたのを怒ってるの? それは謝るよ。ごめんごめん。この通り、許
してちょうだい」
 テーブルに両腕をつき、額ずいてみせる香村。コメディ調で押し通すつもり
だ。そして、それでやり過ごせると思っている。
 純子は、口を開くのが恐かった。どんな冷たい調子の声が出るか、知れたも
のではない。
「ほんとに、今日は変だなあ。何かあったの、涼原さん? 黙ってないでさ、
喋ってよ」
 純子は唇を噛みしめ、喉に指先を軽く当てた。気持ちを固めて、話を始めよ
うと思う。
「あのね、香村君」
 かすれていた。咳払いをして修正を施す。
「琥珀のことなんだけど」
 まずそれだけ言って、あとが出て来ない。言うべきことが多すぎて、まとま
らないのだ。それに、嫌味に芝居がかった真似をするつもりはない。自分が持
っている琥珀を黙って見せれば、それで一つ決着すると分かっていても、そう
したくない。あくまで、会話にこだわる。
「琥珀? 君が持っている琥珀かな。それとも、今度の映画の……」
 香村は嬉しそうだった。純子は頭を左右に振った。
「どちらにも、関係あるわ。香村君、これから質問するから、正直に答えて」
「うん? いいよ。常に正直だったつもりだし。あははは」
「琥珀のことで、今まで私に嘘をついてない?」
「……どういう意味だい、その質問は」
 香村の目が一瞬泳ぎ、また純子を捉える。わずかに顔を覗かせた狼狽は、す
でに薄笑いで覆い隠されていた。演技の賜物か。
「文字通り、よ」
「文字通り、ねえ……。あ、すみません!」
 いきなり片手を上げ、ウェイトレスを呼び付ける香村。
「アイスコーヒー。君は?」
 香村が聞いてきた。追加しないのかということらしいが、純子は黙って首を
振った。
 注文を済ませ、ウェイトレスが去るのを待ってから、香村は水の入ったグラ
スをゆっくりと口に運んだ。そしておもむろに、
「何の話をしてたんだっけ」
 と、邪気のない調子で言う。
 話を逸らそうとする香村の意思を感じる。思い違いではないだろう。
「琥珀のこと」
 純子は辛抱強く、なるべく淡々と答えた。
「ああ、そうだったね」
 それだけ言うと、口を閉ざしてしまった香村。
 仕方なく、純子は付け足した。哀しくなってくるのをこらえながら。
「琥珀のことで、嘘をつかなかった?」
「さあ、覚えてないなあ。今まで、割とよく喋ってるから、冗談で言ったこと
はあったかもしれないし」
 曖昧な返事に、純子は密かに吐息した。
「じゃあ、香村君。琥珀について、あなたが知ってることを、全部言ってみて」
「……」
 時間を稼ぐかのごとく、香村の沈黙。三十秒ほどしたところで、伏し目がち
だった彼が顔を起こした。アイスコーヒーが届いた。
「どうも」
 まるで正体を知ってほしいかのように、愛想を振りまく。普段と全く逆だ。
 幸か不幸か、ウェイトレスは全く気付いた様子もなく、プラスチックの筒に
伝票を縦長に丸めて入れると、足早に立ち去った。
「僕もまだまだ顔を知られていないな。頑張らないと」
「香村君!」
「分かってるよ。小学生の低学年まではね、琥珀や化石にも興味あったけれど
さ、ちょうどその頃、仕事が忙しくなってきちゃったから、段々忘れてしまっ
たんだよ。これ、前にも言ったろう?」
「うん。でもね、私が知りたいのは、今の香村君が琥珀について知ってること
なのよ」
 香村はグラスにストローを差し、アイスコーヒーを口に含んだ。
「……だから、ほとんど覚えてない」
 苦々しい顔付きをしたのは、コーヒーの味のせいらしい。確かに、シロップ
を入れるのを忘れていた。
(どうしても、自分から認めてくれないの?)
 純子はやむを得ず、切り札を開くことにした。
「私にくれた琥珀、きれいな色だったよね。それも忘れてしまった?」
「ああっ、それなら覚えている。忘れるもんか。そう――海みたいにきれいな
青色だったな」
 笑みを交えて、言い切った香村。グラスの中身をストローでかき混ぜ、再び
味見をすると、満足げにうなずく。
 純子は髪を垂らしてうつむいた。ここまで来て、何を躊躇する必要があるだ
ろう。不誠実な香村に、はっきり告げればいい。でも。
(こんなの、やだ。言いたくない)
 という気持ちが張り付いて、残存している。一方的に責める立場にいるのは、
純子には気詰まりだった。
(ひょっとしたら、香村君は私とは別の子に、琥珀を渡したのかもしれないじ
ゃないの。……お土産コーナーに、珍しい青い琥珀があるなんて?)
 好意的に見ようとしても、否定されるだけ。純子の唇が、固く結ばれた。
(今言わないと、黙認したことになる)
 面を起こして、香村の目を真っ直ぐに見つめる。その視線に込められた感情
がいつもと異なるのを、このアイドルも察したらしい。腕をテーブルから離す
と背筋を伸ばし、瞬きを繰り返す。
 純子はポケットから、あのお守り袋を取り出した。そして袋を逆さにすると、
琥珀が手のひらに転がり出た。空っぽになった袋を、テーブルの乾いたところ
へ置く。
「これが琥珀なの」
「……え?」
 香村の顔の筋肉がこわばる。人がよく、理解しがたい現実を前にしたときに
見せる笑みを浮かべ、そのまま固まってしまった感じだ。
「へえ? 黄色なんて珍しい――」
 純子が首を振ると、香村は言葉を途切れされた。純子の仕種に、何らかの予
感を得たものと見える。
「これが普通の琥珀なのよ。青や赤なんて色は、凄く珍しい。人工的に着色し
ない限り、滅多にないわ」

――つづく




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