AWC 赤いメッセージ   永山


    次の版 
#518/567 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/07/29  20:45  (118)
赤いメッセージ   永山
★内容
 女性ホラー作家の赤井羊太郎《あかいようたろう》が死んだ。何らかの鋭利な刃物で
刺されたことによる失血死であった。現場である彼女の書斎は血の海と化しており、デ
スクや座椅子、書架などが赤く染まっていた。
 彼女の名前はもちろんペンネームで、本名は貫田美土里《ぬきたみどり》という。三
十という年齢にしては、今どき珍しいであろう手書きで原稿用紙の升目を埋めていくタ
イプだった。パソコンなどの機械を使わない訳ではないが、小説執筆は手書きでと決め
ていた。
 そんな赤井は死の間際、メッセージを残していた。
 血がべったり付いた手の下にあったのは原稿用紙で、そこには大きく「ツネキ」と書
かれていた。
 早速、関係者が調べられ、容疑者の筆頭に躍り出たのが常木鉄也《つねきてつや》な
る男。赤井羊太郎は売れっ子になる前は、共作作家で鹿庭亜衣《しかばあい》と称して
いた。そのときのパートナーが、常木なのである。
「何で私が彼女を殺さにゃならん」
 仕事場兼自宅の書斎で刑事二人組の訪問を受けた常木は、憤慨気味に問い返した。
「赤井さんの成功が妬ましかったとか、ありませんか」
「何言ってるの。稼ぎならこっちも負けてないよ。でなきゃ都内にこんな戸建て、構え
られるかっての」
「しかし知名度では劣ってるし、本当にそんな稼ぎがあるようには。もしかして、赤井
さんをゆすっていたのでは」
「失礼な人だね。通帳見せてあげる。印税だけじゃなく、映像化とかキャラクター商品
とかそっちのも入ってるから」
「これは……失礼をしました。確かに出版社からの、それも複数からの振込のようです
が、何の作品ですか」
「別の名前で出してて、イメージ崩れるからあんまり言いたくないんだけど、公言しな
いでくれる? 『魔法男子メルー』と『豚野郎でも信じれば願いは叶う? ピッグマリ
オン』と『自己愛探偵・鳴瀬、死す』の三つ。一つぐらい聞いたことは?」
「ないですね」
「あ、僕はあります。一個だけですが、『ピッグマリオン』を」
 動機ははっきりしなかったが、金絡みとは限らないので、一旦保留。
「アリバイをお伺いしたいのですが」
「答えろってんなら、いつ亡くなったのかを教えてくれないと」
「そうでした。今月九日の朝八時から九時の間と見積もられています」
「おやま、早いね。彼女は夜型人間で、そんな時間に人を自宅に招き入れるとは思えな
いんだけど。いれるとしたら編集者?」
「担当経験のある方全員に話を聞きましたが、皆さんアリバイがありました」
「じゃあ、付き合っている人でもいたかな」
「それは鋭意捜査中――それより、あなたのアリバイをお聞かせ願えますか」
「あ、そっか。今月上旬なら取材旅行に出ていたはず。――ほら」
 パソコンとスマホ、両方を使って写真を見せる常木。
 結局、同行した作家仲間及び編集者の証言もあって、常木のアリバイは成立した。
「常木さんが赤井さんと昔一緒に書いていたことは、有名なんですか」
「あんまり知られてないはず。お互い、プロフィールから削除してるし、当時はまた別
の名前だったし。まあ、勘のいい読者ならひょっとしたら辿り着けるかもね」
「え? どういうことです?」
「だからペンネーム。鹿庭亜衣は『化かし合い』のアナグラムになってるでしょ」
「アナグラム……文字の並べ替えでしたっけ」
「そうそう。で、何で『化かし合い』かって言うと、私が常木で、彼女が貫田だから。
つねきとぬきた、それぞれをちょっと並べ替えると、キツネとタヌキ」
「なるほど」
「で、今の私は常木をそのまま筆名にしているし、彼女の方も“赤井羊太郎”で検索す
れば、本名が出て来る。だから、勘のいい人なら気付く可能性、ゼロじゃないでしょっ
てこと」
「それはちょっと……かなりハードルが高いですな」
「でも、彼女を殺した犯人は、少なくとも分かっていた訳だ。業界の人なら知ってる人
もそこそこいるから、絞り込む条件にはならないか。いずれにせよ、犯人はこんな残酷
なことをしておきながら、洒落っ気のある性格だよね。赤い血文字で『ツネキ』って、
『赤いきつねと緑のたぬき』に掛けたに違いない」
「えっ?」
「あん、分からない? 彼女の本名が貫田美土里で緑のたぬきでしょ。私の名前には赤
の要素がないから、血文字でツネキと書いて、赤いきつね。――反応が薄いね、刑事さ
ん達。もしかして、インスタントのカップ麺を知らないとか?」
「いえいえ。我々がびっくりしたのは、別のことです」
 年配の刑事がそう答える間、若い方の刑事はこれまで話を聞いた関係者の証言一つ一
つを、猛スピードでチェックしていた。

