#4937/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 9/29 10:21 (200)
そばにいるだけで 40−4 寺嶋公香
★内容
富井が気軽に言ったが、唐沢はすぐ否定。
「ところが、坂祝が入門を拒んでるから、もめてるんだよ」
「そりゃそうよねえ。あのときの様子を見たら、明らかだわ」
井口は得心できた様子だが、それ故に顔をしかめた。
「喧嘩なんかしてほしくないんだけどな」
「誰だって同じ気持ちよ。第一、今の時期に喧嘩だろうが試合だろうが、やっ
てる余裕なんてない。男にはそういう単純なことも分からない」
町田が一言の下に切って捨てると、意外にも唐沢が同意した。
「そうなんだよ。相羽だって頭じゃ分かってるさ。だけど挑まれたら逃げられ
なくなるんだよ、男の意地ってやつのおかげで。ま、そういうことだから、み
んなも普段から注意して見ててやって。大丈夫とは思うが、万が一にも本当の
喧嘩になったら洒落になんねえ」
「分かった。一応ね」
純子達は大真面目に約束した。
唐沢は両手を後ろに付くと、話題を換えてきた。
「ところでフォークダンスの並ぶ順番について、ものは相談なんでありますが」
九月半ばの放課後、純子と相羽は教室で二人きりだった。
「こんなものかな。寄せ書きをここに入れれば完成」
「うん、上出来。イラストは遠野さんに頼もうかな」
相羽が言い、純子が評価を下す。卒業アルバムのレイアウトのことだ。
二学期になって、相羽と純子は一学期の学級委員長・副委員長からスライド
する形で、アルバム委員を務めていた。実際の完成はもちろん、個人の顔写真
やクラス集合写真の撮影もまだ先であるが、クラスごとに割り当てられるペー
ジに関しては、アルバム委員がメインとなって受け持つ。
今日決められた分の作業を終え、片付けに掛かる。外が徐々に暗くなってい
く時刻だ。
「純子ちゃん、本気で写真集に取り組むの?」
終わった途端の唐突な問い。いや、相羽にとって、きちんと筋道の通った連
想だったのかもしれない。アルバムと写真集なのだから。
「はい?」
純子はしかし意表を突かれた思いだったので、つい大声で反応した。次に口
元を手で覆い、改めて答える。
「え、ええ。まあね。始めちゃったんだし。ほんとに写真集になるならないは
別にして、今の内から撮っておくだけでもいいかな。記念の意味で」
「やっぱり、嬉しい?」
「さあ……自分一人が見るのなら嬉しいだけですむかもね。他の人にも見られ
るとなったら――気が抜けない」
「気が抜けない、か」
相羽の口から感嘆の息がこぼれ出た。
「だって、否応なしに注目されるんだもの。やるのなら、みっともない真似は
したくない。ううん、しない」
「そうかぁ……そのぐらい覚悟できているのなら、他人の僕が口出しすること
じゃないのかな」
「あ、意見は聞くわよ。私ってさ、結構周囲に影響されやすいみたい。こう、
視野が狭くなりがちで」
両手をこめかみに添える純子。その仕種のまま、顔の向きを換えていき、や
がて相羽に行き当たる。
「ね? そういうわけで、何かあったら遠慮なく言って」
相羽は無言のまま、曖昧な動作で首を縦に振った。さながら、アップテンポ
になりつつある曲のリズムを取るような。
おもむろに鞄を手に取ると、相羽は席を立った。戸締まりをしつつ、「そろ
そろ帰ろう」と言った。
職員室によって資料を渡すのと鍵の返却を済ませ、外に出る。九月の夕刻と
いうのに、いやにじめじめして蒸し暑い。残暑が大きな顔をしてそこらを闊歩
している。校舎の中がそこそこ涼しかっただけに、ひとしお厳しく感じるもの
かもしれない。
「あつ」
思わずスカートの端を摘んでぱたぱた。直後に、隣の相羽を急いで見やった
が、幸い、よその方に視線を向けていた。
(見られなくてよかった。いくら一緒にいると安心とは言っても、これはちょ
っとはしたなかったわよね)
そんなことを考えていると、ふと、相羽の視線がこちらに来たのを勘付く。
「――あ、香村君のことだけれどね」
少し残っていた恥ずかしさを追いやろうと、純子は自ら話題を切り出した。
「今、ドラマの撮影であちこちにロケに出ていて、忙しいんだって。大きなド
ラマらしくて、まだだいぶ掛かるみたい」
「ふうん。それで?」
相羽の素っ気ない返事に、純子は腕を下に向けて突っ張らせた。
「それでってことはないでしょう。つまり、当分会える日はやって来ないわよ
って意味」
「はあ」
「会いたいって言ってなかった、相羽君?」
「確かに言った。でも、会えないのならいい」
本心からそう思っているらしく、相羽の表情の所々――目尻や口元、それに
頬――にはむしろ歓迎のサインが見て取れた。
変なの……と思ったものの、相羽と香村が顔を合わせることに消極的な純子
にとったら、これ以上の追及は必要ない。
(ひとまず、この問題は脇に退けておいてよさそうね。と言っても、他に問題
山積みだけれど)
当面は演劇部のことが気に掛かる。相羽の母や市川に尋ねると、出演自体は
問題ないと言われた。純子自身は、だめと言ってほしい気持ちがちょっぴり、
ないでもなかったのだが。
(こればかりは、相羽君に相談に乗ってもらうわけに行かない。でも、相羽君
が同じ舞台に立ってくれたら……ううん、何でもいいから劇に関わってくれて
るだけで、頑張れる気がするんだけどな。小六のときみたいに)
だめでもともと、言うだけ言ってみようかと相羽の横顔を覗き見る純子。
次の瞬間、相羽の表情が険しくなるのが見て取れた。
どうしたの――と尋ねるよりも先に、相羽が前方に対して言った。
「さっきから着いてくるの、誰かと思ってたが、やっと分かった。安心したよ」
斜め前には道路標識とミラー。その鏡に引き伸ばされた風に何かが――人影
が映っている。
向きを一八〇度換えると、相羽は純子を背後に隠すように立った。
「安心したとは、ど、どういう意味だ」
どもりながら言ったのは、純子の知らない男子だった。歳は変わらない頃合
いと分かるが、相手は学生服を着ていないので、どこの中学なのか判断できな
い。
純子の不安を察したか、相羽は肩越しに目線だけをよこし、囁き口調で教え
てくれる。
「えっと、彼は江口主税君」
場の雰囲気にそぐわない、あっさりした話しぶりだ。純子も多少落ち着きを
取り戻し、聞き返す。
「と、友達?」
「うーん、難しいところだね」
そんなのんきなやり取りに、江口も我慢できなくなったのだろう。その場で
足を踏み鳴らした。はっとして振り返る。
「友達なんかじゃない。けりを着けに来たんだ」
「よりによって」
相羽はそれだけ言うと、口を閉ざした。語尾をごまかしたような節があった。
「見れば分かるだろ。今、僕は忙しい。用なら明日以降にしてほしいんだが」
「俺にとったらチャンスは今日だけなんだ。親の目をかすめて抜け出てきたん
だ。もうばれてるかもしれん。ここで勝負しろ、今すぐ」
「断る。試合したいのなら道場を通せ」
「俺はおまえと柔斗やりたいんじゃねえ。柔斗じゃ、本当の強い弱いは分から
ねえからな。喧嘩で、どちらが強いかはっきりさせてえんだよ」
二人のやり取りを聞く内に、純子は背景を徐々に理解できた。もちろん、想
像ではあるが。
(昔、相羽君と試合で負けたことのある人なんだわ、恐らく……。でも、負け
た腹いせに今度は喧嘩でなんて)
身を固くし、相羽の後ろに隠れる純子。
相羽が相手の江口を見据えたまま、純子のいる後ろへ片手を差し出してきた。
「恐いんなら、つかまってて」
その囁きに純子は行動で応えた。相羽の手をきつく握りしめる。
「喧嘩なら、なおさらお断りするよ」
まともに取り合うのがばからしくなったか、相羽の口調から緊張がほぐれつ
つある。逆に、江口は一瞬顔を赤くし、嘲りの言葉を吐いた。
「へえ、恐がってんのか?」
「いや」
相羽は空いている手の人差し指を額の片隅に当てた。しかめ面を作ってから、
細めた目で江口をにらみつける。
「正直言って、君には殴られたお返しをしてやりたかったし、再戦は望むとこ
ろだが、喧嘩は断る。打撃有りの柔斗ルールでは物足りないか?」
「だから、喧嘩が恐いんだろ?」
江口が表情に嘲笑を浮かべたその瞬間、予想外の方向から別の声が場に飛び
込んできた。
「うざったいな。そんな奴、早くやっちまえばいいのに」
顔を確かめるまでもなく、坂祝の声だと分かる。
相羽は江口から視線を逸らさず、純子は坂祝へと振り向いた。
「坂祝君、どうして……ここに」
「いい加減、相羽君に戦ってもらおうと本格的にお願いするつもりで、あとを
つけてきたんだけれど、こういう場面に出くわすとはねえ。似たようなことを
しでかす奴、いるもんだなと驚いた。ま、ラッキー!」
相羽に負けず劣らず、のんきな調子の坂祝。その言葉に嘘はないようだ。学
生服姿で、学生鞄とバッグを提げている。
「おまえは何だ? 関係ない奴は引っ込んでた方が」
「残念だが、関係はある。先約だ。相羽君を倒すのは僕だから」
「何だって? 聞こえねえな」
空気の軋む音が聞こえてきそうな、そんな緊張感の高まりが湧き起こりつつ
あった。
相羽は素早い動作で純子へ向き直った。
「悪い。ちょっとの間、離れてて」
と言うと、一旦、手を強く握り返す。次に、そっと純子を押して、電信柱の
影へやらせた。
おもむろに二人の男子へ振り返った相羽は、「やめろよ、二人とも」と静か
だがよく通る声で忠告した。
「何で僕なんかと戦うことにそんな一生懸命になれるのか理解しがたいが、受
けてやる。二人とも、柔斗のルールで、道場で勝負。それでいいだろう?」
不満を先に表したのは江口の方だった。相羽に激しい怒りの目線を送り、
「それじゃあ嫌だと言ってるだろ!」
と一際高くした声で吠えた刹那――隙ができていた。
坂祝が動いた。相羽にも止められなかった。
左足での前蹴りを江口に放ったのだ。
腹に食い込んだ爪先はすぐに引かれ、坂祝は何ごともなかったかのように立
ち尽くしている。
一瞬遅れて江口が崩れ、両膝を地面に着いた。不意打ちのせいもあるだろう
が、よほど強烈だったらしい。最前まであれほど威勢のよかった男が腹を両手
で抱え込み、悶絶している。
「だ――しっかりしろ。深呼吸、とりあえず深呼吸。息、できるか」
相羽の語りかけに江口の言葉による反応はなかった。だが、すーはーと必死
に呼吸しようとする意志は窺えた。だが、額に浮かぶ脂汗が凄い量だ。
「骨は何ともなってないみたいだな。これだけ力が抜けるのは、鳩尾じゃなく、
レバーブローってやつか。――坂祝っ」
跪いた姿勢で判断を下すと、肩越しに坂祝をねめつける相羽。
坂祝は信じられないほど涼しい顔をして返した。
「おかしいな。喧嘩喧嘩と言ってた奴が油断するかよ」
「坂祝……こんなやり方するのなら、俺にも同じ手で来ればいいだろう?」
「とんでもない。相羽君とは試合がしたい。一刻も早く。試合するのに邪魔な
そいつを、手っ取り早く片付けただけだよ。悪く言われるようなことじゃない」
今頃になって鞄とスポーツバッグを下ろす坂祝。首をすくめ加減に、薄く笑
っている。
「さてと。いつ相手してもらえるのかな」
「十五日、道場に来い。話は通しておく」
相羽が言い切るのを聞いて、坂祝はほくそ笑み、純子は物陰から飛び出した。
「やめてよ。こんなの、普通じゃないわよ」
両名に向かって声を張り上げる。でも、肩は小刻みに震えていた。日常的で
ない場面が眼前で展開されて、落ち着きをなくしているのかもしれない。ある
いは、ただただ恐いだけなのかもしれない。
「涼原さん、だっけ。試合なら文句ないだろ」
「こんなことがあったあと、試合なんかしたら、喧嘩になるわっ」
坂祝を叱りつける声も甲高いものとなる。次に純子は相羽へきつい視線を差
し向けた。
「あんたもばかよ! 折角断り続けてきて……今さら受けるなんて、どういう
つもりよ。絶対、よくないっ」
「心配させて、ごめん。……ただ、僕はあいつに柔斗のよさを教えるだけのつ
もりだから」
相羽の台詞に、坂祝が敏感に反応した。
「ふうん? つまり、僕に対する勝利宣言ってわけ?」
「ああ、そうだよ」
――つづく