「――という訳で、あなた唯一人が他の皆さんとは異なる反応を示していたことが分か
りました」
「何のことですか?」
 佐藤《さとう》ひろみの問い掛けに、刑事はたとえ話をいきなり始めた。
「とあるクイズ、いやパズルを出します。割と有名な問題らしいので、ご存知なら言っ
てください」
「この状況でクイズって……まあいいけれども」
「『真っ黒な塀の向こう側から、男が現れた。その男の出で立ちは黒い帽子に黒いコー
ト、黒の長ズボンに厚底の黒いブーツ。手には黒革の手袋をはめ、靴下も黒という全身
黒尽くめだった。男はしばらく歩いたあと、ふと立ち止まった。そして不意にしゃがん
で、黒いアスファルト道路に落ちていた小さな黒石を素早くつまみ上げた。男はどうし
てそこに黒い小石があると分かったのか? なお、月は出ていない』という問題なんで
すが」
「知りません。初めて聞きました」
「それはよかった。で、答は?」
「……靴底で小石の感触が分かったとか」
「厚底ですから無理だということにしておいてください」
「……分かりません。ねえ刑事さん。これは何の茶番なんです?」
 佐藤は苛立ちを露わにした。が、すぐに左手のピンキーリングをさすり、冷静さを取
り戻した。指輪の石は、落ち着くためのおまじないみたいな物なのかもしれない。
「そういきり立たずに、まずは答を聞いてください」
「別にいきり立ってはいません。答、何なんですか」
「答は、『真っ昼間だったから』」
「え?」
「佐藤さん、夜の闇の中での話だと思って聞いていましたよね? それが普通の反応で
す。事前にパズルの問題だと知らされていなければ、気付ける人はほとんどいないとさ
れています」
「確かに夜だと思い込んでましたけど、これと事件と一体どう関係すると言うのでしょ
う?」
「先日、話を聞きに上がった際、事件のあらましを話しましたよね。あれを聞いて、他
の関係者の皆さんは一様に同じ思い込みをしたんです。すなわち、被害者の赤井羊太郎
さんは、自らの血を使って『ツネキ』と書き残したんだと」
「……」
 佐藤の目は見開かれ、唇は逆にぎゅっと噛みしめられた。
「我々警察は、現場の具体的な状況は発表していません。現場にあった原稿用紙に『ツ
ネキ』と書かれていたことは、聞き込みの際に明かしていますが、どんな物で書かれた
かについては言及を控えていました。その結果、ほぼ100パーセントの人が、血文字
だと勝手に解釈していたんですよ」
「……」
「翻ってあなたの場合を思い返してみると、他とは違った反応をされていた。記録も取
ってあります。佐藤さん、あなたはこう発言している。『愛用のペンで最後に書いた文
字が、自分を殺した犯人の名前だなんて、先生もさぞかしご無念だったでしょう』と。
何故、ペンで書かれたと思ったのか。いくらでも理由付けはできるでしょうが、我々は
あなたを疑います。徹底的に」
「そんな」
「手始めに、その左手の指輪を調べます。返り血ってやつは意外と小さな隙間からも潜
り込んで、意外と長い間残るもんなんですよ」
 佐藤は指輪を隠すかのように、左手を右手で覆った。
 ダイイングメッセージを偽装した犯人は、どうやら被害者からの赤いメッセージで追
い詰められることになるようだ。

 終





前のメッセージ 次のメッセージ 
「●短編」一覧 永山の作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE